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Blue scent  作者: uka
23/27

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 窓の外ではまだ雪が降っている。

 月のない夜なのに、雪のお陰か外の景色は消灯時間を過ぎた病室よりも明るい。

 日はすっかりと落ちて面会時間はとっくに過ぎているのにあたしはまだ病院内にいた。

 どころか、彼女の病室で彼女のベッドのすぐ横にピタリと設置された簡易ベッドを借りてその上で横になっている。

 彼女が今日はどうしても泊まっていって欲しいとそう願ったから。

 あたしにとってもそれはありがたい申し出だった。一人で誰もいない家には帰りたくなかった、未だにあの恐怖の残滓が胸を締め付けているから。

 彼女はたぶんそれもわかっていて提案してくれたのだろう。

 窓の外から視線を外して隣でベッドに横になる彼女に眼を向けた。

 綺麗な髪が雪の光を受けて薄っすらと闇の中に浮かび上がる。春の日から伸び続けている彼女の髪。もともと肩口よりも長かったそれも、今の背中あたりまで長くなった髪型もどちらも彼女には良く似合っている。素材が良ければどんなものでも映えるものだ。

 あたしの伸ばしっぱなしで切るに切れなくなった長い髪の毛はとは違う。


「何? どうかした?」

「いや、綺麗な髪だなと思って」

「染めるの結構苦労するんだよね。大分髪も伸びてきたし」

「伸ばしてるの?」

「うん、君みたいに長い髪もいいかなと思って、ちょっと時間が足りなかったけど」


 そう言って彼女は自分の髪の毛を手にとって弄ぶ。それから次にあたしの方へと手を伸ばして髪の毛の端を手に取る。ゆっくりとあたしの末端が彼女へと引き寄せられていく。

 しなやかな指があたしの髪の毛を弄び、彼女の細くなった瞳がその毛先へと注がれる。なぜだかそんな仕草にドキドキする。なにかいけないことをしているようなそんな感覚に襲われる。


「やっぱり染めてない髪っていいね、健康的で、傷んでないし」

「貴方の髪も別に傷んではないでしょ」

「一応手入れはちゃんとしてるからね、でもやっぱり染めてるとね。私も黒髪で清純系にした方がよかったかな」


 そんな彼女の言葉でふと、昔言っていた地味だった頃の彼女の話を思い出す。今にして思えばあれは、病院にいた頃の話だったんだろう。

 この白い病室の中、ベッドの上、今とは違う黒い髪、今と同じ黒い瞳。その瞳に映る灰色の世界を、刻一刻と迫る死の恐怖から逃れるためにスケッチブックへと落とし込んでいく彼女の姿が、ハッキリと頭の中に像を成す。

 その脆く儚い虚像は先程まで泣いていた彼女の姿によく似ていて、今にも消え入りそうに見える。目の前にいる彼女までもが消えてしまうのではないかと、そんな思いすらも浮かんできて……。

 未だにあたしの髪の毛を弄ぶ彼女の手にあたしの手を重ねる。

 驚いた様に彼女の手が強張る。あたしの髪の毛が重力に引かれて、シーツの上へと戻る。

 その絵の具で汚れた指を、絵の具の落ちない爪を、ゆっくりと撫でると、あたしの意図を察したのか、掌をそっと重ねてくる。互いの掌の隙間を埋める様に、指を互い違いにして、包み込む様に繋ぐ。

 指先から感じる彼女の体温。

 すぐ傍に彼女がいる。

 部屋中に彼女の甘い芳香が漂っている。

 こんなに近くにいるのに全てが不確かに感じる。

 もっと強く彼女を感じたい。

 本当は手だけじゃなくて、その体を強く抱きしめたい。

 彼女の存在を感じていたい。


「ねぇ」


 自然と声が漏れていた。


「何」


 彼女は短く答える。

 続く言葉は考えていない。

 ただ彼女がそこにいるのだと、声で感じたかった。


「何でもない」

「そう」


 彼女は気にした風もなく、ただそう言って、繋いだ手に力を込めた。

 ここにいるよと、答えてくれるかのように。

 雪の降る音すら聞こえそうなほど静かで、真っ暗なのに明るい、真っ白な部屋はこの世のものでないようで、もしも死んでも彼女とこうしていられるのなら怖くないのにとそんな夢みたいな事を思う。

 幽霊がいればいいのに。

 死後の世界があればいいのに。

 そんなものあるわけがないってわかっているけれど。


「ねぇ」


 彼女の小さな声が、世界を壊す。


「何」


 真似する様に短く返す。


「今日の話は誰にも秘密にしてね」


 天井を見上げながら、視線を合わせずに彼女は言う。


「誰にも?」

「うん、二人には話さないでほしい」


 その事自体には別に何の疑問も抱かなかった。今までだって隠して来たのだからこれからもそれを続ける、それだけのことだ。何かしらの理由で彼女は知られたくないのだ。ただ気になった事がある。

