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第七章 第三節

 これはもしかして、「それではお先に失礼します」と言って立ち去るべき場面なのだろうか。ローガンはふとそう思ったが、かといって、奇跡的ともいえる幸運をみすみすふいにして帰るつもりはなかった。

 十分ぐらいが経った後、サイモンはローガンの所へ戻ってきて言った。

「動いていないと身体が冷えるね。寒くなってきた。僕はもう下りるよ」

「私も下ります」

 すると、サイモンが微笑んだ。

ローガンは普段、大人の作り笑いには何も感じないのだが、彼が童顔だからなのか、その笑顔は真実なものに思えて嬉しかった。ローガンはその許可を与えられた気がして、枯草の茂みを抜けるとすぐに、サイモンの隣に行き一緒に歩いた。

「ご自宅はこの近くなのですか?」

 ローガンは当たり障りのない話題から試みた。

「うん。山の下だよ」

「魔術師協同組合はメレノイですよね?」

「事務所はそうだよ。遠距離通勤しているんだ。毎日馬車で、一時間ぐらい」

「大変ですね」

「まあ、大変といえば大変だよ」

 下りの山道は常に足元に注意が必要で、真剣な会話をするには不向きな場所だった。道幅が狭く横並びになれないところも多い。

「草刈りが来週だから、今は雑草がすごいな。道がなくなりそうだ」

 サイモンは先に立って、茶色く枯れた草を杖で除けながら言った。そして一瞬振り返り、尋ねた。

「今日は馬車で来たの? リバスロープ駅からは歩き?」

「そうです」

「メレノイに住んでいるんだよね。出身はどちらですか?」

「大学はハイマントです。今年の七月に卒業して、メレノイに移ってきました」

「ハイマントかあ、寒そうなところだなあ」

「メレノイよりだいぶ北ですからね。メレノイの冬は寒くないのですよね?」

「え~寒いよ。ハイマントに比べたら寒くないのだろうけど」

 しばらくメレノイとハイマントの気候の違いに関する話題が続いた。

 歩きながら、視界が開ける場所でふと遠くを見ると、地上が近づいてきているのが分かった。ローガンは、悠長に外堀を埋めている時間はないと思い、話題を変えることにした。

「ところでライアン邸ですが、ライアン夫人とお子様たちはフォルセット州のお屋敷に戻られました」

「ああ、そうなんだ! じゃあライアン夫人には申し訳ないけど、ジェマはいやすくなったね」

 頭の中で疑問符が飛んだ。シェイラのことなのだろうか。

「それでなのかどうか判りませんが、シェイラ様は最近、前より明るくなった気がします」

「それは良かった。名前まちがえたよ、シェイラだったね」

「もしかして、このあいだライアン邸にいらした時に、侍従長殿に何か言いましたか?」

「あ~、言ったかもしれないな。シェイラが気を使っている、という話はしたよ」

「やっぱりそうですか。それで侍従長殿は対処してくださったのかもしれないですね」

 道が広くなり、隣を歩いていたサイモンが、急にニヤニヤと笑い出した。

「……というか、ライアン殿は家庭教師にその問題を聞かされたと言ってたよ」

 一瞬、顔が熱くなった。

「そうですか。確かに、実はハートさんが来る前に、バラノフさんと一緒にその話を侍従長にしたのです」

「すごい剣幕で乗り込んできて、シェイラが可哀相だから何とかしろと言われた、と言ってたよ」

 ローガンは恥ずかしかったが、自分が恥ずかしくなることにも、サイモンがからかうように笑いながら話すことにも、納得がいかなかった。

「まったく、ライアン侍従長は間違えていますね。さもなければ、話を大袈裟にしていますね。私はそういう風には言わなかったし、ましてや、すごい剣幕で乗り込んだりはしていないのですが」

 麓が近づくにつれ道はなだらかに歩きやすくなってきた。このままいくと登山道が終わり、道の分かれ目に来たところでサイモンは自宅の方へ、ローガンは駅の方へと別れる流れになるだろう。ローガンはそれまでに、どうにかして彼とゆっくり話が続けられる状況に持ち込みたいと、考えを巡らせた。昼食に誘うという案がすぐに浮かんだが、これには重大な問題があった。ローガンは節約のために昼食を摂らない生活をしていたので、今日も往復の馬車代しか金を持って来ていないのだ。

「侍従長殿は気を悪くされたということでしょうか」

 ローガンはサイモンを引き留める方法を考えながら、会話を続けた。お別れの地点に着くまでに良い方法を捻り出さなければならない。

「まさか、それはないよ。君のこと気に入っていると思うよ」

 サイモンは笑うのを止めて、そう言った。

「鬱陶しがられてなければ良いのですが」

 今度はローガンが苦笑いしながら言った。サイモンが声を上げて笑った。

「大丈夫だよ。僕も家庭教師が付いてくれて良かったと思ってる。君とメアリーとで、シェイラのことをしっかりと見ていてくれたら、僕も安心できる」

 褒めたつもりなのだろうが、ローガンはその言い方が気に入らなかった。自分が現れる前からのシェイラとの関係性を、サイモンに誇示されたような気がした。

「そうですね。私もシェイラ様のことはしっかりと見ていくつもりです」

 思わず、対抗心が言葉に出た。言ってしまってから恥ずかしくなり、ローガンはさらに続けた。

「家庭教師の職務として勉強を教えるのは当然ですし、彼女の境遇を考えると、それ以外にも助けてあげるのが聖職者としての務めに合致する気がします」

 いったい自分は何の言い訳をしているのだろうと、ローガンは自分の言動がおかしくて笑いそうになった。

「シェイラもメアリーも、君がいてくれて心強いと思うよ。僕はあまりライアン邸を訪問できていないから」

 サイモンは前を見たまま話していて、ローガンの気持ちになど何も気づいていないようだった。

「そもそも、ハートさんがシェイラ様の面倒を見るのはどういう関係からなんですか? シェイラ様は魔術師ではないですよね」

「シェイラのお母さんが組合員だったんだ」

「お母様も魔術師ではないと聞きました」

「そうだね。魔術師じゃなくても色んな事情から魔術師協同組合の組合員になることはあるんだ。シェイラのお母さんも魔術師ではないけど、魔術師と何かしら関係があったんだろうね」

「その関係というのは何か分からないのですか?」

「僕は聞いてない。僕が組合の職員になって業務を引き継いだときには、シェイラのお母さんはもう組合員だったよ」

 道の勾配がほとんどなくなってきた。もうすぐ山道は農道に変わり、麓の集落に向かうことになる。

「ハートさん、もしご都合が悪くなければ、一緒に昼食はいかがですか?」

 ローガンはお金の問題について解決策を見出していた。メレノイまで歩いて帰ればよいのである。

「いいよ」

 サイモンが微笑んだ。思わずつられてローガンの顔も緩む。なんだか懐かしいような感覚だった。彼を誘ったのは情報が欲しいからであるが、それだけではない。新しい街での友人を求める気持ちが働いていることも確かだった。


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