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Blue scent  作者: uka
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 再掲となります。

 カメラのシャッターを切るたびに、あたしの心臓を掴んだ彼女の事を思い出す。

 その思い出は色と香りに満ちていた。

 所々塗装が剥げて、もとの輝きを失った、傷だらけの銀色のデジタルカメラ。

 その液晶に映し出される景色は、桜の舞う春の並木道。

 久しぶりに家に帰ってきたのに、気付いたらカメラを片手に近所の公園へ散歩に出かけてきていた。

 日差しが暖かく、風もなく過ごしやすい天気なのに、辺りに人影がないのはやはり平日の昼間だからだろうか。

 そんな光景すらも、青い、あの頃の思い出へと深く繋がっていく。

 今でもハッキリと思い出せる沢山の記憶、皆で過ごしたあの日々。

 時間にすれば一年近いそれも、思い出として頭の中に広げればほんの一瞬で、あたしはその事を少しだけ恐ろしく感じる。

 蘇る彼女の言葉。


『六十年なんてきっと一瞬だよ』


 まだせいぜい三十年にも満たないあたしの記憶は全然薄っぺらで、これをあと三倍積み重ねたところで、やはり彼女の言う通りに一瞬にしかならないのかもしれない。

 あの頃から積み重ねた十数年は長かったようで、短かい。

 時の流れが怖い。

 だけど、今のあたしは変わっていく楽しみもわかり始めていた。

 今日の夜久しぶりに会う彼らはどうしているだろう。

 どんな話を聞かせてくれるだろう。

 あたしは久しぶりに彼女の話をしてみようと思う。

 まだ話していないことが沢山あるんだ。

 そろそろ帰って出かける準備をしようか、そう思って踵を返した時、急に風が吹いた。

 色濃く香る、桜の香り。

 地面に落ちた、まだ乾いたままの花びらをも巻き上げる、見事な桜吹雪。

 その一瞬をすかさず切り取って、液晶に映るその画を眺める。

 あたしはまだ、君を、探している。




 馬鹿と煙は高いところが好き、という言葉にあたしは概ね同意する。

 平日の昼間から校舎の屋上で授業をサボってなんとなしに空を眺めるのは馬鹿か、自分に酔ってる奴か、はたまた学校に相当な恨みのある自殺志願者か、あるいはタバコを吸いに来た不良共か。

 特に最後は馬鹿に加えて煙の要素も満たす完璧な存在だ、まったくもって昔の人は的確な言葉を残したものだ。今時そんなステレオタイプな不良がいるかどうかは別として。

 あたしをその中のくくりで分類するならば、一番最初にあげた馬鹿なのだろう。

 屋上の冷たいコンクリートに横たわって見上げる空には、疎らな雲と暖かな日差しを振り撒く太陽が輝いていて、風が吹くと校庭の木々がざわめき時折桜のにおいを運んでくる。

 春は出会いと別れの季節、なんていう人がいるけれど、人付き合いなんてろくにしないあたしみたいな人間にとっては殆ど関係のないことで、また一からクラスメイトの名前を覚えないといけないと思うとただただ面倒に過ぎない。

 それよりもあたしには春眠暁を覚えずの方がよほどしっくりくる。朝方どころか昼間も眠くて仕方なくこうして屋上まで足を運んでいるわけだけれど。

 あくびをしながら携帯を眺めるとメールの受信が三件ほど。見るまでもなくはた迷惑な内容であることは容易に想像できたので黙って削除。

 隅っこに表示された時計に眼を凝らせばちょうど六時限目が終わったところだった。

 ノーチャイムなんて面倒な制度を取り入れて自主性を促そうと言う我が春日峰高校の思惑は、あたしには完全に逆効果である。

 一度屋上で昼寝を始めればチャイムの音に邪魔されることなく放課後までぐっすりだ。だから決してあたしは悪くない。

 さてそれじゃあ帰ろうかと携帯をしまい給水タンクの影から立ち上がったところで、ちょうどあたしが居る位置の足元、屋上の錆び付いた扉が不満げに鈍く不快な音を立てて開く。

 視線を下に向ければ見慣れた黒髪の頭頂部がひょっこりと顔を出していた。


「どうしたの幸助、こんな辺鄙な場所まで」


 あたしがそう声をかけると彼はくるりと振り向いて、眼鏡の奥の瞳を見開いてギョッとした表情になったかと思うと、今度は顔を真っ赤にして慌てて下を向いた。


「千歳、見えるよ」


 見える? 何が?

