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Blue scent  作者: uka
13/27

13

「空が輝いてる」


 彼女が指差す先を見つめる。欠けた月と沢山の星々が綺麗に光り輝いている。


「そうね、夏なのにすっかり日がくれちゃったね、もうちょっともうちょっとっていつまでも誰かさんが絵の細部に拘ってるから」


 時刻は既に午後八時を周り、すっかりと夜の帳が落ちている。ラフ自体はそれ程時間がかかる前に終わったのだけれど、彼女が筆がノッているからとそのまま色をつけ始め完成まで付き合っていたらこんな時間になっていた。

 恨みがましい言葉で言ったものの、別に怒っているわけではない。彼女の作業風景を見ているのは楽しかったし、どうせ予定なんてなかったのだから。これはただの軽口にすぎない。

 彼女もそれをわかっている。


「芸術に妥協はないの。それに愚痴愚痴言うより視線を上げなよ、こんなに綺麗な星空めったにみれないんだから」


 促されるままに、再び視線を空に向ける。変わらず星は輝いている。あたしはその幻想的な空を写真に収める。小さな四角に切り取られた夜空はしかし、目の前のそれ程綺麗には見えない。写真には適すものと、適さないものがあると、最近のあたしはなんとなく感じ始めていた。

 広大な空を切り取る事は出来ない。それは写真には適さない。カメラに収まるべきものはもっと手の届く範囲のものだと、そう思い始めていた。

 星空から隣の彼女へと視線を向ける。その大きな瞳で空を見上げている彼女はあたしがそうしていることに気づかない。

 もうすっかり夜だというのに、妙に蒸し暑い。そんな気候でも相変わらず長袖の制服の彼女、ローファーが地面を叩く音、虫の鳴き声、初めて会ったときより少し伸びた君の髪の毛、些細な違い、当たり前のこと。

 そんなものを切り取って残したいと、あたしは思う。

 夜空を見上げる君の姿を、写真の中にあたしは収める。


「写真はどう、楽しい?」

「うん、凄く充実してる」

「そっか、ならよかったよ」


 彼女が満足げに微笑んであたしの手を取る。

 そうされると、初めて会った時や、モデルを頼まれた時の事を瞬時に思い出す。あたしの手を引いて駆けていく彼女の後姿を。

 だからあたしは彼女に置いて行かれないようにといつでも走り出せるよう準備をする。

 でも、彼女はかけ出さない、隣に並んで手を繋いで歩いている。

 言葉がないのが妙に恥ずかしくて、あたしは何気ない話題をふる。


「家の人厳しいっていってたのに、こんなに遅くなっていいの?」

「よくはないよ、多分心配してるし、怒られるかな」

「携帯で連絡しといたら?」

「そうだね、そうしようかな」


 彼女の手が離れる。

 ほっとする反面、なぜだか、寂しく思えてしまう。

 彼女が電話をかけている間あたしは再び視線を空に向ける。

 何気ない夏の夜の出来事。

 これからきっと何度も同じようで違う日々を迎えるはずだ。

 そんな一瞬を切り取って残していきたい。

 そうして、皆で後になって笑えたら、きっと楽しいだろう。

 バラバラに進むあたしたちが、集まる切欠になってくれるはずだ。




 補習が終わり、各々の都合の付いた八月の頭の日。相変わらず良く晴れて、暑い日が続く中あたし達は最初の予定を消化すべく、電車を乗り継いでバスで移動し、少しばかりの遠出をしてハイキングへとやってきていた。

