98話 それぞれが感じる不穏
真暦1087年。
ヒノクニで開発された兵器、“陸戦艇”が実戦投入されて約3年になる。
この間、ヒノクニは陸戦艇を次々と生産し、それらが各戦線で活躍する様になっていた。
現状、ルーラシア帝国はこの新兵器にかなり苦しめられている。
その大きな理由として、この陸戦艇が中隊規模の部隊を運用しているにも関わらず、戦線のあちこちを移動出来る事が挙げられる。
ある箇所に防衛線を構築し、敵を追い払ったと思ったら今度は違う場所から攻めてくる。
また、こちらから陸戦艇の攻撃に向かうと、到着した時には既に目標は移動していたという事も多々見られた。
要は基地が常に移動しているようなものなのだ。
しかも、これには強力な通信機器や武器兵器の整備設備などが整っているので、各部隊へ迅速な支援を行う事が出来る。
しかし、弱点も多い。
特にその巨体は目標にされやすかった。
空からの攻撃には滅法弱く、戦闘爆撃機による集中攻撃で撃破される事は珍しくない。
更に、巨体故に侵入出来る場所も限られてくる。
また、陸戦艇を運用するには多量の物資が必要であり、その確保も手間のかかるものであった。
7月20日。
ヒノクニ初の陸戦艇“連弩”。
この艇は前線にてルーラシア帝国と戦闘を行っている最中であった。
艇長はヒノクニ初の陸戦艇の艇長となった小山源明大尉。
かつて、アラシアでトール・ミュラーと呼ばれていた男である。
「連弩級が第3次生産分で打ち切り?」
そう言った源明はTシャツ1枚で汗まみれという姿であった。
整備ハンガーの空きスペースで、整備班や通信班といった非戦闘業務の者達と白兵戦の訓練をしていたのである。
「今、通達で来ました」
それを伝えたのは新米の通信兵であり、つい30分程前に訓練で源明を投げ飛ばした若者だ。
曲がりなりにも戦闘員であった源明に投げられたのではなく、その源明を投げたのである。
その事から通信兵には緊張が見えた。
「ま、そりゃそうだろうね」
連弩級というのは陸戦艇の1つであり、収束型メーサー砲や連装砲などを装備している。
これは、前線で味方部隊に火力支援を行いつつ共に進軍する事を目的としたものであった。
しかし、ただでさえ狙われやすいにも関わらず前線に出るので、敵から集中攻撃を受ける事が多く、その損耗率は凄まじい。
その割に、有効的な支援攻撃が出来たかと言われれば微妙なところてある。
火力支援による効果をマトモに挙げられるのは、敵の要塞に接近する事に成功した時くらいのもので、かなり限定的な状況であった。
はっきり言ってしまえば、対費用効果は非常に悪い。
源明が指揮する連弩もその例に漏れず、前部ブロックの上部甲板はしょっちゅう破壊され、味方に支援攻撃を行う前に敵の歩兵部隊による直接攻撃を受ける事も多かった。
「本来、非戦闘部隊に前線で白兵訓練するなんて馬鹿のやる事だよ」
源明は自嘲気味に言う。
しかし、この艇が敵の歩兵に乗り込まれる可能性が高いのならばやらざるを得ない。
現に、過去に何度も非戦闘業務の者達を巻き込んだ戦闘が発生していたのだ。
「そこまで敵兵を近寄らせるなんても馬鹿な話だね。っていうか、何故に司令部が戦闘に出て砲撃支援をしなけりゃならんのだ。万が一、司令部がやられたら各部隊の統率はどうするのかと……」
それなら初めから砲撃用の部隊を編成するか、それこそ空軍に頼んで爆撃をしてもらった方が有効である。
少なくとも源明はそう考えており、陸戦艇の実戦投入当初からそれを軍上層部に訴えかけていた。
「それと艇長……。月牙が要塞の制圧に成功したそうです」
若い通信兵は源明の言葉を遮って言う。
月牙とは連弩と同型の陸戦艇である。
「そっちを先に言いなさいよ」
「すみません……」
報告にも優先順位があるだろうと源明は一瞬だけ顔を曇らせる。
しかし、それ以上の言及はしなかった。
自分もよくドジを踏むし、他人の事をとやかく言える立場では無いと思っているからだ。
「プリッジに上がる」
その言葉を聞いて若い通信兵は壁に備え付けられた電話機でプリッジに連絡を入れた。
