67話 北方事変
ワース地域陥落から1週間後の真暦1085年12月17日。
大陸の北側に位置するモスク連邦各地で異変が起きていた。
反乱である。
モスク連邦内の各地域が脱退を宣言。
各地域に点在する連邦軍基地に対して、それぞれの州軍が攻撃を開始したのだ。
15時23分。
モスク連邦の東側に位置するヴォルク自治州という地域にもそれは起きていた。
連邦軍駐屯地にヴォルク州軍が突如として押し寄せて来たのである。
「本国へ急いで増援を送る様に伝えるのだ!」
基地司令は執務室の受話器に怒鳴り散らす。
その間にも基地の各所から銃声や爆発音が響いていた。
「なに! 帝国軍も攻めてきた?」
州軍だけでは無い。それにルーラシア帝国軍までもが攻めてきたのである。
一体、どういう事だと思考が焼き付くような感覚に襲われた。
次の瞬間。
執務室の扉が大きく開き、武装した兵士がアサルトライフルを構えて侵入してきた。
「お前達は……!」
司令も懐から拳銃を取り出す。
「抵抗はしないでいただきたい!」
兵の間から黒いコートを羽織り、その下にベージュのジャケットと紺のネクタイを締めた男が現れた。
「そういう事か……」
その男はルーラシア帝国の士官であった。
「我が友よ。ここは大人しく従ってもらおう」
更に黒い士官服を身に着けた男が現れる。
これはモスク連邦の士官であった。
それらを見れば、何が起こったかすぐに理解出来た。
この反乱はルーラシア帝国が焚き付けて行わせたものなのだ。
モスク連邦内には連邦政府に不満を持つ地域も多い。
ルーラシア帝国がそうした勢力に支援を申し出て、各地域で反乱を起こさせているのだろう。
「これが望みか……!」
基地司令はよく見知った、同じモスク連邦の士官を睨んで言う。
「そうだ。今日よりヴォルクは真の独立を得る事になるのだ」
その士官の名前はイェゴール・ミルスキーであった。
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その日の夜、21時32分。
ヴォルク州軍基地の戦機整備ハンガー内。
そこには反モスク連邦軍を支援しているルーラシア帝国軍も駐留していた。
その中で、腰ほどの高さがあるプラスチック製の箱に腰をかけて食事をとっている男がいた。
オレンジ色の髪が特徴の李・トマス・シーケンシー大尉である。
今回の反連邦政府軍の支援として中隊の指揮をとっていたのだ。
シーケンシーは不味い事で有名なレーションを全て食べ終わると懐から紙袋を取り出す。
中身は錠剤であった。
それを口に放り込み、粗末なプラスチックコップに入れられた水で胃の中に流し込んだ。
「体調が悪いのか?」
ベージュの士官服を着た男が声をかけた。
「タケルか」
星乃宮尊大佐。
今回の反乱の首謀者の1人である。
「腹の具合がどうもな……」
そう言うとシーケンシーは別の種類の錠剤を飲んだ。
「何種類の薬を飲んでいるんだ?」
星乃宮は苦々しい顔で言う。
エースパイロットともあろう男が病人の様に薬を幾つも飲むというのは、あまり格好が付かない。
「2種類だけだ。整腸剤と下痢止めだ」
そう答えてシーケンシーはコップの水を一気に飲む。
「お前は昔から腹が弱かったな」
上司である以前に幼友達でもある星乃宮はシーケンシーの過去を思って言う。
「こんな氷点下何度なんて所に放り出されれば腹の1つも壊すだろう」
ハンガーの外では雪が降りつつある。
ほんの10分程まで見えていたアスファルトの地面は雪で徐々に見えなくなりつつあった。
「まぁな……。何にせよ後少しの辛抱だ。1ヶ月もすれば北部戦線はモスク連邦の内紛で大荒れだ。そうなれば我が軍は一時戦線を縮小する」
「この辺りの占領は反連邦軍が行うと?」
「そうだ。そして、それを支援するのは帝国軍だ」
