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Blue scent  作者: uka
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 十一月に入って数日、退院を迎えた彼女を祝うべくあたし達は家庭科室へと集まっていた。

 部屋には淹れたての紅茶の香りがふわりと漂っている。

 席についた各自の前に取り皿とフォークが配られ、彼女はその中央に鎮座する一ホール丸々のチーズケーキに目を輝かせている。

 そうして期待に満ちた皆の視線を受け、今回の企画の発案者である一心が咳払いを一つ。


「さて、えー、本日はお日柄もよく」

「長い却下」

「結婚式じゃないんだからさ」

「そもそも今日は仏滅だよ一心」

「ちょっとくらいノれよお前ら」


 全員から突っ込みを受けた一心が愚痴りながら、再度仕切りなおす様に咳払いをして、口を開く。


「ともあれ、媛ちゃん退院おめでとう! 何事もないみたいでよかったぜ本当」

「倒れたって聞いた時は本当に驚いたけど、大した事がなかったみたいで安心したよ」

「見つけた時は本当焦ったわ」

「心配性だよ皆、元々そんなに大した事ないって言ったじゃない」


 呆れた様にそう言う彼女の姿は以前と変わりなく、無理をしているような素振りはない。一週間の入院も念の為に過ぎなかったわけだし、むしろ元気が有り余っている様にすら見える。


「そんな事言ったって心配なもんは心配なんだよ。これからは無理せず程々にな」

「大丈夫だって、入院なんてつまらないから私だってしたくないし」


 本当に退屈だったのか彼女は表情を歪ませて珍しくため息を吐いた。

 しかし、そうして視線を落とした先にあるチーズケーキの皿に目がいくと、すぐに顔を緩ませてフォークを手に取った。


「そんなことよりもさ、早くケーキを食べよう。今日はこのためにわざわざお昼を抜いてお腹を空かせておいたんだから」

「言ってるそばから何してるんだか」


 もう呆れて突っ込む気にもならない。対照的に幸助の方はニコニコと笑っている。


「期待される側としては嬉しくもあるけどね」


 喋りながら幸助が慣れた手つきでケーキを綺麗に切り分けていく。その間にあたしと一心で人数分の紅茶を用意して、各自の席に配る。


「あ、黒尾君、私その真ん中のちょっと大きいやつでお願い」

「了解」

「どれもそんなに変わんないってば」

「まーいいじゃん、媛ちゃんのためのケーキなんだからさ」

「そうだけどマナー的にさ」


 でも、彼女の幸せそうなその笑顔を眺めていると、まぁいいか、なんてそんな風に思えてくる。まったくもって彼女には敵わない。

 全員の手元にケーキが行き渡ると、各々手を合わせてそれぞれのペースで食べ始める。


「やっぱり黒尾君のケーキは格別だね。そこら辺のケーキじゃ満足できなくなっちゃうよ。専属パティシエになってもらいたいくらい」


 今にも頬が落ちそうな恍惚の表情で喋る彼女に、幸助がいつものように真面目に返す。


「別にお菓子専門ってわけじゃないんだけどね」

「普通の料理もできるもんねぇ。しかも料理だけじゃなくて洗濯、掃除、育児まで出来て面倒見がいいときてる。将来黒尾君と結婚する子は幸せものだね」


 夏の日にあたしが言った事と同じような事を彼女に言われ、幸助は何故だか一瞬だけ寂しそうな顔をして、何も言わずに苦笑した。


「大丈夫だよ媛ちゃん、媛ちゃんは俺が幸せにして見せるから!」

「流石瀬名君は頼りになるね!」


 そんな幸助の様子を知ってか知らずか、無駄にテンションの高い二人のかけ合いにげんなりする。


「はいはいノロケでお腹一杯になる前にケーキ食べないとね」


 そういえば、二人のそんな仲のいい様子を見ていても、以前より動じなくなっている。なんだか少し不思議だ。ただ一心と彼女が笑っているのを見ているだけで満たされたような気持ちになる。素直に二人のことをいいカップルだと思う。


