第二章 第一節 シェイラとの出会い
シェイラに初めて会った時の第一印象は、『生命の危機』という一言だった。
窓際に勉強机があって、彼女は角ばった飾り気のない椅子に座っていた。背後の離れた場所から見ても、明らかに身体が細い。それが枯れ木みたいにゆらりと立ち上がって振り返る。窓からの逆光の方が彼女よりも強くて、光で姿が掻き消えるような感覚がした。
そして間近に立ち、少女の痩せ細った身体、生気のない顔を目の当たりにした瞬間に、ローガンは心臓が絞られるような不安に襲われた。それから彼女を見ては、彼女の健康の程度を推測した。
メアリーが紹介をしてくれた後に、ローガンは出来る限り優しい声音で挨拶した。
「初めてお目にかかります、お嬢様。私は侍従長様より、あなたに勉強を教える任を賜りました。これから学ぶことがたくさんあって、不安に思われていることと思います。けれど、とにかく勉強については、私が何でも協力しますし、全力で支えますから、どうか安心してください」
シェイラが緊張からか固くなっているのが見て取れた。彼女は俯くわけではないが、ローガンを真っ直ぐに見ようとはせず、一度だけ、視線を上げて顔を確認したようだったが、すぐに胸のあたりを見る目線に戻った。
少女の身体は痩せすぎてしまって、首の筋が浮き、鎖骨が剥き出しになっていた。骨そのものに皮を被せただけの、まるで老婆の身体である。顔の方は、頬骨のあたりに十四歳の少女らしい丸みを帯びた輪郭が、かろうじて残っていたが、頬はこけ、目は落ち窪んで、大きな眼球が若干飛び出しているように見えた。顔色は血色の悪い土色といった感じで、恐らく元の肌は白いのだが、日焼けしてそういう色になっていた。
「勉強がんばります。よろしくお願いします」
シェイラが再びローガンを見上げて、か細い声でそう言った。それで、ローガンは少し安心した。少なくとも声を出す元気があって、適切な会話ができる正常な精神があるという事だ。それに「がんばります」という前向きな言葉に希望が湧いた。
その声を聴くまで、今にも死ぬんじゃないかというぐらい危機的に見えていたが、これで印象が変わった。ローガンは気持ちがすっと楽になった。
メアリーが椅子を運んできてくれたので、彼はシェイラの隣に腰掛けた。あなたは本当に大丈夫なのですか、勉強などできる状態なのですかと、問いたくて言葉が喉元まで出かかっていたが、本人に訊くのは適切ではないと思い、我慢した。何を話すのが良いだろうかと思案して、ローガンは暫く黙ってしまった。シェイラは彼の存在など忘れてしまったように、俯いて机に置かれた石板に視線を落としていた。
ローガンは助けを求めたくなり、メアリーを振り返った。しかし、彼女は後は任せましたとばかりに部屋の端っこへ引き取っていて、壁際に置かれた長椅子に腰を下ろしたところだった。
ローガンは早速勉強の話をすることにした。それが一番、彼女が傷つかずに楽に聞ける話題だろうと思った。そこで、「学校には行ったことがありますか?」から始まって、彼女の学力がどの程度なのかを確認するための質問を、ゆっくりと一つ一つ投げかけた。シェイラはそれらに、ほとんど「はい」と「いいえ」だけで、ごく簡単に答えた。そのため、ローガンは詳細を知るために何度も質問をしなければならなかった。シェイラは答えながら時々顔を上げ、ふとローガンの方を向くこともあったが、その目が合うくらいに彼を見上げることはしなかった。そしてしばしば返答に詰まり、目を閉じ眉間を寄せて、正しい答えを懸命に思い出そうとする様子を見せた。
そうして、時には石板を使いながら質問し、回答を聞くうちに、彼女の学問の状況が、最初に覚悟していたほど絶望的ではないことが明らかになってきた。
学校に行っていないと聞いていたが、実際は全く行ったことがないのではなくて、通っていた時期もあるとのことだった。たまにだが、母親が勉強を教えてくれたこともある。文字の一つ一つは、全部読み書きできる。けれど単語となると、ごく簡単な言葉しか綴りを正確に覚えていないし、読み方も危なっかしい。足し算引き算はなんとか出来るが、掛け算割り算となるとお手上げ、という具合だった。
会話というよりは問答だったが、ローガンはシェイラと話をして少し打ち解けたような気になった。そこで、礼儀として必要だろうと思い、少しだけ自己紹介をした。自分は神官で、この九月にメレノイの小神殿に赴任したばかりだということ。それまではハイマント市にある神学校にいたということ。そして、学生になる前は奴隷という身分だったということ等を、簡単に話した。
シェイラは無反応で、聞いているのかどうかも分からなかった。ローガンが話し終えても返事はなく、二人とも無言になってしまった。ローガンは暫く待ったが、シェイラに話す気配が見えないので、「何か質問はありますか?」と言った。
シェイラはやはり無言だった。ローガンは諦めて、また勉強の話をしようと口を開きかけた。その時、不意に、シェイラが俯いたまま言った。
「すみません、あの……」
待ちかねたその声に、ローガンは軽い興奮を覚えた。しかし、顔には出さずにただ「はい」とだけ答えた。