第四章 第七節
「ナイトリー先生、あの川はテナント川でしょうか?」
シェイラがある方向を指さしながら、ローガンを見上げていた。
ローガンは指の先を確認する。南西の方向に、建物に見え隠れしながら西へと続く流れがあった。大きな川ではないが、その方向に他に川はない。ローガンはメレノイに赴任して日が浅く、この街の地理に詳しくはないのだが、たまたまその川の名前は知っていたので、「その通りです」と答えた。
「やっぱり。わたし、以前テナント川で屑拾いをしていたのです。ドブ川なのに、ここから見ると綺麗な川みたい。違う川かと思ったわ」
一瞬、ローガンは彼女が何を言っているのか分からなかった。しかしすぐに気を取り直して、狼狽えたことに気づかれないよう注意しながら、平静に答えた。
「テナント川は汚いのですか?」
「すごく汚いわ。太腿ぐらいの深さだけど、ヘドロが凄くて足が全然見えないの。でも仲間内では『お宝川』って呼ばれてた。金目の物がよく見つかるから。実際、金の時計とか、宝石が嵌った指輪なんかを見つけている子が何人もいたのよ」
ローガンは貧困層の生活に馴染みがあるので、頭の中に、貧しい少女が股下近くまで汚水に浸かり、全身びしょ濡れになりながら川底のヘドロを浚っている姿を、容易に思い描くことが出来た。そして今、その少女は目の前のシェイラだった。
彼は打ちのめされたような気持ちになったが、それをシェイラに悟られてはいけないと思い、平静を装い続けた。
「すごいですね。あなたは何か良いものが見つかりましたか?」
「わたしは大したことはないわ。一番良かったので大きな銀のバックルくらいかな。あと、銀のネックレスを見つけたこともあったわ。でも、毎日一生懸命探したわ。そのうち金時計が出てくるのじゃないかと思ってた」
「金時計はついに出てこなかったわけですね」
「そうね、駄目だったわ。でも大物が見つからなくても、細かい物をたくさん見つけるのでもかなりの額になるのよ。屑拾いはダメな日は全然ダメで、収入ゼロの日もあったけど、良い時は一日で四十スロングぐらいになったわ。一番良かった時はね、なんと一日で八十四スロングよ!」
確かにそれは、社会の最下層に暮らす人々にとっては、なかなかの金額だった。
ローガンは「そうですか」と返事をしたが、それはシェイラが期待したよりも素っ気ない返事だったらしく、彼女は拍子抜けしたような顔をした。シェイラは、ローガンが今どんな思いでいるかを知らず、この話題を楽しんで聞いてくれていると勘違いしているようだった。
「屑拾いは疲れるし、なかなか大変だったけど、金銭的には良い仕事だったわ。本当に、結構儲かったの。ずっと続けたかったのに、続けられなくなって辞めてしまった……。ああ、今思い出しても腹が立つ!」
シェイラが突然憎々しげに言い放ったので、ローガンは驚いて尋ねた。
「何かあったのですか?」
シェイラは答えた。
「ナイトリー先生は驚かれるかもしれないけど、屑拾いをしている人たちにはグループがあって、それぞれが縄張りを持っているの。わたしが入れてもらったグループは子供ばかりで、リーダー格は二つ年上の男だったわ。その人が、毎日わたしの身体を触ってくるのです。嫌だって、何度言ってもやめてくれなくて、このままじゃ、そのうちレイプされると思ったら怖くて……。今思えば、わたしがもっと我慢すれば良かったのかもしれないけど、大きな男で仲間もいるから、何かあったら絶対抵抗できないし……。迷ったけど、結局行くのを辞めたのです」
ローガンは、息が止まりそうになっていた。もしシェイラが彼の顔をよく見ていたら、彼が一瞬青ざめて、その後、激しい怒りで赤くなったのに気が付いただろう。しかしシェイラは事も無げに語ったのち、すぐにまた街を見下ろして、メレノイの貧民街と高級住宅街が上から見ると意外に近くて驚きだ、などという感想を述べていた。
そんな言葉に、ローガンからの返事はない。彼の耳には周囲の音が入らなくなっていた。もう彼は何も言えなかったし、怒りのあまり暴れたり叫んだりするのを辛うじて堪えて、何も言わずにそこに立っているのが精一杯だった。




