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Blue scent  作者: uka
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6

 ゴールデンウィーク明けの学校へ登校するのは、普段の学校へ登校するのに比べ五倍ほどの気力を要した。連休明けの学校ほど憂鬱なものも無い。サザエさん現象の延長とでも言うべきか。

 それ以上に、彼女と顔をあわせるのが嫌だった。

 五月に入ってもあたしはいまだにあの感情を抑えることが出来ないでいた。どころか、彼女を避ければ避けるほど罪悪感のような物が胸を苛む。

 そうして余計に彼女の事を思い出し、いっそうあたしの苛立ちににたこの感情は増すばかりで、この連休中にも本当は四人で遊ぼうと誘われていたのだけれど、あたしは一人だけ断って家でゴロゴロとしていた。

 そのことが後ろめたくてさらに学校へ向かう足は重くなった。

 本当は休みたかったくらいなのだけど、そうするとまた学校に出るのが億劫になる気がして、渋々とこうして歩いている。

 自然と口からため息が漏れる。あたしは一体彼女の何が気に入らないのだろうか。自問してみても答えは出ない。

 そろそろ住宅街を抜けるといったところで前を行く人影に気づく。

 ゆったりとした歩調で歩く、一心と幸助、それに件の彼女。

 あたしはなぜだか咄嗟に近くの路地に身を隠してしまう。

 なんで彼女がこんなところにいるのだろう。

 彼女の住んでるのは住宅街とは別方向の駅向こうのはずなのに。

 恐る恐る路地から顔だけを出してその様子を確認する。

 三人とも笑いながら何かを話している。連休の間に三人で遊びにいったことでも話しているのだろうか。時折彼女が身振り手振りを交えて何かを言う度一心が軽いツッコミを入れて、幸助が苦笑する。

 それはまるであたし達のようだった。

 彼女と出会うまでのあたしと、幸助と、一心の三人。

 でも、今その中にあたしはいなくて、変わりに彼女がいた。二人の間に挟まれるように立つその場所は、あたしだけの場所だったはずなのに、最初からそこに彼女がいたかのようにすっぽりと収まっていた。

 そこに席が三つしか無いわけじゃないのに、何事も無かったかのように、挨拶をしてそこに加われば、それで問題ないはずなのに。あたしはなぜか、あたしの居場所が無くなってしまったかのような気持ちになった。

 彼女にあたしの居場所が奪われてしまった。

 彼女にそんなつもりは毛頭無いのだろうけれど、なぜだかあたしはそう思ってしまった。

 三人が視界から消えるまであたしはそのまま路地に身を潜めて、三人がいなくなったのを確認して歩き出す。授業なんて受ける気にもならなかったけど、このまま家に帰ってしまったら、あたしの存在自体が消えてしまいそうな気がして。




 一時間目と二時間目の授業は受けたような気がする。内容が頭に入っているかどうかは別として。

 三時間目以降は覚えていない。

 気づいたら、屋上で、放課後だった。

 お腹がすいているから随分と寝ていた気がするのだけれど、頭は重くて、気分は最悪だった。全然寝た気がしない。

 グラウンドでは既に運動部が声を出してかけ周り、校舎は不思議な慌しさに包まれている。

 やる事もないし誰かに出会ったら気まずいから早く帰ろう。

 教室に鞄を取りにいくのも億劫で、そのまま帰ろうかともおもったのだけれど、ポケットを漁って財布が無い事に気づいた。

 そういえば今日は鞄に入れたままで使っていない。どうせ一心も幸助も今日は部活で会うことも無いだろうし、まぁ別にいいかとあたしは教室へと鞄を取りに向かう。

 さすがに放課後になってからそれなりに時間がたったせいか教室には誰もいなかった、いつものお喋りグループはもう外に遊びにでもいったのだろう。何事もなく鞄を手にして、念の為中身を確認する。当然何かが無くなっていることも無ければ増えている、ということも無い。そうして教室を出ようとして、ふと、窓から見える中庭に人影を見つけた。

 あまり生徒が踏み入らない場所として有名なそこにいたのは、幸助と彼女だった。

 頭を強く殴られたような衝撃をうける、体がぐらりと傾いだような気がする。それは今朝受けた衝撃と同じものだった。あの二人がどうしてそんな場所で向かい合っているのか。ここからでは声も表情も伺えないけれど、朝のような明るい雰囲気ではなく、二人とも真剣に話をしているように見えた。

 あたしはそれ以上その光景を見ていられなくて、教室を出て真っ直ぐ家へと帰った。

 いろんな想像が頭を巡った。もしかして幸助が語った好きな相手というのは彼女だったのではないかとか、あるいは二人は既に付き合っていて、一心を騙しているのではないかというそんな荒唐無稽な馬鹿らしい妄想ばかりで頭の中が一杯になっていく。

