89話 イテン・マタイとフェイ・ミンミン
話は真暦1085年に戻る。
この頃になるとヒノクニは陸戦艇の本格的な生産を開始し、各地の戦場でこれらの姿が見られるようになっていた。
当然、小山源明は陸戦艇の艇長として相変わらず前線で戦っている。
一方、アラシア共和国ではアレクサンデル・フォン・アーデルセンが北方戦線に配属されていた。
そして、同年の7月12日。
ヒノクニ、アラシア、ルーラシア帝国、それぞれ3国の境界線地域に位置するアンカーテールという街の話になる。
この場所はどの陣営にも所属していない中立地域となっていた。
それ故に、元からそこに住んでいた者だけでなく、各陣営に所属出来ない訳ありの者が数多く存在する。
「ここなら帝国の追手も来ないだろう」
怪し気な露店が並ぶ通りを歩きながら少年が言う。
その少年は前頭部から後頭部にかけて、真ん中だけ髪の毛が立っているという妙な髪型をしていた。所謂ソフトモヒカンとでもいうのだろう。
「そうね。ここからヒノクニに渡る方法があれば良いんだけど……」
その男の隣に並ぶ少女が柔らかな表情で言う。
こちらは少年のように妙な髪型をしておらず奇麗な黒髪であり、人形のように整った顔立ちをしていた。
「オリエント急行がある。あそこならヒノクニへ向かう便があったはずだ」
「あら? 着いて来てくれないの?」
「これ以上関わる気は無い。……それに俺はここの出身だ」
少年と少女は足を止める。
これ以上は付き合いきれないというウンザリした顔の少年に対して、少女は不敵な笑みを浮かべていた。
この少女の名前は“フェイ・ミンミン”という。
ルーラシア帝国の政治派閥である穏健派筆頭のフェイ・シュエンの娘であった。
そして少年はイテン・マタイという名前であり、彼はフェイ一家が居住する邸宅の警備隊に所属していたのである。
2人とも17歳と若い。
そんな2人が素性の知れない者達が集まる街にやって来たのは訳があるのだ。
真暦1085年4月3日。
フェイ・シュエンの邸宅は反穏健派の者達の襲撃にあう。
これにより、穏健派筆頭のフェイ・シュエンは死亡。
娘であるミンミンと、当時邸宅の警備にあたっていたイテンは命からがら逃げ延びたのである。
「ヒノクニへ行きましょう。お父さまの知り合いもいるから、何とかなると思うわ」
この襲撃は表向きだとアラシアの仕業とされている。
無論、真実は帝国内の戦争継続派による策謀であった。
その事実を明らかに出来れば帝国内の政策方針を覆し、父親の暗殺を命じた黒幕を失墜させる事も可能かもしれない。
ミンミンはその為にヒノクニへ亡命しようと考え、イテンを連れてこの街へ訪れたのである。
中立地帯であるアンカーテールからであれば、帝国の目を逃れてヒノクニへ向かう事が出来るはずなのだ。
元々、フェイ・ミンミンは政治に興味が無かった。
政治家の娘であったのだが、それ故に政治を間近に見てきて深く関わるべきでは無いと思うようになっていたのである。
しかし、無関心を決め込んでいた政治が原因で自身の生活を奪われたというのがどうしても許せなかったのだ。
故に自身も政治的な動きを見せて、略奪者に報復をしようと考えたのである。
「復讐か……」
一方でイテンはそんな事に興味は無いという風だ。
元々、この少年はアンカーテールの出身であり、両親も分からないまま物心が付いた頃には銃を持ち、戦機に乗っていたのだ。
それは、この辺りの地域では珍しい話では無い。
アンカーテールは中立地域の街という体裁になっているが、その実情は街を運営する為の行政機関や司法機関の類が一切存在しない無法地帯なのだ。
この周囲を通りかかれば行商人どころか正規軍さえ野党に襲撃されることもある。
イテンもそうした中で育ってきたのだ。