 少し考えて合点がいく。


「別に今更でしょ。子供の頃には素っ裸まで見せ合ってる中なのに」

「昔と今は違うだろ、早く降りてきてよ」

「そんなに変わらないと思うんだけど」


 正直中学の頃からあまり何かが変わったとか、そんな風に思った事はない。

 学校だって小学校に通っていた頃からずっと近所だし、会話する相手だって変わらない。考えることだってそんなに。


「もう高二だぞ」

「まだ高二でしょ」


 この高校生活があと二年もあるのだと思うと中々に憂鬱だ。大学も含めれば六年。実に今まであたしが生きてきた時間の三分の一にもわたる時間を使ってようやく二十二歳、それでようやく社会に出て行くと言うのだから人生は長い。そんな先のことなんて想像もつかないほどに。


「わかったよ、いいから早く降りてきてよ」


 ため息を吐く幸助はなんだか既にお疲れ気味だ。少し不憫になってきたのでおとなしく給水塔から飛び降りて彼の横へと着地する。


「なに、元気ないね。どうかしたの?」

「君が授業サボるから変わりに僕が怒られたんだよ。首輪つけてでもつれて来いって」

「やな先生ね、直接あたしに言えばいいものを」

「君が教室にいないからだろ。というか、メール送ったの見てないの?」

「全部消したわ。授業出る気分でもなかったし」


 先程より深い深いため息を吐く幸助に思わず同情する。まぁ、あたしのせいなんだけど。


「それで、わざわざ屋上まで来たってことは何か用があるんでしょ?」

「一心が部活の後集まれないかってさ」

「野球部、終わるの何時だっけ?」

「今日は新入生も入ったばかりだから早めに切り上げるって、五時過ぎまでかなたぶん」


 五時となるとあと一時間以上ある、結構な待ち時間だ。こういうとき部活に入っていないと時間を持て余して暇になる。


「どっかで時間潰す? 本屋かゲーセンかカラオケあたり」

「いや、僕もできれば部活にいきたいんだけど」

「ノリが悪いなぁ幸助は。ていうか料理研究部って幸助一人でしょ? 休みにしたって問題ないでしょ」

「今日の為に事前に家庭科室とか借りてるんだからそういうわけにもいかないよ。なんだったら千歳もくる?」

「いいの?」

「いいよ別に。でも邪魔はしないでね」

「わかってる。料理なんてもうこりごりだから」


 女子としては非常に情けない台詞だけれど、あたしは料理と言うものが苦手だ。それはもう壊滅的に。

 漫画やアニメの世界じゃないんだから鍋が爆発したりとか毒物を生成したりとか塩と砂糖を間違えるとか、そこまでは酷くないのだけれど、自分でも知らない内にどうにも味付けがおかしくなっている。味見もきちんとしているのに、まぁきっと色々と雑なのだろう。面倒だから計量なんてしたことないし。

