71話 小山武蔵
年が明けて真暦1083年1月21日。
トールはヒノクニの捕虜収容所の一室にいた。
周りは全てコンクリートの壁で覆われ、目の前には分厚い金属製の扉がある。
例の機密情報を山田に持ち込んだ後、トールは野戦病院で1週間過ごし、怪我の治療が済んだ後に捕虜収容所へやってきたのだ。
これも全て山田少佐の考えである。
やがて、音をたてて目の前の扉が開くとスーツ姿の壮年が現れた。
「君が例の機密情報を持ち込んだミュラー少尉かね?」
「そうです」
壮年は椅子に座っているトールに尋ねる。
「貴方は? 見たところ軍人では無さそうですね」
無骨さに欠け、何処かインテリジェンスな顔付きから見てそう判断する。
「私は小山武蔵。君の言う通りに軍人では無くヒノクニ経済省の副大臣だ。一応……、軍に所属していた事はあるがね。25年も昔の事だが」
ヒノクニでは政治に参加する権利、つまり選挙権と被選挙権などを得られるのは過去に軍に所属していた者か、一部の公務員に限られるのだ。
「そうですか」
一応という言葉が出る辺り、軍における最終的な地位は大した事は無いのだろう。
おそらくは政治家の二世、三世であり、政治の参加権を得る為、とりあえず軍に所属していたとトールは見る。
「……君の予想は当たっているよ。私の最後の階級は大尉だったが、所属していたのは人事課で前線には出た事は無い」
小山と名乗った男はトールの怪訝そうな顔を見て、瞬時にその内心を言い当ててみせた。
「人事課の大尉……」
小山の見た目を思えば25年前で30そこそこだろう。
出自を思えば士官学校卒は間違いないだろうが、それと年齢を踏まえて考えると後方の大尉止まりという事は才能が無かったか、名ばかりの軍人だったのかもしれない。
「しかし、君が探しているのは軍人ではあるまい?」
「まぁ、そうですね」
小山の言う通りである。
トールが求めているのは、持ち込んだ情報の価値を理解し、自分の身の安全を確保出来るだけの能力を持つ人物だ。
もっと言えば、この情報の危険性も理解出来るのなら有り難いとも思う。
「私の身の安全を保証出来る人を探しています」
どちらかと言えば役人、というよりも政治的な力を持つ者である。
この小山という人物はその点では問題は無さそうであった。
「あぁ……。いくつかの条件を飲んでくれたら何とかしよう」
小山は椅子に座っているトールを見下ろしながら言う。
「条件?」
それはそうだろうなと思う。
安全は確保されるが、行動の自由は制限されるだろうと予想する。
「まず、君の持ってきた情報にはいくつか意図的に抜かれた部分がある様に見られる。その抜かれた部分を譲って欲しい」
「さて……?」
トールは惚けて見せた。
確かに小山の言う通りに、トールは幾つかの情報を抜いて山田少佐に渡していた。
主に遺跡関係とアグネアについてのデータである。
「君は見た目の割に抜け目が無いようだね?」
小山の皮肉に対してトールはそれはそうだろうと内心で思う。
初めからデータを全て渡してしまえば、ヒノクニは間違いなく自分を始末するだろう。
その方が匿うよりよほど楽なのだ。
そうならない為にトールはワザとデータをいくつか抜いておいたのである。
「どうでしょうね……? で、他の条件は?」
小山の言う条件はいくつかあるらしい。
それを全て聞いてからの返答だ。
「まぁ良いさ。次の条件は君には軍に入ってもらう事になる」
「軍……、ですか……」
トールは苦々しい顔になる。
行動の制限として何処かに拘束されるのであれば、毎日ゆっくり本でも読んでいる生活が送れるはずなので、むしろ有り難いくらいに思っていたのだが、再び軍に入れというのは予想外であった。
「ハッキリ言えば、君が持ち込んだ情報……。あれだけではただの士官である君を我が国で匿う理由としては不十分だ。情報だけ手に入れたらアラシアに送り返すなり、文字通り死んでもらった方がリスクが少ない」
その言葉にトールは警戒心を示す。
いっそこの男を人質にしてルーラシアにでも逃げてやろうかとも思う。
「ただ、軍にいるなら話はマシになってくる」
「どういう事です?」
「一応アラシアは君を戦死扱いにしているが、裏ではまだ君を探している。……正確には君の持っている情報をね」
やはり戦死したと思わせるには仕掛けが甘かったのだろう。
まだ自分が生きていると思うのは当然かもしれない。
トールはため息をつく。
