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Blue scent  作者: uka
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 昨夜の混乱も覚めやらぬままあたしは一人彼女の病室を訪れた。

 時間はお昼前、彼女は病室で昨日から降り続く雪を一人眺めていた。

 クリスマスだからだろうか、いつもより少しだけ病院は騒がしく感じる。それがいい事なのか、悪い事なのかは、よく分からない。


「いらっしゃい」

「お邪魔します」


 久しぶり――といっても一週間も開いてはいないのだけれど――に見る彼女の顔はすこぶる機嫌がよさそうで、血色もいい。唇と頬は綺麗な桜色で随分と早い春を思わせる。

 その理由は聞くまでもなく想像がつく。

 しかし、彼女が誇らしげに首から提げるその銀色の輝きは、あまりにも強く己の存在を主張していて、無視するほうが不自然というものだ。

 パジャマ姿から浮いたそのアクセサリーは彼女の浮ついた心情そのもので、聞いて欲しいと叫び立てている。

 まぁ、それが彼女の望みだというのなら、叶えることもやぶさかではない。

 あたしはコートを脱いで畳みながら、自然な風を装って彼女に声をかける。


「やけにご機嫌だね」

「わかる? 目ざといなぁこれだよこれ」


 満面の笑みを浮べて誇らしげに胸をはる彼女がなんとも可愛らしい。こんなにはしゃいでいる姿を見るのは初めてな気がする。少しだけ彼女の笑顔を眺めた後、彼女がはった胸の中央に輝く銀色のネックレスへと視線を向ける。それはどうやら指輪に銀色の細いチェーンを通したもののようだった。


「細工も綺麗だし、かわいいね。一心に貰ったの?」

「うん、クリスマスプレゼントにってね。どう、似合ってる?」


 目を細めて愛しげにネックレスに彼女は触れる。

 栗色の髪と、青いパジャマの裾が靡く。

 白い部屋の中で、銀色の煌きだけが綺麗に浮いていた。

 でもそんな銀色も彼女の笑みの前には到底敵わない。


「よく似合ってるよ」


 言いながらあたしはカメラを取り出して彼女の姿を写真に収める。


「ありがと。まぁ私に似合わないものなんてあるわけないし、当然だけどね」


 自信たっぷりにいい切る彼女のその姿勢にはさすがとしか返しようがない。


「そう言えば、黒尾君は一緒に来てないの?」


 問われてあたしは、カメラをしまおうとしていた体勢で一瞬止まってしまう。なんと返すべきだろうか。いや、こんなあからさまな態度をとってしまった時点でもう何かあったのだと白状してしまったような物だし、考えるだけ無駄だろう。ため息を吐いてカメラをしまう。

 さて、どう話すべきだろうか。


「とりあえず、ちょっと整理するから、これでも食べながら待ってて」


 昨日の料理の残りを詰めた重箱を、持ってきた紙袋から取り出しながらベッドのサイドテーブルへと並べていく。入ってきた時からニコニコしていた彼女の表情がさらに嬉しそうに色を変えていく。


「うわ、これ全部黒尾君の手作り?」

「うん、昨日のあまりだけど」

「食べていい?」

「どうぞ」


 割り箸と紙皿を渡すと早速嬉しそうに料理を盛って行く。なんとも現金なその姿に苦笑が漏れる。

 あたしも箸を手にナゲットを摘んで、少しだけ形になり始めた言葉を並べていく。


「幸恵ちゃんにケーキ焼いてあげるから行けなくなったって、伝えて欲しいって言われた」

「相変わらず、妹さんにも優しいのね」


 料理を摘みながら彼女は涼しげな顔で言う。


「そうだね、でも、たぶん、気遣ってくれたんだと思う」

「誰を?」

「あたしを」


 幸助の中ではきっと、あの瞬間から全ての覚悟が決まっていて、彼自信はきっとここにあたしと一緒にくる事だって出来たんじゃないかと思える。

 でも、あたしはどうしてもそんなに早くは切り替えられない。幸助と違ってあたしにとってはあまりにも唐突な事で、心の準備なんてする暇もなかったわけで、今日一緒にここを訪れていたらどんな風に顔をあわせればいいかも思い浮かばない。

 だから今朝、彼からメールで今日は行けなくなったと聞いた時、心底、安心してしまったのだ。


「昨日、告白されたんだ幸助に」


 意を決してそう伝える。出来るだけ何でもない事のように、普段の世間話の様に、ゆっくりと告げる。彼女は箸を置いて料理から目を離すと、視線をこちらへと向けた。


「それで、断ったの?」

「うん」

「ふぅん、ちょっと意外。何で断ったの?」


 彼女が意外といったのは幸助が告白したことなのか、それともあたしが断った事なのか。

 何故と問われ考える。

 何であたしは幸助の告白を断ったのか。

 幸助の事は嫌いじゃない、むしろハッキリと好きだと言える。家が隣ということで一心以上に近くて、親しい存在。そんな幸助の気持ちをあたしはなぜ受け止めなかったのだろう。