 平日とはいえ夏休み中ということもあり家族連れの姿もちらほらと見て取れる。

 日差しは強いものの現地に到着してみれば木陰が多く風も心地よく快適な印象を受ける。


「いかにも夏って感じでいいね山は」


 麦藁帽子を目深に被った彼女が辺りを見回しながら言う。


「その割りに涼しいし、来てみてよかったよ」

「だな、グラウンドもこんくらい涼しいといいんだけど」


 彼女とは補習の時に何度か顔をあわせていたからそれ程気にならなかったものの、久しぶりにあった一心と幸助は少しだけ変わっているような気がする。

 幸助は眼鏡が変わった。結構がっちりしたフレームのものから細いフレームの眼鏡になっている。一心の方は連日の部活ですっかり黒く焼けている。

 あたしはそんな二人の様子を早速写真にとりながら、幸助へと声をかける。


「で、これからどうするの?」


 今日の予定の発案者は幸助だ、詳しい内容に関してはまだ誰も聞かされていない。


「とりあえずハイキングコースを通ってもう一つ上のキャンプ場まで行こう、そこで昼食をとってある程度ゆっくりしてから下山かな」

「それはいいけどよ」

「どうかした一心?」

「ずっと気になってたんだがその大荷物はなんだ」


 そう言って一心が指さすのは幸助の背負う大きな背嚢だ。あたし達は事前に幸助に昼食の用意はいらない、疲れないように軽装でといわれていたので荷物は随分と少ないのだが。


「ああ、上に付いたら料理をしようと思って、野外調理一回やってみたかったんだよね。食材とか調理器具もってきたら案外大荷物になっちゃって」


 ハイキングよりそっちメインなのだろう。なんとも彼らしいことだがさすがに一心と一緒にため息をついてしまう。


「荷物半分よこせよ、持ってやるよ」

「悪いね」

「思ったより重いな、よくここまで一人で運んだもんだ」


 荷物を受け取った一心に幸助が苦笑して返す。彼の料理好きっぷりには脱帽するしかない。


「でも楽しみだな黒尾君の料理」

「だな、早いとこ上って飯にしたいぜ」

「ハイキングに来たのに皆ご飯目当てでどうするの」

「まぁ発案者の僕からしてそうだしね」


 そんな他愛のない会話を交わしながらあたし達はなだらかな傾斜を登り始めた。

 普段はお目にかかれない山中の景色を楽しみながらゆっくりと進んでいく。

 自慢ではないが体力のないあたしでもそれ程疲れを感じない、本当に楽なコースを軽快に登っていく。時折目に付く景色をあたしは写真に収めていく。

 そうして一時間程歩いた頃、あたしは視線を一心と幸助に送る。二人もあたしと同じ事に気づいていたらしく足を止める。


「媛ちゃん、大丈夫か?」


 彼女の顔色が少し悪い。途中から口数も少なくなっていたし、歩くペースも遅くなっている。


「ちょっと夏休み入ってから冷房に当たりながらゴロゴロしてたから体力落ちちゃったみたい。少し休めば平気だから」


 そう言って彼女のは笑って見せる。ほんの少しだけその笑顔がいつもより翳って見えた気がした。


「ほんとに大丈夫なの?」

「少し疲れただけだから」


 口調はしっかりしている、呼吸が少し荒いけれど危惧するほどではないと思う。とりあえずは休んでみて様子を見て見ようということになった。


「軽く休憩を取ろう。暫くしてまだ辛いようだったら引き返せばいいし」

「皆心配性しすぎだよ、ほんとにちょっと疲れただけなんだけど」


 木陰に腰を下ろして彼女が苦笑する。


「いくら整備されてるっていっても山の中だしな、もしもの事を考えたら心配しすぎってことはないさ。ほら、これ飲んで」


 一心がそう言いながら鞄からゼリー飲料を取り出して彼女に手渡す。こういうときの彼は本当に用意が良くて頼りになる。


「ありがと、瀬名君はやっぱりかっこいいね」

「当たり前だろ、俺だぜ」


 無駄に格好を付けながら一心は彼女の隣に座って団扇で彼女を扇ぎ出す。ちょっと過保護すぎる気もするけれど、当人達は気にしている様子もないし、付き合っている二人にはそれくらいでちょうどいいのかもしれない。

