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Blue scent  作者: uka
16/27

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 結局学校を休んだ。とてもじゃないけどあわせる顔がなくて、家にいてこの間のように幸助がやってきても面倒だと思い、私服姿で家を出た。

 時刻はお昼を少し過ぎた頃、太陽は相変わらず強い日差しでアスファルトを焼いている。

 空腹と暑さに頭がくらくらする。かといって今は何かを食べても戻すだけだろうし、近くの店に入る気もせず、コンビニでいつもゼリー飲料を買って流し込む。

 そうして人ごみに紛れるように、平日の街中をふらふらと徘徊し始める。

 平日の昼間だというのに街中に人が溢れている。いったい彼らはどこからわいて出てくるのだろうか。あたしのように学校をサボって、なんて人はほんの一握りだと思うのだが、普段彼らは何をしているのか、どんな人生を歩んでいるのか。それは傍目には知ることも出来ない。

 待ち合わせをする人、スーツ姿で足はやに過ぎ去っていくサラリーマン、両手に袋を抱えた主婦、これからいかにも遊びにいくといった格好の若い女性。

 彼らの本当を誰も知らない。私が学校をサボってこうして街中にいるのを誰もしらないとの同じように、たとえ私の隣を殺人鬼が通ろうと、マッドサイエンティストが横切ろうと、私は知ることができない。

 あたしが友人の、同性の彼女に恋をしていることも、誰も知らない。

 あたし自身だってどうしてこんな感情を抱いてしまったのか、自分の心がわからない。

 この世界にたしかなものなんてない。学校に行かなきゃいけないといわれても、街中には学校にも行かず昼間から遊んでいる学生だって何人もいる。

 じゃあこの世界で何を頼りにして生きていけばいいんだろう、自分を信じることさえ出来ないこの世界で。

 無意識にポケットに伸びた手がカメラに触れる。

 結局あの梅雨の日から借りっぱなしのカメラ。すっかりなじんでこの重さをどこかに感じていないと落ち着かない。

 このカメラで沢山の彼女の写真を撮った。このカメラで写真を撮る事の楽しさを知った。彼女が色々な事を教えてくれたように、このカメラも新しい視点を沢山あたしに教えてくれた。

 でも、もう返さないといけないのかもしれない。

 あたしはきっとこれ以上彼女に頼っていてはいけない。

 これ以上彼女を好きになっても、誰も、何も得をしないし、報われもしない。

 空腹と暑さで思考がずるずると滑っている。本当に体調が悪くなってきている気がする。いや、実際ここのところまともな食事をしていないから体調が悪いのは当たり前なんだけど。

 とりあえず軽く休もうと近くのファーストフード店に入って、シェイクだけ注文して席に突っ伏する。体がだるい、無理せず家にいればよかっただろうか。今更後悔しても遅い。

 これからの予定はどうしようか、特に何も考えていない。気晴らしに本屋でもいこうか、大人しく家に帰るのは嫌だった、ばったりと皆に会いそうな気がしたから。

 だらだらとシェイクだけで三十分程粘っているうちに多少体調が良くなった。そろそろ店を出ようか、そう思って席を立とうとして、店先に見覚えのある、いや、というか彼以外にありえない、赤い頭髪を見つけてギョッとする。

 その足取りに迷いはなく店内に入ってきたかと思うと律儀に注文を済ませてからあたしのいる席へと歩いてきた。


「よ、学校サボってファーストフードでランチとはいいご身分だな」

「一心、どうして」


 どうして彼がここにいるのか。見たところ制服姿で額には汗が浮かんでいる。


「どうしてもなにも、お前を探してわざわざ街中走り回ったっつーの。媛ちゃんも幸助もな」

「いやだから、学校は?」

「サボったにきまってんだろ。お前が休んだ上に携帯にも家電にも出ないし、ここんとこ様子おかしかったからって幸助がわざわざ昼休みにお前の家までいったってのに出てきやしないし、そんで心配だからって皆でサボって探しにきたんだよ」


