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Blue scent  作者: uka
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 白い壁、白い天井、壁には手すり。高い位置に間を開けて小さな窓が転々と明り取りの為に設置されている。

 どこか息苦しさを覚える、病院の廊下。


「何号室だったっけ?」

「それくらい覚えとこうよ一心」

「二〇八号室。ここだね、プレートにもほら」


 扉の横、二〇八の文字の下には小日向媛と書かれたプラスチックの長方形のプレートが一つだけ。

 一心が扉をノックする。


「どうぞ」


 聞き慣れた彼女の声が返ってくる。その事に安堵する。

 一心が扉を開けて中へ入る。幸助とあたしもそれに続いて彼女の病室へと踏み入る。

 広い部屋だ。白くて、殺風景で、その中央に置かれた大きなベッドに彼女が一人ぽつんと、パジャマ姿で座っている。傍に置かれたサイドボードには真新しい花が生けられた花瓶。誰もが抱くような病室のイメージそのままの部屋。


「媛ちゃん、起きてて大丈夫なのか?」

「へーきへーき、ちょっと過労で倒れただけだから」

「本当に大丈夫? 三人でいきなり押しかけちゃって」

「むしろ嬉しいよ、暇してたしね」


 彼女の笑顔はいつもどおりで、その振る舞いにも変わった様子はない。


「冷蔵庫とかあるかな? ケーキ作って持ってきたんだけど」

「え、本当? 黒尾君のケーキだったらこの場で食べるよ」

「嬉しそうね」

「花より団子だよな、まぁ」


 苦笑する一心をあやすように彼女は満面の笑みで頭を撫でる。そんな光景に胸が少しだけ痛む。

 あたしもなにかお見舞いの品でも持ってくれば良かった。


「そんなに喜んで貰えると僕も光栄だよ。退院したらお祝いにでも別のを焼こうか」

「そういえば退院はいつ頃?」


 問いかけると彼女はさっそく手を付けていたケーキを食べる手をいったん止める。


「まぁ本当に大した事ないんだけど、念の為一週間は様子見だってさ。早めに退院してまた絵ばっかり描いて倒れられたらたまらないからって」


 やれやれといった感じで、彼女は大したことでないかの様に首を振る。

 なんでそんなに冷静なのだろう。あたしの方が狼狽しているくらいだ。

 だって、一週間も休んでいたら。


「文化祭はどうするの?」

「そりゃ、無理でしょう。


 馬鹿みたいだよね、文化祭の為に頑張って絵を描いてたのに、頑張りすぎて全部台無しになっちゃうなんて」

 苦笑するその様子にも悔しさなんて微塵も感じられなくて、あたしはますます彼女の事がわからなくなる。あんなに頑張っていたのに、彼女はもっと悔しがると思っていたのに。


「とりあえずケーキ食べれるくらいには小日向さんが元気で安心したよ」

「だな、頭とか顔とかどっかにぶつけてたりしてなくて本当よかった」

「この顔に傷が付いたら世界的な大損失だったものね」


 そんなおどけた冗談にあたし意外の皆が、笑う。

 本当に、こんな風に流していいことなんだろうか。それとも、皆が明るい話題でごまかそうとしているの?

 あたしがおかしいのだろうか?

 じっと彼女の顔を見つめても、答えは出てこない。


「どうかしたのか千歳?」


 一心の声に我に返って、彼女から視線を外す。


「なんでもないよ」

「具合が悪いなら折角だから診察してもらったら? 都合よく病院なわけだし」

「そんな大げさな」


 あたしの取り越し苦労なのだろうか。あたしが彼女に抱いた勝手な幻想を押し付けているだけなのだろうか?

 それならそれで別にかまわない。この妙な、しこりのような、引っかかる感じさえ消えてくれるのなら。


「病は気からっていうからね、君も気を付けたほうがいいよ。いつも難しい顔ばっかりしてうんうん悩んでないでさ、もっと笑おうよ。ミステリアスな君もいいけど、笑ってる君の方が可愛いと思うよ」

「本物の病人にいわれるとは思わなかったわ」

「でも千歳の場合は本当に気から病を発症してるからね。もう少し気を楽にもってもいいんじゃないかな」


 たしかにあたしは精神的にまいって、ご飯が喉を通らなくなってすぐに体を壊してしまう。それで幸助に迷惑をかけた回数は数知れず、事実な以上殊勝な態度で聞いている事しか出来ない。