 そんな二人を見ていると、また胸がざわつく。あの苛立ちににた不快な感情がわき上がる前にあたしは二人から視線を外し、気を紛らわせるために幸助へと話しかける。


「幸助」

「ん?」


 ペットボトルのお茶に口をつけていた幸助がこちらへと向きなおる。正面から目を合わせると、眼鏡意外にも髪が少し長くなった気がする。


「眼鏡変えたみたいだけど何かあったの?」


 特に話題も思いつかなかったので、とりあえず目に付いた事を聞いておく。

 まぁ、うっかり踏んでフレームが曲がったとか、どこかで落としただとか、そんな理由だろう。


「ん、ちょっとね、せっかくの夏だし僕も少しくらい格好に気を使って見ようかなと思って。変じゃないと思うんだけど」


 予想外の答えに一瞬思考が止まる。そこでふとそう言えば好きな人がいる、と彼が言っていたのを思い出す。

 一心だって彼女と付き合っているのだから、幸助がそういうことに関心を持っている年頃だって納得がいくはずなのに、彼だと意外に感じてしまうのは何故だろう。


「もしかして変だったかな、らしくないよねやっぱり」


 あたしが返事を返さないのを勘違いした幸助が苦い顔で言うのをあたしは慌ててフォローする。


「いや、違う違う、そういう理由だとは思わなくてさ。似合ってるよ」

「お世辞でも嬉しいよ、ありがとう」


 お世辞ではなく普通に似合っていると思うけど。

 生憎とあたしはファッションに関して他人を褒める言葉なんてろくに知らないから、取って付けたような嘘臭い言葉しか思い浮かんでこない。

 だから無駄な事は言わないで置く。


「気に入って貰えるといいね」


 彼が誰を好きなのかまったく見当もつかないけど、彼が好きになるような人だからきっといい人なんだろう。その人と幸助が上手くいけばいいなと心からそう思う。


「そうだね」


 木漏れ日が揺れる。

 心地よい風がそよぐ。

 幸助の笑顔はなぜだか少し泣きそうにみえた。




 それから何度かこまめに休憩を挟んで、昼前には中腹のキャンプ場までたどり着いた。彼女も息が上がる事はあってもまた顔色が悪くなるような事もなく、本当に疲れていただけだったようで、ほっと胸をなでおろした。


「それじゃ、僕はお昼の用意してるから皆は適当に散策でもして来てよ」


 彼が料理好きでこの日の目的がこの野外調理だと分かっていてもさすがに一人に任せて遊び呆けているのも申し訳ない。


「私も手伝うよ」

「一人残して遊んでるなんておかしいだろ」


 二人も同じ気持ちだったらしくそう声をかける。


「そうそう皆で作ったほうがいいでしょ」

「いや、お前は見てるだけにしろ」


 あたしが全て言い終えるがはやいか、一心が割って入る。

 さすがにその物言いは酷くはないだろうか。


「たしかにあたしは料理は下手だけど、鍋にお湯沸かすくらいはできるって」

「偉そうに言う事じゃないし別にそんな手伝いいらないから、いいから見てろって。媛ちゃんも休んどきな、男の料理ってやつを作ってやるから」


 一心はそう言って幸助と料理についての相談を始める。あたしは不満ながらも正論である以上反論も出来ずに仕方なく、備え付けられたベンチに腰掛ける。彼女もあたしに倣うように隣に座る。


「なんとも情けない気分だわ」

「そう? 男の子二人に料理作ってもらえるって結構幸せなシチュエーションだと思うけど」


 あたしと違って彼女は気にした様子もなく、火を起こしている男子二人を微笑みながら眺めている。


「そんなもんかな」

「そんなもんだよ。夫が家事をしてくれないって嘆く主婦が多い中、率先して料理を作ってくれる男の子って貴重だよ」


 なんだか論点がずれている気がするけど、確かに楽なことは間違いない。

 二人の調理風景から目を離して隣に座る彼女へと視線を向ける。顔色は普段どおりだし、汗をかいているということもない、やはり杞憂だったらしい。

 彼女の体調も大丈夫そうだし、あたしはベンチから立ち上がる。


「あたしはお言葉に甘えて軽く周りの風景撮ってくるよ、一応夏の抱負だしね」

「いってらっしゃい。私はここで絵でも描いてるよ」


 彼女に見送られてあたしはカメラを片手に歩き出す。

 一度だけ振り返ってみても彼女の様子に変わりはない。なぜだか後ろ髪を引かれるような気分であたしは散策へと出かけた。




 幸助と一心の作ってくれた大変美味しい昼食を平らげ、暫く各々でゆっくりと過ごし、そろそろ山を降りようかという時間になった。写真も沢山撮れて上機嫌で待ち合わせの場所に戻ると既に全員が集まっていた。