「上手くいくものか……?」
「どちらでも構わんよ」
反連邦軍はルーラシア帝国が支援している。
しかし、支援というのは名ばかりで実際は帝国の影響が強い。
モスク連邦内の不穏分子を帝国軍として取り込んだと言っても過言では無いのだ。
もし、反連邦軍が敗北したとしても、内戦の影響はモスク連邦政府を弱体化させているはずであり、そこを叩くのは容易い。
どちらに転んでも帝国としては構わないという事である。
「適度に反連邦軍を煽りながら高みの見物といくさ。その為にワース地域を手に入れたのだ」
ワース地域はアラシア共和国とモスク連邦の合間に位置している。
ここを抑えればモスク連邦は同盟国であるアラシアの支援を受ける事が難しくなるのだ。
つまりモスク連邦は支援の無い中で、各地で起こる内紛の鎮圧と帝国との戦争を同時に行わなければならない。
「しかし海路はどうなる? ワース地域を迂回して海を通っての支援も出来るはずだが?」
シーケンシーの言う通り、ワース地域の陸路が駄目でも、東に面している海を通ってアラシアとモスク連邦を行き交う事は可能だ。
「そこは海軍の仕事だ。俺達陸軍じゃどうしようもない」
星乃宮は顔を曇らせて答えた。
現在、ルーラシア大陸の海に面している地域のほとんどがアラシア、モスク連邦、ヒノクニの勢力圏か、人の立ち入る事が出来ない汚染地域である。
その為、ルーラシア帝国の制海権は僅かであり、海軍はお世辞にも精強とは言えない。
「まぁ、これを機に海軍に降りる予算が増えれば多少はマシになるだろう」
そう呟いてみるが、これに関しては星乃宮も確信を持てなかった。
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真暦1085年12月21日。
ホワイトリバー基地ではモスク連邦で起きた内戦で話題が持ちきりであった。
「この反乱を起こしたミルスキーとかいう奴は、オリガ大尉と関係あるのか?」
負傷した左腕に包帯が巻き付いているアレクが尋ねた。
小隊詰め所の長机に置かれた新聞には堂々とその名前が書かれていたのだ。
「まさか。同じ姓なだけでしょう? でなければ大尉は今頃取り調べを受けていますよ」
答えたのはニコライだ。
彼の言う通りにオリガは何事も無く、何時も通りに業務をこなしている。
「それどころか、昇進するって噂ですよ」
新聞を手に取ったリーファが言う。
それは初耳であった。
「昇進?」
「はい。何でも新たに特殊部隊を編成するとかで……。オリガ大尉がその部隊長をやるみたいです」
「特殊部隊?」
「噂ですけどね」
「ふーん」
特殊部隊……。少なくとも自分は絶対に行きたくないとアレクは思う。
しかし、こうした部隊は志願制である事がほとんどであり、志願する気の無い自分が配属される事は無いだろう。
「小隊長!」
ジョニーとロッドである。
訓練を終えて戻ってきたのだ。
ただ、先の戦闘で小隊内の戦機は全て放棄してしまったので訓練内容は歩兵と同じ事をさせていた。
「戻ったか」
アレクは腕輪時計で時間を確かめた。
16時32分、今日はここまでにして自由時間をくれてやろうと思う。
「分かった。残りは自由時間にすると部下に伝えておけ」
「了解です。報告書は夕食後に提出します」
ジョニーはそう言うと、部下に自由時間である事を告げに詰め所から出ていった。
しかし、ロッドはそのまま残っている。
「どうかしたのか?」
不審に思いアレクが尋ねた。
「はい。これを……」
ロッドは懐から1枚の紙を取り出した。
「……?」
アレクはそれを受け取る。
除隊届であった。
「……どういう事だ?」
突如、軍を辞めたいという事にアレクは顔を曇らせる。
その後ろでニコライは一度肩を竦めてロッドに視線を向けた。顔は面白そうな物でも見るように半笑いである。
