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Blue scent  作者: uka
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7

 三日ぶりに学校に出てみても、周りが劇的に変わっている、ということもなくただただいつもと同じ光景がそこには広がっていた。

 朝のホームルーム前にあたしが教室に入るとクラスメイトの視線がこちらに集まるのももう慣れたもので、わけなくスルーして自分の席へと腰掛ける。

 クラスメイトの事はどうでもよかった、それよりも彼女とこれからどうしていくべきなのか、あたしはそれを考えていた。別にただ、普通に友人として付き合っていけばいいだけなのだけど、あの、妙な苛立ちのような気持ちがそれを邪魔した。

 次に彼女と会うときまでにこの気持ちにきちんと整理をつけておかないといけない。

 でないと彼女とこれから先、付き合っていくことはできない。

 授業もろくに聞かず、あたしは彼女の事ばかりを考えた。表情、仕草、声、嫌になるほど鮮明に思い出せる。胸が妙に苦しいような、苛立ちににたあの感情がわき上がって来る。

 あたしは彼女の事が嫌いなのだろうか。

 誰にでも愛されるだろうあの可憐な少女を。

 嫌いではない、と思う。

 ただ、怖い。

 彼女に会うのが、今はまだ怖い。

 自分で名前をつける事も、制御することも出来ない気持ちを、彼女に直接ぶつけてしまいそうで。




 気づけば放課後だった。

 考えはまとまらないまま思考はフワフワと頭の中で散らばっている。

 いつまでたっても答えの出せない自分に苛立つ。人の心にも公式があればどんなに楽だろうか。きっとそれを見つけた暁にはノーベル賞ものだろう。

 頭が空転してきている。とりとめの無いどうでもいいことばかりに思考が飛んでいく。これ以上は何を考えても無駄だ。大人しく家に帰ろう。

 そう思って軽い鞄を手に取って教室の扉を開けると、


「やぁ、お久しぶりだね君」


 彼女が立っていた。

 満面の笑顔で、唐突に彼女はあたしの前に現れたのだ。

 鼓動が跳ねるのがわかる。

 まだ気持ちの整理が出来ていないのに。

 そんな言い訳をすることも出来ず、あたしはしどろもどろになりながらも返事を返す。


「久しぶり」

「うん、元気そうでなにより。ところでこれから時間ある?」

「あるけど」


 唐突の質問につい素直に答えてしまう。


「じゃあちょっと付き合ってよ」


 数秒前の自分をぶったたきたい。

 暇だと答えてしまった以上、断るのは不自然だ。


「……いいけど」

「大丈夫、そんな時間は取らないから」


 そう言って彼女は初めて会ったあの日のように、あたしの手を取ってずかずかと歩き始める。あたしはそれに付き従うことしかできない。

 周りの視線があたし達に向けられているのがわかる。よくない噂の絶えないあたしが、小柄な美少女に連れて歩かされる様は一体周りの目にどう映っているのだろうか。

 ほんの少しだけ次に立つ噂が楽しみになった。

 彼女に手を引かれるままにたどり着いたのは件の美術室だった。

 相変わらず独特のにおいと空気のあるその場所は、普段過ごしている学校とは別の場所のように思えてくる。


「それで、わざわざこんな所までつれてきて何の用なの」

「まぁまぁそう急がないで、ちょっとそこに腰掛けて待ってて」


 指差されたのはあの日彼女が腰掛けていた席の隣。どうしていいかも分からずあたしは彼女の言うとおりその椅子に座って待つことしか出来ない。

 背もたれのない四角い椅子の座り心地はあまりよくない。

 彼女はあたしが席に着いたのを確認すると満足げに頷いて口を開く。


「すぐ戻ってくるから」


 そう言って彼女は美術室の奥。美術準備室の扉を開けて中に入っていった。

 普段は鍵のかかっているあの場所に何があるのかあたしは知らない。

 ほんの少し気になったけれど、わざわざ藪をつつきにいく必要もないだろう。

 手持ち無沙汰になったあたしはあまりじっくりと見た事の無いその教室の中を見回してみる。

