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Blue scent  作者: uka
19/27

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 騒がしい、浮ついた空気がどこかから溢れ出し学校を覆っている。

 文化祭当日。結局彼女の退院が早まる事もなく、あたしはあれからお見舞いにいく事もなくこうして文化祭を迎える事になった。

 この辺りでは一番規模の大きな文化祭だけあって人の入りはよく、祭りの喧騒は遠く校舎の端々にまで響いている。本当ならあたしも彼女と楽しい気分でこのお祭りに参加するはずだったのに。自然とため息が漏れる。

 嘆いても仕方のないことだ。

 せめて彼女の描いた絵を見ることが出来ればまだよかったのに。

 彼女が絵を飾るはずだった小さなスペースは結局空白になってしまい、実行委員の提案で休憩所となることに決まってしまった。

 実習棟二階の奥の開き教室。あんまり人の寄り付かないこんな場所に休憩所を作ってどうするのだろうと思ったけど、人に酔った人や人ごみが嫌いな人、つまりあたしみたいな人にとっては逆に好都合な場所となっていた。

 その小さなスペースでコーヒーを飲んでいると、なんともいえない、寂しい気持ちになる。窓から見下ろす中庭には沢山の出店がしのぎを削りあい、人を集めているのに、たった一枚の壁を隔て、直線距離にして百メートルもない場所にいるだけで、どうしてこんなに寂しく感じるのか。

 やっぱり家で寝ながら過ごしているほうが良かっただろうか。

 幸助に誘われて家から出てきたものの、呼び出した人物である幸助はまだしばらくクラスの手伝いで持ち場を離れられないらしい。まったく何のために呼ばれたんだが分からない。

 時刻は十三時を少し過ぎようとしていた。幸助には悪いけれど朝から食べ物を口に入れていないし、先に昼食をとってしまおうか。空になったコーヒーの空き缶を片手に席を立とうとして、向こうから見慣れた顔が歩いてくるのが目に入る。


「ごめん、お待たせ」


 普段どおりの制服姿ではない、レストランで見るようなシャツに黒のベスト、黒のパンツに、ソムリエエプロンといういでたち。その服装はとても彼に似合って見えた。


「まぁ別にそれはいいんだけどさ、何その格好?」


 思ったままに疑問をぶつけると彼は一瞬だけ不思議そうな顔をしてからすぐに納得がいった様に説明を始める。


「ああそういえばクラスの出し物言ってないんだっけ」

「興味なかったから聞いてもないしね」


 その言葉に彼は苦笑して返す。


「もう少しクラスに馴染む努力してもよかったんじゃないかな。折角のチャンスだったのに」

「善処するわ、来年から」

「まぁいいけどさ、クラスの出し物はファミレスだよ」

「はぁ?」


 思わず変な声がでる。文化祭の出し物でファミレスって聞いた事がない。


「喫茶店とか、出店とか、メニューが決まってると他と被りやすいし、どうせなら色んなメニュー出せるほうが有利じゃないかって話になってね」


 まぁたしかに入る店に困ってとりあえずって人も多いだろうけど。逆に被せられる方はたまったものじゃないし、材料の用意とか手間を考えると普通、一品に絞るものじゃないだろうか。


