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Blue scent  作者: uka
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 うだる様な暑さ、うるさいくらいの蝉の鳴き声、雲ひとつない空、窓から差し込む日差しが肌を焼く。夏休みが始まって数日、こんな過酷な状況の中勉強などして一体何が身に付くというのか。夏休みは元来暑さで勉強にならないからと設けられた筈なのに、あたしを含め教室内にいる数人の生徒はなぜか授業をうけている。

 なぜか、なんていったもののその理由は明白で、足りない単位を埋めるための補習である。

 結局出席日数が足りなくて夏休みに入ってからも数日補習を入れられている。さすがにこれをサボると進級が怪しくなってくるのでこんな状況でも参加しないわけにはいかない。

 かといって真面目に教師の話を聞いているのもしんどい。

 数学の公式を見つめているのも限界と目をそらして全開の窓から外を眺める。

 この暑いのに運動部は朝から元気に部活動に勤しんでいる。以前なら呆れて、よくやるなと思って終わりだっただろう。

 だけど今なら少しだけ彼らの気持ちも分かる気がするのだ。あたしの写真はそんなに頑張ったりしんどかったりするものじゃないから一緒くたにしたら失礼かもしれないけれど。

 何かに夢中になることは、それだけで意味のある事なのだと、教えてくれた人がいるから。

 勉強にもそんな風に夢中になれたらどんなに楽だろうか。

 自然と苦笑が漏れる。

 来年になれば嫌でも勉強に向きあわなければならない。進路希望のプリントにあたしは写真の事を学べる大学を第一志望として書いた。その道でやっていけるかどうか、定かではないけれど、悩んでもしかたないのだから、少しでも後悔の少ない方へ。

 そのためにはこの補習も少しは真面目に聞いたほうがいいのかもしれない。

 視線をホワイトボードに戻すとちょうど教師が板書を消そうとしているところだった、あたしは慌ててノートに公式を写そうとして、止めた。変わりに教師に見つからないようにそっとカメラを取り出してホワイトボードを写真に収める。

 こんな使い方をしたのがばれたら彼女は怒るだろうか?

 それとも笑い話として済ませるだろうか?

 どちらもありそうで、逆にどちらでもない反応を彼女なら見せそうな気もする。

 でももし怒られたら嫌だから、ノートに写したら早いうちに消してしまおう。

 彼女の反応を夢想する内にホワイトボードはまっさらに戻り、再び新たな呪文のような公式がずらずらと並んでいく。あたしはそれらを今度は真面目にノートへと写していく。





 午前中の涼しいうちに勉強する事で能率を上げる、という名目の元、補習はお昼には終わる。その心遣いもまさに焼け石に水なのだけれど、まぁ一日中じゃないだけましかもしれない。

 時計を見れば十二時を少し回ったところだ、今から家に帰って出前を取る気分でもないし、どこかに食べにいくのも面倒くさい、帰りに出来合いのものを買うのなら学校の購買で済ませるのが妥当だろうとあたしは購買へと向かう。

 夏休み中でも平日なら我が校の購買は機能している。

 休みでも部活がある運動部や教師の為に開店しているのだと聞いた事がある。なんにしろ便利なことには違いない、普段に比べると随分と空いている購買に足を踏み入れ品物を物色する。

 置いてあるのは惣菜パンやおにぎり、カロリーのお友達、お弁当の類に自販機、あとは文房具やノートといった雑貨だ。頼めばこっそりとお菓子も取り寄せ出来るらしいのだが、生憎とあたしは利用した事がないので真偽は定かではない。

 ツナマヨと鮭のおにぎり、それと紅茶を手にとって会計にいこうとして、足を止める。

 そういえば、と携帯を取り出してカレンダー機能を呼び出す。

 たしか今日は彼女も絵を描きに美術室へと来ているはずだと調べて見ると、記憶に間違いはなく予定にしっかりと書き込まれている。

 せっかくだし顔を出していこうか、ついでに差入れもと思って菓子パンを一つ見繕っていく。彼女がいなかったり、気に入らなかったとしても間食に食べればいいだろう。

 会計を済ませて実習棟へと向かう。

 すっかり通いなれた美術室に迷うことなくたどり着く。いつものようにためらいなく扉を開けて中に入ると、カーテンが閉められ薄暗い室内と、ひんやりとした空気があたしを迎え入れた。