 芸術に造詣の深くないあたしにはよく分からないけれど、棚に置かれた石膏像の数や、壁にかけられた絵の枚数は、一般的な美術室のイメージよりずいぶんと多い気がする。

 それらの大きさも様々で中には高価なものもあるんじゃないだろうか。

 数分して彼女が戻ってきた。その手には銀色のトレーが一つ。その上にはティーカップが二つにシュガーポットとミルクポットが置かれていた。


「お待たせ、紅茶にしたけど大丈夫だった?」

「別に問題ないけど。いいのそんなの勝手に使って?」

「勝手じゃないから大丈夫。美術の先生に許可もらってるから」


 それぞれの席の前にカップを置いて彼女はあたしの隣に腰掛ける。その近い距離がなんとも居心地が悪い。それ誤魔化すようにあたしはシュガーポットを手にとって角砂糖を二つ紅茶に入れて溶かす。ふわりと香る甘いにおいが幾分心を安らげる。

 彼女が砂糖を一ついれ、紅茶に口を付けるの待ってから、あたしも紅茶を口に含んだ。いつも飲むものと香りも味も違う。きっと美味しい、いい紅茶なのだろうと想像はつくけどあたしには細やかな違いは分からない。

 それに今は茶葉の違いなんかよりも、どうしてあたしがここに呼ばれたの事の方が気になる。彼女がカップをソーサーに戻すのを見て、あたしは口を開いた。


「それで、何の用があってあたしを?」

「ちょっと、絵のモデルになって欲しくて」

「……はぁ?」


 ほんの少し間を置いてあたしは素っ頓狂な声を上げた。

 何を言ってるんだこの子は。


「たまには人物画を描いてみたくなってね」


 言いながら彼女は自分の鞄からスケッチブックを取り出してあたしに見せつけてくる。


「ラフだけだからそんなに時間はかからないよ」


 言いながら彼女はティーセットを脇にどけてテキパキと用意を進めていく。まだあたしは返事もしていないのに。


「まった、まだオーケーを出した覚えはないんだけど」

「ダメなの?」


 気恥ずかしいとか、そういう気持ちはあるにしろダメかと聞かれると、別にハッキリとダメと断るほどの理由はない。

 かといって承諾する理由があるわけでもない。ただ、このまま彼女ペースでずるずると進められるのはなんとなく癪に障った。


「まずなんであたしなの。他にいくらでも頼める人はいるでしょ」

「貴方が綺麗だから」


 きっと今鏡を見たら、あたしの耳は真っ赤になっていることだろう。できれば顔に赤みがさしていないことを祈りたい。

 誰かに容姿のことで褒められたことなんてなかったから、お世辞だと分かっていても正直恥ずかしい。

 しかも相手が相手だ。


「からかわないで、何かの嫌味? 鏡でもみて自分を描けばいいじゃない」

「自画像なんてナルシストだけ描けばいいの。


 自分の顔なんて描いてもつまらないし。

 それに私は可愛い系だからさ、絵にしても映えないの」

 十分ナルシストじゃないか、なんて思っても口には出さない。彼女が言ってることは事実だし嫌味にすらなりやしない。それにまだ、耳が熱い。目を合わせる事も出来なくてあたしはそっぽを向く。


「それで、描いてもいいのかしら?」


 彼女の手には既に鉛筆とスケッチブックがしっかりと握られている。あたしは観念してただ黙って頷く。


「ありがとう、楽にしててね。紅茶のおかわりがいるようだったら淹れて来るから遠慮なく」


 そう言って彼女は作業を始める。あたしと、スケッチブックに交互に視線を向けて手を黙々と動かしていく。その表情は真剣そのもので普段の軽い感じのする彼女とは違う、凄みのようなものを感じる。

 しかしそうやって彼女の表情を観察するのも五分もすれば苦しくなってくる。会話もなく、ずっと座ったまま動けないから、なんだか体に妙な違和感を感じてくる。

 彼女は楽にしてていいと言ったけど、絵のモデルなんて今までやった事が無いからどうしていいかも分からない。

 ただ彫像のようにあたしは体を硬くして終わるのをじっと待つ。


「ああ、全然動いてくれても構わないから」

「描き難くないの?」

「慣れてるから。人相手には言葉は通じるけど、猫や鳥に動くなっていっても無理でしょ? 