 彼はあたしに好きな人がいる事をいい事だと、そう言った。

 本当にそうだろうか。

 どんなに頑張っても報われないことだとしても、本当にそれはいい事なのだろうか。あたしの世界は確かに色あせた世界ではなくなったけど。

 どろどろのぐちゃぐちゃで、極彩色の世界は、あたしが本当に望んだものだっただろうか。

 目の前の確実なそれを捨ててまであたしがそんな世界に身を投げる理由とは一体。

 その答えはもう、昨日あたしが口にしたじゃないか。

 叶わなくても、届かなくても、ずっとあたしの中にあり続けたこの気持ちは無くならないから。


「好きな人がいるから」


 彼女のわがままを全て聞き入れると決めたから。今はそれだけでいいんだ。


「命短し恋せよ乙女」


 笑いながら彼女は言う。

 その通りだと思う。

 あたし達の命はあまりにも短くて、不確定だ。


「何、どんな人なの? あ、この料理美味しいね」


 再び箸を取った彼女は料理を食べながら問いかけてくる。


「食べるか話すかハッキリしなよ、行儀悪い」

「たまにはいいでしょ。私一回こういうコイバナとかしてみたかったんだよね。それでどんな人なの?」


 目の前の貴方です。

 なんていえるわけも、勇気もなくて。

 たとえ勇気があったとしても、それを口に出すことは許されないわけで。

 目の前で意地悪く微笑む彼女。

 たまらなく愛しい。

 世界は彩りに溢れ、苦しくて、素敵で、酷で、そして、どうしようもない。


「かっこよく、かわいくて、弱虫だけど他人には絶対そういうところを見せないようにして強く在ろうとする、そんな素敵な人だよ」

「語るね、こっちが恥ずかしくなるくらい」


 目の前で楽しそうに笑っている君の事なんだけどね。


「いいでしょ別に」

「いいけどね、上手くいきそうなの?」

「告白する気はないんだ。その人の力になれるだけでいいの」


 自らの身を投げてでも、あたしは彼女に幸せでいて欲しい。

 僅かな時間だけでもいい。

 どうか、幸せな時を。




 年末年始の慌しさの前に、時よ止まれ、などという願いは届くこともなく日々は過ぎ去っていく。久しぶりに父としっかりと顔を会わせた正月が終わるとすぐに冬休みは終わり三学期が始まった。

 放課後、あたしが美術室を尋ねてもそこに人の姿はない。

 ただ、冷たく静まり返った無機質な部屋がそこにあるだけだ。

 彼女がもうここを訪れる事はないだろう。

 始業式の日の返り、病室にお見舞いにいった時彼女はとても静かだった。

 体が小さくなったように見えた

 綺麗な髪の毛が少し傷んでいた。

 それでも彼女は笑っていた。

 あたしは死に際にあんな風に笑えるだろうか。

 徐々にその日は近づいてきている。

 一心は冬だというのに野球部の練習に熱が入っている。今年こそは彼女を甲子園に連れて行くのだと、まるで少年漫画の主人公のようにまっすぐに夢を追いかけている。

 そんな彼に真実を告げて、もっと彼女のそばにいてあげて欲しいだなんて、あたしからは言えない。

 幸助とは気付けばいつの間にか以前のような関係に戻っていた。長年の付き合いのなせる技だろうか。互いにぎこちなさもなく、普通に喋って料理を作ってもらったりしている。

 甘えてばかりの自分に嫌になる、その内何かお返しをしないと。

 あたしは暇さえあれば彼女の元へと足を運び他愛のない話をして、瞳に映る世界を四角く切り取っていた。

 彼女の体調が優れない日や検査日などは幸助や一心の部活を冷やかしたり、カメラを片手に街に出向いては彼女が絵を描くための題材を求めて歩き回っていた。

 そんな風に過ごしているだけで二日、三日と時間は過ぎて、気付けば一週間、二週間と、あっという間に時間は流れていった。

 何も起こらない、昨日とさして変わらない毎日。もしかしたら、と錯覚してしまいそうな日々。でも、それでも、少しずつ変わっていく。確実に終わりは近づいている。

 あたしの横にいるそれも、彼女の傍らにいるそれも、遠ざかる事は決して無く、毎日今か今かとその刃を振り下ろそうとずっと待っている。

 そんな日々にあたしが明確な変化を見つけたのは一月も終わり、雪を見ることも少なくなった二月の初めの事だった。

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