 対して幸助は驚くほど料理が上手い。

 鍵っ子だった影響なのか小学生の頃からその才能はいかんなく発揮され、しまいには女男として軽く男子に苛められる程に料理が上手だった。

 子供の頃から彼の作るお菓子の魔力には抗えず、あたしの贅肉は物理的にも精神的にも増えて行くのだ。


「ところで何を作るのさ」

「簡単なクッキーだよ、家庭科室のオーブンが新しくなったからどんな感じか見てみたくてね」

「相変わらず料理好きだね」


 本当に昔から変わらない。その暖かい笑顔、気弱なところ、黒縁の眼鏡。


「まぁね、そろそろいかないと作ってる時間なくなっちゃうし行こうか」

「うん」


 頷いて、屋上から出て階段を降り、踊り場へ。

 周囲に教師がいないのを確認して、あたしが勝手に立てた立ち入り禁止の看板を超え、人気のなくなった廊下を歩いているうちにふと気づく。


「ああ」

「何?」

「いや、昔からそんなに変わってないと思ったけど、背、高くなったね幸助。昔はあたしの方が高かったのに」


 中学卒業まではあたしの方が高かったと思っていたのだけれど。

 こうして並んでみるといつの間にか幸助の方が数センチあたしよりも高い。


「ここ一年で随分伸びたしね。それでも一心の方がまだ大きいけど」

「今百七十八だっけ一心」

「こないだ百八十超えたらしいよ」

「高い高いと思ってたけど、もはや巨人じゃない」


 数値的にはあたしと二十センチ近く違うわけだ。普段はそれほど気にしていなかったけど数値にするとものすごい差に思える。


「ほんとにね、本人はもうあと五センチ欲しいとかいってたけどね」

「あれ以上背が欲しいなんて、低身長で困ってる人に喧嘩売ってるわ」

「まぁ運動部だし体格が欲しいんだろうね」

「幸助は今どれくらい?」

「百七十くらいかな」

「いつの間に抜かれたんだか、なんだか悔しいわ」

「一応僕も男だし、千歳は女の子だしね」


 それでもいつの間にこんなに差がついていたのか。知らない間に体は勝手に成長していく。望んでも望まなくても、心を置いてきぼりにして、体ばかりが育っていく。あたしの精神なんてまだ中学生の頃から殆ど変わっていないのに、気づけば子供のころあんなに大人に見えた高校の制服に身を包む自分がいる。中身は育たないままに周りだけが変わっていく。

 窓から差し込む日差しで廊下に伸びる影もあたしより、幸助のものの方が長い。当たり前だけどさ。

 そうして静かな廊下に足音を響かせるうちに家庭科室へとたどり着く。一年の時に調理実習で訪れて以来久々の家庭科室は病院を思わせるほど白く、清潔な輝きを放っている。


「飲み物なにがいい? 結構時間かかるから、ゆっくりしててよ」

「じゃあ紅茶で」

「ティーバッグの安物だけど勘弁してね」

「苦しゅうない」


 直ぐにティーバッグとお湯を入れたカップが目の前に置かれる。ソーサーにはスプーンといつもあたしが紅茶に入れる角砂糖が二つ・


「人の好みなんてよく覚えてるね」

「なんだかんだ付き合いが長いし。コーヒーには砂糖三つとミルク。一心はコーヒーはブラックで紅茶は砂糖を一つ」

「幸助はコーヒーにミルクで紅茶は蜂蜜を一匙」

「なんだ、千歳も覚えてるじゃないか」

「まぁ、付き合いが長いから」


 先程の幸助と大差ない返事を返し、ティーバッグをカップから出して三角コーナーへと放る。

 砂糖をゆっくりと溶かしている間に、幸助は三角巾代わりのバンダナとエプロンを準備して早速作業を始めている。


「そのバンダナまだ使ってるのね」

「誕生日プレゼントに千歳がくれたものだしね、粗末には使えないよ」

「あたしと、一心から、だけどね」

「一心はあの時、別に軽量スプーンとかカップとか調理器具もくれたからさ」


 確か幸助の十歳の時の誕生日だったか。両親とも仕事で不在で一心と一緒にサプライズパーティーを開いたのだ。その過程であたしが料理を幾度となく失敗して材料費でお金がなくなってしまい、プレゼントを買えないあたしに、一心が幾許かのお金をくれてそのお陰でなんとかプレゼントを買えたのだ。文字通り幸助は驚き泣いて喜んだ。

 結局料理は完成せず用意した材料で主役のはずの幸助が料理を作ったと言うオチもしっかりとあるのだが。本当にあのときの料理は美味しかったなと今でもよく思い出す。

 記憶の中にある彼と今目の前で慎重に材料の計量をしている彼。その瞳はどちらも楽しそうに輝いている。


「お茶、口つけてないけど何かまずかった?」

「ん、いやちょっと考えごとしてただけだから」


 心配そうにたずねて来る幸助にそう返して紅茶に口をつける。甘い香りと味が口の中に広がる。インスタントの安物だけど、その味は店頭で買うペットボトル入りのものよりもどこか柔らかくて、暖かい。


「やっぱり、見てるだけじゃ暇?」

「いや、そんな事はないけど」


 その言葉に嘘はない。むしろ幸助のその迷いのない手つきや、真剣にお菓子作り挑むその表情は見ていて飽きない。自分にできないことを間近でみるというのは中々に面白いものだ。


