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Blue scent  作者: uka
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 六月も終わりにさしかかり、一学期最後の学校行事とも言える期末考査が始まった。

 未だに降り続ける雨だけでも憂鬱なのにそれにテストが加わると事ある毎にため息しか漏れない。

 幸いなのは今日の一日目で苦手科目が全て片付いたという事だろうか。明日からは幾分楽な気で過ごせるだろう。

 テスト期間の放課後の教室はいつもより静かだ。皆疲れているのもあるのだろうけれど、部活がないというのが一番の原因の気がする。そんなクラス内を見回して筆記用具を鞄に放り込んで教室を出る。

 その後に続くように教室を出た幸助があたしに声をかける。


「お疲れ様、どうだったテストの感触」

「英語と古文はちょっと不安、それ以外はそれなりかな。幸助は?」

「今回は結構自信あるよ、少なくとも平均割る事だけはないと思う」

「さすがだね優等生は」


 とはいえ、あたしも先に上げたニ教科こそ自信はないけれど他で平均を割る事はなさそうだ。事前に幸助が張ってくれたヤマを四人で勉強した成果だろう。


「それで、今日はどうする? 図書室? それとも駅前のファミレスで勉強する?」

「ああ、ごめん今日は僕は無理。幸恵が風邪引いちゃって」

「大丈夫なの? お見舞いいこうか?」


 この間会いにいこうと思って以来切欠がなかったしちょうどいいと思ってそう提案したものの、即座に幸助が首を振る。


「テスト期間だし、うつると悪いからいいよ。心配してたことは伝えておくから」

「そっか、うん、お願い」

「それに千歳は他人の心配よりまず自分の成績の心配しないと。休み中の補習増やしたくないだろ?」


 幸助のその言葉にあたしは何も言い返すことが出来ない。

 一学期のサボリが思った以上に響いて既に夏休みの補習が何日かは確定している。これ以上増えたら休みどころか平常運転になってしまう。


「そういうわけだから、先に帰るよ。一心と小日向さんによろしくね」

「はいはい、幸助も風邪ひかないようにね」


 足早に廊下を歩いていく幸助を見送り、足を実習棟へと向ける。向かうのは美術室ではなくその一つ上の階にある図書室だ。

 ここは教室棟からかなり遠い事もあって普段は利用者が殆どいないのだが、ことテスト期間においてはそれなりの人数が利用する。あんまり混んでいるとそれはそれで面倒なのであたし達はいったんそこで待ち合わせをして、混み具合とその日の気分によって勉強する場所を変えていた。

 横滑りの扉を開けると、音に釣られて沢山の視線がこちらへと集中する。その殆どはすぐに手元のノートへと戻り、再び図書室は静かになる。

 辺りに見回すとすぐにその赤い頭髪が目に入る、その隣に彼女の姿がない。

 あたしが小さく手元のジェスチャーでこっちにこいとしているとすぐに一心も気づいて入り口の方へとやってくる。話す分にはここはまったく向いていない。あたし達は二人でいったん図書室の外へと出る。

 彼女がいない事を聞くのが先か、それとも幸助の不在を知らせるのが先か、考えるより先に一心が聞いてきた。


「幸助は一緒じゃないのか?」

「幸恵ちゃんが風邪引いたから今日は帰るって」

「そりゃ心配だな、帰りにお見舞いにいくか」


 言うが早いか、一心は直ぐに真剣な顔つきになって携帯を取り出す。彼の優しさ故の行動とはいえ、脳と体が直結しすぎだ。あたしは携帯を納めさせて幸助の言っていた事を一心に告げる。


