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Blue scent  作者: uka
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 結局あの日から彼女が学校に出てくることもないまま二学期は終わり、冬休みがやってきた。もしかしたらもう二度と彼女の制服姿を見る事はないのかもしれない。

 彼女の都合がつく日は毎日のように病院を訪ねているけれど、それもあと何日残されているのか。

 今日は朝から一日検査で病室にはあまり居ないと聞いている。

 彼女に会えないたった一日が酷く重く感じる。

 自分しかいない家の中はとても静かだ。もともとテレビを見る方ではないし、ラジオだって聞かない。唯一音をたてるのはつけっぱなしにしているパソコンのファンの音くらいのもので、その乾いた音が気持ちをさらに沈ませる。

 なにかをして気を紛らわせていたい。

 彼女が絵を現実逃避のために始めたのだと言っていた理由が分かる気がした。ふとした事でそれは急に顔を見せる。忘れていても突然それは襲ってくる。

 あたしの写真もいつかそんな役目を背負うようになるのだろうか。

 そういえばと、パソコンを操作して今まで撮り貯めてきた写真のフォルダを呼び出す。ここ最近はあまり整理をしていなかったし、気を紛らわせるにはちょうどいいかもしれないと思っていくつかのフォルダを作りデータを仕分けていく。

 風景の写真と人物の写真、動物や虫といった被写体のあるものや、花や木といった植物、適当に選り分けていく。

 そんな中自然と多くなってしまうのは彼女の写真。気持ちを自覚してからはなんだかいやらしい気がして出来るだけ撮らない様にと心がけているはずなのにその枚数は増えるばかりだ。

 そんな中から制服姿の彼女の写真を一枚拡大する。

 夏休み明けから暫くした頃の彼女の写真、まだ残暑が厳しかった頃のものなのだろう。長袖の制服の彼女は額に汗を浮べながら、キャンバスに向かっている。

 今年の夏は本当に楽しかった、冬休みだって本当ならそうなるはずだったのに。

 彼女と画策していたクリスマスの予定も少し変わってしまった。

 イブは彼女と一心が。クリスマスにはあたしと幸助がそれぞれお見舞いにいく事になった。彼女と一心が過ごせる時間の少なさから、あたしが提案したことだった。幸助が二十四日の日中家を空けられないのも好都合だった。

 彼女は四人でと提案したのだけれど、あたしは頑なに二人で過ごすことを進めた。一心はなんだかんだ部活で忙しい身だ、これから先どれだけの時間を過ごせるかはわからない。だからこういうイベントの時はちゃんと二人の時間をとって欲しいと思ったのだ。

 二人には三ヶ月くらいの入院になるとあたしが嘘の説明をしておいた。

 その嘘がばれている様子はない。なんとなく二人も彼女の体調が良くないことには気付いていたようで、三ヶ月という長さが妙な真実実をもったようだった。

 だって普通に考えて自分の隣で微笑んでいる女の子がもう余命幾許もないなんて誰が考えるだろうか。

 彼女の願いを叶えるには好都合だった。

 二人を騙すのは心が傷んだけど、今のあたしには二人に本当の話をするなんてことはできそうにない。誰にも話さないまま、彼女がいなくなるまで、あたしはこの秘密を抱え続けなければならない。

 やれる、大丈夫。

 作業を黙々と続けるうちに体中が凝り固まっていく、伸びをしながら時計に目をやるとそろそろ夕飯時だった。

 何を食べようか。

 最近はそんな事に悩むようになった。

 何かを食べる度に彼女の言葉が脳裏に蘇る、あと七万回の食事。多いようで少ない。それは日に三度も減っていく。そうして安っぽい食事をしているとふと、思うのだ、こんな食事で大切な限られた回数を消費してしまっていいものなんだろうかと。