「千歳もなにか、部活に入ればいいのに」

「部活かぁ」

「何かないの、興味がある部とか、やってみたいこととか」


 言われて考えてみる。興味のある事、やってみたい事とやらを。読書は嫌いじゃない。でも部活でやるようなことではない気がする。音楽も人並みには聴く、でも熱心に誰かのファンだとかそういうことはなくて、当然、楽器をやってみたいとも思わない。運動に関してはもとより興味がない。オリンピックやサッカーの番組を見て面白いと思ったこともない。まだくだらないバラエティの方が面白いとさえ感じる。

 好きな物、嫌いな物、ないわけじゃない。でもそれは、あたしを突き動かすほどのものではない。あたしを夢中にさせてくれるようなものは何処にもない。


「特にないかな」


 あたしには何もない。

 だから時々、打ち込めるもののある幸助や一心の事を羨ましく思う。


「何か試しに始めてみたら変わるかも知れないよ」

「面倒だし」

「そうやって直ぐ投げ出すのもったいないよ。高校生活なんてあと二年しかないんだからさ」

「二年もあるの間違いじゃない?」


 ため息を吐きながらそう言うと、彼は調理の手を止めて苦笑する。


「前向きなんだか、後ろ向きなんだか」


 幸助は眼鏡を外し、レンズについた汚れをエプロンの端で拭いて、再び眼鏡をかける。長年の手馴れた動作はやけに様になっている。


「でも、やっぱり二年は早いと思うよ。この一年もあっという間だった。三人で同じ高校に入って、勉強したり、遊んだり、部活したり、毎日時間がいくらあっても足りない気がする。やりたい事や、やらないといけない事、手の回る限りの事をしても時間が足りなくて、すぐに一日が終わっちゃう」

「そうだね、幸助も一心も毎日忙しそうで、でも楽しそうだ」


 調理台に頬をつけるように体を預けて脱力する。冷たい温度が心地いい。


 きっと幸助の言葉どおり、幸助や一心にとっては一日は本当に短くて、次々と過ぎ去っていくのだろう。時間が足りなくて、一日がもっと長ければと願うのだろう。それはきっと打ち込める事があるからだ。あたしにはない何かを持っているからだ。

 あたしには一日が長すぎる。長い時間を寝て過ごしてもそれでもまだ、一日は長い。重く淀んだ時間の流れ。まるで夢の中で走っている時のように遅々として時間は進まない。二年と言う時間はあたしにはあまりにも遠すぎる。


「千歳は楽しくないの?」


 どうだろう、こうして他愛のない会話をしている時間は楽しい、と思う。学校自体はそれ程楽しいと思った事はない。というか楽しいと思うのであればそもそもサボったりはしない。

 正直なところで言えば、そう、


「よくわからない」

「そっか」


 それで納得したのか、幸助は調理へと戻る。様々な材料が混ぜ合わされていき、いつの間にかあっさりとクッキーの生地が完成する。その生地をビニール袋にいれ、伸ばし、袋を切り開いて、丸型、四角、星やハート、いろんな型で次々と成型していく。

 ほんの少し前まではバターやココア、砂糖といった何の変哲もなかった材料が、今ではこうしてまったく別物の何かになって目の前にある事がとても不思議な事に思える。

 まるで魔法かなにかのようだ。

 見ているだけで飽きる事はない。

 そうしてオーブンに型抜きした生地をいれてあとは焼きあがるのを待つだけ。

 オーブンの様子を確かめる幸助の顔が黒いそのガラスに映りこむ。その瞳は純粋に、楽しそうに輝いているように見える。それに対してあたしの瞳は、濁っていて温度を感じられない。無気力で辛気臭い顔もあいまって、なるほど、幸助からみてあたしが暇そうに映るのも無理はないだろう。

 クッキーの甘い香りが徐々に広がり始める。幸助は使い終わった器具を流しで洗っている。あたしも机から頭を上げてその手伝いをする。生温い水が春の暖かな陽気に似てくすぐったい。

 校舎の外から聞こえてくる運動部の掛け声、バットがボールを捕らえる独特の甲高い音。校舎内から響く、吹奏楽部の旋律。繰り返される同じパート。どこかから聞こえる生徒達の笑い声。時間が穏やかで緩慢に感じられる。でも、今はそれが嫌ではない。

 幸助はどう感じているのだろう。今も時間の流れを早く感じているのだろうか。同じ時間、同じ場所でも、人に流れる時間は別物なのだろうか。だとしたらそれは少し寂しい気がする。

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