第九章 第一節 王宮
サイモンとの昼食の後、ローガンはあらためて考えて、ライアン侍従長への連絡はメアリーに頼むことにした。土曜日の晩はメアリーが実家に帰る日だ。例によって門衛と話しながら待ち伏せていると、予定通りの時刻に現れた。
「まあ、今度はどうされました?」
というのが彼女の第一声であった。
「たびたび申し訳ありません。お願いしたいことがありまして」
「こんな寒い所にいなくても、入ってらっしゃればいいのに」
「お騒がせしたくないので……。すぐに済む用件ですから」
と言って、ローガンは書いてきた手紙を取り出すと、手短に説明をした。ライアン侍従長が帰ってきたら、出来るだけ早くこの手紙を渡して欲しい。そして、フォースター嬢が毎日王妃に召されて王宮に行ったきりになり、授業が出来ない状況が続いているという事実を口頭でも伝えて欲しい、ということだった。メアリーは存外平静な様子で、二つ返事で引き受けた。
「本当に、ライアン様に早く何とかしていただかないと困りますわね。わたしも毎日王宮へ出張するのは疲れます」
手紙を受け取りながらメアリーがそう言うのを聞いて、ローガンは彼女に頼んで正解だったと思った。
「今日はどうだったのですか? お誘いはあったのですか?」
打ち解けた空気になったところで、質問した。
「ええ。今日も同じですわ」
「大変ですね。そんなに毎日、何をするのか不思議なのですが」
「あら、特に何をするというわけではありませんわ。わたしはフランシス王妃のサロンには入れないのですけど、想像はつきます。王妃のサロンには毎日十人か二十人ぐらいのご友人が招かれています。そこでお喋りをしたり、色々な遊びをされているだけです」
なるほど有閑階級の暮らしとはそのようなものだろうと、ローガンにも想像が出来た。
「さぞかし華やかな場なのでしょうね。シェイラ様がそのようなサロンに、馴染めるとは思えないのですが」
「そりゃあ、馴染んではいないでしょうね」
メアリーがからりと言う口調に、若干の笑いが混じっている。
「それで、大丈夫なのですか?」
ローガンは少し強い口調で尋ねた。
「大丈夫みたいですよ。最初は随分と楽しんでおられたようだし、昨日や今日は、ちょっと疲れている感じでしたけど」
「そうですか。きっと毎日緊張されて、疲れるのでしょう。明日は日曜日だから、礼拝の後はゆっくり休ませてあげてください」
「そう出来ればいいのですけど。王妃のサロンは日曜日も関係ありませんから」
「けれど、フランシス王妃はさすがに礼拝には出席なさるでしょう?」
「ええ、出席なさいます。けれどサロンの方もお休みにはなりませんわ」
ということは王妃の客たちは礼拝には行けないのだろうか、という疑問が浮かんだが、別段どうでもよいことなので質問はやめにした。それに明日も朝早くから出勤するメアリーを、早く解放してあげなければならない。
「明日はお誘いがなければ良いですね」
「そう願いますわ」
「では、手紙の件をお願いします」
「ライアン様に必ず伝えますわ」
「よろしくお願いします」
門前に迎えに来ていた馬車にメアリーを乗せて、見送った。夜の闇に、石畳を行く馬車の音だけが響き渡る。音を追いかけるように歩き始めて、早朝やら深夜やらにライアン邸と実家と王宮を行ったり来たりするメアリーの苦労を思った。王妃の誘いに迷惑している彼女は間違いなくローガンの手紙と伝言を、ライアン侍従長に渡すだろう。手紙の内容は事実の報告のみで、個人的な苦情は盛り込んでいない。ローガンとしてはもちろん授業を再開したいが、どう対処するかは雇い主が決めることである。勉強の方が切り捨てられる可能性もあるが、そうなった時はまた別の方法を考えるつもりだった。
夜道を歩きながら、ローガンの思考は明日の日曜日を飛び越して月曜日に飛んでいた。月曜日になれば、あるいは王妃は誘いを止め、このままシェイラが勉強できなくなるという心配は杞憂に終わるかもしれない。楽観的に考えれば、その可能性は高いようにも思われた。
不意に、ローガンはギャザリング王国の王妃フランシス・シシリアスに腹が立ってきた。それまでは困惑するだけだったが、急に怒りを覚えたのである。権力に近い存在の、ただの気紛れかもしれない行動に振り回されているという事実に苛立つのだ。
なんとなく憤りを感じながら、日曜日が過ぎた。
月曜日になり、ローガンは不安定な気分のままライアン邸に到着した。今日はどうなんだと、喧嘩を挑むような気持になっていた。執事のゴードン氏が登場し、シェイラの不在を告げた。
もう、ライアン侍従長に任せよう。急に力みが抜けて、割り切った気分で火曜日の朝を迎えた。機械的にライアン邸に到着する。出てきたのはゴードン氏である。聞くまでもなく、シェイラは不在だった。
ただ彼女に会うというだけなら、ローガンは一時間ほど早くライアン邸に行くという方法も考えなくはなかった。けれどやはり、鉢合わせは恐ろしい。それに家庭教師がその場にいたところで、王妃の命を受けたプライス夫人が遠慮するとは考えにくい。慇懃無礼に思い切り侮辱されて、シェイラを連れ去られるのが関の山という気がする。そしてシェイラはナイトリー先生に申し訳ないと思うのだろう。シェイラには会いたいけれど、この方法は却下した。