 昔ならそんなこと無いと、馬鹿馬鹿しい話だと鼻で一笑出来たはずなのに。

 今のあたしにはそれができない。

 幸助のことが分からない。

 一心のことも分からない。

 変わらないと思っていた二人はあたしの想像の及ばない場所にいて、あたしは一人蚊帳の外で、ただ無声映画のように眺めている事しか出来ない。

 そもそも今までも、分かっていると思っていたのはあたしばかりで、二人はあたしの事なんてどうでもよくて、ずっと内心で笑っていたんじゃないだろうか。

 何もないあたしはそばに置いて優越感に浸っていただけじゃないのだろうか。

 不安ばかりが募っていく。

 そんなことないと、否定しても、人の本当の心は分からない。

 馬鹿らしいと笑う事も出来ない。

 あたしはこんなに弱かっただろうか。

 泣きそうになる瞳で見つめた帰り道の夕焼けは、赤く滲んでいた。




 風邪をひいた。

 という名目で学校を合法的に休むこと三日目。

 あの日から何をするのも億劫でベッドの中で寝ているのか起きているのか分からないような生活をずっと続けている。携帯の電池はいつの間にやら切れていて充電をするのも面倒くさくその役目を持たないままベッドのわきに放り出してある。

 食事をとるのも面倒でベッドの周りにはカロリーのお友達と二時間しか持たないコスパの悪いゼリー飲料の容器が散乱している。あたしがこんな状態でも父は何も言わない。興味が無いのか、それともそっとしておいてくれているのか。どちらにしろ、人に話したところでイタイ奴としか思われないような悩みだ、放任主義の現状はむしろありがたい。

 とはいえそろそろこの無気力状態もなんとかしなければ不味い。体力が落ちてきているのは明白だし、三日とはいえ家事を一手に引き受けるあたしがダウンしているせいで流し場やお風呂、洗濯篭の中は大変な事になっている。なんとかせねばいけないと思いながらも、心は沈んでいくばかりだ。

 起き上がらなければと思いながらも面倒だと思う心が体を動かしてはくれない。

 たとえ体が動いたとして、学校にいってあたしは何をするのだろうか。また意味も無く屋上に登って時間を潰すのだろうか。そんなことをいつまであたしは続けるつもりなんだろう。面倒な事から目を逸らして、何も無い日常を食い潰して、その先に一体何があるんだろう。

 わからない、知らない、考えたくも無い。

 また起きてからどうするか考えよう。

 そう思って瞼を閉じる。

 静かな暗闇の中に、間抜けな呼び鈴のメロディが響く。

 宅配便かなにかだろうか。

 面倒だし無視をする事にする。

 父にとって必要なものなら、父が帰ってきてから何とかするだろう。

 あたしは生憎とそう言ったものには縁がないし。

 その内諦めて帰るだろうと高をくくって布団の中に潜り込む。

 くぐもった二度目のメロディが流れる。

 そして、三度目。


「はやく帰ればいいのに」


 声に出して呟いても効果があるわけもなく。

 四度目の間抜けなメロディが響く。

 しつこいな、そんなに急ぎの用なら家電にかけて在宅確認すればいいのに、もちろん居留守を使うけど。

 そんなあたしの思いを他所に、五度目、六度目のメロディが流れる。そうしてそこからはメロディが鳴り終わる前にボタンが連打され、不協和音が家中へと響き渡り始める。

 さすがのあたしもカチンとくる。いいかげん諦めればいいものをいつまでもいつまでも鳴らし続けて鬱陶しい。寝ることもできず観念してあたしは文句の一つでも言ってやろうと布団を出て玄関へと向かう。髪の毛もボサボサでよれたパジャマだったけれどどうせ相手は厚顔無恥の無礼者だ、どんな格好で迎え入れようが問題ない。

 あたしが二階の自室から玄関につく頃にはもう数えるのも面倒なくらい呼び鈴は連打されていた。苛立ちながらあたしは鍵を開けてその不届き物の姿を確認するよりはやく怒鳴りつける。


「あんた、礼儀ってものを知らないの!? 返事が無かったら一度で帰りなさいよ」

「千歳こそ、電話にも取らずいくら待っても出てこないで居留守だなんて失礼だと思わないのか」


 久しぶりの、実に一週間以上ぶりに聞いた幸助の声は、珍しく不機嫌そうで、抑揚の無い、低い声だった。

 十分に予想できたはずの来客なのに、あたしは酷く驚いた。だってあたしの中での幸助はもはや何者かも分からない他人である誰かだったから。


「まったく、三日も学校休んでその上その態度はどうかと思うよ。明らかに元気だし、風邪っていうのも嘘なんだろ? 君は昔からそうだ」


 幸助の説教癖は昔から変わらなくて。無茶ばかりするあたしと一心を止めるのはいつも彼の役目で、最近はあたしたちも多少は落ち着いて幸助のこんな態度を見たのは久しぶりだった。そのことがなんだか妙に嬉しくて、安心して。あたしはなんで馬鹿な事で悩んでいたんだろうって、心が軽くなっていくの分かる。