「メニューは僕が考えたから結構自信あるんだ。午前中だけでも結構人が入ってきたし」

「じゃあ、抜けてきたらまずかったんじゃないの?」

「大丈夫、一番混む時間帯は過ぎたし、調理の係りの人は皆レシピ通りに作れるよう練習してきてるから」


 いつの間にそんな大掛かりな事をしていのか、なんて聞くまでもなくあたしがクラスに顔を出していない間に決まっているじゃないか。


「ところで千歳はもうお昼すませた?」

「まだだけど」

「よかった、クラスで出してる料理持って来たら食べてみて欲しいんだ」


 そう言って一心は紙パックの容器を取り出す。

 受け取って開けて見ると中にはピラフが入っている。


「へぇ、凄いね本当に、本格的だ」

「味は保証するよ、食べてみて」


 促されるままにプラスチックのスプーンを受け取る。


「いただきます」


 前に何度かご馳走になった事がある幸助の作ってくれた料理と同じ、文句のつけようがなく美味しい料理。


「うん、美味しいよ」

「よかった。出来るだけ手間とコストを抑えながら味もちゃんと両立する様に頑張ってみたんだ。普段の趣味で作る料理と違って時間も値段もかけれないから」


 本当に料理が好きなんだなと、笑いながら語る彼を見ながら思う。


「すごいね本当、尊敬するわ。将来幸助を嫁に貰う人は幸せものだ」

「僕、男だけどね」


 話しながら、幸助も料理に手を付け始める。

 こうして幸助と二人になるのは随分と久しぶりな気がする。最近は彼女と話すか、四人で過ごすことが多かったし、それに好きな人がいるという幸助にはあまり近づかないほうがいいかななんて、下手な気遣いをしていたりしたし。

 そういえば告白しようと思うと言っていたけれど、あの話はどうなったのだろうか。未だに何も言えていないのか、それとももう振られてしまったのか。まぁ、きっとその内話してくれるだろう。

 気付くと手元の容器の中身は空になっていた。


「これからどうするの?」


「折角だから一心の出る劇を見ようかと思ってたんだけど、まだ時間があるしそれまで適当にブラブラ見て回ろうか」


「あんまり人が多いところは勘弁してよ」

「わかってるよ。僕も午前中で結構疲れたしね」


 二人で休憩所を後にして、言葉通り校舎内を適当にぶらぶらと散策する。

 基本的にはあまり人の寄り付かない展示発表を中心にそれらを見て回る。とはいえ、高校生の展示物のレベルなんてたかがしれている。

 とくに力を入れている部活もない我が高校の文化部ではそれは実に顕著だ。漫研や美術部、新聞部の展示物、どれも普段の活動の成果だけらしくあまり興味を惹かれない。あたしの写真もきっとこの中に埋もれる程度のものでしかない。

 もしも、もしも彼女が倒れることなく絵の展示をしていたらどうなっていただろうか。

 展示物のスペースは人が少なくて、彼女の絵があったとしてもきっと見にくる人の数はそれ程変わらなかっただろうけれど、少なくとも、この展示部の中に埋もれるような事だけはないと思う。彼女の絵には魅力がある。

 ずぶの素人のひいき目かもしれないけれど。

 少なくともあたしは彼女の絵に強く惹かれていた。




 展示発表を全て見終える頃にはちょうど一心のクラスの劇が始まる時間になっていた。

 体育館に手を加えた即席の劇場には人がいっぱいに入っている。演劇部の舞台でもないのに高校生の劇にこれだけ人が入るなんてちょっと驚きだ。

 あたしたちは比較的人の少ない端の方の席に二人で並んで腰掛けて座る。暗幕で閉ざされた窓、照明が落ちて暗くなった体育館に、小さなざわめきがひしめいている。


「そう言えば演目は?」

「銀河鉄道の夜だってさ」

「高校生の文化祭にしてはなんだか渋いわ」

「一心のクラスの担任が好きなんだってさ、演技指導で一心が弱音吐いてたよ」


 あの一心が弱音を吐くなんてそうとうだ、どれだけ厳しいチェックがはいっていたのだろう。あたしだったら確実に心が折れるであろうことは想像に難くない、


「先生ばっかり気合入って、生徒が置いてきぼりじゃないといいんだけど」

「だね、そろそろ開演だ」


 幸助がそういうのとほぼ同時に、演目のアナウンスが入る。

 先程までざわついていた体育館がしんと静まり返る。

 そうして暫くして、ステージの幕が上がりゆっくりと劇が始まる。

 銀河鉄道の夜の名前を知らない人はたぶんそういないと思う。

 主人公である孤独な少年のジョバンニと、その友人のカムパネルラが銀河鉄道で旅をするという物語だが、初期形と最終形で物語がまったく違う形になる。

 この席からでも良く目立つ赤い髪の一心が演じるカムパネルラが受ける授業の風景からするとどうやら一般的な四次稿をもとにした台本らしい。

 劇は粛々として進んでいく。

 主役たるジョバンニを演じるのはどうやら女生徒のようで、熱の入った一心の演技に比べるとどうも迫力にかける、それはそれである意味ジョバンニらしい気もするけど、もしあのジョバンニ役が彼女だったら、どうだろう。

