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第九章 第二節

 水曜日になった。予定では、ライアン侍従長は火曜の晩に帰宅することになっている。

 果たして彼は戻ったのだろうか。メアリーは昨夜のうちに侍従長を捕まえることが出来ただろうか。色々と考えながら屋敷の門まで来た時には、ローガンは気が昂ぶってしまっていた。

 すると、いつもの門衛が門を開けてくれるのだが、その顔が何やらニヤニヤしていることに気が付いた。ローガンはドキリとした。そうなのである。毎日、ローガンが屋敷に入る前に、この門衛の男はシェイラがいるかどうかを知っているのだ。

 かといって、教えてくれるわけではないのだが。しかし今日は明らかに様子が違う。にやにやとしながら、物言いたげにローガンを見つめている。

「侍従長殿はお戻りになられましたか?」

 試しに話しかけてみた。

「はい。昨日お戻りですよ」

 そう言って、またニヤニヤしている。感じの良い笑いではないうえに、良い意味なのか悪い意味なのか分からない。ローガンはとにかく玄関まで急いで行って、呼び鈴を鳴らした。

 使用人に通されて、玄関ホールで暫く待っていると、そこに現れたのはメアリーだった。

「ナイトリー先生、明るいうちにお会いするのは久しぶりという感じがしますわ!」

 満面の笑顔で迎えられ、ローガンも嬉しくて素直に笑った。無意識に二人は腕を取り合い、喜び合った。

「今日はお誘いがなかったということですね。シェイラ様もいるのですね?」

「ええ。今日は勉強できますわ。さっ、行きましょう」

 メアリーは周囲に誰もいないのを確認して、いつもの階段下へ着く前から話しかけてきた。

「昨日はまた王宮に行っていましたが、七時ぐらいに戻ってきて、ライアン侍従長に会うことが出来ましたわ。お預かりした手紙は確かに渡しましたし、その場で、この一週間勉強をしていないことを報告しましたわ」

「それで、侍従長殿はなんて?」

「そのときは『フランシス王妃にも困ったものだな』って仰いましたわ。でも少しお疲れの様子だったので、私はすぐに失礼させていただきました」

「なるほど」

 階段の下まで来たが、二人は上らずに立ち止る。メアリーはさっきよりも声を低くして続けた。

「それで、今日の朝、ついさっきのことですわ。いつものようにプライス夫人が迎えに来て、私とシェイラ様は出掛けるつもりで下りてきたのですけれど、そこへライアン侍従長が現れて、プライス夫人を追い返してしまったのです」

「追い返したですって?」

「いえいえ。午前中は勉強があるから遠慮して欲しい。誘うなら午後からにして欲しいと言っただけですわ。今日は意外と紳士的な態度でしたわ」

 今日は意外と、に含みを持たせて、メアリーが楽しそうに報告する。

「それでプライス夫人は帰ったのですか?」

「ええ。プライス夫人はもう、顔が強張ってましたわ。侍従長がいることを知らなかったのかもしれません。私も使用人たちも、みんな見ていて凍りつきましたけど、プライス夫人がすぐに帰ったので、それで終わりですわ」

「ライアン侍従長……すごいですね」

「あら、彼女は簡単ですわ。誰にでも言いなりですから。でもこれが王妃に伝わった時に、一悶着あるかもしれませんわね」

 メアリーはむしろ愉快そうに言ったが、ローガンは少し怖いという気がした。昨今の世における侍従長の権勢は大したものだ。つまらない事例であってもそうした権力を目の当たりにすると恐怖を感じてしまう。

 部屋に入ると、シェイラは勉強机を背に立って、こちらを見て微笑んでいた。久しぶりに会う彼女は以前と印象が違って見えた。ローガンは彼女を見つめて、何が違うのかを探ろうとした。初めて会った時と比べたら、別人のように頬がふっくらとし、顔色が良くなった。そして今、彼女は表情が輝いていた。頬が色づき、薄紅色の唇にも、深緑色の瞳にも、溢れそうな微笑をたたえている。

 ローガンも、抑えきれず微笑んでいた。嬉しくて、たまらない。そして彼女が微笑むのもまた、同じように嬉しいからだと思えてならなかった。


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