 そんな大げさな、と思ったものの、たしかにここ最近ずっとあたしは皆を避けていたし、昨日のあの態度、心配されても仕方ない。


「別に、心配されるような事ないから」

「一番のお客様」

「あ、俺だわ」


 なんとも微妙なタイミングで幸助が会計へと向かう、店員に空気を読め、というのも無理な話だけど、自然とため息が出た。


「悪い悪い、で、なんだっけ」


 戻ってきた一心の持つトレーには店で一番大きなポテトと、同じく一番値のはるバーガーがどちらも二つずつ、コーラも一番サイズの大きなものが乗っている。見ているだけで胸焼けしそうだ。


「だから、別にたんにサボりたかっただけだからさ」

「ほんとにそうなのか? 何かあったんじゃないのか?」

「別に」


 真っ直ぐな一心の視線を受け止め切れずにあたしは眼をそらす。

 一心が包装からバーガーを取り出してかぶりつく、それはもう美味しそうに。すぐに一つ目を平らげて、コーラに口を付けてから再び口を開く。


「昨日媛ちゃんに冷たい態度とったろ」


 彼女から聞いたのか、幸助から聞いたのか、もし幸助からだとしたら、あたしがおかしくなったタイミングまでも聞いてしまっただろうか。だとしたらもう皆ばれているのだろうか。

 怖かった。

 何かを喋って、聞きたくもない言葉を引き出してしまいそうで、何かしらの行動を起こすのが怖い。

 だから、何も言わず、俯くことしか出来なかった。


「俺達にも相談できないような事があって、悩むのはいいさ。無理に聞き出そうとも思わないし、力になれないってなら無理に助けようともしねぇよ。でもよ、そうやって大丈夫だっていうなら、きちんと言葉に責任を持てよ、俺らを避けたり、媛ちゃんに当たるのはやめようぜ。お前が悩むのはいいけどさ、周りも心配してんだ、一人で悲劇に浸ってるな」


 一心の言う事は正しい。

 昔からそうだ。あたしがしてる事はただ、思い通りのいかないことに拗ねて、逃げて、当り散らしているだけに過ぎない。悪いのはあたしだ、わかってる。彼女と出会った頃とまったく同じだ、今にして思えばあれもあたしの嫉妬から彼女を避けて傷つけていたに過ぎない。何も変わらないし成長していない。

 でも、でも、


「今更どうしろっていうの」


 彼女に会わせる顔がない。会ったところで何を話せばいいのか分からない。あたしの気持ちを吐露したところで彼女には迷惑以外の何でもないだろう。

 そもそも彼女に気持ちを伝えたところであたしの気持ちが報われることもない。なんて非生産的で無意味な感情を抱いてしまったのだろうか。


「今更もなにもないだろ、今までどおり、普通でいいだろ」


 こともなげに彼は言う。

 それができれば苦労しないと、人の気も知らないでと、口をついて出そうになった言葉を飲み込んだ。彼はきっとそんな事すらもわかって言っている。大丈夫だと、何でもないと言ってのけるのなら、その言葉に責任を持って、今までどおりでいろと、彼はそう言っている。

 実際のところ、気持ちを伝えることも出来ない今のあたしにできることはそれ以外にない。ただ只管に耐えて彼女のそばにいる、その他の選択肢なんていくら悩んだってでてきやしない。

 気持ちに気づいてしまった以上、今までと同じ、というわけにはいかないけれど。


「ご馳走様」


 顔を上げると、彼はあれほどあった食料を既に全て平らげて手を合わせていた。相変わらず呆れるほどの早食いだ。


「とにかく、明日からは学校きて普通に授業受けろよ俺からはそれだけ」


 あたしはただ、黙って頷く。

 彼がトレーを手に席を立つ。


「そうそう、それと、もうすぐ媛ちゃんくるから」

「は?」


 あたしが詳しい事を聞こうとするより早く一心は店を出ていた。その後を追いかけようと席を立って店を出たところで、足を止めた。


「やぁ、奇遇だね」


 いつもよりどこか寂しげな笑顔でそんな白々しい台詞を君が発する。その顔に、声に、胸が高鳴る。彼女という存在がそこにあるだけで、あたしの胸が強く軋む。影のあるその顔も自分のせいなのだと思うと、酷く胸が痛む。