 そういうのを描いてる内に慣れちゃったの。

 だから多少動いても問題ないよ。退屈なら話し相手にでもなるし」


 そんなもの、なのだろうか。

 少なくともあたしは常に動いているような被写体を模写する自信はまったくない。才能や努力といったものがなせる技なのだろう。なんにしろ、動いたり話したりしていいと許可されたので力を抜いて楽にする。

 幾分冷めた紅茶を飲みながら彼女に振る話を考えてみる、でも今この場に相応しいと思えるような話を、あたしは思いつかなかった。

 あたしの中に渦巻く彼女に対する疑問の殆どはあたしの中で勝手に作られたあたしの感情の問題であって、彼女に聞いた所で答えは返ってこないし、変な奴と思われるだけだろう。

 かといってこれといった共通した当たり障りのない話題もあたしは思いつけない。

 そうしてあたしが悩んでいるうちに先に口を開いたのは彼女の方だった。


「横からズカズカ私が入ってきたみたいで面白くなかった?」


 突然の鋭い切り込みに咄嗟に返す言葉も無くて、わからないふりをして返事を濁す。


「何が?」

「瀬名君と黒尾君と私が一緒にいて嫌な気分になった?」


 彼女は平然とあたしが聞きたくなかった言葉をハッキリと言って見せた。


「別にそんなこと」

「正直に言ってね」


 彼女にそう言われたからと言ってあたしの本心を話す必要なんてこれっぽちも無いのだけれど。

 それでもこの問題をいつまでも引きずっているのは気持ち悪いから、自分の心を再び覗き見る。

 彼女にあたしの居場所を取られるような気がして、嫌な気分になったのは確かだ。

 でもあたしの居場所はそこにあるのは変わらなくて、ただ、新しく彼女という枠が増えたに過ぎない。それはもう昨日、自分の中で整理が付いたことだ。

 だけど相変わらずその彼女の立ち位置について、あたしは結論を出せないでいる。

 彼女があたし達の中にいるのに違和感を感じるのは確かだ、妙な苛立ちは未だに収まらない。でもだからといって彼女のことをあたし達の間から追い出したいかというと、そんなことはない。

 あたしだけは関わらないで無関心でいたい様な、でも一人だけ仲間はずれになるのも心許ない。仲良くしたい、という気持ちはあると思う。でも自分の心に自信が持てない。自分の事なのに彼女の事が絡むと途端に、冷静でいられなくなる。


「正直、よくわからない。

 貴方を見てるとなんだか、嫌な気分になる事もあるけど、別に嫌いなわけじゃないの。

 自分の事なのにあんまり自信は無いけど、多分、まだ戸惑ってるだけだと思う。

 あたし友達っていったらあの二人しかいなかったから」


 視線を落として指を弄びながらなんとか自分の言葉を絞り出す。支離滅裂で言いたい事の一割も伝えられていない気がする。


「別にあの二人を私がどうこうなんてしないし、出来ないよ」

「うん、それは分かってるけど」

「二人ともさ、こないだの連休の時から君の事をずっと心配してた。


 最近様子が少し変だって。同じ女子の私なら何か分からないかって二人に相談されたりさ。

 瀬名君と二人で出かけてた時もだよ? 私、彼女なのに、正直妬けたよ」

 こないだのあれはそういうことだったのかと合点がいくと同時に、じんわりと心が温かくなるのを感じる。

 二人があたしの事を心配してくれているという事実をこんな風に知る機会は今まで無かったから。本当にあたしはあの二人と友達なんだと強く、認識出来た気がする。


「それと同時に、凄く羨ましかった。こんなに思いあえる友達がいるなんて」


 彼女は先程まで動かしていた手を止めて悲しげな表情を見せながら言葉を続けた。


「さっきさ、他に頼める人がいくらでもいるって君は言ったけど、私さ、友達いないんだよね」


 それはとても意外な言葉だった。

 彼女の性格と容姿ならそれこそいくらでも友達がいそうなものなのに。そんなあたしの心情が顔に出ていたのか、彼女はこう続ける。


「意外? 私こう見えて所謂高校デビューって奴なの。ちょっと前までこんな明るい髪色じゃなくて真っ黒の髪の毛でさ、すっごい暗くて、絵ばっかり描いたり、人がいるところでは本ばっかり読んだりでさ、自分の内側に閉じこもってた」


