第八章 第二節
「いったい毎日、どこに行っているのですか?」
「ちょっと出ましょうか。ここではなんですから……」
メアリーは門衛に挨拶し、ローガンは丁寧に礼を述べて、外へ出た。道にはメアリーが予め手配していたらしい一頭立ての小さな馬車が停まっていた。メアリーは御者にしばらく待っているようにと言って、ローガンを連れて道の角まで歩いて行った。
「実は、王宮を訪問しているのです」
メアリーは立ち止ると、唐突にそう言った。王宮は彼女にとっては前の職場だが、ローガンにとっては立ち入ったことのない遠い世界だった。
「本当ですか? プライス夫人が、王宮に連れて行ったということですか?」
「そうです。プライス夫人はフランシス王妃のお気に入りなのです。フランシス王妃がシェイラ様にとても会いたがっているということで、急に連れて行かれたのです」
「ちょっと待ってください。本当に王妃に会ったのですか? シェイラ様は、王妃から見ると……、王妃から見るとですよ……」
ローガンが言葉を選んでいると、メアリーが先に答えた。
「ええ、ええ、分かります。憎き妾の子です。会いたがるはずはない、って思いますよね」
「そうです。その通りです」
「私も最初は驚きました。でもね、なんと、王妃様はシェイラ様に謝りたかったのですって!」
メアリーの調子が急に活気づいた。
「どういうことですか?」
「シェイラ様は三歳まで王宮に住んでいたんです。お母様と一緒に。その頃、王妃様はシェイラ様とお母様に、あまり良い接し方はしなかったそうなのですけど、それを今では後悔していて、シェイラ様が見つかったと聞いて、会って謝りたいと思ったのですって!」
信じられるものかと、ローガンは即座に思った。
「それで王宮に行って、本当に王妃は謝ったんですか?」
「さあ……わかりません、見ていないので。王妃様の部屋の前までは付いて行きましたが、中には入れませんでした。人払いされてしまいましたから」
「そうですか……、それでこの三日間は、毎日王宮に?」
「ええ。シェイラ様は王妃様に気に入られたようです。プライス夫人を通じて、毎日王妃様からお誘いがあるのです。それでナイトリー先生には申し訳ないのですが、授業は受けられなかったのです。実は明日も、朝からプライス夫人がお迎えにいらっしゃるんです」
「わかりました。しかしまた、随分と気に入られましたね」
「そうですね。意外ですけど」
「このまま勉強はお終いでしょうか」
ローガンは苦笑いしながら尋ねた。
「まさか、ずっと続きはしないと思いますよ。今は、王妃様はシェイラ様のことが物珍しいのかもしれません。それに、そんなことライアン殿が許さないと思いますわ」
メアリーはそう言って、微かに笑った。
「ライアン侍従長のお戻りは来週の水曜日ですね」
「ええ、そう聞いています。戻られたら相談されたらいかがですか?」
「そうします。……シェイラ様はお元気ですか?」
ローガンはメアリーを長く引き留めてはいけないと思ったので、これが最後の質問だった。
「ええ、元気ですよ」
メアリーが答えた。短すぎて物足りなり答えではあったが、また質問するのも不自然なので、ローガンは諦めることにした。
「それは良かった。馬車に戻りましょうか。お時間を取らせてしまって申し訳ありません」
短い距離だが夜道である。ローガンが腕を差し出すと、メアリーはごく自然な動作でそれを取った。
「いいえ、それは全然構わないのですけど。ナイトリー先生はこれだけ訊くために、こんな夜中にまた来られたのですか?」
「そういうことになりますが……。これだけ、というほど小さい事でしょうか」
「そうですわね、ごめんなさい」
メアリーは少し笑ったようだった。彼女はまた口を開いた。
「けれど、なんというか、本当に真面目ですわね、ナイトリー先生は」
ローガンは軽い脱力感にみまわれた。
「褒め言葉と受け取っておきますよ。さあ、着いた」
御者に声をかけ、ローガンは手を貸してメアリーを馬車に乗せた。
「シェイラ様によろしくお伝えください」
「ええ。では、また」
「さようなら」
メアリーを見送り、ローガンは何とはなしに屋敷を見上げた。暗くてよく見えない上に、そもそも屋敷の正門辺りからシェイラの部屋は見えない。
けれど、この夜に彼女は健やかに眠れているのだろうか。元気だというのなら、何も問題はない。ライアン侍従長が戻れば、授業も再開できるはずだ。ローガンはそう自分に言い聞かせた。




