53話 北国のワース地域
アレクの率いる戦機部隊は、正規兵として編入され軍曹に昇進したザザが率いる分隊を加えた3つの分隊となった。
当然、他の2つの分隊はジョニー軍曹とロッド軍曹の分隊である。
そして真暦1085年5月20日。
アーデルセン愚連隊などと通称されるこの部隊は、アラシア共和国北東部戦線ワース地域へ配属された。
ワース地域、ポイントF前哨基地。
ここはワース地域でも内陸部に位置している。その為、アラシア共和国軍でも陸軍の管轄下となっており、ロッドが懸念していた海軍とは関係の無い地域であった。
ただ、この前哨基地は都市部の真っ只中に設営されたものであり、基地のすぐ側には約1万5千人の市民が暮らしていた。
「賑わっているな」
それが歩兵輸送車から降りてから、初めてこの基地を見た第一印象であった。
基地を取り囲むフェンスとその中に通じるゲート。
その周囲には薄汚れた格好の民間人がウロウロと歩き回り、フェンスに沿って露店などが並んで賑わっていた。
「15年程前まではこの辺りは中立地帯でしたから」
ザザが言った。
こう言った話に詳しい人物である。
「そうなのか?」
そんな話は知らなかったとアレクが聞き返す。
「そういえばそうだったな……」
思い出した様にジョニーが言う。
「よく知っているな」
そう言ったちょっとした歴史や社会的な話とは無縁と思われたジョニーが知っていた事にアレクは若干驚きながら言う。
「まぁ、俺はリアルタイムでそのニュースを見てましたから……。でも俺やロッドが初等学校から卒業するかしないかの時ですから、隊長は知らなくても無理ないですね」
「15年程前って言ったか……。大きいニュースなら覚えていそうなものだが……」
「そこまで大きくはならなかったですね。その1ヶ月後くらいかな? 12年間負け続けたあの野球チームが優勝したって話題に持ってかれましたから」
「あぁ、その時か……」
15年前。まだ自分は7歳であった。
その時のニュースなどよほどインパクトのある内容で無ければ覚えていないだろう。
「しかし、何故中立地帯から今の状態に?」
現在、この地域はルーラシア帝国だったところをアラシア共和国が占領している形になっている。
「それも馬鹿な話ですよ」
答えたのはザザだ。
「元々、この地域では中立地帯としてやっていける程度の防衛軍がいたんですが……、それがルーラシア帝国に目を付けられましてね」
「目を付けられた?」
「それだけ強力な軍だったんですよ」
この戦争は15年前よりもっと先から続いていた。その中で中立地帯を貫くのであれば、当然ながら強力な軍が必要になる。
「当然、帝国はこの地域にプレッシャーをかける訳ですが……」
「自国の近くに強力な軍を持った勢力があればな」
「その対応がまずかったんですよ」
「反帝国同盟に参加を表明したとか?」
アレクの言葉にザザは「いいえ」と首を横に振った。
「軍を完全に解体したんですよ」
「何だと?」
非武装地帯とでも言うのだろうか?
アレクはそんな事を考える。
「その時の政府は、強力な軍があるから帝国はプレッシャーを与えてくる。それなら完全に武装を放棄してしまえば帝国は安心して手を出してこないと思ったんですね」
「それじゃ、どうやって国を防衛するんだ……」
「治安維持なら警察で充分と思ったんでしょう。こっちが戦闘を行う手段が無ければ、向こうも戦闘を仕掛けないと考えたみたいですよ」
その言葉にアレクは呆れて言葉も出なかった。
無抵抗なら相手は何もしてこないという事だが、そんな甘い話があるものかと思う。
「で、どうなったよ?」
「帝国が、“それは今のご時世だと危険なので我々が代わりに防衛しよう”と軍を送りました」
「中立地帯の防衛を帝国軍が引き受けた訳だ」
「ええ、その代わりに帝国軍に国の権益を一部渡す形になりましたが」
「事実上の占領だろう……。中立地帯が聞いて呆れるぞ」
机上の空論と希望的観測を実践して、大きな失敗となったという事だ。
呆れた話だとアレクは思う。
「実際、一部政府の役人や市民の間で暴動が起きましたよ。それでアラシア共和国に救援要請が来て、我が軍がこの辺りを占領したんですから」
「そういう事か」
合点がいったとアレクは呟く。
「帝国に降った元役人なんかは、今でもアラシアがここを占領した事に意を唱えてますね。中立非武装地帯をアラシア共和国が勝手に占領した、ってね」
ジョニーがザザの話に補足する様に言った。彼も苦笑しており、これまでの事を馬鹿な話と思っているようだ。
「言いがかりだな」
結局、中立地帯の人々は帝国と反帝国に分かれてしまったという事になる。
他国を侵略する方法は、戦争だけでは無いという事だ。
ザザの歴史講義を終えるとアレクは腕時計を見る。
そろそろ迎えの人物が来るはずなのだ。
「アレクサンデル・フォン・アーデルセン曹長でありますね?」
アレクが時間を確認し終えたと同時に男が声をかけてきた。迎えの人物の様だ。