 一心と彼女が一つのベンチに腰掛け、幸助は荷物を纏めている。


「待たせちゃった?」


 あたしがそう声をかけると一心が人差し指を立てて口の前に持ってくる。何事かと隣の彼女を見れば、一心の肩に首を預けて静かに寝息を立てていた。


「やっぱほんとに疲れてたんだな、よく眠ってる」


 言いながら一心は優しい目で彼女を見つめる。

 その様子はやはり絵になる。


「どうしようか下山の準備は終わったけど」

「よく眠ってるからできれば起こしたくないしな……。

 千歳、俺と媛ちゃんの分の荷物もてるか?」


 言われて二人の荷物に目をやる。元々あたしの荷物は殆どないに等しいし、一心も似たようなものだ、彼女の鞄だけスケッチブックなどで少々嵩張りはするものの持つだけならそれ程苦労はなさそうだった。


「大丈夫だと思うけど」

「じゃあ頼むわ、俺は媛ちゃん背負って降りるから」

「そこまでする?」

「別に大した事じゃないだろ、昔お前らが外で怪我した時も俺が負ぶって帰っただろ」


 たしかにそんなこともあったけど。あの時と比べてあたし達の体重は重くなったし、そもそもここは普通の道路ではない、整備されているとはいえ、足場は街中に比べるとかなり悪い。


「二人とも危ないしやめたほうがいいんじゃない?」

「大丈夫大丈夫、俺ならできるって」


 なんの根拠もない言葉でも彼は自信を持ってそう断言する。

 昔からそう言った彼を止める術はあたし達にはなくて、そもそも彼が自信を持って何かを断言した時その事に関して失敗した事はなく、止める必要すらないのだけど。

 だから幸助と一緒に視線を合わせて、あたし達はため息を付く。それは了承の合図だ。幸助は荷物を背負って念の為に釘をさす。


「くれぐれも無理はしないこと、辛くなってきたらすぐに休憩をとろう」

「おう、了解だ」


 一心が彼女を起こさないように背中にゆっくりと背負うのを尻目にあたしも三人分の荷物を手にする。幸助の調理道具一式や一心の支える彼女の体重に比べれば、あたしが担当するのは本当に微々たる重さだ。


「本当はお姫様抱っこにしたいんだけど、さすがに辛いよな」


 無事彼女を背負った一心がそん事を言いながらしっかりとした足取りで立ち上がる。


「あれ相当きついって聞くしね」

「ともあれ無駄口叩いてないでさっさと降りよう。暗くなってくるともっと危ないし」

「だな」


 そうしてあたし達はゆっくりと下山を始めた。歩き始めるとすぐにでも彼女は起きてしまうのではないかと思っていたのだけれど、本当によく眠っているのか寝言の一つすら聞こえてこない。

 山を半分くらい下った所で最初の休憩をとる、いいペースで降りられているものの、一心の体力が少しだけ心配だ。


「大丈夫なの一心?」

「ああ、もっと辛いかと思ってたんだけどさ」


 言いながらベンチに横たわり自分の膝を枕にする彼女を見つめて彼は言葉を続けた。


「媛ちゃんすげぇ軽いんだ、ちゃんと食べてるのかなって心配なくらい」

「まぁ小柄だし、全体的に細いもんね。羨ましい限り」


 あたしはクラスの中でも高いほうだし、自然と体重もそれに伴って重くなるわけで。彼女の小柄な体が本当に羨ましい。


「そうはいっても千歳もそんなにないだろう? 僕でも多分背負えるよ」


 その言葉に幸助に背負われるあたしの姿を思い浮かべてみる。身長はそんなに差がないし、どうにも頼りない彼の立ち姿ではあたしが背負われる場面は想像しがたい。


「いや、無理でしょ」

「そうか? 俺はいけそうだと思うけどな。料理って体力勝負なところあるし。昔より幸助も大分体強くなったろ。その背負ってる荷物からして、あれだしな」

「それでも一心には適いそうにないけどね」

「さすがに運動部の俺が負けるわけにはいかないだろ。

 さて、結構休んだし、そろそろ行こうぜ」


 一心の言葉にあたし達は立ち上がる。再びゆっくりとした下山を再開する。

 結局眠り姫が眼を覚ましたのは帰りの電車の中での事だった。

 珍しく取り乱す彼女の様子を写真に収め、あたしたちは夏の予定を一つ、消化した。




 短い夏休みは過ぎていく。

 瞬く間に、どんどん、どんどん。

 写真が、思い出が、増えていく。

 楽しいのに、日々が過ぎ去っていく事を悲しいと思う。

 夏の終わりが近づいている。

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