「テスト期間中だからうつしても悪いから来るなって」

「水臭いな。まぁテストが終わったら遊びにいくか」


 嘆息しながら一心は携帯をしまう。


「だね、それでそっちは?」

「ん、ああ、なんか媛ちゃん、今日はどうしても外せない用事があるから来れないって」

「そっか、じゃあどうする? あたし達だけで勉強しても仕方ないと思うけど」

「だよなぁ。千歳は人に教えるの下手だし」

「少なくとも成績は一心よりいいけどね」

「俺には野球があるからいいんだよ。まぁ、帰るか、残っててもしょうがないし」

「だね」


 一心と二人で帰るのはかなり久しぶりの事だった。普段は部活があって一緒になる事も稀だし、大抵幸助か彼女も一緒だったから、本当にいつぶりだろうか。

 外ではまだ雨が降り続いている。

 あたしは青い布の傘を、一心は透明なビニールの傘を、それぞれが掲げて並んで歩き出す。

 ポツポツ、ポツポツと雨が傘を打つ音が響く。

 何も言わず彼は車道側へと移動する。そんな小さな気配りについつい感心してしまう。


「どうした、俺の顔をマジマジと見つめて」


 自然と視線が一心の顔へと向かっていた、長い付き合いだし別に隠す必要もない。思った事をそのまま口に出す。


「いや、相変わらずお人よしだなと思って」

「優しさはモテる男の基本事項だからな」


 笑いながらあごに手を当てる気障なその仕草も、一心なら不思議と似合って見える。

 そんな彼の姿を無意識に取り出したカメラでパシャリと収めた。


「ちょっと、写真は事務所通して!」

「ああごめん、つい、今消すから」

「いや、別にいいけどよ。俺写真写りいいし、どんどん後世に俺の美貌を残してくれ」


 一心の冗談に笑いながらデジカメをポケットにしまう。

 あれ以来、写真を撮るということにあたしははまっていた。これといって芸術性のあるものではなく、それこそその辺のブログに溢れているような日常の中のほんの一コマを、撮りたいなと思った時に撮る。そんな緩い活動だったけれど、それが案外楽しくて、少なくとも日に三枚は撮っていると思う。


「でも意外だな、千歳が写真ってのは」

「自分でもそう思う」


 本当に、彼女が切欠にならなければ携帯のカメラさえ触るか怪しいところだっただろう。本当に意外なところに、新たな楽しみというのは転がっているものだ。


「なんで初めてみようと思ったんだ?」

「話してなかったっけ?」


 あたしが話していなくても、彼女が話していそうなもだと思っていたのだけれど。


「彼女に勧められたの、試しにやってみないかって」

「媛ちゃんに?」

「うん」

「へぇ、さすがだなぁ媛ちゃん。俺達ですら千歳の趣味なんて見つけられなかったのに」


 別に一心も幸助も何もしてないでしょう、と突っ込みをいれかけて、止めた。

 もしかしたらあたしが気づかなかっただけで、二人とも心配して、何かをしてくれていたのかもしれない。

 そう考えている内に、何かうまい事返すタイミングでもなくなって、あたしは話題を変えることにした。


「一心は彼女と上手くいってるの?」

「そりゃもう、ラブラブのイチャイチャだよ」


 顔をだらしなく歪ませて死語まで出てくる辺り相当なお惚気なのだろうと、余裕で推察できる。そもそも聞かなくとも、二人の仲の良さは傍から見てもよく分かる。彼女と一心二人が並んで話しているだけで、笑顔がたえない。二人で一緒にいるところもよく学校で見かけるし、彼女と二人になると一心の話をそれなりに聞く。

 そんな幸せそうな二人をみると、シャッターを切りたくなる。

 でも未だにあたしは二人のツーショット写真を撮った事はない。

 撮れないといったほうが正しいのかもしれない。

 シャッターにかかった指を押し込もうとすると、あの日携帯に届いた写メを削除した時のように、あの感情があたしの中を渦巻いて、酷く不快にさせるのだ。もし、写真を撮ることが出来たとして、そのあとあたしはきっとその写真を消してしまうだろう。