 日常の中でもそんな事を思うことが多くなった。

 こんな風に無駄に時間を過ごしていていいのだろうかって。

 焦燥感に襲われる日々。

 何を食べようと、何をして過ごそうとも、結局後には何も残らないのに。

 答えのない問いに挑むのは時間の無駄だ。それは彼女が言ったとおり、どんな時間よりも無駄なものだ。

 彼女もきっと同じように悩んだのだろう。

 その切実さは比べ物にならないだろうけど。

 答えが出なくても時は過ぎていく。

 彼女は答えが後からついてくることを悟った。

 あたしはまだ一歩を踏み出せないでいる。

 そうして少しずつ戻る事のない今を浪費しながら、あたし進んでいく。答えはその後に勝手についてくる。

 それを良しとできるようにあたしはなれるだろうか。




 十二月二十四日、クリスマスイブは朝から雪が降っていた。

 本来なら四人で楽しく過ごすはずだったこの日、家にはあたしと幸助の姿しかない。

 夕暮れ時をとっくに過ぎて辺りが暗くなる六時過ぎ、一心はもう病院へついただろうか。それとももうとっくに二人でパーティを始めていて、ケーキでも食べているのだろうか。

 例年なら幸助か一新の家に三人で集まっていたのだが、明るく準備を進めながら話す彼の姿がないだけで部屋はとても静かに思える。キッチンの方から聞こえる幸助が料理をする音だけがよく聞こえた。

 別に二人なんだから適当に出前とかで済ませてもよかったのに、彼がどうしても作りたいと材料を持って押しかけてきたのだ。料理好きここに極まれリ、といった感じだ。

 キッチンから漂ってくる美味しそうなにおいが、今日は特別な日だと教えてくれている。

 時間としての価値は他の一日と変わらないはずなのに人は記念日を大事にあがめる。よく考えると不思議なことだ、動物達はそんなこと気にしもしないのに。

 物思いに耽っていると時間はどんどん過ぎていく。

 目の前のテーブルにいつの間にやら豪勢な料理が並んでいる。どれも作りたてで暖かな湯気を立ち昇らせている。


「ちょっと作りすぎたかな、まだケーキもあるんだけど」


 最後の一皿のチキンを並べながら幸助が向かいの席に座る。


「あまったら明日お見舞いにもっていけばいいでしょ」


 目の前に並ぶ料理を二人だけで食べきるのはさすがに無理そうだ。


「食事制限とか大丈夫なの?」

「その辺は大丈夫みたい、そこまで気負うほどのものじゃないって」


 口から何のためらいもなく嘘がついて出る。本当は魔逆で、悪いからこそ何を食べても許されてしまう。それはなんて虚しい自由だろう。


「そっか、じゃあ食べようか」

「いただきます」


 海老をつかったサラダ、野菜がたっぷり入ったポトフ、定番のローストチキンにラザニア、こまごましたものではナゲットにポテトまで、一人で手作りしたとは思えない量の料理がズラッと並んで目移りしてしまう。

 何処から手を付けるべきか迷っていると、あたしのそんな様子に気付いたのか幸助があたしの取り皿に手を伸ばしてドンドンと料理を盛って行く。


「別にかしこまった場でもないから自由に食べればいいよ」


 言葉と共に戻ってきた皿には山の様に料理が盛られている。これを食べ切るだけでも中々骨が折れそうだ。


「遠慮なくどんどん食べてね」


 幸助のそんな笑顔が逆に辛い。

 それでもやっぱり彼の作る料理は美味しくて、皿に盛られた料理も次々にお腹の中に消えていく。正月前から体重が増えそうでほんの少しだけ憂鬱だ。それでもこうして二人で食事をとっているのは一人より楽しいし、楽だと思う。

 特に何を話すわけでもないけれど、誰かに料理を食べてもらっている時の彼の満足げな笑顔だとか、初めて口にする味への新鮮な驚きだとか、料理の美味しさに釣られてつい微笑んでしまうこととか、言葉がなくてもそんな些細な事で色んな事が伝わっている。