しかし、ある時にルーラシア帝国軍の襲撃に失敗。
当時、13歳であったイテンは幸運な事に軍によって保護された。
そして更正教育を4年受け、その一環として青年同盟という兵役に就けない年齢の者達が入る組織に入団する。
そして人手不足から臨時の伍長として彼は邸宅警備隊に引き抜かれたのだ。
「良いかしら? 貴方は我が家の警備隊。言ってしまえば私兵ね。だから私の身柄が安全になるまで従ってもらう義務があるの」
「そういうのは親衛隊とかに言え。俺は人員不足で充てがわれただけだ」
「警備が任務ならどれも同じよ。それに、その人手不足とやらも私達を襲撃した者達の仕組んだ事でしょうね」
「……そうかもな」
でなければ、青年同盟などという民間組織の人員が邸宅警備隊に引き抜かれるなど有り得ない。
「それなら貴方も被害者ということかしら? なら一緒に復讐しても良いと思わない?」
ミンミンは柔らかく諭すような声であった。
しかし、言っていることは滅茶苦茶な理屈である。
フェイ邸の襲撃よりも前からこの人物は常識から逸脱したような言動をとっていた。
深窓の令嬢というのは、こういうものなのだろうか。
イテンは呆れながらも黙ってそれに従っていた。
逆らって余計な諍いを起こしたくなかったのである。
「なら給料を払え」
しかし、言う事は言う。
イテンとしては生活の為に兵士をやっているのだ。
その為の金が支払われないなら従う義理は無い。
「報酬……? まぁ、当然ね。ヒノクニに着いたら払えるはずよ。……あそこにはお父さまの秘密の銀行口座があるし」
「通帳と判子はあるのか?」
「身分証明が出来ればどうにでもなるわ。暗証番号は一応知っているしね」
そんな物がアテになるものかと思うが、イテンは何も言わなかった。
それをどう思ったのか、ミンミンも黙り込む。
そのまま2人はフラフラと露店が並ぶ通りを歩いていく。
「……お嬢様?」
ふと背後から中年の声が聞こえた。
目の前の露店では店主と客が殴り合いの喧嘩をしている。そんな場所にお嬢様も無いだろうと2人は無視して歩き続けた。
「ミンミンお嬢様!」
名前を呼ばれて思わず振り返る。
そこにはカーキーのくたびれたフード付きマントを被った男がいた。
「私です!」
男はフードを取る。
短く切りそろえられた白髪に、同じ色のひげを口周りに生やした壮年であった。
「カッケ?」
ミンミンが尋ねる。彼女はこの男に心当たりがあったのだ。
「そうです! 4年前まで邸宅の警備長させて頂いたカッケです!」
その男はミンミンが生まれる前から、フェイ邸の警備長を務めていた男であった。
ミンミンも幼少期から親しんできた人物であり、暇な時などは遊び相手になってもらった事もある。
「どうしてここに? ギソウ地域へ異動になったと聞いていたけど」
カッケは帝国陸軍大佐であった。
10年以上も邸宅の警備隊長として勤務していたが、それ以前は前線で戦い続けた古参兵だったのだ。
本来は邸宅警備隊の隊長として退役する予定だったのだが、急遽前線へ呼び戻されたのである。
それでも暇を見付けてはフェイ家に出入りはしていたが。
「軍は退役しましたよ。それと……、お家については私も聞いています。ご苦労なされたでしょう」
カッケは苦虫を噛み潰したような顔で言う。
ミンミンはその意味をすぐに理解する。
カッケはフェイ家の信頼が厚い人物であり、その繋がりで政治的な事にも顔が利いた。
しかし、その後ろ盾ともいえるものが派閥争いに負けたとなれば同じ立場ではいられない。
更にフェイ派との繋がりも強く、軍での階級も高いだけに、その影響力の大きい彼は軍でも疎まれるようになったのだ。
このままでは軍に居続ける事は難しい。
仕方無しにカッケは退役した。