 それは意外を通り越して何かの冗談ではないかと思うほど今の彼女からは想像出来ない姿だ。


「友達なんて一人もいなくて、毎日つまらなくてさ、高校も正直行く意味なんて無いかなって思ってた。でもある日、瀬名君の噂を聞いて凄い人がいるもんだなって」

「噂?」

「ほら、一年の時に瀬名君、野球部の伝統の強制ボウズとかいう馬鹿みたいな習慣廃止させたことあったでしょう?」


 彼女が愉快そうに話すその事件を、この学校で知らないものはいない。

 我が野球部にはかつて、入部した一年生は全員強制でボウズという古臭い習慣があった。代々続く習慣で嫌々ながらも先輩には逆らえず皆ボウズにされていく中、一心だけは違った。入部のその日、彼はボウズにするどころか黒かった髪を赤く染めて部室へと向かった。

 当然先輩達と一心は盛大にぶつかった。

 とはいえ仮にも甲子園を目指す野球部だ、暴力沙汰にするわけにはいかない。そこで両者を納得させるために勝負の場が設けられた。

 ピッチャー志望であった一心と二年レギュラーのクリーンナップの真正面からの勝負だ。漫画やアニメみたいな話だけど高校球児っていうのはそういうのに憧れる人種だし、別に不思議というわけでもない。

 その結果は今の一心の頭髪を見れば明らかだろう。

 彼らを見事に三振に打ち取った一心は翌日から学校で知らぬ人はいないスターとなったのだった。


「あれは衝撃的だったなぁ」


 あたしのそんな呟きに彼女は頷きを返して続ける。


「それで実際どんな人なんだろうってその姿を見にいったらさ、普段は先輩の言う事きいて、普通に部活してるの」

「気に入らないことににはいくらでも噛み付くけど、根は真面目だからね」

「先輩達とも普通に仲良くしてて驚いた。だからさ、私も彼みたいになりたいって思った」


 なりたいと思って、それを行動に移して変われる人が、一体どれほどいるだろうか。あたしには無理だ。少なくとも今あたしが見る限り、彼女は一心と同じくらいに輝いて見える。


「まぁでもさ変わろうとしたって、実際こうして変わって見てもなかなか、友達は出来なかった。だから、瀬名君と付き合える事になった時は凄く嬉しかった。黒尾君や君とも出会って、友達が増えるかもしれないと思うと、わくわくした。瀬名君、君達との昔話をとても楽しそうに語るんだ。そうしたらさ、どんどん、羨ましくなって、私も……」


 彼女の言葉は徐々に擦れて、小さくなっていき、そうして、彼女の綺麗な瞳から雫が尾を引いた。

 それは次から次へと溢れ出して、彼女はそれを止めようと両手で涙をぬぐいながら、言葉を続ける。


「私も、貴方達の、貴方の友達に、して欲しいって、そう思ったの」


 嗚咽交じりの途切れ途切れの声。

 あたしはどうしていいか分からずにただ、その姿を見つめることしか出来ない。


「貴方に避けられてるってなんとなく、感じてた、無理に接しないほうがいいかもしれないって、沢山悩んだ。でもここで躊躇してもきっと元に戻っちゃうから。あなたときちんと向き合いたいって、友達になりたいって思ったの」