「実は結婚しようと思っています」
アレクは驚いて目を丸くする。
「そりゃあ……、突然だな」
辞めるという話も突然なら結婚するという話も突然であった。
「相手は?」
当然の疑問である。
「……その、ワース地域で知り合った女なのですが」
ロッドの歯切れは悪い。
その様子でアレクは相手を察する。
おそらく相手は基地周辺にいた商売女だろう。
アレク自身はそういった類の女を不快感を持って見ていた。
しかし、そういった者達が日々の生活の為にそうざるを得ない事情は知っていたので、部下がそういった女を買う事を黙認していた。
その中にはジョニーやロッドもいる事を知ってはいたのだ。
しかし、その女と結婚するというのは如何なものか。
「……そういう事か」
「決して隊長の思うような人では無いですよ」
ロッドは慌てて擁護する。
「そうかい」
怪しいものだとアレクは思う。
だからといって、ロッドが辞める事を引き留めても変わらないだろう。
「とりあえず除隊届は受け取った。人事の方にも回しておくが後悔は……、したら再志願すれば良いか」
辞めた後で、やはり軍に戻りたいとなった場合は、再志願すればすぐに復帰出来るのだ。
アレクはそれを思いながら除隊届にサインをする。
「ありがとうございます。では自分も自由時間に入ります」
ロッドはそう言うと詰め所から出ていった。
「知ってたか?」
結婚の話である。
「まさか」
リーファは首を横に振った。
「自分は知っていましたよ」
ニヤニヤ笑いながらニコライが答える。
「相手はどんな奴だ?」
何で知っているんだという表情でアレクが尋ねた。
「彼女は自分も会った事がありますからね。……この事はロッド軍曹には内密で頼みます」
「軍曹……」
ロッドの婚約者はニコライも買った事があるという事だ。
「ああいう女は色々な部隊の男と寝てますからね……。それこそ一兵卒だけでなく、上級士官の相手をしてるのもいます。まぁ、そうした情報を集めるのには都合が良いのですよ」
つまりは情報収集の為に買っていたのだ。
恐ろしい話だ。
「ロッド軍曹の相手は元帝国民ですね」
「敵国の女か」
「はい。ワース地域でも帝国領に住んでいたのですが、アラシア軍の爆撃で住んでいた街が焼かれて身内も全員死んでしまったらしいです」
「そりゃあ……。よくロッドと結婚する気になったな」
住んでいた場所を焼いた国の軍人と結婚するというのも皮肉な話だ。
「まぁ、ロッド軍曹にも負い目があったのでしよう」
「俺達を恨んでるんじゃないか? 彼女の街を焼いたのは俺達の軍だぞ」
「その辺は微妙ですな。最前線の街という事もあって、帝国時代にも色々と酷い目にあっていたみたいですし……」
「酷い目、ねぇ……」
「アラシアの占領政策で、住む場所と僅かでも手当がもらえるだけマシと言っていましたよ」
巻き込まれた一般人か……。
例え、敵国といえでも同情的にならざるを得ない。
アラシアの人間と結婚すれば市民権も得られるし、生活水準も上がり、自分を売る必要は無くなるだろう。
「なら、止める訳にはいかないか……」
アレクはため息をつく。
「でしょうね」
ニコライも話し終えて苦々しい顔になった。
「でも軍を辞めてどうやって食べていくつもりなんでしょう?」
それまでの話を聞いていたリーファが言う。
「おそらく家業を継ぐのでは?」
ニコライである。
「家業?」
そんなものがあったのかとリーファは疑問符を浮かべた。
「何でも実家は農家で、野菜やら何やらを作ってるとかいう話です」
「そうなのか」
数年の間、部下として従えていたがアレクはその事を初めて知った。
「知らなかったのですか……」
何故知らないのだとニコライとリーファの2人は呆れた顔を見せた。