 彼女に対するあたしの気持ちが無くなったわけではない。むしろその気持ちは日々増していくのに、二人の事を写真に収めたいと思う。

 彼女の口の端についたケーキのタルト生地を拭き取る一心。じゃれ合うその二人の姿を写真の中に収める。

 すぐに、彼女があたしの向けるカメラの存在に気づく。


「あ、ちょ、変なところ撮らないでよ」

「そうだぞ千歳、出歯亀かお前は。あ、でも後で焼き増ししろよ」

「人前でいちゃついておいてよく言うわ」

「まぁまぁ、小日向さんお茶のおかわりいる?」

「おねがい」


 そう言って空になったカップを差し出す彼女をあたしは咄嗟に止める。


「あ、ちょっとまって」


 怪訝な三人の視線を受けながらあたしは鞄から少し大きな包みを取り出す。


「せっかくだからあたしの退院祝い使ってよ」


 取り出した包みを彼女へと手渡す。彼女は興味深げにそれをしげしげと眺めてから包装に手をかける。


「開けていいのかな?」

「どうぞ」


 彼女は丁寧に包みを開いていく。わざわざネットで調べて苦労しておこなったラッピングを力技で破られなかったことにホッとする。

 そうして中から出てきた箱から彼女がそっと両手でそれを取り出す。


「ティーカップだ……」


 驚いた表情で彼女はその手の中に抱えたそれをまじまじと見つめている。


「普段から頻繁につかってるし、喜ぶかなと思って」


 あたしが彼女に渡したのは、彼女と初めて訪れた雑貨店で見つけたペアのティーカップだ。


 キャンバスのように白いその表面に黒だけで描かれた植物の柄が印象的で、一目見た瞬間これにしようと決めたのだ。


「すごい、綺麗で、かわいい。いいのこんなもの?」

「そのために買ったのに、いいもなにもないでしょう」

「ありがとう、大切にするよ」


 そう言って彼女は手元のカップに再び目を落とす。そうしていると幸助が箱に残っていたもう一つのカップを手に眺めながら呟く。


「でも、なんでペア?」


 その疑問に答えたのはあたしではなく、


「そりゃ俺と媛ちゃん用だろ」


 自信まんまんに答える一心は無視してきっぱりと言う。


「ペアでしか売ってなかったから」


 まぁそれは建前でしかないんだけど。

 彼女とお揃いのあのティーカップで紅茶を飲めたらなんて、そんな思いが結局最大の決め手だった。


「高かったんじゃないのこれ?」

「いや、言うほどでも」


 こっちは大嘘で本当は万単位の高級品だった。もう少し安いものもいくつかあったけどこれが一番彼女に似合うと思ったから。

 普段あまりお金を使わない自分の性格にグッジョブを送りたい。


「さっそく使ってもいいかな?」

「どうぞ」


 軽く洗ってからさっそくカップに紅茶を注ぐ。白いその磁器に紅茶の色がよく映える。

 そして彼女にもそのティーカップがよく映えていた。奮発したかいがあったというものだ。


「同じ紅茶なのになんだか、美味しくなった気がするよ」

「さすがにそれはプラシーボでしょ」

「でも料理において彩りや盛り付けといった見た目って結構重要だからね。無関係とも言い切れないんじゃないかな」

「それも結局プラシーボでしょ」


 普段味気ない食生活をしている身からするなんとも言えない感じだ。


「一人で食べるより皆で食べる方が美味いだろ? それと一緒の理屈だろ」

「そうだね、私、皆がこんなに良くしてくれて本当に、幸せだなって感じるよ。今までこういう事って全然なかったし、なお更さ、本当に嬉しくて……」


 かすれる様に小さくなっていく声、震える肩、涙をためる瞳。

 溢れそうになるその雫を堪えようと口を引き結ぶその姿は酷くか弱い。


「ちょ、泣くほどなんて、そんな、二人とも目、逸らして」


 二人には泣き顔を見られたくないだろうとあたしは自身の体で割り込む様に彼女の顔を隠す。


「ごめん、あんまりうれしくて、さ」


 彼女は酷く泣き虫だ。

 その体を支えて上げたいと思う。隣にいることはできないけど、せめて、手を貸すくらいは。


「感極まってる所悪いけどさ、まだ俺の退院祝いがあるんだが。


 タイミング逃しまくりなかんじだけどさ、媛ちゃんこれも貰ってくれよ」

 なんとか涙を堪えた彼女が手を伸ばして一心から受け取ったのは健康祈願と書かれた親指程度の大きさの小さなお守りだった。


「ちゃんとした神社で買ってきたお守りストラップだから、まぁ多分ご利益はあると思うぞ。もう倒れたりとかは簡便な」


 手渡されたそれを彼女はまじまじと見つめて、堪えた涙が再び溢れそうになっていた。

 彼女は両手でその涙を必死に拭って、震える唇でなんとか声を出そうとして、それでもなんと言葉にしていいのかわからないのか、長い間悩む様に沈黙して、


「嬉しいよ、本当にありがとう皆」


 それだけの短い言葉を、笑顔で、ようやく紡いだ。


「そんな重く考えないでさ、もっと気楽に生きようぜ媛ちゃん」


 一心がそう言って彼女の頭を撫でる。


「祝い事がある度にこれじゃ、大変そうだしね」


 幸助が彼女をからかいながらケーキを切り分ける。


「嬉しいときは泣いてもいいんだよ。別に」


 赤くなった目を擦りながら強がる彼女の言葉にあたし達は笑う。

 こんな風に四人でずっと笑っていられればいいと思う。

 この先もずっと。

 ただあたしは少しだけ気になっていた。


 彼女が嬉しいと言いながら笑ったあの時、彼女の表情が酷く寂しそうに見えた事が。

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