 確かにあたし達は少しずつ変わっていっている。でもきっと、あたし達の中にある、本当に大事なそれはきっと変わらないでずっとあり続けるのだ。


「ちゃん聞いてる千歳?」

「聞いてるよ」


 自分の口から出る声に驚く、頬が温かい。

 上手く発せられなかった言葉は彼に届いただろうか。

 気づけばあたしは嗚咽を漏らして泣いていた。


「何だよ急に、僕そんなに強く叱ったか?」


 困った時に後頭部へと手を伸ばす彼の癖は子供の頃から変わらない。

 別に彼を困らせる気のないあたしは首を振って涙をぬぐう。


「なんでもないから気にしないで」


 ああ、あたし格好悪いな。


「本当になんでもない?」

「うん、大丈夫」

「なら、いいんだ」


 そう言って彼は笑った。あたしも笑みを返す。多分きっと、とても不細工で見てられないような笑顔だけど。


「そうそう、台所借りていいかな。どうせ外出て無くてろくに食べて無いだろうと思って食材買ってきたから」

「ご飯作ってくれるの?」

「いらない?」


 私は首を横に大きく振った。食べるのが億劫だったここ数日の状態が嘘のように、急にお腹がすいてきていた。我ながら現金な奴だと思う。


「それじゃ邪魔するよ」


 平然とそう言って幸助は自然にあたしの家の中に入っていく。我が家に幸助が上がるのはもう数年ぶりの事なのに、そこに躊躇いとかそういったものは一切無くてごく当たり前のような自然な足取りだった。


「なんだよこの流しは」


 台所に立った幸助が最初に発したその一言は予想してしかるべきだろう。

 父が調理や食事に使ったまま放置された鍋や皿、あたしがコーヒーや紅茶を飲むのに使ったカップがそこには堆く積まれている。僅か三日の間でここまでになるのかと自分自身でも驚く他にない。


「調理器具や食器は使ったら直ぐ洗う! というか食洗機があるのになんで使わないの?」

「父は機械に疎いから」

「並べて洗剤いれてボタン一、二回押すだけなのに疎いとか関係ないよね!?」


 口では愚痴愚痴と文句を言いながらも幸助は流しの洗い物を次々と片付けていく。その後姿はしっくりと板についていて、普段から彼が家の家事を一手にこなしている事を雄弁に語っている。


「そういえば幸恵ちゃんはいいの?」


 幸助の歳の離れた妹、幸恵。

 昔はよく一緒になって遊んだけど最近は幸助の家にいく事も無くてあまり会っていない。両親が家を留守にしがちな幸助の家では彼が妹の保護者だ。だから彼は頻繁に家を空ける事が出来ない。


「もうあいつも来年から中学だしね、一人で留守番くらいはできるよ。晩御飯はあらかじめ用意しといたし」

「そっか、もう中学生になるのか、お祝いしてあげなきゃだね。元気にしてる?」

「最近はちょっと生意気になってきたよ。洗濯も自分でするようになって楽できるのはいいけどね。それと千歳と一心に会いたがってたよ」

「ここの所お互いの家に顔出してないもんね」

「まぁ、仕方ないよ。あんまり時間が合わないことも多いし」


 いつの間にか洗い物を終えて、彼はコーヒーを入れてテーブルに腰掛けたあたしの元へと運んでくれた。ソーサーの横には砂糖が三つとミルクが一つ。

 幸助もあたしの対面の席に腰をかけてミルクを入れただけのコーヒーに口をつける。


「明日からは学校くるんだろ?」

「うん、そのつもり」

「一心も小日向さんも心配してたから、ちゃんと顔見せてね」


 その幸助の何気ない一言が、鈍く、あたしの胸に突き刺さる。彼女と一心の名前が並ぶ事がとても不快だった。あたしはやはり彼女のことが気に食わないのだろうか。

 よくわからない。

 でも、今のままではいけない。彼女と付き合っていく事は避けては通れないだろう。彼女はもう、一心の恋人であり、あたし達の輪の中に居場所を持っているのだから。


「うん」


 少し間を置いてからそう答えて、コーヒーに口をつける。甘くて優しい味が口の中に広がる。

 幸助が自分の分を飲み終えて席を立って台所の方へと向かう。

 その背中がやけに大きく見えた。

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