72話 再入隊?
トール・ミュラー改め小山源明が正式にヒノクニ陸軍に編入されたのは、小山武蔵と会ってからかなり後の話になる。
あれからトールは更に1週間を捕虜収容所で過ごした。
その後、まずはヒノクニの生活に馴染む為という理由で山田康介少佐の家で世話になった。
「ありがたく思え。何もしないでも飯が食えるんだ」
山田は笑いながら言う。
言葉とは裏腹に自慢げであった。
この時、トールの食事は専ら山田夫人の手料理である。
この料理は近所からの評判が良く、愛妻家である山田にとって自慢の1つであった。
「私はホテル暮らしでも良いんですが?」
肩を竦めてトールが答えた。
「本来ならそうしたいのだが、お前を監視するという目的もある。おかげでこうして俺も家に帰る事が出来るんだがね」
その発言の何処までが事実なのか、トールには分からなかった。
もし、その話が本当なら山田という人物は自ら厄介者の自分を引き受けた事になる。
随分とお人好しな事だ。
トールはそう思い何も言わなかった。
「あなたー、源明さーん、夕食の用意が出来ましたよー」
キッチンから山田夫人の声が聞こえた。
同時に山田家の2歳になる娘が駆け込んでくる。
「ごはんー」
「あぁ、今行くよ」
山田は娘の頭を撫でながら答える。
しかし、娘はすぐにそれを振り払うとトールの元へ向かうと、「はやくー」と言いながらその腕を引っ張った。
この子供にとって、トールは物珍しい客だったのだろう。
その上、彼は基本的に温和な性格であり、山田の娘はすぐに懐いたのだった。
「ン……、行こうか。……食事はこちらのが美味いのでしょうね」
トールは娘に腕を引かれながら立ち上がり、山田康介へ言う。
長い間、アラシア軍の雑な食事ばかりとっていたトールには山田夫人の作る料理は高級レストランの物かと思うほど衝撃的なものであり、山田が自慢するのも納得の話なのであった。
結局、トールは2ヶ月程ヒノクニの文化や生活を知る為に、様々な書物を読み漁ったり、テレビニュースを眺めつつ、山田家長女の遊び相手などをしながら過ごした。
その後、正式に軍に編入されたのだが、半年あまりの月日を士官教育を受けて過ごす事になる。
「前線に出るよりかはマシだけどさ……。特殊部隊じゃないんだから……」
しかも教育課程については、アラシアよりも項目の範囲が広く、細かい内容まで行っていたのだ。
「それは士官になった自分を恨むんだな」
辟易しながら教本に埋もれるトールを見た山田は笑いながら言う。
「何度も言ってますが……、なりたくてなった訳じゃないですよ」
かと言って、戦機に乗って戦闘を行うのも違うという気もするのだが。
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そして、真暦1083年10月2日。
トールはヒノクニにおける自分の家。
つまりはヒノクニ経済省副大臣小山武蔵の邸宅。
小山武蔵の養子となった小山源明として初めて自宅に訪れる。
そこは緑の生け垣に囲まれたバロック様式の邸宅であり、外観から宅内の家具1つとって見ても拘りの見られるものであった。
「統一感はあるが生活感が無い。他人に金持ちである事を自慢する為のものだな」
政治家というものに偏見を抱いているトールはそんな事を考える。
「お待ちしておりました。私はこの家の使用人を務めているギャリソンと申します」
玄関には初老の男が立っており、自己紹介を行いながらトールを迎え入れた。
トールはそれを半ば聞き流して、小山武蔵の元へ案内する様に言う。
「旦那様なら執務室におられます。お会いになるのでしたら、その間に荷物を部屋をお持ちしましょう」
ギャリソンと名乗った使用人はそう言うと、トールの持つカバンを預かろうとした。
「いや、必要無い。この中身についても話したい事があるからね」
そう答えるとカバンを持ったまま、小山がいるであろう執務室へ向かう。
「旦那様、源明様がお越しになりました」
ギャリソンは執務室のドアをノックして言う。
「分かった。入ってくれ」
ドアの中から小山の返答があり、トールはギャリソンに導かれるようにして執務室へ入った。
「久し振りだね」
デスクで何やら書き物をしていた様子の小山が言う。
執務室も邸宅内と同じ様なディティールのデスクや本棚が並んでいた。
いつの間にかギャリソンは執務室から立ち去っており、そこにはトールと小山の2人だけとなっている。