 ハキハキと喋りながら一心と言葉をかけ合うその姿は容易く想像できる。二人ならきっと見る人を惹きつけて離さない演技が出来た事だろう。

 今こうして見ている分にも完成度の高い劇であることには違いないけど、あたしは彼女と一心の事を想わずにはいられなかった。

 それはこの銀河鉄道の夜という演目だからこそ。

 物語りは徐々に終わりへと近づいていく。

 中盤になるとこの不思議な童話は、ガラリと雰囲気を変える。鳥捕り、燈台看守、青年と姉弟、彼らと交わす言葉の中には様々な意味が込められている。

 やがて乗客はいなくなり、ジョバンニとカムパネルラの二人だけが残される。


「カムパネルラ、また僕たちふたりきになったね、どこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

「うん。ぼくだってそうだ」


 皆の幸せを願い、その身を焼かれてもいいと言うその二人の姿に、どこかあたしは二人の姿を重ねている。


「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」

「僕わからない」


 一心の、カムパネルラの声は、力なく、沈んでいる。


「僕たちしっかりやろうね」


 力のこもった声でジョバンニが言う。


「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」


 カムパネルラの指差す先、大道具の背景はいつの間にやら切り替わり、星の輝いていたそこにぽかりと黒い孔が開いている。


「僕もうあんなおおきな暗の中だってこわくない、きっとみんなのほんとうのさいわいを探しにいく。どこまでもどこまでも僕たちは一緒に進んで行こう」


 ジョバンニの決意の言葉。それにカムパネルラもこたえる。


「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集まってるね。あすこが本当の天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ」


 カムパネルラが指差すそこに白いライトが当たる。薄ぼんやりとうきあがるそこに会場中の視線が集まる。同じようにジョバンニの目もそちらへと向かう。


「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうね」


 その台詞と共にライトが消える。壇上に引き戻された観客の視線の先にカムパネルラの姿はない。立ち上がりジョバンニが嗚咽を上げる。

 迫力にかけると思っていた彼女の演技もいつの間にやらずいぶんと堂に入っている。

 ステージ上のライトが全て落ちて真っ暗になる。

 再び明かりが戻るとそこはジョバンニが寝転がって空を見上げた丘の上。

 銀河鉄道の旅は終わったのだ。

 その帰り道でジョバンニは橋の上に集まる人々を見つける。


「何があったんですか」

「こどもが水へ落ちたんですよ」


 そこでジョバンニと読者はこの銀河鉄道の夜の真実を知る。

 カムパネルラは友人を助け返らぬ人になる。

 あたしはあまりこの結末が好きではない。

 小さな頃初めてこの物語に触れたときから、カムパネルラの死がどうにもしっくり来なかった。本当の幸いは、彼に訪れたのだろうか。

 大切な友人を失ったジョバンニに本当の幸いが訪れるなんて事があるのか、納得がいかないのだ。

 壇上で幕が降りる。

 薄暗い体育館の中に拍手が響く。

 あたしも拍手を送る。演出も、演技も十分に楽しめるものだった。

 劇が始まる前の予想は完全に裏切られる形だ。


「素人目にも面白い公演だった。演劇ってもっとつまらないものだと思ってたよ」


 幸助が拍手の手を止めて小さな声でいう。


「そうだね、一回しか公演がないのがもったいないくらい」


 あたしもそう思ったとおりの感想を返す。

 本当にもったいない。

 ここに彼女がいたらどんな感想を聞けただろうか。

 幸助と一緒なのが不満なわけではない、ただ、彼女が隣にいないのが残念だとそう思った。

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