54話 オリガ・ミルスキー中尉
美人、というのだろうか?
ニコライに小隊長室へ案内され、そこにいた人物を見た瞬間にアレクは思った。
息を飲むとはこういうことか。
その容姿は名工の象牙細工の様に整っており、高貴な雰囲気を漂わせている。
まさに美しいという表現をそのまま形にした様であった。
瞳の色は容姿に違わず美しいブルーであり、そこからは見えないプレッシャーが発せられ、それを直視するのは失礼なのではないかという思いに駆られる。
髪の毛はプラチナブロンド。やや伸ばしたそれを三つ編みにして、先端を緑のリボンで結んであるのは彼女の茶目っ気であろうか。
その女性はアレクとニコライを見止めると顔を上げて、それまでデスクで行っていた仕事を中断して立ち上がる。
そして、しなやかな動作で歩いて近付いてきた。
その動作は静々としたモノであり、軍に似つかわしくない高貴な雰囲気に思える。
ただ、高貴といってもお嬢様然としたものとは違う、研ぎ澄まされた名刀の様な鋭さを感じさせた。
「貴方がアレクサンデル・フォン・アーデルセン曹長ね?」
声は見た目の割に高い。
歳は自分よりも上かと思ったが、そうでも無いのだろうか?
「はい。アレクサンデル・フォン・アーデルセン曹長、以下12名只今到着致しました」
敬礼をして答える。
そして、目の前の小隊長を改めて一瞥した。
女性士官用の制服でもスカートタイプのものを着ており、それがよく似合っていた。
ただ、腰には古めかしいリボルバーピストルが収められたホルスターがこれ見よがしに巻き付いている。
何度も死線をくぐり抜けて鍛えられたアレクの直感が、彼女は自分と同等かそれ以上の実力がある事を告げた。腰のリボルバーも相手を威圧する飾りでは無いのだろう。
「私はオリガ・ミルスキー中尉。貴方の事は書類で読ませて貰ったわ。中々、腕が良いみたいね」
「恐縮です」
「ただ、規律は守って貰うわよ?」
「善処します」
声は良いのだが、何故こうもプレッシャーがかかるのだろう。
この人物に逆らうのは利口では無いとアレクは思った。
「それと、これを……」
オリガはデスクの上からは小さなプラスチックケースと1枚の封筒をアレクに渡す。
「これは……」
「今から貴方を准尉に昇進させるわ。新たに3つの分隊を加えるから、合計で6つの分隊の指揮をとってちょうだい」
ここに来て昇進である。
アレクは何とも言えない気持ちになった。
おそらくは、ここで一定の戦果を上げた後に少尉に昇格させて小隊を率いるという事になるのだろう。
かつてのトールと同じ道を進んでいるという事だ。
「……あまり嬉しくなさそうね」
オリガが言う。
「昇進するとは思っていなかったので」
大所帯を指揮をするのは自分の得意とするところでは無いのだが、と内心で思いながら答えた。
「貴方の今までの戦果を考えての事よ。優秀な軍曹を付けておくから、何かあればそれに相談しなさい」
それは有り難いとアレクは「それは助かります」と短く答えた。
言い終わるやオリガが解散を命じたので、アレクは小隊長室から出て行く。
「如何ですかな? オリガ中尉は」
先程から隣にいたニコライ軍曹がニヤニヤ笑いながら尋ねた。
同時に新しい分隊が待機している宿舎へ誘導を始める。
「美人じゃ済まされないな。ありゃ一体何者だ? 士官学校卒のエリートという訳でも無さそうだが」
アレクはニコライに付いていきながらオリガ中尉についての感想を答えた。
彼女が見せた動作は荒々しさが無く、ただの軍人という訳では無いように思える。
「正直、詳しい事は何とも……。私が見る限りでは良い所の産まれとしか……。動きはSSにも通じる部分はありましたがね」
「SS? 帝国の皇族親衛隊の事か?」
「あるいは共和国シークレットサービス……。そういった類の出だと思われますよ」
「何やら複雑そうだ」
「無事平穏に過ごしたいなら、詮索はしない事ですな」
「そうする。深入りしたせいで大変な目にあった奴を知っているんでね」
トールの事である。
あれから3年経ってから思い返すと、ヒノクニと深く関わらない様にしていれば、アグネアの事件に巻き込まれる事も無かったのではないかと思うのだ。
「まぁ、お分かりになったかと思いますが優秀な方ですので指示に従っていれば不当な扱いはされないと思いますよ」
その通りだろうなとアレクは思う。