 一人で食事をするときの寂しさを味わうこともなければ、煩わしい色んな不安に駆られることもない、誰かといるだけでこんなにも落ち着いて、楽でいられる。

 彼女があたしにありがとうと、そう言った理由がわかる気がした。




 口数の少ないまま食事を終えて、ケーキもお腹の中に収めるとさすがに苦しくなる。

 完全に食べ過ぎである。美味しい料理は時に罪だ。

 だらしなくリビングのソファに横になっていると幸助がマグカップを両手にこちらにやってくる。


「コーヒー淹れたけど」

「飲む」


 文字通り重い体を起こしてマグカップを受け取る。まだ熱いそれを落とさないように両手でしっかりと抱えて口をつける。

 熱く、甘い、慣れ親しんだコーヒーの味が体に染み入る。じんわりとお仲の中から温もりが広がるような感覚が心地いい。


「こんな日なのに一から十まで全部やらせちゃって悪いね」

「いいよ別に、僕が無理言って作ったんだし」


 楽しそうに笑いながら幸助もコーヒーに口を付ける。

 その笑顔は本当に心底楽しそうで、無理をしているようには感じられない。彼にとって料理を作るとか、誰かのためになる事は本当に天職なのだろう。だけどそれが心配でもある。いつかその優しさや思いやりが仇になる日がくるんじゃないかと、騙されて利用されて傷つく日がくるのではないかとそんな心配をしてしまう。

 彼の方がよっぽどあたしなんかよりしっかりしていて、立派だというのにいつだってあたしにとっては彼は弟のように感じて接してしまう。それは出会った頃の関係のせいかもしれない。

 ゆっくりと熱いコーヒーを冷ますように飲んでいるうちに時間は過ぎていく。気付けばもう二十一時を過ぎていた。


「幸助、そろそろ帰った方がいいんじゃない? 幸恵ちゃんもう帰って来るんじゃ」

「もうそんな時間か、まだ洗い物が終わってないんだけど」

「それぐらいあたしがやるよ。さすがに片付けまでさせるわけにはいかないって」

「いやでもかなり器具とか皿使っちゃったし。残った料理にもまだラップかけてないし」

「いいから、寒い家に幸恵ちゃんをあげる気?」

「わかったよ」


 残念そうにため息をついて幸助はコートを羽織る。ほんの十メートルも離れていない隣同士なのになんとも律儀なことだ。

 それを見送るために玄関まで付いていくあたしも相当なあれだとは思うけど。


「ポトフは温めるだけで食べれると思うから明日の朝か昼にでも食べて、サラダはちょっと厳しいかもしれないから朝様子見て無理そうなら食べないこと」

「子供じゃないんだから、そこまで心配しなくても」

「それもそうだね、それじゃ」

「うん、それじゃ」


 扉を開けて背を向けた彼を見送って、そうしたら早く片付けをしてしまわなければ。

 そう思っているのに幸助は玄関口で立ち止まって振り返った。なにか忘れ物でもしたんだろうか。


「千歳」


 あたしの名前を呼びながら伏せ気味だった顔を真っ直ぐとこちらに向ける。その表情はいつもの優しげな顔とは違う、彼が料理をする時に見せる、真剣そのものな顔つきだ。


「そんなに改まって、どうしたの」


 戸惑うあたしを意に介した様子もなく、幸助は真っ直ぐにこちらに手を伸ばしてくる。その掌には、綺麗にラッピングされた箱が乗っていた。


「何これ」

「僕からのクリスマスプレゼント、受け取って欲しい」

「開けてもいいの?」


 そう聞くと彼はただ、黙って頷いた。

 今までクリスマスプレゼントを貰うことは何度かあったけど、大体は三人でのプレゼント交換であって、こんな風に面と向かって幸助から直接食べ物意外の何かを貰うというのは初めてで、何故だか無性に緊張した。

 料理や、洗い物で荒れたその手からその綺麗な箱をそっと取り上げる。見た目とは裏腹に軽いそれには一体何が入っているのか。

 丁寧に包みをはがすと中から現れるのは黒い正方形の厚紙のケース。なんともじれったい、そのケースもゆっくりと開けると、中に入っていたのは、透明なアクリルのケース。

 その中央には小さな台座が据えられていて、そこには細かな細工の施された銀色の綺麗な指輪が飾られている。


「綺麗。どうしたの、これ」


 見蕩れながらそう聞くと彼は少しだけ恥ずかしそうに顔を緩めながら語りだす。


「本当はちゃんと指に嵌められる指輪を渡したかったんだけど、サイズがわからないからさ、飾って見て楽しめるそれにしてみたんだ」


 彼はそこで言葉を切って、深く息を吐いた。そうして再び表情を引き締て、ハッキリと告げる。


「ずっと好きだったんだ千歳の事」


 それは、いったい、どういう?