階級は軍曹である。
体格は中肉中背、短く刈り上げられた黒い頭髪に無精ひげを生やした男であった。
「自分はニコライ・コルサコフ軍曹であります。曹長達のお迎えにあがりました」
「こりゃどうも」
アレクはとりあえずといった感じで敬礼をした後に官姓名を名乗る。
「曹長の噂は以前から聞いておりますよ。おそらくは自分と同じ小隊になるはずなのでよろしくお願いします」
如何にも下士官という態度にアレクは戸惑いを感じる。
それまで、自分の下にいた軍曹であるジョニーやロッドは部下とはいえ、歳上という事もあってかフランクな態度であり、このニコライの様に堅苦しくはなかった。
「軍曹、そこまで畏まらなくても良い。歳もそちらの方が上だろうし」
どうにもやり辛いとアレクは困った表情で言う。
「はは、そういう方もたまにおられますがね。10年以上軍曹を務めていると、こうなるのですよ」
「軍曹を10年?」
アレクはすぐに納得した。
ニコライは小隊付軍曹と呼ばれるものなのだ。
これは経験豊富なベテランの下士官で、新兵の鍛錬を行い、兵士に規律を守らせ、常に前線に出て、指揮官の補佐などを行う者である。
指揮官というのは部隊単位で物事を判断する為に、どうしても現場の細かい部分が見え辛い。
そうした指揮官に対して、兵士の立場からアドバイスを行うのが小隊付軍曹の役割である。
それも、経験豊富で成熟した大人としての見解を持ち合わせたものだ。
例えるなら、部隊の父親が隊長で母親が小隊付軍曹といったところか。
よって、部隊の指揮官が意見を求める時には、一番初めに小隊付軍曹に尋ねる事も多い。
「道理で……」
やり辛いはずだとアレクは思う。
訓練生時代、自分を鍛えた軍曹もそうしたベテランであった。
「……ある日、自分のベッドが山の上にあったなんて事は無いだろうな?」
山の上なら仕方無い、そんな冗談があった事を思い出す。
「ははぁ、曹長がもう一度訓練をやり直したいならそういう事もあるでしょうな」
ニコライは笑いながら答える。
「勘弁してくれ。もう一生分の山登りはしたつもりなんだ」
「仲間とベッドの脚を持ちながら……、ですか?」
「ついでに自分の着替えと教官のダンベルが入ったリュックも背負っている」
「それは良い思い出ですな」
「今、同じ事が起きたら良い思い出じゃ済まんよ」
ウンザリした表情のアレクに面白そうに笑うニコライ。それは中々見られない珍しい光景だとジョニーとロッドは思う。
彼らもニコライと同じ軍曹であるが、小隊付軍曹とは程遠い存在であった。
「まぁ、世間話はこの辺にしておきましょう。小隊長がお待ちです」
ニコライはそう言うとアレク達を基地のゲートへ案内する。
その途中、女を連れた兵士を何人か見かけた。
胸元が開いた服に短いスカートの如何にもな女である。
「軍曹、アレはなんだ?」
女を指して尋ねる。
「見ての通りです。この辺りじゃ兵士相手に商売をする事がほとんどですからね。ただ、売る物が無い奴らなんかは、ああして身体を売っているんです。……1回につき1食分の食糧だったり、医薬品だったりね」
「風紀はあまり良くないようだな」
アレクの言葉にニコライは無表情、というよりも顔を曇らせた様であった。
「物資は優先的に軍に支給されますから、そうもなります……」
「アレなんか親子連れだぞ」
まだ小さい子供を連れた女が兵士の手を引いているのを見付け、アレクは軽蔑を込めた驚きを見せる。
「母親は何としても子供を食べさせないといけない。それがお分かりにならんのですか」
その言葉にアレクは舌打ちをする。
この軍曹の言うことは正しかったからだ。
しかし、それを理解しつつも納得は出来なかった。
「曹長はお若いから分からないかもしれませんが、綺麗事だけではいかんのですよ。まだ、兵士が民間人を暴行しないだけマシと思って下さい」
アレクは黙り込む。賑わっている様に見えて、この辺りの市民は苦しい生活を強いられているという事なのだ。
「さぁ、早く小隊長の所へ向かいましょう。あの方は時間に厳しい人ですから」
ニコライはそう言うとアレク達を基地へ案内する。
その基地の建築物は、殆どがモルタルやプレハブ建築の粗末なものであった。
先の話から基地そのものも解体されてしまい、占領後に間に合わせで作られたのであろう。
「これが前哨基地か……?」
空き地が多く物を置くには困らないだろうが、基地施設は期待できそうに無いとアレクはため息をついた。
「住めば都ですよ曹長。それに我らが小隊長はとんでも無い美人です。それでおあいこですよ」
「そりゃどうも……。ただ美人の士官なら俺も1人知っているよ」
サマンサの事を思い出しながら言う。
栗毛に灰色の瞳、やや冷たい声の美人であった。
懐かしんでみても埓が無いのだが、そうせずにはいられない。
「良い部隊だったよ」
アレクは呟き、ニコライは笑いながらアレクの背中をバシバシ叩いた。