 なにか言わなくちゃいけない、そう思っても言葉が出てこない。

 昨日の事を謝らなければいけない。

 昨日に限らずここ最近心配をかけていた事も、全部。

 でもなんて言えばいいのかわからない。臆病な自分に苛立つ。

 掌に刺さる爪の痛みに、無意識に強く拳を握り締めていたことに気付く。

 どうしよう、どうすれば。


「ここじゃ邪魔になるからとりあえず、移動しようか」


 言われて、ここがファーストフード店の店先だったことを思い出してハッとする。そうして彼女があたしの手を取る。いつかのように、いつものように、自然とあたしの手を引いて歩き出す。彼女の冷たい指先が、熱っぽい体に心地いい。

 どうしようもなく惹かれている。




 彼女に手を引かれるままに近場の公園まであたし達はやってきていた。平日の昼下がり、他に人影はなく、木々のざわめきだけが耳に残る。


「コーヒーでよかった?」

「……ありがとう」


 彼女が買ってきた缶コーヒーを受け取り、二人でベンチに腰掛ける。未だに上手い言葉は出てこなくて、あたしは手の中の缶を弄ぶばかりだ。

 やるべき事はハッキリとしている、謝って、あとはいつもと同じように振舞えばいい。それなのに、踏み出せない自分がいる。この先に続くのが茨の道だってわかっているから。

 どんなに彼女を好きになっても、ただ近くで彼女を見つめることしかできない、好きという気持ちも、嫉妬も、表に出すことは許されない、そんな険しい道が待っている。


「私、君に嫌われるような事したかな?」


 彼女が呟く。とても苦しそうな声で、絞り出すように。

 あたしが彼女を嫌いになるなんてことあるはずがないのに。あたしは黙って首を振る。


「私の事、嫌い?」


 俯いたまま、また首を振る。


「じゃあ、どう思う?」


 顔を上げる、彼女の悲しみに潤む大きな瞳と目が合う。

 正直に言うべきかどうか迷う。

 言葉を濁すことは簡単だ。嘘をつくことには慣れている。でも、今しかない気がする、本当の正直な気持ちを伝えられるのは。

 彼女はきっと友達としての言葉として捕らえるだろう。それでいい、あたしの言葉の真意は伝わらなくても。ただ、ほんの少しだけ楽になりたい。

 声が震えないように、おかしく思われないように、出来るだけ抑揚のない平坦な声で。


「好きだよ」


 告げて、唇を強くかみ締める。泣き出しそうになるのを懸命に堪える。どうか伝わらないでほしいあたしの本心。


「私も好きだよ」


 心臓が止まるかと思った。

 時が止まればいいと思った。

 その一瞬、ほんの一瞬だけ、あたしの心はどうしようもなく満たされた。

 たとえその一言が友人としての意味だと分かっていても。


「君の事も、瀬名君のことも、黒尾君のことも皆好き」


 知っている、わかっている、だから泣かない、あたしは決して彼女に格好悪いところは見せたくないから。


「だからさ、よかった、好きって言って貰えて。最初の時もそうだけどもしかして迷惑かけてるんじゃないかって、凄く心配で、ごめん……ちょっと安心して、わけわかんない……」


 彼女は震えて嗚咽をあげてあの日の様に必死で両手で涙を拭う。あたしなんかが彼女をそんなに傷つけていたなんて。

 彼女を傷つけて、悲しませて、あたしは何がしたいんだろう。

 絶対に決着の付かないどうしようもない気持ちを抱えて。

 大切な人を泣かせて、あたしは。

 あたしは彼女の一番にはなれないけど、彼女の一番好きな人にはなれないけれど。

 あたしは、彼女に心配されて、涙を流させる程度には大切に思われている。

 それで十分じゃないか。

 たとえそれが今の一時の感情で、いつか満足出来ない日が来たとしても。それは、その時になって考えればいい。

 ただ、今は、大切な人が泣き止む様に、もう泣かなくてすむ様に。


「ごめん、色んな事、全部、あたしのせいで」


 彼女の細く華奢な体を抱きしめる。

 彼女の涙が止まるまで、ずっとそうしていた。




「ごめんね、また格好悪いところみせちゃったよ」

「いや、全部、あたしのせいだし」


 いつかと同じように、泣きやんだ彼女の眼は赤い。

 でもそれ以外はもういつもどおりの彼女で、何事もなかったかのように笑顔をあたしに向けてくれる。

 罪悪感から言葉が漏れる。


「何で避けてたか、聞かないの?」

「聞いて欲しくないから避けてたんでしょ? 君が好きだっていってくれるなら私はそれ以上拘る気はないよ」


 こともなげにそう言える彼女は、やはり強いなと思う。


「それと幸助君心配してたからちゃんと連絡しといたほうがいいよ」

「そうする」


 今回の騒動で彼にはとばっちりで随分を迷惑をかけた。謝るついでに菓子折りの一つでも持っていったほうがいいかもしれない。いや、どうせなら全員に何か奢るくらいはしてもいいだろう。それで許されるとも思ってはいないけど。