 幸助が? あたしを?

 いや、ちょっといや、待って。

 チカチカと、色が明滅する。

 だって、幸助は誰かの為に眼鏡をかえて、格好にも気を使う様になって。

 誰か、そう、誰かの為に。

 誰かって、誰だ。

 あたしの知らない誰かだってずっと思っていた。

 子供の頃から近くにいて、そんな相手見たこともなかったじゃないか。

 じゃあ、誰かって、誰だ。

 答えは彼がもう言ったはずだ。

 あたし?

 嘘。

 だって、もしそうだとしたら、あたしは彼に酷い事を沢山した。

 嬉しい? 悲しい? 楽しい? 辛い? わからない。

 ずっとわかっていたつもりでも本当はなにもわかっていなかった。

 弟みたいな存在?

 なんて勝手な思い込み。

 感情に整理が付かない。

 笑えばいいの? 泣けばいいの?

 ただ呆然と、掌で光るそれを見つめて、あたしは。

 ただ。

 ただ、返す言葉だけは頭の中にあった。

 彼女の顔がちらつく。

 こんな時にでも頭に浮かぶ彼女の顔は優しく、笑っている。

 あたしは最低かな?


「ごめん」


 簡潔な否定の言葉。それだけでは伝わらない気がして、あたしは言葉を続ける。


「好きな人がいるから」


 きちんと本当の事を伝える。あたしが打ち明けられる範囲で。


「そっか、それはいい事だと思うよ」


 震えた声でそう言いながらも彼の顔はしっかりと笑っていた。


「心配だったんだずっと、部活も、趣味らしい趣味もないし、いつか君がふらっと消えてしまうんじゃないかって。

 でも、もう大丈夫そうだね、写真だけじゃなくて、好きな人もできたなら」


 今しがた自分のことをふった相手に思い人がいて良かっただなんて、笑顔のまま言える人がいるのだろうか。

 あたしの事なんて気遣わなくてもいいのに。


「幸助の事が嫌いだとか、そういうわけじゃなくて」

「わかってるよ」


 未だに混乱するあたしの失礼な言葉を遮る様に彼はそう言った。

 全てを見透かしているかのように、重く、静かな声で。

 静かだった、何かを言わなくてはいけない、そんな気がして。


「これ……」


 どうしていいのか分からないプレゼントを指差して、ただそれだけを言う。


「僕が持っててもしかたないから好きにしてくれていいよ。いらなかったら捨ててくれてもいいから」


 そんな事、出来るはずがない。でも、大事にすると言うのもなんだか変な気がしてあたしはただ、首を横に振って綺麗なその輝きをそっとポケットに押し込んだ。


「僕は不器用だからさ、たぶんこの気持ちを忘れる事は出来ないと思う。だから千歳の事好きなままで、また、友人として振舞ってもいいかな?」


 苦笑しながらそう言う彼に、あたしは今度は首を縦に振る。


「ありがとう。それじゃ僕は帰るよ。寒いから寝るときは暖かくしてね」


「幸助も、風邪ひかないように」


 そんな他愛のない、いつものような別れの言葉を交わして、彼は何事もなかったかのように玄関から出て行った。

 その後姿を見送って尚、フワフワと漂うように現実味を持たないあたしの感覚。

 崩れる様に、ぺたりとその場に座りこんでしまう。

 まだ混乱は抜け切っておらず、気付くと胸はものすごい速さで血液を体中に送っている。

 冷たいフローリングの床が体温を奪っていく。暖房の効いていない寒い廊下。思わず身震いする。

 それなのに顔は熱いままで。

 家の中でも口から漏れる息は白く、暗い廊下に浮かび上がる。

 思考がぐちゃぐちゃで纏まらない。

 家の中なのに迷子になってしまったような、そんな感覚に襲われていた。

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