にも関わらず周りでは不穏な事が続き、終いには暗殺者までやってきたのだ。
それを何とか退ける事こそ出来たが、このまま帝国にいるのは危険な為にアンカーテールの街へ逃げ延びてきたのである。
「そう……」
それらの事情を聞いたミンミンは短く答える。
「これから如何されるのです?」
今はとにかく先の事である。
少なくとも帝国には戻れない。
「ヒノクニへ行こうと思ってるわ。あそこにはお父さまの知り合いがいるもの」
ヒノクニへの亡命。
カッケはそれを聞いて再び苦虫を噛み潰したような顔になる。
「それは無理でしょう……」
「どういうことかしら?」
訝しげな目でミンミンが尋ねる。
「現在ヒノクニは国外から来るものに、かなり警戒心を強めていますので……」
「向こうで政治利用されると? 皇族の娘だもの。それは承知の上よ」
「いえ、そうではないのです。命が危ないかもしれないのです」
その表情は真剣であり、彼の言う事に説得力を与えている。
「話して」
何故そのような結論に達したのか。
彼は何かを知っているようであった。
「お嬢様はシュエン様……、お父さまのやろうとしていた事はご存知でしょうか?」
「ヒノクニ、アラシア共和国との終戦協定ね。小話程度のものと思っていたけど、事実と知った時は驚いたわ。……実はその計画書の一部をどさくさに紛れて持ち出してきたの」
その言葉に先程から黙っていたイテンが片眉を上げる。
そんな重大な話は聞いていなかったのだ。
「計画書を……? それなら12.1アグネア暴発事件についてはご存知でしょうか?」
「知ってるわよ。アラシアとヒノクニがアグネアを掘り起こそうとして暴発させた事件でしょ? 帝国軍の一部の部隊がそれを阻止しようとして巻き込まれたって事だったわね」
それは3年前に起きた事件であった。
少なくともルーラシア帝国の報道関係ではそのように発表されている。
彼女はその件について報道されている以上の事は知らなかった。
「それが、どうも違うらしいのです。これは私も人伝いに聞いた話や予想も交じるのですが……」
カッケは小声になり、辺りを見回して歩き始めた。ここでは人通りが多すぎるのだ。
ミンミンとイテンはその後に付いていく。
やがてカッケは口を開く。
「アグネアその物は、あそこが帝国領だった時から存在は認知されていたらしいのです」
「だけど、アグネアが見付かった時はヒノクニ領だったわね」
「そこです。その当時の終戦派が条約締結の条件としてヒノクニにわざと遺跡のある地域を占領させたようなのです」
「お父さまが?」
ミンミンの父親、フェイ・シュエンは穏健派のトップだった。
「いえ、その当時はシュエン様では無かったと思います」
シュエンが穏健派のトップになったのは数年前である。
これは、もっと以前にあった話のようだ。
「まぁ、結局シュエン様がその計画を引き継いだのですが……」
カッケは話を続ける。
「どうも、その時に発見されたアグネアのデータはルーラシア帝国、アラシア共和国、ヒノクニの3国で共有する予定だったらしいのです」
「どういうこと?」
「おそらく、それが戦争を止める1つの方法と考えたのでしょう。お互いに世界を滅ぼす兵器を持つ訳ですから戦争が続けばアグネアを撃つことになりましょう……」
「撃たれた側はアグネアを撃ち返す。そうなれば今度こそ世界は終わるという事ね……」
本来のアグネアがどのような威力を持っているかはミンミンもカッケも知らなかった。
しかし歴史を振り返れば、それが世界を滅ぼす程だというのは簡単に分かる。
現に、1000年近く前に放たれたアグネアの影響は未だに残っているのだ。
戦争の最終段階として、その様な兵器を撃ち合えば今度こそ世界は崩壊するだろう。
