第八章 第一節 王妃の誘い
その日、ローガンがライアン邸を訪れると、出迎えたのはメアリーではなく執事のゴードン氏だった。シェイラが不在なので、今日の授業は不要だと彼は言った。
「不在ってどういうことですか?」
「つい先ほど出掛けられました」
「また戻られますか?」
「午前中には戻らないと思います。今日は帰っていただいて結構です」
初老の痩せた男は慇懃な態度でそう言うと、取って付けた様に微笑んだ。その笑顔は、これ以上話す気はありませんよと言っているようだった。ゴードン氏の説明はローガンにとっては全く不十分なものだったが、思いがけない事態で準備がなかったことと、以前から何となくこの執事が苦手だったこともあり、その場は従うことにした。
「わかりました」
と言って玄関ホールを出ると、すぐさま扉を閉められてしまった。
狐につままれたような気分で、ローガンは暫くそこに立っていたが、やがて考えが浮かび、門まで歩いて行った。彼は門衛の男に話しかけた。挨拶程度ではあったが、毎朝会うので顔はよく知っていた。門衛の男は快く話してくれた。十五分ほど前に迎えの馬車が来て、メアリーとフォースター嬢は出掛けた。馬車は、名前は忘れてしまったがある貴婦人のものである。その貴婦人は昨日も訪れ、自分はフォースター嬢の母親と親友だったので、彼女の娘にぜひ会いたいと言って面会した。おそらくその時に今日の約束が結ばれたのだろう。貴婦人の馬車は立派なものだった。どこに向かったのかは分からないが、おそらく彼女の屋敷か劇場か、どこかの社交場に遊びに行ったのだろう。ローガンはその貴婦人の名前をもう一度尋ねたが、門衛の男はどうしても思い出せないと言った。
ローガンは諦めて帰ることにした。会えるはずが会えなかったという単純な寂しさはあるものの、それだけだった。謎の貴婦人の正体は、明日本人たちに聞けば判ることだ。
ところが、翌日もシェイラは不在だった。ゴードン氏は昨日と同じ態度で、昨日と同じことを言った。ローガンはまた門衛に訊いた。昨日に引き続き今朝もシェイラを連れ去った貴婦人の名は、プライス夫人ということだったが、名前以上のことは分からなかった。
次の日、執事のゴードン氏はまた同じことを言った。三日連続ともなれば多少の文句は許されるだろうと、ローガンは手早く追い出される前に質問を試みた。
「ちょっと待ってください。三日間も不在だなんて、どういうことなんですか?」
ゴードン氏は驚いたような顔をした。
「三日間不在なわけではないですよ。夜には戻られています」
「いったいどこに出掛けられているのですか? こんな朝から、夜まで」
「さあ、詳しくは聞いていませんが、プライス家に招待されているのかもしれませんね」
知らないのですか! と言いそうになるのを堪えて、ローガンは続けた。
「プライス家というのは……」
「王室の遠縁にあたる立派な家柄です。超一流ですぞ!」
ゴードン氏はなぜか誇らしげに胸を張った。
「明日はご在宅なのでしょうか?」
「それはまだ分かりません。プライス夫人のお誘い次第ですからな」
「前日には分からないということですか?」
「そういうことになりますね」
ローガンが納得しない顔をしていたからか、執事はこう続けた。
「プライス夫人は多少気まぐれな所があるのかもしれませんね。前の日に明日の予定を立てない方なのでしょう」
そして、いつもの笑顔を付け足して、「もう終わり」の合図をした。
「そうですか……」
ローガンは、合図は気にしないことにして、次に何を尋ねればよいかを思案した。ライアン侍従長と面会したかったが、それが出来ないことは既に知っていた。彼は今、国王の地方視察に付き添って、メレノイを離れているのである。
ローガンが出て行こうとしないので、ゴードン氏は勘違いをして、こう言った。
「賃金でしたらこの三日間の分も支払うように取り計らいましょう。こちらの都合での事ですから、問題ありませんよ」
ローガンは誤解されたことを悟ったが、敢えて否定はしなかった。
「それはありがとうございます」
愛想よくそう言うと、ゴードン氏は微笑んだ。いつもの作り笑いよりは、多少は本当の愉悦が含まれている笑みのようであった。ローガンは彼を満足させたという点にだけは満足して、屋敷を後にした。
その日の夜、ローガンは再びライアン邸を訪れ、門衛と立ち話をしながら彼女を待った。玄関が開いて、ランプを手にした人影が現れる。それは徐々に近づいて、ローガンの姿を認めると、声を上げた。
「まあ! どうしたのですか?」
ランプの光の中で、メアリーが目を丸くしていた。
「どうしたも何も……」
不平の言葉が出そうになるのを抑えて、ローガンは一旦気持ちを落ち着かせ、話し始めた。
「待ち伏せしたことはお詫びします。今からお帰りですね、会えてよかった。少し話せますか?」
「ええ、ええ、もちろん。どうしたのですか?」
メアリーは驚いた様子ではあったが、相変わらず快活な調子で、以前と何も変わっていないようだった。




