第七章 第一節 離れ山にて
ライアン夫人と子供たちが屋敷から去ったという事実は、その日の内にメアリーからシェイラに伝えられた。シェイラはそれを聞いて、驚いて声を上げ、ほとんど狼狽していると言っていいくらい落ち着かなくなった。
「大変だわ! それって私のせいなの? 私のせいでそんなことになっちゃったの?」
シェイラは恐怖に震え、本当に青ざめていた。喜ぶと思って話したメアリーは、戸惑った。
「ええと、どういう成り行きでそうなったのかは存じ上げませんわ。けれど、とにかく、ライアン夫人とお子様たち三人とも、もうこのお屋敷にはいません。使用人も半分ぐらい移りました。寂しくなりましたよ」
「わたしが出て行かないから、きっと同じ屋敷に住むのは我慢できなかったのね。私がいるせいで舞踏会も開けなくて、ここにいても楽しくなかったんだわ。それとも、また私のことが原因でライアン殿と喧嘩なさったのかしら。……もしかして、ハートさんがライアン殿に何か言ったのかしら。有り得るわ! 何か大袈裟なことを言ったのかもしれない。あの人はそういうところがあるの。ああ、あの時、何も言わないでって、ちゃんと私が止めなかったからだわ……!」
シェイラは思いつく限りの要因を挙げて、自分を責め続け、メアリーが宥めても聞かなかった。やがて話が堂々巡りになると、話すだけ話して気が済んだのか、メアリーがげんなりしていることに気が付いたのか、こう言って一人で話を締めくくった。
「でも、もうどうしようもないのね。もう行ってしまったものを私が呼び戻すことは出来ないし。私がここにいるのは一時的な事だから、来年はまたここに来て、いつもと変わらずに過ごしてくれるわよね。その時はもう、私の事なんか忘れていてくれるわよね」
こうしてメアリーは、自分の最新情報で相手を喜ばせることが出来なかったが、その鬱憤は、翌朝やって来たローガンに、シェイラの反応も含めて全て報告することで晴らされた。
「これでフォースター様も安心できますね。元気になってくれると良いのですが」
ローガンは心底助かったと思った。これでライアン邸の廊下を安心して歩くことが出来る。
シェイラはローガンがこの話題に触れると、元気になるどころか沈痛な表情で、メアリーにしたと同様に、自分がいかに悪いことをして、いかにそれを申し訳なく思い、反省しているかを説明した。実はローガンにも、ライアン夫人とお嬢様たちに同情する部分が全くないわけではなかったので、シェイラの言い分も、解らないではなかった。しかしそんな同情は、彼女たちとシェイラの境遇の格差と深夜の嫌がらせのことを思えば吹き飛んでしまう程度の微々たるものだった。
月曜日にライアン夫人と子供たちが去り、火曜日はかえって落ち込んでいるように見えたシェイラだったが、水曜日になると、すっきりと顔色が良くなっていた。
休憩時間に熱い紅茶を啜っているシェイラは、いつの間にか日焼けもやわらいだ頬に色味が差していた。その頬のバラ色に、ローガンは目を奪われた。そして目を奪われていたことに気づかれる前にと、慌てて自分から問いかけた。
「フォースター様、今日は顔色が良くなられましたね」
「そうですか? 昨夜は久しぶりに良く眠れました。朝まで一度も目が覚めませんでしたから。それでかもしれません」
シェイラは穏やかな笑顔で答えた。
ほんの数日で、シェイラは変化した。表情が柔らかくなり、笑うことが増えた。メアリーも同感で、口数が増えたし食欲も増していると教えてくれた。
次の週になっても良い傾向は続き、彼女は回復に向かっていると、ローガンは確信した。
心配事から解放されて、ローガンにも平穏な日々が訪れた。それはただ平穏なだけではなくて、明日を楽しみにすることが出来る日々だった。季節は冬に向かっていたが、あれほど頑なだったシェイラの心は解け始めているように感じられた。ローガンは何度も気のせいではないかと疑ったが、彼女の表情や言葉の一つ一つを思い返すと、その証拠が幾つも輝いているように思われた。
毎朝ライアン邸に通うことが何より楽しく感じられ、週末になると、月曜日を楽しみにしながら仕事に精を出した。
何がそんなに楽しいのか。ローガンは自分で自分に説明した。二人もの美しい女性と、毎日会って話ができるのだから、楽しくて当然だろう。
この説明は当たっているが、まだ充分ではなかった。
たとえ女性ではなかったとしても、話し相手がいることが幸せなのだ。
知り合いの一人もいないメレノイに赴任して、一人で暮らし、普段は一人で神殿の仕事をこなしている。神殿の奴隷たちや教区民とは話をするが、歳が離れているし、立場の違いから距離を取っている面もある。メアリーとは歳が近く、同世代の感覚を共有できる。シェイラは五つ年下だが、頭が良く十分話が通じた。
十一月の最後の土曜日、ローガンは早朝から駅馬車に乗り、メレノイ市北方の郊外を訪れていた。メレノイ市はスタッグ河により堆積した平野を中心に発展した都市であるが、その北方には丘陵地帯が広がっている。北門駅から駅馬車に揺られ四十分ほどでリバスロープ駅に着く。街道の両側には宿場町のそう高くはない建物が軒を連ね、その向こうには、丘陵の緩やかな稜線が見えた。