「3国間でアグネアを所持して戦争を行えば世界を滅ぼしかねない。お互いにそう考えれば戦争を躊躇うだろうという事ですな」
カッケが静かに言った。
つまり、全ての国が世界を滅ぼす兵器を持つことで、世界崩壊を招くような戦争を自重する。
それが戦争の抑止力となるという考えだ。
「そう……。お父さまはそんな事を」
そう言うミンミンは無表情であり、内心にどのような感情を抱いているかは分からなかった。
「しかし、結果は何処もアグネアを手に入れられませんでした。おそらく3国の何処かがそれを独占しようと目論んだのでしょう」
事実としてアグネアは周囲の遺跡ごと吹き飛んでしまった。
そのデータも失われ、今となっては何も残っていない。
「どこの国かは分かりませんが、少なくともヒノクニの諜報部や憲兵隊、それと警察は動き回っています。犯人を探す為か関係者を捕える為かは分かりませんが……」
「確かに。関わった国としてはそれらの事が明るみになるのは面白くないわね」
「もし、お嬢様がヒノクニに向かえば事実を知っているかもしれないという事で、殺されてしまうかもしれません」
「状況は分かったわ」
ミンミンはそう答えて思案顔になる。
ややあって顔を上げると柔らかい笑顔を見せた。
「しばらくはこの街に隠れる事にしましょう」
「それが宜しいかと」
カッケはホッと胸を撫で下ろす。 産まれてきてから面倒を見てきたミンミンはカッケにとって自分の娘も同然であった。
せっかく再会したにも関わらず、殺されてしまってはたまったものでは無い。
「なら、俺の任務はここまでだ」
それまで黙って話を聞いていたイテンが言う。
「駄目よ」
それをすぐにミンミンが遮る。
「……」
まだ何か付き合わせるのかとイテンは無言でミンミンを睨む。
「私は根に持つタイプなの。だから今の帝国は許せないし、その復讐はしないと気が済まないわ」
「意味が分からない」
「あなたを傭兵として雇います」
イテンはこの女は何を言っているのかと、一瞬思考が停止する。
それはカッケも同じであった。
「カッケ、今すぐ使える人材を集めなさい。それとイテンは武器を片っ端から手に入れてきなさい」
ミンミンは少女らしい笑みを浮かべつつも皇族らしく堂々と言う。
「何をするつもりだ?」
尋ねたのはイテンだ。
「そうね。武装組織を作って帝国に復讐をするの」
その言葉にイテンとカッケは本気で言っているのかと驚いて眼を丸くする。
「この街にだって、元帝国兵やフェイ派の者だっているのでしょう? でなければカッケがここまでの事を調べられるはずないもの」
「それはそうですが……」
アンカーテールにはいくつかの武装組織がある。
それは傭兵派遣会社や、マフィア、挙句は強盗団だったりと胡散臭いものがほとんどであった。
その様な組織を結成するのは構わないが、それを使ってミンミンは帝国に挑もうと言うのだ。
それはあまりにも無謀である。
「無計画でも無いわよ? まずはこの街を頂いて……、その後じっくりね?」
どうやらミンミンは本気らしい。
彼女の持つ圧力にイテンとカッケは思わず従ってしまい、彼女の命令通りに動き出す。
「彼女は昔からああなのか?」
後にイテンがカッケに尋ねる。
「他人を巻き込んで従わせる……、という意味ではそうだったかもしれん」
思い返してみると幼少期から彼女の言うことには常に従ってきたかもしれない。
イテンは今更になってそれに気付く。
「さぁ、復讐劇を始めましょう。どれだけ巨大な力があっても、滅びないものは無い事を教えてあげる」
フェイ・ミンミンは結成した武装組織の面々を前にして、演技がかった事を言う。
しかし、その場にいた誰もがそれが演技でなく本気であるという事を動物的な感覚で理解していた。