 どうして、


「どうしてあたしには話したの?」


 それが不思議だった。


「色々理由はあるよ」


 彼女が暗闇の中、体を起こす。あたしも同じように上体を起こして彼女の方に視線をやる。手は繋いだまま、彼女は薄い笑みを浮かべながら話し始める。


「瀬名君には私が言いたくないだけ。これから彼女が死ぬのをただ見つめて過ごさせるなんて酷でしょ? それもこんなに可愛い子。

 まぁそんなこと言ったら私みたいに死んじゃう子が元々告白なんてすべきじゃなかったんだけどさ。どうしても抑えられなかったの。だからこの我がままだけは貫き通したいの。彼の中では一人の普通の女の子でいたいの。最後までね」


 真っ直ぐなその瞳は何もない闇の中を見つめている。

 彼女が視界の先に一心の姿を思い描いていることがわかる、痛いくらいに。

 彼女は本当に一心の事が好きなのだと、敵わないと、痛感する。

 でもだからこそ、彼女のその願いを叶えてあげたいと思う。

 認めたくないけれど、彼女を本当に幸せに出来るのはあたしじゃなくて、彼だろうから。


「黒尾君は優しすぎるからさ、多分話したら彼は、自分に出来る限りの事をするだろうね。手の届く範囲すら超えて、無理をして、沢山傷つく」


 言われてあたしは黙って頷いた。

 知っている、多分、あたしが誰よりも彼の優しさをしっている。

 彼が妹の為にどれだけ頑張っているかを、彼が学校でどれだけ慕われているかを、幸助は昔からそうだ。自分の目に付いた範囲の事をどうしても放って置けない。自分の事よりも他人を優先してしまう。一心は自分の力の及ぶ場所を弁えている、でも幸助は自分の力が足りないとわかっていても、手を差し伸べる。その優しさは時に重い。


「彼も根底は瀬名君と一緒で人の為にっていう性格だよね。むしろ私達の中で一番それが強いくらい。でも、それが強すぎるから、自分が苦しくなるのも厭わない。私はもう消えいく私の為にがんばってなんてほしくないの。そんな特別扱いはいらない」


 彼女が言うとおり幸助はきっと彼女の容態を知ったら、何かをせずにはいられないだろう。本人に自覚はなくとも、きっと彼女の事を必要以上に気遣うようになる。それは互いの為にならない。二人とも傷つくだけだ。

 彼女は一年にも満たない付き合いの中で、あたし達の事を深く理解していた。それは一心があたし達の昔話を彼女にしたせいなのか、それとも彼女自身が気付いていったのか、あるいはその両方なのか、それはわからないけれど、彼女がもうあたし達の中のかけがえのない一人であることは間違いない。


「君に話したのはね、さっきも言ったけど君にどうしてもありがとうって言いたかったの。その意味も伝えたくて。それに君なら多分、私の我がままにも付き合ってくれると思ったからさ。甘えちゃってごめんね」


 その言葉は何よりも嬉しくて、何よりも悲しい。

 頼られることは嬉しい、ありがとうとそう言ってもらえる事も当然。

 だけど、あたしは彼女が思うほど強くない。

 頼られても支え続けることが出来るかどうか自信がない。

 日に日に近づく彼女の死を見つめながら。

 その姿に自分を重ねながら。

 秘めた想いを抱えたまま。

 彼女を支え続けることが出来るだろうか。

 わからない。

 けど、彼女が望むなら。

 彼女が望むあたしでありたい。

 できるかどうかは、わからないけど。

 深く手を握りなおす、何かを伝えるように。

 彼女が目を合わせて微笑む。

 大好きな人の笑顔。

 笑顔なのにその瞳には涙が滲んでいる。


「あの二人の事ちゃんと支えてあげてね。――なんて、後から来た私が言うのも変だけど」

「変じゃないよ。もうあたし達は四人なんだから」


 怖くても、不安でも、彼女の中ではもう整理がついてる。

 あたしも受け止めなければいけない。事実として、彼女の事を。

 そしていずれくるあたし自身のことも。


「ごめんね」

「何が?」

「君に沢山背負わせちゃって」


 申し訳なさそうな君の顔。

 それが笑顔に変わるのなら、背負ったものの重さなんて気にもならない。


「いつかは、誰もが背負う重さなんでしょ。あたしは大丈夫だよ」


 本当は色んな事が怖い。

 不安だらけで彼女の手を握っていないと泣き出してしまうかもしれない。

 だけど、君が望むあたしになるために。


「あたしが君のわがままを全部背負うよ」

「なんだかプロポーズみたいだね」

「そう、かな……」


 雪が降っていた。

 月のない静かな夜。

 繋いだ手の暖かさを感じたまま眠りに付いた事を、あたしはきっと忘れない。

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