 頭を振って飛んだ思考を元に戻す。

 胸に残るその微かな感情を無視して平静を装って会話を続ける。


「仲がいいならいんだけどさ。遊びにいく時とか、あたしとか幸助、邪魔じゃない?」

「下手に気ぃつかわなくていいぞ。俺はもともと気にしないし、お前ら呼ぼうって言ってるのは媛ちゃんだし」

「ほんとにそれでいいの?」

「メールとか電話で二人の時間はちゃんとあるし、それに媛ちゃんさ、俺といる時より、四人でいる時の方がよく笑うんだ」


 その時一心が浮かべていた表情は、彼女の笑顔に、少し似ていたように思う。


「媛ちゃんさ俺と二人きりの時でも気にした様子もなく、お前や幸助の話すんの、すげー楽しそうに。ちょっと自分に自信なくすぜ」


 彼女も似たような事を言っていたっけ。一心があたし達の昔話をよくするって。

 あたし自身も彼女からよく、一心や幸助の話を聞く。


「彼女も同じようなこと言ってたよ。一心があたし達の事ばかり話すって」

「まぁ共通の話題ってそれくらいしかないから自然とそうなるのかもな」


 それは確かにあるだろう。なんせ各々趣味はバラバラだし、あたしや幸助はあまりテレビを見ない。

 でもそれ以上に、きっと彼女は今のこの関係に満足しているから、自然とその事が口をついて出ているのだと思う。

 あの日、彼女は言った、あたし達の関係が羨ましかったと、その中に自分も入れて欲しいのだと。

 あたしも今のこの関係に満足していた。あの言葉にし難い感情の問題こそあれど、あたし自身の心に整理は付いていたし、四人で遊ぶ事も楽しいと思っている。


「このまま、この関係が続けばいいね」

「そうだな」


 一心が頷く。

 暫く、雨の音がゆっくりと、流れていた。

 交差点の信号が赤になる。

 足を止めた一心が、ポツリと、漏らす。


「でもさ」


 一心が間を空けるように、一度口をひき結ぶ。

 信号が青に変わると、一心は歩き出しながら再び口を開いた。


「時々不安になるんだよ。こんな幸せでいいのかなって」


 呟く一心の顔は、珍しく酷く自信のない疲れた顔をしている。


「珍しいね、そんなに弱気で」

「だってこんなに恵まれてたらそりゃ怖くなるさ。お前や幸助がいるだけでも恵まれてたっていうのに、あんなにいい子が俺の彼女になって、部活も絶好調。その上もうすぐ夏休みだ。いつ車に跳ねられても不思議じゃない気すらする」


 いつものように笑いながらそういう一心の瞳が酷く頼りなくみえる。それは付き合いの長いあたしでも、あまり見た事のない一心の表情だった。


「本当は全部夢で、目が覚めたら全部消えちまいそうで、怖いんだ」


 子供の頃からあたし達のヒーローで、憧れで、英雄だった彼も、やっぱり歳相応の男の子で、沢山の悩みを抱えている。その弱い姿を見せてくれたのは、信頼してくれているからだろか。

 たぶん、自惚れではないと思う。


「撥ねられればいいじゃない」


 だからあたしは、軽口を叩く。

 あたしは不器用だから、直接言いたい事は言えないけど。

 きっと伝わるはずだ。


「そしたら三人でお見舞いにいくよ」


 そのままで良いんだと。

 あの子が憧れる、あたし達が頼りにする一心でいてほしいと。

 何があっても大丈夫だって、この気持ちは伝わるだろうか。

 一心は立ち止まって呆けた表情を見せた後、

 急に噴出して笑い始める。


「そうだな、入院したら媛ちゃんに看病してもらえるしそれもいいかもな」

「何、あたしと幸助はお邪魔なの?」

「いや、来てくれよ、ちゃんと見舞い品もってきてな」

「そっち目当てなの?」

「一回あのフルーツの詰め合わせとか見てみたくないか? 実在すんのかなあれ」

「さぁ、どうだろう?」


 笑う彼の表情はいつもどおりで、その瞳も綺麗に澄んでいる。

 言葉にしなかった気持ちもきっと伝わっただろう。


「ああでも、もうすぐ夏の選抜予選だからな、入院は終わってから、だな」

「どうなの手応えは」

「悪くない、十分目指せると思う」

「昔からの夢、叶うといいね」

「もう夢じゃない、ちょっと背伸びすれば届くんだ。いくぜ俺は」


 空中で何かをしっかり掴むように右手を伸ばした彼の自信に溢れたその姿は、いつものあたし達のヒーローで、彼女が一心に恋をしてしまったのも分かる気がする。

 湿った空気、雨の匂い、灰色の雲の下、暗い街の中、紫陽花の鮮やかな色が目に焼きつく。

 一心の後ろを歩きながらそんな何気ない光景を写真に収める。

 期末考査が終われば、夏が来る。

 いつぶりかの、楽しみな夏が。

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