第八章 第三節
次の日は、さすがにライアン邸へは行かなかった。昨晩のメアリーの話から、今日もプライス夫人のお誘いがあり、授業が出来ないことを知っていたからだ。昨夜、帰り際にライアン邸の門衛に伝言を残したので、無断欠勤にはならないはずだった。門衛が約束通り、伝言をゴードン氏に伝えてくれればの話だが。しかし、たとえ伝わらなかったとしても、ナイトリーは真面目過ぎるわけではないということが示せるので、それはそれで良いか、などと考えていた。
ライアン邸の替わりに神殿にやってきたローガンだったが、することは特になかった。神殿の脇に建てられた詰所で事務机に着き、レンガが剥き出しの壁を眺めながら、
(仕事が暇すぎる、というのは問題だ!)
と、頭の中で叫んでいた。
することがないと、シェイラの心配ばかりしてしまう。
本妻に召された妾の子の運命は? 殺されたっておかしくない! などと考えるのは自分だけなのか。元気ですよ、と言ったメアリーの言葉さえ疑い始めてしまう有様だった。
ローガンの神殿には奴隷の少年が二人、住み込みで働いている。今朝は彼らにいきなり質問をぶつけてしまった。
「国王陛下のお妃って、どんな人か知ってる?」
十歳と八歳の才気ある少年たちだが、この時は二人ともポカンとした。
「王妃様ですか? 見たことありません」
「フランシス妃ですね。私もお目にかかったことはありません。雲の上のお方です」
二人の正直な答えに、ローガンは微笑んだ。
「そりゃそうだよね。ありがとう」
その後、二人は隣の教区にある学校へ行った。神殿に仕える奴隷に限っては、宗教界の方針として学校に通わせるのが普通だった。ローガンはというと、あれこれ考えたが取り立ててやるべき事がない。ローガンが担当する教区は狭い。そこに、別の教区の神殿長を兼任しているバストロー神殿長は除くとしても、正神官が一人と奴隷が二人というのは人員過剰だと前々から思っていた。
しかし奴隷たちの意見は違っていて、ナイトリー様が働き過ぎるのがいけない、というのが彼らの言い分だった。仕事はもっとゆっくりとすれば良いし、仕事がないなら遊んでいればいい。現に、前任の神官は神殿に来ることさえ稀だった。ごくたまにバストロー神殿長が来ると、どこからともなく現れるのだ。隣の教区の神殿にだって、ナイトリー様のように毎日働いている神官はいない。みんなもっと優雅で、社交が大好きで、色々な集まりに顔を出すのに忙しくて、神殿に毎日来たりはしないのだ、と。
少年たちのこの話を聞いたときは、ローガンは次のように言って同職者たちの名誉を守った。彼らはむやみに遊んでいるわけではない。教区の利益になる目的が各々あって、神殿にいなかったり社交に忙しいのは、関係先と交渉したり人脈を作ったりするためなのだ、と。
けれどもしも、ただ遊んでいるだけだとしたら? 少年たちには言わなかったけれど、ローガンはこうも考えた。それは、奴隷上がりで昼夜問わず働き続けた苦学生時代を引き摺っている自分と、多くが有産階級の子弟である彼らとの、感覚の違いなのだ。
結局、午前中は怪我をした教区民の家へお見舞いに行くことにした。一昨日も行ったのだが、また少し顔を出して経過を聞いてもおかしくはないだろう。
ローガンの教区は人形の卸問屋とその職人が住む地域にある。教区民は、学はないが素朴ないい人たちだ。訪問するとどの家でも歓迎されて、十九歳の新米神官を敬称付きで呼んで敬ってくれる。ローガンとしては申し訳ないくらいだった。彼らの商売は順調なようで、生活に困っている家も暇そうな家も見当たらない。訪問した時は仕事の邪魔にならぬよう長居はしないことにしていた。
怪我をした職人を見舞い、その奥方と世間話をして十五分ほど過ごした。特に問題もないようなので、邪魔者になる前に去ろうとすると、愛想の良い奥方は何度も引き留めてくれる。いつ来てもそうであり、どこの家でも大体そうなので、ローガンは自分がよほど好かれているのか、それがメレノイの習慣なのか判別しかねていた。近いうちにまた来ますと決まり文句を言って、結局立ち去った。
神殿に戻って来たが、することもなく、また心配事を思い出した。今ごろ、彼女は王妃とその取り巻きに囲まれて、楽しく過ごしているのか。辛い思いをしてはいないのか。
あれこれ考えているうちに、なんとなく欲求に負けてしまい、ローガンはサイモンに会いに行くことにした。事情が分かる人に話して心配事を共有させてしまおうという魂胆である。魔術師協同組合の事務所の場所は調べてあるし、時刻も昼食を誘いに行くタイミングに丁度良かった。早速出発し、十二時前に事務所が入る建物に到着するところまで、事は順調に進んだ。