「軍の方はどうかな?」
小山は探りを入れるように世間話を切り出した。
「ヒノクニの兵士は練度が高いですが、その理由が分かりましたよ」
少なくとも教育課程に関してはアラシア軍よりもヒノクニ軍の方が優れているとトールは思う。
「その分、実戦に出るまでの時間がかかりそうですがね。余計な教育課程もあるので減らすべきです」
既に実戦を潜り抜けているトールからすれば実戦では役に立たない教育課程も多かった。
これでは士官教育に余計な時間を取られてしまい、新たに兵員補充をするのにも苦労するだろうとトールは予想する。
「まぁ、個々の技能を上げる為だ。致し方あるまい」
「迅速な兵員補充が出来なければ前線は維持出来ませんよ」
戦場の事をまるで分かっていない様な言葉に思わずトールの口から反発を込めた返しが出る。
「それは技能でどうにかしてもらいたいな」
「戦いは数ですよ」
馬鹿めという言葉を内心で付け足しながら答えた。
「……まぁ、その事は次の議題にでも取り上げるよ。それよりも……」
小山は無表情で話題を切り替える。
まだ、この時点でトールはヒノクニでの正式な身分を得る為に提示された条件を全て満たしていなかったのだ。
「分かってますよ」
トールはカバンからビニール袋に入れられた書類を取り出した。
「収容所などでチェックを受けたと思うが……、何処に隠し持っていた?」
「ブーツの中敷きの下とか……。他にも色々とね。もう少し丁寧な身体検査をするべきですね」
そんな所に隠し持っていたのかと小山は顔をしかめながら差し出された書類を受け取る。
足の下に隠し持っていたという事もあり、素手で受け取るのにはやや抵抗があった。
「これか……」
ヒノクニへ亡命する為にトールはアグネアが発掘された遺跡のデータをいくつか持ち出していた。
しかし、その中には意図的に抜かれた部分があったのだ。
当然、それはトールが行った事であり、抜かれたデータは身柄が安全になったと判断してから受け渡す約束となっていた。
「待て。これには確かに遺跡の発掘物やアグネアの取り扱い方法があるが、肝心のアグネアその物のデータが無いぞ」
小山が期待していたのは、アグネア本体に関するデータであった。
つまり、製造する為にはどういった物質が必要なのか。製造工程に必要な技術はどうなっているのか。量産する為の設備は何が必要なのか。
そういったデータである。
しかし、トールの持ち込んだデータにはそれらに関する記述がほとんど無かったのだ。
「これでは意味が無いではないか!」
小山は期待が裏切られた事に声を荒げた。
「私はアグネア本体のデータを持っているとは一言も言ってませんよ」
対するトールは涼し気な声で答えた。
ヒノクニが欲しそうなデータは、確かにあの場にいくつかあった。
しかし、トールはそれらをヒノクニへ向かう前に全て燃やしていたのだ。
「糞っ! とんだ無駄骨だ」
その言葉にトールは軽蔑の目を向ける。
「もし、アグネアを手に入れたとしてどうするんです? ルーラシア以外の国へ打ち込んで再び崩壊戦争を始めるつもりで?」
遺跡での暴発時、アグネアの威力は最小限まで抑えていた。
それでも爆発で大きなクレーターを産み、その周囲の物を全て吹き飛ばして火の海へ変えたのである。
過去の記録によると、アグネアが本来の威力を発揮すれば大陸の形さえも歪め、惑星の環境を大きく変えてしまうとなっている。
それにより大陸の形が変わってしまったというのは誇張かもしれないが、過小評価という訳でも無いとトールは思った。
だからこそ、その様な物を人の手に渡す訳にはいかないと、それらのデータを燃やしたのである。
「それに、その中には歴史的な価値がある物や発掘された原子熱線砲なんかのデータがあったと思います。全くの無価値では無いでしょう」
悪びれる事も無くトールは言う。
それを聞いた小山は半ば放心状態でデータを確認した。
しかし、アグネアを手に出来るかもしれないという期待からすれば、それは僅かな慰め程度にしかならなかった。
「では、自分はこれで……」
トールはカバンを手に持つと部屋から出ようとドアに向かう。
そして、その手前で一度振り返って口を開いた。
「そうそう……。何でもそうですけど、身の丈に合わない物は持たない方が良いですよ。“親父殿”?」
トールは今や養父となった小山に皮肉と嘲笑を向け、その後で部屋から出ていった。




