第八章 第五節
「あくまで、バラノフ嬢がプライス夫人から聞いた話です」
「ふうん。メアリーは王宮での事は何か言っていた?」
「それが、王宮には付いて行ったけど王妃の部屋には入れなかったそうです。だから王妃が実際に謝ったのかどうかは判らないのです」
「ふーん、そっか」
ビルに挟まれた南北方向の道を歩ききって大通りに出る。幅の広い道で、途端に視界が左右に開けるが、前方は建物が並んでいて向こうが見えない。馬車の途切れに、小走りになって道を渡り、サイモンに導かれるまま北へ向けて路地を抜けると、いきなり目の前がモート川だった。
ローガンはあっと小さく感嘆したが、道を知っているサイモンは何ともなく、左側の先にある橋を指さして、先に歩いて行く。公園は橋の向こうにあるのだった。
メレノイ市の中心部を東西に流れるモート川は、大きな中洲を抱いていて、そこは大部分がよく整備された公園になっている。上流の端には歴史的建造物が有名な大神殿があり、下流の端には上流階級の社交場である王立会館がある。そしてその間には、植物園や遊覧船の乗り場など、大小の観光名所が点在していた。
中州の公園は観光客でよく賑わっていた。散策を楽しむ観光客と、それを相手に商売をする売り子の活気ある声があり、それとは対照的な、疲れた顔でベンチに座っている勤め人の姿があった。そして、木陰で下草に紛れて横たわっているホームレスがいた。
二人は比較的こぎれいな屋台を選んでパンを一個ずつ買った。ローガンの昼食がそれきりなのは節約の為であるが、サイモンもそれだけだった。ただ、彼は別の屋台でコーヒーを買った。思い返せばリバスロープ村で昼食を摂った時も、サイモンの食事は上品なものであった。ちょこちょこと食べて、後はずっと紅茶を啜っている。たぶん小食の性質なのだろう。
だから背が小さいのだ、という考えがローガンの頭に浮かんだ。彼は自分が恥ずかしくなり、努めてそれを頭の中でかき消した。
空いているベンチを見つけて座り、ただのパンを頬張った。サイモンが溜息をついて、こう言った。
「こういう開放的な所に来ると気持ちいいね。メレノイは大体がごみごみしているから」
その口調は内容に反して全体的に疲れていて、まるで気持ち良さそうではなかった。勤務中の昼休憩などは、誰でもそんなものかもしれないと、ローガンは思った。
「ええ。でも、メレノイは良い場所がたくさんありますね。ここもすごく綺麗だし、綺麗な建築も多いし。緑も、水辺もあって。大都会だけど、ちょっと行けば海も山もあって」
「海があるのはハイマントとの最大の違いかもしれないね」
「そうですよ。港に行ったときは結構興奮しました。それで市場に行けば新鮮な海の魚がいっぱいあって。すごいと思いましたよ。ハイマントには川魚しかなかったので」
「そっかあ。他にはどこか行った?」
「ええと…」
ローガンは記憶を探ったが、これといったものが出てこない。
「残念ながら特に行ってないですね……」
仕事と生活に関係する神殿や商店には行くのだが、純粋に遊びで何処かへ出掛けようという発想が、まだないのである。
「下宿とライアン邸と、神殿を往復するばかりで、まだあまり出掛けてなくて。あとは離れ山ぐらいでしょうか」
「そうなんだ」
サイモンはさっきよりリラックスした表情で、コーヒーを口に運んでいた。海から来た風が黒髪を躍らせ、頬に貼り付けて吹き過ぎて行く。良く晴れていてあまり寒くなく、いかにも平和なひと時だ。十二月に、このように空が晴れ渡るのはメレノイの気候の特徴だな、と思いついたが、このまま定型化されたような会話を続けていては、それだけで昼休憩が終わってしまう。
「今頃、シェイラ様は王宮で昼食でしょうか。食事の作法を知っているとも思えないのに。恥をかいていないか心配です」
サイモンにその気がないようなので、ローガンが話題を戻した。
「そう言えばそうだね。シェイラも大変だ」
「きっと心細い思いをしていますよ」
「そうだろうね」
「まあ、ここでいくら心配していても仕方のない話ですが……」
ローガンがやるせなげに溜息をつくと、サイモンも話に乗り出してきた。
「大丈夫だよ。だってもう四日目なんだから。何かあれば何回も行きはしないでしょ。メアリーに会った時、シェイラの様子は聞いた?」
「ええ。確かに元気だと言っていましたけどね……」
ローガンは苦笑いする。
「礼儀作法について言えば、メアリーが教えたのじゃないかな。二人とも賢いから、それぐらいの対処は出来るよ。それに、私的な訪問であって公式の晩餐会でもないのだし、完璧じゃなくてもいいんじゃないかなあ。シェイラは育った環境が違うのだから、出来なくて当然なんだし。きっと寛大な目で見てくれるよ」
「王宮の人間たちというものが、良識があって寛大かどうかは、わたくしのような庶民には想像もつきませんね」
ローガンの言い方が、自分でも意外なくらい毒がこもっていたので、サイモンは少し驚いたようだった。
「それは僕も同じだよ」
ローガンは隣のサイモンの方に向いて座りなおした。自制していたものが外れた気がした。