「あ、艇長」
源明がブリッジに上がると藤原千代少尉が一番に声をかけた。
「月牙が要塞を制圧したって?」
「繋ぎますか?」
「頼む」
千代はすぐに月牙に通信を入れた。
源明がプリッジに上がると聞いて、すぐにその準備をしていたのだ。
《よう。久しぶりだな》
通信機から陽気な声が聞こえた。
連弩級2番艇“月牙”の艇長、ユーガ・スルガ大尉である。
彼もまた源明と同じ様に陸軍出身であり、艦長教育を受ける為に海軍に一時編入をされて艇長になった人物である。
元は歩兵であり、豪胆な性格で源明とは正反対の人柄であった。
「スルガ大尉、要塞を占拠したって?」
そして、どういう訳か源明とウマが合い、同じ艇長同士で良好な関係となっている。
《あぁ、お前が囮役をやってくれたおかげでな》
「残敵は? 分断したのが残っていると思うけど」
《降伏された覚えは無いな》
「分かった。こちらで掃討する」
連弩部隊は、月牙の部隊が要塞を制圧しやすいように敵の分断を図っていた。
その敵も今頃要塞が制圧された事に気付いているだろう。
当然、これが要塞を奪還する為に動く可能性はある。
《頼む。そいつらに戻って来られると面倒だ》
要塞は制圧されたばかりで、まだゴタゴタしているのだ。
敵の襲撃に対応するのは難しい。
「残敵はCポイントにいると思われます」
横から千代が囁く。
その予想はこれまてのデータから彼女が立てたのだろう。
充分信頼に値する。
「分かった。第1小隊を向かわせてくれ」
源明は部下である小林亜里沙少尉が率いる戦機部隊を向かわせる。
《……ところで、ズーマン地域の事は聞いているか?》
スルガはやや声を低くして言った。
ズーマン地域とはルーラシア帝国の領土で、絶対防衛地域と言われる程の重要な地域である。
「なんの事だ?」
勿論、それは源明も知っている。
しかし、その地域に関して軍事的な動きについての話は聞いていない。
《噂じゃ、アラシア共和国と共同であの地域を叩く作戦が進んでいるって話だ》
「まさか。あそこは帝国首都ジャンジラ防衛の為に要塞化された地域だ。そんな簡単に墜とせる場所じゃないぞ」
確かにアラシア共和国の工業力は高く、戦場の主役といえる戦機の数ならヒノクニより実働数は多い。
それにヒノクニの陸戦艇が合わされば、かなりの戦力となるだろう。
しかし、ズーマン地域はそれだけで墜とせるような地域では無い。
「単純な数なら帝国の方が上だ」
《それは分かっているだろうさ》
「それに、アラシアは北部にあるモスク連邦の問題も抱えているぞ」
《例の新政府軍か》
モスク連邦の新政府はルーラシア帝国に与しているという話だ。
そうなればアラシアとヒノクニの同盟と、新モスク連邦政府は敵対する事になる。
そんな問題を抱えたままで大規模な攻勢作戦を展開している余裕は無い。
《だから噂なのさ。ま、アラシアが何か秘密兵器でも抱えているなら分からんけどな》
「あって精々新型の戦機だろう」
《新型の戦機か……。鋼丸より良い機体かな?》
「少なくとも修理用の部品が、“製品基準に満たないから作り直すので補給が遅れる”なんて馬鹿な話は無いだろうね」
ヒノクニ主力戦機である鋼丸。
最近はコストなどを抑えた改良型が出回り、以前よりも調達がしやすくなっている。
それでもアラシアのアジーレや帝国のタイプγなどに比べたら数を揃えることが難しい。
《そうだなぁ……。ま、何にせよ噂レベルだ》
「噂である事を願うよ。そんな面倒事は御免だ」
確かにズーマン地域を占領出来れば、すぐ目の前にルーラシア帝国首都があるのだ。
もし、そこを手に入れれば戦争終結の可能性も高くなるだろう。
「もし、大尉だったらどうやってズーマン地域を攻略します?」
月牙との通信が切れてから、千代がからかう様な笑みで尋ねてきた。
「攻略しない」
源明は短く答える。
「攻略しないって……」
それでは回答にならない。
「あそこは言ってしまえば要塞都市だからね。無理に攻撃をしてもこちらの被害が大きくなるだけさ」