 何事かと思えばどうやら冷房が作動しているらしく、静かな空調の音が聞こえる。

 稼動しているのを見た事がなかったので今まで気づかなかったけれど最新式の空調が設置されているらしく非常に快適だ。ここで補習をやればいいものを、というかなんでここまで美術室は優遇されているのか、理解に苦しむ。

 その辺の愚痴の一つでも彼女に聞かせてやろうと室内を見回すと彼女が机に突っ伏していた。

 近づいて見るとどうやら寝ているらしく静かに寝息を立てている。

 その眠る彼女の横にはスケッチブックに数本の鉛筆やシャーペン、そして見覚えのあるフォトフレームが寝かせて置いてあった。

 たしか、初めて彼女と会った日に、あの雑貨屋で彼女が買ったものだ。

 落ち着いた木の装丁は裏から見ても映えるようにきちんと作りこんである。

 木製の年代ものの机に、スケッチブック、このフォトフレームに、散らばった文房具、その中心には、精緻な人形を思わせる彼女の可愛らしい寝顔。なにかの物語を想起させそうな、綺麗な一枚が撮れそうだ。

 そう思ったときには自然と鞄からカメラを取り出してその一瞬を切り取っていた。

 人の寝顔を勝手に撮るのは失礼ではないかと撮ってから気づいたものの、この一枚を消すということは到底できそうにない。寝顔の隠し撮りなんて悪趣味だと思うけれど、あたしはこの一枚に酷く惹かれていた。

 彼女の儚い雰囲気とそれを強調するかのように散らばった数々の小物。偶然の産物にしては出来すぎている。そもそも彼女を被写体とした時点でその光景は大抵出来すぎているのだけれど、この写真はそれ以上のものだと妙な確信めいたものがあったのだ。

 ただ、出来がいいからといって誰か他人にこの写真を見せる気はまったく湧き上がってこない。他人の寝顔を無断で撮ってそれを他人に見せびらかすだなんて最低だし、そもそも彼女の耳に入ってしまう。

 それ以前に、あたしはこの写真を独り占めにしたいと、そう思っていた。他の誰にもこのすばらしい光景を見せたくない、知られたくない、それは妙な独占欲だった。

 だからというか、カメラを仕舞うとあたしはすぐに彼女の肩を揺さぶった。ないとは思うけれど誰か他の人がこの光景を見てしまう前にと、彼女を起こすことにしたのだ。


「冷房つけてるのに寝ると風邪ひくよ」

「ん……あれ、何で君が」


 あたしと違って彼女は相当寝起きがいいのかすぐさまあたしを認識すると普段通りの振る舞いでこちらを向いた。


「補習終わってそういえば今日貴方も学校来てるんだなって思って、差入れもってきたんだけど」


 言いながら先程買った菓子パンを彼女に見せる。


「ああ、ありがとう。わざわざ来たって面白くもないでしょうに」

「そうでもないよ。それに家に帰ってもやることないし」

「夏の抱負は?」


 言われて思い出す。そういえばそんなものも決めたなと。

 具体的な予定と違ってフワフワとしたつかみ所のないそれは特に四人で話し合うこともなく、半ば忘れかけていた。とはいえあたしの抱負は予定の通りにいけば山や祭りにでもいったときに自然と終わることだろう。