「もう、夏も終わりだね」


 もう温くなってしまっただろう缶の紅茶に口を付けて、彼女がそう言う。あたしもすっかり忘れていたコーヒーの封を切ってその温い液体を味わう。


「まだ暫く残暑は続きそうだけど」

「それでも、もう夏は終わりだよ。

 君は、夏の抱負は達成できた?」


 夏休みの初め、この夏の計画を決めるといった時ついでにと彼女が提案した夏の抱負。なんだかんだ決めた目標を各自それなりに意識して動いていた様に思う。

 あたしも沢山の風景を撮った。色んな場所、色んな時間、彼女と回った場所を切り取る様に。


「うん、山の風景も海の風景も、向日葵畑も、青い空も、夜の星空も、浴衣姿の君も沢山撮ったよ」


 彼女の笑顔や困った顔、こっそり撮った寝顔。皆で撮った四人の写真。本当に沢山の写真を撮った。


「やってよかったと思う?」


 よかったと、力強く頷ける。写真の事をもっと深く知った。どんなものを撮りたいのか、どんなものが写真に適しているのか、自分なりに色んな事を考えた。写真の楽しさを身を持って知る日々。


「おかげでもっと写真が好きになったよ」

「そっか、それはよかった」

「あなたは、この夏、楽しめたの?」


 彼女が掲げた抱負。抱負というにはなんだか緩いけど、でも彼女がこの夏を楽しむためにどれだけ尽力したのかをあたしは良く知っている。それは、そう、あの春の日から始まっていたのだから。


「楽しかったよ凄く。今までの夏で一番楽しかった」


 目を細めて彼女が微笑む。この夏の事を思い出しているのだろうか。

 幸せそうなその表情にあたしもこの夏の出来事を思い浮かべる。

 色々あった、楽しい事が殆どだったけど、最後はあたしのせいでちょっとケチがついてしまったけど、本当に楽しい夏だった。

 思い出の中にはいつも彼女がいた。いつも笑顔を絶やさない彼女の姿が。

 ずっと夏休みが続けば良かったのに。

 子供みたいなそんな考えを本気で夢想してしまう、この気持ちに気づくこともなく、楽しい時間をずっと過ごせていたらどんなに良かったか。

 ゆっくりと、でも確かに、時間は過ぎていく。

 時間は戻らない、ただ過ぎ去っていくだけ。悩みと同じように、それはいつまでもしがみついていても仕方のないものだ。だから、これからやってくる季節も楽しいものであればいいと思う。彼女と一緒ならきっとまだまだ楽しい時間を過ごせるはずだから。


「秋は、嫌い?」


 あたしの問いに彼女は意外そうな顔を見せて数度瞬きをしてから返事を返す。


「秋も好きだよ、過ごしやすいし、食べ物は美味しいし」

「なら夏だけじゃなくてさ、楽しいに秋にしようよ。どうせなら一年中、ずっとずっとさ」


 らしくない台詞だと、自分でも思う。

 彼女も驚いて、眼を丸くしているようだ。

 一心や、彼女の様に、あたしも変わりたいから。彼女の笑顔を曇らせる事のない様に。


「そうだね、冬休みが今から楽しみだ」


 満面の笑みを浮かべる彼女。

 好きだと強く思う。

 抱きしめたいと心が切なくなる。

 公園の木々が風にざわめく。緑の葉が揺れる。

 降り注ぐ、木漏れ日。

 彼女の栗色の髪、赤くなった瞳、長袖のカッター、白い肌と対をなす黒いサイハイソックス。

 世界は色に溢れている。

 カメラに伸びそうになる手を止める。

 きっと写真を撮ろうとしたらこの彼女の笑顔は失われてしまうから。

 少しでも長く、眺めていたいから。

 心の中でそっとシャッターを押す。

 夏の終わりの最後の一枚は、データに残る事はなく、あたしの心の中にだけ。

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