「もし、ヒノクニがトール・ミュラー少尉という人物を匿っている事を、アラシアが知れば非常に面倒だ。しかし、君が軍人として前線に出ていればどうにでもなる。我々の国では傭兵も珍しくないし、戦死や行方不明者などもよくある話だからね」
「つまり手間をかけない為に戦死しろと?」
小山は何も答えない。
しかし、その無言は肯定を意味している事は明らかだ。
「君はアベル・タチバナを知っているか?」
小山はそのまま話題を切り替えた。
その口から出た名前はトールもよく知る人物である。
ヒノクニの士官で、トール達は一時期彼の指揮下で動いていた事もあった。
「知ってますよ。一時期、私の部隊はアベル大尉の指揮下でしたから」
「今は少佐だね。……それはともかく、君を私に紹介したのは彼なんだ」
それは意外な話であった。
この小山に自分を紹介したのは山田少佐だとトールは思っていたからだ。
「山田康介少佐か? 彼が君の事をタチバナ少佐に話して、その繋がりで私はここにいるのだが……」
「アベル少佐に政治家の知り合いがいたとは驚きですね」
「……彼も色々複雑な事情があってね」
小山は言葉を濁す。
アベルに何か含むところがあるのだろう。
「で? そのアベル少佐がどうしたんです?」
ここで名前が出てきた以上、何かあるに違いない。
「タチバナ少佐は君を高く評価しているようだ。もし君が軍に入るなら彼が自分の部下にしたいと申し出ている」
トールは狐につままれたよう様な表情になる。
しばらく会っていない内にアベルはトールの能力を忘れてしまったのか、あるいは別の誰かと勘違いしたのだろうか。
「その時の部下が優秀だったのは間違い無いですけどね……」
あくまで優秀だったのはアレクやサマンサといった部下達で自分では無い。
今のトール・ミュラー少尉という1人の士官は、少尉という階級すら分不相応な人物だと本人は思っているのだ。
小山はその辺りが分かっていないらしい。
「で? どうするね?」
トールは数秒考える。
軍で前線に立つというのは冗談では無いと思うが、それ以外に選択肢は無い。
まだ、上官がアベルという理解のある人物なだけマシかと思う。
ここはヒノクニでトールには他に頼れる者もいないのだ。
「分かりました。ただ、そちらへ渡す情報は私の身がハッキリしてから渡します」
トールはその条件を飲む事に決めた。
しかし、手に入れた情報の残りをこの場で渡す訳にはいかない。
渡せば自分の身がどうなるか知れたものでは無い。
「……仕方あるまい」
小山は苦々しい顔でそれを了承する。
そうせざるを得ない。
もし、ここで了承しなければ彼は何をするか分からないと判断したのだ。
実際のところ、トールはそこまでの能力を持っていないのだが、小山はそんな事を知らない。
ただ、アベルが彼を高く評価しているという事から、油断のならない人物だと勝手に思い込んでいるに過ぎないのだ。
「……で、身分についてだが流石にトール・ミュラー少尉のままだとマズいからな。君には別の人物になってもらう」
小山はそう言うと1枚の紙をトールへ手渡した。
そこにはトールの顔写真が貼られており、その左側には“小山源明”と書かれている。
「これは?」
「小山“ゲンメイ”。君のヒノクニでの名前だ」
聞きなれない響きにとトールは違和感を覚える。
「そして、書類上では私の養子という扱いだな」
その言葉にトールの顔は不快感を顕にしたものに変わった。
彼の両親は未だ健在なのにも関わらず、いきなり他人の養子になると言われれば当然の反応である。
もっとも、この時にはトールの両親はテロの被害に遭い死亡しているのだが、彼はそれを知らなかった。
「……身元の保証人は必要だろう」
小山が言う。
「それはそうでしょうけどね」
初対面の人間を義理とはいえ親と呼べるものか。
トールは叫びたい衝動にかられる。
「本音を言えばアベル・タチバナ少佐以外にも軍との繋がりは持っておきたい。……が私には妻子がいないのでね。子供を軍に送る事も出来んのだよ」
「それはどうも。……そういう理由でも無ければ養子などやりませんよ」
内心で気持ち悪いという言葉を付け足しつつトールは答えた。
「悪い話ではあるまいよ。君の身は軍に守られてアラシアは手を出せず、私は君を通じて軍との繋がりを強く出来るのだ」
ここまで来れば小山も悪びれる事も無く言う。
それに対してトールは舌打ちをして答えた
その後、2つ3つの言葉を交わして小山の条件を受ける為の書類にサインをする。
数日後には小山源明少尉の名前がヒノクニ陸軍の名簿に加わるが決まった瞬間であった。