「問題ないよ、終わる目処は付いてるし」

「そっか、ならいいんだけど」


 彼女の横に腰掛けていただきますと手を合わせる、彼女も同じように手を合わせて菓子パンの袋を開けた。


「そういえばわざわざなんで学校まで? 家で描いてればいいんじゃない?」

「こっちの方が集中できるし、学校好きだから、私は」

「学校好きって、変わってる」

「そうかな。本当は皆結構好きなんだと思うけど」


 出来ることならサボりたいと思っている人も多いと思うけど。じゃないと皆夏休みで喜んだりしないだろうし。

 そうして会話をしているうちにおにぎりを食べ終えて紅茶に口をつける。普段彼女が淹れてくれるものに比べると匂いも味も劣る。少し前まではこれでも満足出来ていたのに随分と舌が肥えてしまったようだ。

 ペットボトルを机の上に置く、すると彼女が。


「少し貰ってもいい?」


 と紅茶をさす。あたしは頷いて軽く返す。


「準備室が今日閉まってるの忘れてて飲み物もってくるの忘れちゃったんだよね」


 彼女が手を伸ばして紅茶のペットボトルを手に取る。そこで今更ながらにその意味に気づく。これって所謂、間接キスというやつではないのか。

 小中学生じゃないんだし、そもそも女同士なんだから別にその程度の事に動じる理由もないはずなんだけど、何故だか無性に気恥ずかしくて、やっぱりダメと言い出したくなる。

 しかし今更そんなことを言って追求されたらそれはそれで恥ずかしいし。そもそもにしてみれば女の友達っていなかったからこういう回し飲みも初めてなわけで、どうして気軽に了承してしまったのか。

 無駄に空転する頭をよそに目の前で彼女が何のためらいもなくペットボトルに口をつけた。あたしは出来る限りの平静を装ってその光景を眺めている事しか出来ない。何故だか胸が締め付けられるようで、鼓動が早い。


「こういう紅茶もこれはこれで時たま飲みたくなるよね」


 キャップを閉めながらいう彼女、あたしの視線はその色の薄い唇へと向く。妙にその動きがなまめかしく感じる。


「わからなくもないけど、いつも淹れてくれてる紅茶のほうがあたしは美味しいと思うな」

「お世辞いっても今日は淹れられないけどね」


 明るく笑う彼女を尻目に、あたしは半分以上残っている目の前の紅茶に小さくため息をついた。なんだか自分がやましい事を考えているようで、それを飲む気にはなれず、鞄の中へとしまう。


「この後は予定ある?」


 彼女がスケッチブックを開きながらあたしに問いかける。今日の予定は補習だけだったし、出かけるにしてもこの暑さだ、とてもじゃないけれど乗り気にはなれない。


「特にないけど」

「だったらちょっとモデルになってよ」


 返事をする前から彼女は滞りなく絵を描く準備を進めていく。あたしが断らないのをわかっているかのように。

 意地悪して嫌だ、と言って見ようか、とも思ったけど、先程の寝顔を隠し撮りした件もあり、素直に彼女の手伝いをすることにしよう。その程度のことで勝手にチャラにしていいものではないけれど、せめてもの罪滅ぼしだ。


「いいけど、今度は何を描くの?」

「いまちょっとこれを描いてるんだけど」


 そう言って彼女がフォトフレームを少しいじってからあたしの方に手渡してくる。それはあたしが撮った六月の雨の街中の写真だ。人通りの少ない市街地の中、色をもった信号機と紫陽花の綺麗な一枚。


「これだけだとちょっと寂しいから人物がほしいなと思って」

「で、あたしはどうすればいいの?」

「とりあえず横顔が見えるように暫く座ってくれてればいいよ、スケッチブックにラフ描いちゃうから」

「了解」


 準備万端で椅子に腰掛ける彼女に横顔が見えるようにあたしは椅子に腰掛ける。

 最初に彼女にモデルになって欲しいと頼まれてから、こういう風に彼女の絵の制作を手伝うことは何度もあった。モデルになったりだとか、絵に使えそうな風景写真をとってきたりとか。

 こうしてモデルになっている時間があたしは好きだった。静かな薄暗い教室に空調と彼女の鉛筆が走る音だけが響いている。それが心地いい。他の誰もいない、世界から切り離されたようなこの一室で静かに時間が流れていく事が特別な事に思える。

 彼女が鉛筆を置くまであたしは静かに待っていた。

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