「普段から食が細いしな、もっと食わないと。俺みたいに部活後ラーメン大盛り二杯いけるくらいじゃないとハードな高校生活は乗り切れないぜ」


 いやそれは逆に体に悪いと思うのだけれど。想像するだけで胸焼けがしそうだ。というかなんで今現在健康なあたしがこんなに言われなくちゃいけないのか。


「おかしいでしょ、なんであたしがお見舞いに来て逆に説教されてるの。気をつけるべきはあたしじゃなくてどう考えても彼女でしょ!」


 声を荒げながら彼女を指差す。

 そんなあたしの態度も彼女は笑って受け流す。


「病室ではお静かにお願いします」

「個室でしょ?」

「ほら、私病人だし?」


 首をかしげながら頬に人差し指をあてて彼女がおどける。そんな古めかしい漫画的なぶりっ子な仕草でさえ、彼女にかかればかわいらしく映る。

 それだけで毒気を抜かれてしまう。

 もとより本気で怒っていたわけではないけれど、あたしはため息をひとつ。


「まぁ、元気ならそれでいいわ」

「それが、私のトレードマークのひとつだしね」


 はにかむ様に微笑む彼女。その笑顔には陰ひとつない。

 やっぱりあたしの思い過ごしだったのだろう。

 だったら、それでいい。彼女が笑ってくれているなら。

 それでいいんだ。


「っと、ごめん、そろそろ検診の時間だから」

「じゃあ俺たちはそろそろ切り上げるか」

「そうだね、騒がしくしてごめんね小日向さん」

「お見舞いありがとね」

「大人しく寝てるんだよ」

「信用ないなぁ」


 それぞれが軽くそんな言葉をかけて背を向ける。先に部屋を出た二人に続いてドアを潜ろうとして、ふと、後ろ髪を引かれるように振り替える。


「忘れ物?」


 見送りのためにベッドを立った彼女と視線がぶつかる。

 薄い水色のパジャマ姿の彼女が白い部屋に一人佇むその姿が妙に自然に感じられて、ふとカメラに手を伸ばしかけて、その手を下ろす。


「いや、なんでもない」

「そう?」

「うん。それじゃ無理しないでね」


 あたしは手を振って別れを告げる。

 彼女も手を振り返す。

 いつもと同じ、そんな別れ。




 彼女が入院してからというもの、あたしは学校でやる事がなくなってしまった。短いようで長い、一週間という時間。あたしの学校での時間の過ごし方がどれだけ彼女に依存していたか、今ならはっきりと感じられた。

 やることのないあたしは随分と寒くなった屋上で一人、色のない街を眺めている。

 別に彼女に会えないわけでもないのに、世界は酷く色あせていた。

 あの日からどうにも写真を撮る気にもなれず、カメラはずっとポケットの中。

 改めて彼女があたしの中でどんなに大きな存在なのか気づく。

 あの春の日からずっとあたしの中で燻り続けるそれは、衰えるどころかその輝きを強くしていく。積み重なった思い出の分だけ、より、強く。

 今彼女は何をしているだろう。

 あの白い病室の中で、どんな事を思っているのだろう。

 大人しく本でも読んでいるのだろうか。それとも美しい寝顔を見せているのだろうか。あるいは、言いつけを破っていつものようにスケッチブックを片手に鉛筆を走らせているのだろうか。

 どれもありそうで、どれでもないような気がする。

 病院でたまたま出会った患者さんとなんでもない話題で意気投合していたとしても、病院をこっそり抜け出してコンビニで立ち読みをしていたとしても、彼女のすることなら驚くには値しない。

 気付けばそんな風に彼女の事ばかり考えている。彼女が入院してからずっと。

 いくら夢想しても、求めても、決して届く事はないと、分かっているのに。

 無駄だと分かっている、だけど、気付いたこともある。

 そんな無意味な時間こそが恋なのだ。灰色の世界をほんの少しだけ色付かせる、素敵な思い。

 物思いに耽っている間に時間は過ぎていく、そろそろ昼休憩の時間。とはいえこの文化祭期間になるとそもそも時間割なんてなく、文化祭まであと二日ともなれば学校中どこにいても作業の風景が目に入ってくる。普段どおりの時間に行動している人間なんてまずいない。

 購買には作業で腹を空かした生徒達がいつの時間でもごったがえしていて使い物にならないし、大人しく下校して昼食でもとろうか。コンビニに寄るか、外で済ませるか、あるいはスーパーに足を伸ばすか。