そうなれば、跳ねっ返りの集まりである自分の部下達に言って聞かせないと面倒な事になると自覚する。
「ここが宿舎です」
ニコライが扉を開ける。
同時にアレクは頭を抱えて大きくため息をついた。
宿舎のパイプベッドや机やらが部屋の左右に追いやられ、広々と開けられた中央で自分の部下達と新しい分隊とで乱闘になっていたからだ。
扉を出たすぐ側には赤毛で丸い瞳の女性が乱闘に視線を向けながらオロオロしている。
オリガ中尉とは違い、パンツスタイルの軍服を着用していた。
階級章を見ると彼女も軍曹である。
「これはどういう事か?」
アレクが尋ねた。
「は、はい! ベッドを誰がどの位置を使うかについて口論になり……!」
「気付いたらこのザマと……?」
「その通りであります!」
なんてくだらない事で喧嘩をするんだとアレクは憤りを観じながら乱闘を睨みつける。
「元気の良い事ですな」
ニコライは皮肉を込めて言う。
「馬鹿共が……。軍曹、この辺りに登山用の山はあるかい?」
超罰として近くの山を往復させてやろうかとアレクは尋ねた。
「それなら都市部のゴミ拾いがよろしいかと、地域貢献に繋がるのと土地勘が身につきます」
「OK、それで行こう」
アレクが一歩踏み出した。
乱闘をしている全員を殴り飛ばして止めようと思ったのである。
しかし、それよりも早くニコライが大声を出した。
「止めんか! 貴様ら!」
雷の様な怒号が響き、その場にいた全員の動きが止まる。
「あ、隊長!」
ジョニーが大声を出したニコライの横で、苛立ちの表情を浮かべて腕を組んでいるアレクに気付く。
「大まかな事情はこの軍曹から聞いた。……お前ら全員罰として街のゴミ拾いだ」
隊員達は不満そうな表情を浮かべていた。
しかし、軍規違反である事には違いないので渋々ではあるが了解する。
アレクは新しく編入された隊員達を一瞥して、その中でも一番階級が高いであろう伍長を見止めると口を開く。
「お前が指揮を執れ。我々より土地勘はあるのだろう?」
その言葉にアレクが以前から率いていた部下達が反発の表情を見せた。
当然、アレクもそれに気付く。
「この基地では俺達が新入りなんだ。その辺、よく考えろ」
「……了解しました」
ジョニーは肩を竦めて答える。
「ええと……、准尉殿。時間はどうしましょう?」
先程の伍長が尋ねた。
自己紹介すらしていないのだ。伍長は遠慮がちである。
「1730時には基地に戻れ。夕食後、改めてミーティングを行う」
「了解。1730時まで都市部のゴミ拾いを行います」
伍長は命令を復唱する。
その後、隊員達はゾロゾロとゴミ拾いに出かけるのであった。
「やれやれ、初日からこれか。悪いね軍曹」
「隊内で処理出来る程度で済めば構いませんよ」
ニコライは笑って答える。
流石にベテラン軍曹だけあって、こういった事態にも慣れたものだ。
「さて、後はいくつか確認しておかないといけない事があるな」
アレクはひっくり返った椅子を元に戻すと、その上に腰をかける。
「でしたら私では無く、こちらの軍曹にお願いします」
ニコライはそう言うと、先程オロオロしていた赤毛の女性軍曹の背中を押して、アレクの前に立たせる。
「私は准尉殿の部隊とは違う隊ですので」
てっきりアレクはニコライは自分の部隊になるかと思っていたので、その言葉に眉をひそめる。
「オリガ中尉は優秀な軍曹を付けると言っていたが……?」
アレクは訝し気な視線を赤毛の女性軍曹に向けた。
どう見ても目の前で未だにどうしたら良いものかと落ち着きの無い様子の彼女が優秀な様には見えない。
「優秀ですよ。少なくとも軍規と数字に関しては彼女の右に出るものはいません。私が保証します」
ニコライはニッと笑って言った。
「……そういう事か」
つまり、兵士としてよりも事務官として優秀ということである。
しかし、それならば軍曹として分隊の指揮を任せるよりも副官とした方が良いかもしれないとアレクは思う。
書類上はジョニーを副官に置いているが、彼は部隊の指揮や教育はともかく、事務処理能力はお世辞にも高いとはいえないからだ。
「名前は?」
女性軍曹に尋ねる。
「はい! リン・リーファです」
赤毛の軍曹は顔を赤らめて答えた。
先程のオリガ中尉とは違い、まだ垢抜けない印象を受ける。
「これは先が思いやられるな」
アレクは誰にも聞こえない様に呟く。




