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アスファルトを焼く強い夏の日差しも、儚い命をその声に乗せる蝉の煩いほどの鳴き声も、その部屋とは無縁だった。ブラインドが下ろされ、クーラーの効いたその部屋は快適そのもので外の暑さと比べるのも失礼なくらいだ。
雑多に物の置かれた机に、枕元に漫画の詰まれたベッド、サイン入りのボールや色紙は数えるのも面倒なくらいあって、壁にはユニフォームや帽子がかけられている。子供の頃から変わらない、一心の彼らしい野球に染まった部屋だった。
その部屋の中央であたし達は車座になって今日の集合を呼びかけた人物に視線を向ける。
「さて、夏休みの初日からお集まりいただきありがとうございます」
正座で座る彼女の服装は相変わらず夏にそぐわない長袖だ。フリルの付いた薄手の白いブラウスにチェック地のミニスカート、それにいつものオーバーニーを会わせた格好。清楚な格好も彼女に良く似合っている。
「まぁ改まって言うまでもないんだけど、今日はこの夏の計画を建てようと思います」
そう言って彼女は一冊の真新しい大学ノートを取り出してあたし達の中心に置いた。
「夏の計画か」
「小学生の頃なんかそんな宿題があったね」
「今時の小学生もあれしてるのかな」
「シャラップ!」
口々に呟くあたし達を一括して彼女はノートを掲げて言う。
「思いっきり遊べる夏は今年で最後になるかもしれないし、ちゃんと計画を立てて楽しまないと損だと思うの。だから皆の予定ややりたい事をきちんと聞いてまとめたいと思います」
「来年は受験が待ってるしね」
「俺はどっちみち部活で忙しいからな」
「それで、具体的には?」
話を振ると彼女は大学ノートからページを切り取って全員に配る。それをみて一心が机から四人分の筆記用具を用意する。その以心伝心の様が二人の関係をよく表している気がした。
「とりあえずまずは今年の夏、やりたい事を一人一項目以上書いて発表。ついでにこの夏の抱負もお願い」
「なんで抱負まで」
「気分!」
「あ、そう、というか別に紙に書く必要は」
「雰囲気作り」
彼女のそんな態度はまぁ別に今に始まった事じゃないからいいんだけど。見れば幸助と一心は既に何か書き始めている。あたしも自分の目の前の紙面に目を落とす。
今年の夏の予定と抱負かぁ……。
小学生の頃ならいざ知らず、最近のあたしはすっかりインドア派で夏の野外イベントへの参加を自ら推し進める気にはならなかった。
皆がいくというのなら付いていくのは構わないけれど、とはいえ夏のイベントで屋内なんて早々思い浮かばないし。とりあえず暑いのだけは避けたいと考えていると、ピンと一つ思い浮かんだので書き記しておく。
あとは抱負だけれど、こちらは適当に夏の風景を写真に収めるとかでいいだろう。気づいたらその内終わっているはずだ。
あたしがそうしてさらさらと書き終えると、他の皆も書き終えたのか、既にシャーペンを置いていた。
「じゃ、皆書けたかな。意見とかは後で言うとして最初に各々発表といこうか。まずは瀬名君から」
ぴっと隣の一心を彼女が指さす。それを受けて一心は膝をうってノートの切れ端を手にする。
「俺としてはとりあず定番だけど海にいきたい。媛ちゃんの水着姿をこの眼に焼き付けたいと思う。あと、流し素麺をしてみたい、単純に興味で。抱負は百五十キロ出せる様にだな」
「見せてあげたいのはやまやまなんだけど、まぁその辺はあとにして、次、君ね」
苦笑しながらメモを取り終えた彼女が、対面のあたしを指差す。紙面は見なくても今しがた考えたばかりの事だしそらで言える。そのままあたしは口を開く。
「とりあえず夏祭りでもいきたいかな。あんまり混んでない規模の小さいやつ。抱負は夏の風景を写真に収めたい、かな」
「ふむふむ、それじゃ黒尾くんよろしく」
「僕は一心とは反対になるけど山、というか森林浴にいってみたいかな。可能なら泊まりでキャンプとかもいいね。抱負としては、料理のレパートリーを増やす、かな」
「意外と黒尾君アウトドア派なんだね」
それはあたしも驚いた。幸助がそういうのに興味があるとは、同じインドア派だと思っていたのだけれど。
「アウトドア自体に興味があるというか、そういう時に作る野外での料理を試してみたいってかんじかな」
恥ずかしそうにいう幸助はやっぱりただの料理好きであった。
「なるほどね、それじゃ最後は私だね」
メモを取る手を止めて彼女がノートを手に取る。
「私はとりあえず花火がしたい。よく季節になるとコンビニとかで売ってる誰が買うんだか良く分からないようなあれね! それに向日葵畑を見に行きたいな。本物の向日葵って見たことないからさ。あとは、定期的に皆で集まって課題を片付けたいかな。抱負としてはこの夏をしっかり楽しむ!」
一息に言い切った彼女は満足そうに頷く。そういえば花火なんかも子供の頃以来やっていないしちょっと楽しそうだ。
「とりあえず、全部メモはとったから一つずつ検討して見ようか」
言いながら彼女がノートを広げる。綺麗な丸っこい文字で先程の提案と各自の抱負が箇条書きで記してある。
「とりあえず上から順番に、瀬名君の海行きだけど、泳ぎにいくってことでいいの?」
「おう、俺の華麗なクロールを披露するぜ」