「それはそうなんですけどね」
千代は苦笑する。
面倒を嫌う源明らしい答えだと思う。
「どうしてもやれっていうなら、周りを囲んで敵を要塞内に閉じ込める方法をとるかな」
「兵糧攻めですね」
「要塞都市でも物資の自給には限度があるからね。それが一番確実だろうさ」
しかし、それが出来るだけの軍事力があれば、この戦争は既に終わっているはずだ。
「もしくは、あちこちで戦火を起こして帝国の戦力を分散させるか……?」
源明はそんな事を思い付くが、これに関しても現実的では無いと考え直した。
何にせよ、ルーラシア帝国というのは強力な国ということなのだ。
/✽/
一方同じ頃。
アラシア共和国、西部戦線グリーノッツェ基地。
「モスク連邦政府はイェグラード共和国に国名を変更?」
基地内のラウンジでアレクは椅子に座りながら新聞を読んでいた。
それはモスク連邦で起きたクーデターについての記事である。
「国民の総意で、クーデターの首謀者の名前をとった国名に変えたですって……。クーデターの首謀者に恥という概念があればそんな事はしないでしょうね」
それを言ったのはアレクの対面側の椅子に座っていたオリガ少佐である。
「イェゴール・ミルスキー……。オリガ少佐と同じ姓ですね?」
アレクが尋ねる。
本人としては同じ姓の人間などいくらでもいるという考えでの発言であった。
「……私の“元”父親よ」
やや躊躇いがちにオリガが答えた。
「それは……、驚きですね」
予想外の答えにアレクは言葉が見つからなかった。
「……なら、どうしてここに?」
自らそれを明かしたなら、理由を聞いても良いという事だろう。
アレクはそう思って尋ねた。
「捨てられたのよ」
「両親に?」
「父親よ」
オリガは一度息を吐いた。
「私の父親はロクでも無い父親だったわ。……病弱な母親を放っておいて外で愛人を作るっていう典型的なね」
「あー…」
「で、母親が病死した後に愛人と再婚。その愛人との間に子供が出来て、前妻との子供だった私が疎ましくなったのよ」
爛れた男女関係ではよくある話である。
もっとも、普通に生きていればドラマなどでしか見ない話であるが。
「それでどうなったんです?」
「軍のスパイ養成施設に入れられたわ。10歳の時だったかしら?」
「スパイ養成施設?」
「まぁ、市民を集めて諜報員として教育する施設よ」
オリガが嘘を言っている様には思えない。
つまり、モスク連邦には幼少期から諜報員を育てる為の施設があるという事だ。
だが、そんなものは映画の中にしか無い話だとアレクは思っていたので驚きを隠せなかった。
「そう。何もタキシードをダンディに着こなす男だけがスパイという訳では無いのよ?」
オリガはククっと笑いながら言う。
彼女の言う通り、諜報員といっても軍に関係の無い立場の方が怪しまれずに情報を集められる場合もある。
その国の社会に溶け込んで情報を収集するというのであれば、一般市民として生活する必要もあるし、その為には子供から老人まで様々な年代の者達が必要だろう。
オリガがいたのはそういった種類の諜報員を養成する施設なのだ。
「で、私は15歳になった時にアラシア共和国軍の士官学校の生徒という形でこの国に来たの」
「生徒という形?」
「ええ、本当の役割は情報収集よ。まぁ、軍に関する情報のね」
「驚きですね」
アレクはこの時点でオリガに対して警戒心を抱く。
目の前で自分はスパイだと言われれば当然だろう。
「あぁ……、そんなに警戒しなくて良いわよ」
そんなアレクの警戒心を察してオリガが言う。
「私と母を捨てた父親と、それが所属する国よ? そんな国の為に働く気なんて微塵も無かったわ。当たり障りの無い報告書を送っていた程度よ」
「あまり想像出来ませんね」
普段のオリガは屹然としており、任務に関しても妥協を許さないというイメージである。
やる気が無いオリガなど想像が出来なかった。
「モスク連邦は何も言わなかったんですか?」
当然、本来の任務を真面目にやらないのであれば、上の方から文句の1つも出るのではないか?