 泣きながらもそんな本心をきちんと告げられる彼女は、とても強いと、そう思う。あたしだったらこんなこと恥ずかしくて言えない。

 きっと自分の内側に閉じこもってしまうだろう。

 こうして、あたしの耳に飛び込んでくる言葉はこんなに真摯で、心地よくて、ちっとも恥ずかしがることなんて無いはずなのに。

 あたしと同じように悩んで、苦しんで、怖くても、それでも前を向いて歩ける彼女を、あたしは尊敬する。

 彼女のようになりたいと、そう思った。かつて彼女が、一心に憧れたように、あたしは彼女のようになりたいと強く思ったのだ。

 そっと彼女の頭に手を伸ばす。そうして泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でる。

 栗色の綺麗な髪はとてもさわり心地がよくて、ずっと撫でていたくなる。

 彼女の涙が止まるようにと思いを込めて優しく、優しく。


「あたしも貴方と友達になりたい。だからさ、もう泣かないで」

「……ありがとう」


 彼女はなんとかその一言を口に出してまた大粒の涙を流す。

 このままでは彼女が干からびてしまうのではないかと心配になるほど、ずっとずっと涙を流している。あたしはそのまま彼女が泣き止むまでその頭を撫で続けていた。




 どれくらい彼女の頭を撫でていただろうか。長かったような短かったような。時間の感覚はいつの間にか曖昧になっていて、彼女が泣き止む頃には既に日は暮れかけていた。


「ああ、格好悪いところ見せちゃったな。まだ瀬名君みたいにはいかないなぁ」


 瞳の端にまだ残る涙を拭いながら顔を上げた彼女の表情は、いつもと同じ明るい笑顔。ただ涙の跡とその赤い目だけは隠しようが無い。


「一心だってそんなに強くは無いよ。あたし達に愚痴だって漏らすし」

「そうなの? 私はまだ聞いて無いな。やっぱり付き合いの差かな」

「貴方にいい格好したいんでしょう」

「男の子は大変だ」


 すっかりいつものペースに戻った彼女にあたしは安堵のため息を吐く。


「ああ、そういえば、せっかくモデルしてもらったのに半端な状態でごめんね。よかったらまたモデルやってくれる?」

「それくらいならまぁ」

「よかった、未完成の絵は残したくないからさ。それじゃティーセットとか片付けちゃうから少しまってて」

「その前に顔、洗ったほうがいいんじゃない」

「そうだね、それじゃほんとに待っててね、すぐすむから」


 念を押して彼女はティーセットをトレイに載せて準備室へと入っていった。

 苦笑しながらあたしはその後姿を見送る。

 彼女の気持ちを知って、彼女ときちんと話して、それでも尚、あたしの心にはあの妙な苛立ちに似た感情が渦巻いている。その気持ちに未だきちんとした答えはでていなかったけど、彼女と向き合っていくと決めた今、この気持ちの正体なんてものにそれ程の意味はない。

 眼を背けずに付き合っていくしかない。

 そうすれば多分、この気持ちにいつか名前が付くことだろう。


「お待たせ、それじゃ帰ろうか」


 元気よく準備室から出てきた彼女に眼を向け思考を打ち切る。

 涙の跡は消え、まだ眼は少し赤いけれどいつもの明るい彼女がそこにいた。それが何故だかとても、嬉しく感じる。その事が、きっとこの妙な感情は悪いものじゃないんだと言ってくれている気がする。


「一心は待たなくていいの?」

「今日は君と帰るの。それとも二人じゃ嫌?」

「別に」

「そっか、よかった」


 嬉しさに満ちた顔で笑う彼女は本当に可愛くて、嫉妬すら通り越して感嘆の息を漏らすことしか出来ない。この子のようになりたいだなんてあたしにはハードルが高すぎる目標かもしれない。


「せっかくだから色々寄り道していこうよ。女の子の友達ができたら色々行ってみたかったんだよね」


 そう言って彼女があたしの手を取る。

 あの日と同じように。

 あたしは彼女に手を引かれて美術室を出る。


「ちょっと、そんなに急がなくても」

「時は金なり、だよ」


 彼女が駆け出す、軽やかにあたしをぐいぐいと引っ張って。

 その小柄な体の何処にそんな力があるのか不思議なくらいに、あたしをひきつける。

 あたしは置いていかれないように必死に足を動かす。

 もつれそうになる足で踏ん張って、彼女と並ぶように。

 夕闇に飲まれながら黒く染まっていく街すら、いまのあたしには色付いて見える。

 きっと彼女の瞳に映る景色も。

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