親指を立てて歯を光らせるその様は無駄な自信に満ち溢れている。
「二人はどう? 反対意見とかは?」
「僕は構わないよ、多分泳がないけど」
「あたしも別にいいよ、泳がないと思うけど」
人前で肌を晒すのはあんまり好きじゃないし、上から何か羽織って適当に皆の写真でもとっていればいいだろう。
「海なのに海に入らなくてどうするんだよお前ら」
「なんか漠然としてて楽しみ方が分からないのよね、ああいうの」
「否定的だなくそ、媛ちゃんは?」
一心が彼女に話を振ると、彼女は難しい顔で答えにくそうにいう。
「私も海はちょっと辛いかな、肌が弱いし、泳げないから」
そう言えばそうだった、そうなるとあまり外の日差しがきつそうな野外行動は辛そうだ。
「媛ちゃんがいうなら仕方ないな、じゃ、流し素麺は」
「別にやってもいいけど」
「何処でどうやって用意するかが問題かな」
三人で唸っていると、スッと幸助が手を上げる。さすが食べ物の関係になると頼りがいがある。
「本格的な竹の奴はないけど小さい機械で気分だけ味わうようなのなら家にあったと思うけど」
「あるのかよ。なんでそんなもんが」
「昔母さんが買ってきて一回使ってからそのままなんだ」
まぁ、分かる気がする、使ったところで味が変わるわけでもなく、主婦としては無駄な手間が増えるだけで面倒だろう。
「とりあえずじゃあそれで、黒尾君の家でいいのかな?」
「問題ないよ、ただ妹も一緒になると思うけど」
「幸恵ちゃん、だっけ。一回会ってみたかったしちょうどいいかな」
「そう言えば元気にしてるのか幸ちゃん?」
「おかげさまでね、こないだのお土産のフルーツの詰め合わせありがとうって」
いつの間にそんな物を送っていたのか、あたしが持っていった桃缶が霞んでしまいそうだ。
そんな事を思っている内にノートの流し素麺の項目に赤いペンで丸がつけられ詳細が書き足されていく。それが終わるとペンを置いて彼女の視線がこちらを向く。
「それじゃ次かな、夏祭りだけど、なんで規模の小さいの限定?」
「人ごみが酷いと純粋に楽しめないし、この辺りから大きな祭りってなると結構距離があるから」
「十駅くらい先の神社のあれか、確かに毎年人すごいもんなあそこは」
「実際いった事ないんだけど、そんなに凄いの?」
首を傾げる彼女を、あたし達は意外そうな目で見つめる。
「あれ、そんなに珍しいかな?」
「この辺りじゃ一番大きい祭りだから行った事ない人は中々いないだろうね」
幸助のいう通り、この辺りに住んでいる人であの祭りにいった事がないって人はそうそういないだろう。他県からも見物客が来る位の大きな催しだし。
「まぁ行った事がないなら俺がエスコートするよ」
「さすが瀬名くん頼りになる! でもまぁそれとは別に規模の小さい祭りって事だけど」
ちらと視線があたしの方へ向く。
「詳しい日時は忘れたけど八月入ってちょっとしたら近所の神社で規模の小さい祭りがあるからそれでどう?」
「俺は問題ない」
「僕も」
「じゃあ決まりと、次は森林浴かキャンプだけど……」
彼女が言葉尻を濁して、再び困ったような顔をする。やはり野外は厳しいのだろうか。そんな彼女の態度に、すかさず幸助が口を挟む
「厳しそうなら却下してもらってもいいよ」
「多分、森林浴位なら大丈夫だと思うんだけど、泊まりは無理かも。親が厳しいから」
「元々泊まりは僕もどうなるか分からなかったし構わないよ」
「場所はどうするんだ?」
「発案者だし僕が適当なキャンプ場探しておくよ」
「それじゃこれも決まりかな」
ノートに再び彼女のペンが走る。
「さて、あとは私の発案した三つだけど」
「花火と課題は問題ないと思うけど」
言いながら二人に視線を送るとすぐに頷いて返してくれる。
「向日葵畑はいくのは問題ないけど場所があるかな」
「それはこっちで調べるから大丈夫。なるべく近場にするから」
「じゃあ問題ないかな」
最後に残っていた三つにも丸が付いてノートは埋まった。
「結局俺の海だけ廃案かぁ、媛ちゃんプールでもだめ?」
「プールはプールで塩素が……」
ガクリと一心が項垂れる。そんなに彼女の水着姿が見たかったのだろうか。男心というのはよく理解出来ない。
そのあとそれぞれの予定ををすり合わせて大まかな日程を決めていった。一心の部活の予定が練習試合などで変わるため変則的なスケジュールになったものの、何とか予定が組み上がる。
そうして出来上がった予定の書き込まれた小さなカレンダーを各々が眺める。
「こうして見ると、夏休みって案外短いね」
少し寂しげな表情で彼女が、そう小さく漏らす。
一ヶ月休みと思えば十分に長い気がするけど、四人の予定があう日はそんなに多くない。休みだというのに学校のある時の方が顔をあわせる率が高いくらいだ。そう考えると彼女の言う通り夏休みは思っている以上に短いのかもしれない。
「まぁそれでも貴重な休みには違いないわけだし、楽しもうぜ」
「そうだね、普段出来ないことに挑戦できる機会ではあるし」
「今年はいつもより賑やかだしね」
言いながら彼女の方へ視線を送る。先程の表情を彼女が笑顔に変える。やはり笑顔の方が彼女には似合っている。
「そうだね、楽しい夏にしよう」
夏が始まる。
何かが始まりそうなそんな懐かしい胸躍る夏が。
真夏の太陽のように、眩しい彼女の笑顔が沢山見られるだろう、夏が。