特にモスク連邦は任務遂行に関して非常に厳しいとアレクは聞いていた。
「元々、父の厄介払いでここに送られた様なものだからかしら? 面倒になって報告書の提出をサボっても、特に何も言われなかったわね」
「そういうものですか……」
「結局、18歳になって士官学校を卒業。2年程の実戦勤務をこなした後にSSへスカウトされたわ」
「SS? シークレットサービスですか?」
シークレットサービス。つまりは要人の護衛などを行う組織である。
アラシア共和国では警察から選出されるのが普通だが、人員が不足していると優秀な軍人からも招集されることがあるのだ。
「当時は経済産業委員会に勤めていたトーマス・イェーガーという人の護衛をしていたわ。彼にはかなり気に入られていたのよ?」
経済産業委員会。つまりはアラシア共和国の国家運営委員会に勤めている政治家である。
SSが護衛に付くあたり、それなりの人物という事だ。
「SSね……。道理で……」
「SSといっても、実際は秘書とメイドを合わせて割った様な仕事だったわ。若い女性は警護役として信頼出来なかったんでしょうね」
アレクはオリガが帝国のSSの様だと言われていた事を思い出す。
しかし、諜報員としての教育を受け、SSとして働いていた経験があるというのなら、それも納得がいく。
オリガが兵士から程遠い雰囲気を持つ理由がようやく分かった。
「それにしても、よくモスク連邦の諜報員がSSになれましたね?」
同盟国とはいえ、モスク連邦は油断ならない国である。
そこの諜報員が他国のSSになるなど普通はあり得ない話だ。
「向こうだと、私は任務中に死亡した扱いになってるみたい」
「死亡?」
「報告書を送らなくなった理由を調査するのが面倒だったんでしょう」
元々、オリガを家から追い出すためにされた事である。
モスク連邦側としては、オリガがどうなろうと関心が無かったのだ。
「さて……、身の上話はここまで。私はこれから行かないといけない所があるの」
オリガはそう言うと静かに立ち上がる。
「ご苦労様です」
アレクは短く言ってオリガの背中を見送った。
それと同時にサマンサが歩いて来るのが見える。
「何を話していたの?」
アレクに近づいてくるなりサマンサが尋ねた。
「……」
まさかオリガがモスク連邦の元スパイだった等と言う訳にはいかない。
「これだよ」
ややあってから先程まで読んでいた新聞を手渡した。
「あぁ……、北部戦線は大変みたいね」
サマンサは渡された新聞を眺めて言う。
「なんたって、反政府軍と帝国軍の2つを相手にしているからなぁ……」
しかし、その反政府軍とルーラシア帝国軍も、旧政府軍とアラシアを相手にしているはずであり、余裕があるとは思えなかった。
ところが、クーデターが成功した事を考えると、反政府軍は思った以上に力を持っていたようだ。
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「やり過ぎだよこれは」
ルーラシア帝国、自室で新聞を眺めながら星ノ宮は呟いた。
彼は影からイェゴール・ミルスキーを煽り、モスク連邦の内紛を間接的に引き起こしたのだが、これが勝利するとは思っていなかったのだ。
それでも万が一、反政府軍のクーデターが成功した場合の事も考えていたのだが、予想以上にイェゴール・ミルスキーは力を持っていた。
「まさか、モスク連邦の政権を奪取するのでは無く、新しく国を作るとはね……。しかも、イェグラード共和国だって?」
自身の名前を国名にしてしまうとは、その自己顕示欲には笑うしかない。
「煽った貴方にも原因があるのでは?」
それは星ノ宮の副官の発言である。
シルバーブロンドとエメラルドグリーンの瞳を持つ男で、ダグラス・シムスという名前であった。
「イェゴール・ミルスキーは自己顕示欲が強いだけの男だ。こんな結果になるなんて予想がつくか?」
「自己顕示欲と政治力は別物ですよ」
ダグラスは淡々と意見を言う。
彼の態度に、この男には表情筋があるのだろうかと埒もない事を考える事がある。
「だが、あれは政治力とかいう問題以前に連邦政府に不満がある市民が多数いたのが原因だったんだろうな」
「旧政府は民意を得ていなかったと?」
「そういう事だ」
それはルーラシア帝国も同じかもしれないと星ノ宮は思う。
しかし、そんな事を口にしたら国家反逆罪などと言われかねないので、それ以上の言及はしなかった。
「この始末はどうするおつもりで?」
イェグラード共和国は思った以上に力がありそうだ。
現状は帝国側に付いているが、それも何時までの話になるか怪しいものだ。
「……いや、俺は既にこの件から手を引いているよ」
「あぁ、お父上に任せたのでしたっけ」
「俺に政治的な力は無いからな」
2国間の同盟や支援の為に向かわせた駐留軍の扱いは、1軍司令である自分にどうする事も出来ない。
そもそも、イェグラード共和国は立ち上がったばかりで、独立こそしたがロクに体裁が整っていないのだ。
そこへ皇族の後ろ盾があるという程度の人物が迂闊な事をすれば、どうなるか分かったものではない。
「……どこか適当な企業に投資でもしてみるか?」
思い付いたように星ノ宮は言った。
イェグラード共和国の企業に帝国資本のものがあっても面白いかもしれないと思ったのだ。
「それは個人でやるべき事ですね」
ダグラスは軍務には関係の無い事には興味が無いようだ。
バッサリと切り捨てるように言った。
「しかし、イェゴールは首都を制圧して新しく国を作った訳だが……。まだモスク連邦の勢力は地方に残っている事を分かっているのかね?」
イェグラード共和国の勢力は首都周辺の制圧を完了している。
しかし、地方においては未だにモスク連邦の勢力が残っているのだ。
それにも関わらず建国宣言するというのはどうなのだろうと星ノ宮は疑問に思う。