 そんな事を考えながら屋上を後にしようとしたところで、あたしが扉に手をかけるより先に、勢いよくその扉が開く。


「お、千歳きてたのか」


 突如現れた、よく見覚えのある赤髪の幼馴染はその両手に沢山の中身の入ったビニール袋をぶら下げている。


「一心、どうしたのそれ」

「いや、文化祭の準備で体力すげー使うからさ、食べないもたねーんだよ」


 そう言って彼は入り口の扉を閉めるとすぐにその場に腰掛けて、戦利品を広げ始める。

 屋上から出るに出られなくなったあたしは仕方なくその隣に腰掛けてその様子を眺めている。

 惣菜パンにおにぎり、弁当、スナック菓子にファーストフード。袋から察するに近所のコンビにで買ってきたらしいそれらの食糧はものすごい量で、小食のあたしの四、五食に匹敵しそうだ。


「よくそんなに食べられるわ」

「仕事量が多いからなぁ今年は特に」

「何やるの今年は」

「クラスの舞台劇の主演だろ、野球部のたこ焼きの出店、漫研の執事喫茶にレスリング部のプロレス。でかいのはそんな所かな」


 学校の有名人たる一心は去年の文化祭でも色々な企画に引っ張りだこで、この時期の彼は部活もないのに酷く過密なスケジュールの下過ごしている。あたしなんてクラスの出し物にすら参加してない、どころか何をするかもしらないというのに、まったくもって酔狂なことだと思う。そんな頼まれたら放っておけないところが彼のいいところなのだけれど。


「本当、すごいね一心は」

「あたりめーよ。頼りにされたらその期待は絶対に裏切らない。それが俺のポリシーだからな。っと時間がやばいな」


 言いながら彼は弁当の包装を急いではがして食べ始める。その速度からして尋常ではないのだけれど、彼は本当に美味しそうにご飯を食べる。そんな姿に、食欲が……喚起されたりはしない。速度も量もやはり規格外でただただ凄いなと感心するばかりだ。

 そんなあたしの視線を勘違いしたのか、一心は袋の中からまだ封の切っていないお菓子の袋を取り出してあたしへと差し出してくる。


「食うか?」


 あたしは首を振って遠慮する。


「帰ってから食べるから」

「もう帰るのか?」

「学校にいてもやることないからね」

「なら、放課後時間空いてるか?」


 喋る合間合間にも一心はどんどん食料を胃の中へと納めていく。身長こそ高いもののその細い体の何処にそんな食べ物が入っていくのか、ぜひ太らない秘訣を教えてもらいたいものだ。


「今日は少し早めに上がれそうだからよ、一緒に媛ちゃんのお見舞いにいこうぜ」

「ん……」


 即答できずに、返事を濁す。

 彼女に会いたいという気持ちは当然あった。

 でも、


「忙しい中、時間作って会いにいくんでしょ? 折角だから二人きりの方がいいでしょ」


 それは半分の本心。

 病院で退屈しているであろう彼女を、一番の笑顔にさせてあげられるのはあたしじゃなくて、一心だろうから。あたしは二人の邪魔にしかならない。


「何言ってんだよ。お前や幸助もいた方が媛ちゃんも絶対喜ぶって」


 そうかもしれない、彼女は友達をとても大切に思う子だから。


「いいよ、たまには二人っきりで過ごしたほうがいいって。彼氏と彼女なんだから、こんな時くらい一心も気をつかってあげなよ。


 ああ、でも二人きりだからって変なことしたら後で酷いから」

 本当は二人きりにするのは嫌だ。だけど笑い会う二人の姿を間近で見るのも辛い。

 でもそれ以上に、なぜだかあたしは、


「病人相手にそんなことしねーよ」

「元気だったらするの?」

「しねーって。たく、なんだよ冗談言えるくらいに元気じゃねーか。そんじゃ俺一人でいくぜ」


 そう言って一心は立ち上がる。既にあれだけあった食料は全て彼の胃の中だ。


「よろしく言っといてね」

「おう、気を付けて帰れよ」


 一心が纏めたゴミを片手に屋上を出て行く。

 あたしは空を見上げる。

 白い雲と淡い青の空。

 その色が、病院の一室にたたずむ彼女の姿を連想させる。

 体がぶるりと震える。

 あたしは、なぜか彼女の病室にいくのが怖い。会いたいのに、お見舞いにいくのが怖いのだ。理由はよくわからないけれど。

 再び体が震える。

 すっかりと秋が深まって寒くなってきている。

 秋の終わりと、冬の始まりが近づこうとしている。

 早く退院して来て欲しい。

 冬になる前に早く、会いたい。

 まだまだ秋の思い出を彼女と沢山作りたいのだから。

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