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第五章 第五節

「フォースター様はこのことを隠していて、誰にも話しません。多分聞いても話さないでしょう。彼女は全部自分が悪いと思っているのです。彼女が一人の時に何があったかというのは、推測しかできませんが、間近で様子を見ていると、並々ならない苦痛を受けておられることは明らかです。侍従長閣下には彼女の辛い境遇と、困難なお立場に配慮いただいて、何かしらの対応をお願いしたいのです」

 不安に駆られたローガンは、思い切って念押しをした。不興をこうむるのは覚悟の上である。

「そうだな、この件は覚えておくよ。それはそうと、シェイラの勉強はどうなっている? 順調なのかね?」

 ライアン侍従長の質問は、ローガンには不意打ちだった。シェイラの窮状を訴えることに頭がいっぱいで、不覚にも、家庭教師の業務報告を求められることを予想していなかったのである。内心焦りながらも、ローガンは素早く頭を切り替えた。一呼吸して落ち着いてから、おもむろに話し始める。

「シェイラ・フォースター様の勉強そのものは、順調です。彼女はとても熱心に取り組んでいますし、素質も申し分ありません。理解力も記憶力も優れています。飲み込みが速いので、初等学校の教育課程を学校での進度よりも速く進んでいます」

 ライアン侍従長は頷いたが、何も言おうとしないので、ローガンはこう続けた。

「詳しい内容をここでお話ししてよろしいでしょうか」

「聞こう」

 そう言って、ライアン侍従長はソファーにゆったりともたれ掛った。

 必要ないと言われることを期待していたローガンはがっかりしたが、仕方がないので詳しい報告を始めた。科目ごとに、現在の学習内容とシェイラの理解度、次に進む予定の内容、使っている書物の名前、などを説明した。

「順調なようだね。その調子で今後も頼むよ」

 一通り聞き終えて、ライアン侍従長はそう言った。

「ありがとうございます。承知しました」

「他に何か問題はないかな。メアリーも、何かあれば、今聞こう」

 ローガンもメアリーも、他には特にないと答えた。

「私は家にいないことも多いから、何かあったら、ゴードンに言ってくれればいい」

「わかりました」

「それから、シェイラは年齢相応に勉強が追い付いたら、寄宿学校に入れることになると思う。それまで宜しく頼むよ」

「承知しました」

「さて、そろそろ夕食に呼びに来るころかな」

 ライアン侍従長の中ではすっかり話は終わったらしく、彼はそう言って軽く両膝を叩くと、立ち上がった。ローガンとメアリーも慌てて立ち上がる。ライアン侍従長自らに見送られる形で、二人は応接室を出た。

 メアリーは、ローガンがこのまま帰るものと思っているらしく、先に立って玄関ホールまで歩いて行った。ローガンとしても、話は終わったのでもうやることはないと思い、メアリーの後を続いて歩いた。

 ところが、ローガンの足は玄関ホールで止まり、外へ出て行くことが出来なかった。

 今夜は、メアリーが実家に帰ってしまう日だ。シェイラは黙って出て行ってしまいはしないだろうか。

 いくらなんでも、そんな無謀はないだろうと、理性では分かっているのだが、胸騒ぎがして仕方がなかった。メアリーに、今夜は彼女の傍にいて欲しいと頼もうかとも考えたが、病気の母親の許へ帰ろうとしている人に、とても言い出せなかった。

 メアリーは立ち止ってしまったローガンに、外は冷えてきましたね、などと話して時間を潰したが、やがて彼の様子がおかしいことに気づき始めた。その気配を察して、ローガンは観念したように打ち明けた。

「だめです。このままでは、とても帰れません」

 メアリーは怪訝そうな顔をした。その反応を見て、もしかしたら自分は正気を失っているのかもしれない、という考えが脳裏をよぎったが、強い不安に突き動かされて、もう自分を止められなかった。

「シェイラに会わせてください、もう一度。今夜出て行ったりしないように、話をしておきたいのです」

 ローガンの切迫した様子に、メアリーは訳が分からないという顔をした。

「まさか、大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても。出て行くなんて有り得ないし、そんなこと考えないで下さいと、昨夜わたしからも言いました。それに、そんな無茶をするような子じゃありません」

「けれど心配なのです。考え過ぎだと分かっていますが、万が一と思うと不安なのです。昨夜の出来事を、あなたは誰にも話していないことになっていますが、私にだけは話したことにさせてください。ライアン侍従長に話したことは、このまま伏せておきましょう。今から部屋に行っていいですか?」

 メアリーはやはり不思議そうにしていたが、反対はしなかった。

 メアリーが取り次いで、ローガンが部屋に入ると、シェイラは彼がこの時間に来たことにかなり驚いている様子だった。

「どうされたのですか!」

 彼女は目を丸くして、本を広げた勉強机の前に立っていた。

「あなたにどうしても話さなければならないと思って……。バラノフさんから、昨夜のことを聞きました」

「ああ……」

 シェイラはすぐに何のことかが分かったようで、そう言って頷いた。

「屋敷を出て行くなんて、絶対に考えないでください。あなたに路上生活なんかできません。大袈裟ではなく、死んでしまいますよ!」

「ええ、分かっています」

 シェイラはそう言って、怯えたように目を逸らした。ローガンは自分の行動が彼女を怖がらせているのかもしれないと思い、シェイラの前に跪いた。これで目線が低くなり、彼女を見下ろさずにすむ。ローガンは一呼吸ついてから、優しい声音で話し掛けた。

「お願いがあります。ここで約束してください、絶対に出て行かないと。そうでないと、わたしは心配で帰れません」

 シェイラは驚いたのか、呆れたのか分からないが、すぐには言葉が出ないようだった。

「わかりました。約束します。絶対に出て行きません。……立ってください」

 やがてそう言って、彼女はローガンに両手を差し出した。ローガンはその腕の細さに目を奪われ、暫く凝視したが、触れはせずに自分で立ち上がった。




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