51話 真暦1085年
12.1アグネア暴発事件から3年が過ぎた真暦1085年4月3日。
ルーラシア帝国では政変が起ころうとしていた。
帝国首都に存在する議事堂の中、1人の男が演壇に立っている。
男の名はフェイ・シュエン。
ルーラシア帝国における皇族の1人であり、政治的には穏健派。
つまり、これまでの戦争に対して疑問符を掲げる一派である。
そして、彼はそのリーダーともいえる存在であった。
「それは誤解です! 確かに我々はこの戦争に対して否定的に見えるかもしれませんが、無断で和平交渉を行う様な事は一切していない!」
旗色は悪い。
彼は、政府に無断で反帝国同盟と和平交渉を行おうとしたという嫌疑がかかっており、それに対しての弁明をしていたのだ。
特に問題になったのが3年前のアグネア暴発事件である。
当時、アグネアを回収するという作戦が存在したのだが、それを実行していたのがフェイの管轄下で動いていた部隊だったのだ。
しかし、結果として回収は失敗。
それどころか暴発させてしまい、データすら得られないという事態となった。
それがヒノクニと仕組んだ事では無いかという疑いが起こったのだ。
具体的にはアグネアを帝国に渡らせない代わりに、何らかの条約を結ぶ事で終戦に持ち込む足がかりとするという様な内容である。
「しかし、3年前のアグネア暴発事件……。あの時、現場で動いていたのは君の管轄下の部隊だったと聞くが?」
当然、話題はその事に触れる。
フェイの立つ演壇の右側の席から、その話題が飛んできた。
声の主は結城信秀。
フェイ・シュエンとは違い皇族では無い。
しかし姻戚関係ではあった。娘を皇族の末弟と結婚させているのだ。
「それは配布した資料にも記載したが、情報部独自の動きです。まだ、あの段階ではアグネアがあるという事実は把握していませんでした」
結城はその言葉を聞いて鼻で笑った。
彼の政治的スタンスは戦争継続派であり、フェイは政敵である。
「ではヒノクニに潜入させた我が軍の工作員が持ち込んだこの資料はどう説明されるのです?」
それはヒノクニの首相とフェイ派の官僚が行った密談について書かれたものであった。
その中にはアグネアに関しての文面も見受けられる。
フェイは苦々しい顔で黙り込んだ。
「まぁ、良いではないか。これも彼の部下が行ったことなのだろう?」
ややあって男の低い声が響く。
グレーのスーツに身を包んだ、眠そうな目をした老人であった。
「陛下……」
天帝である。
ルーラシア帝国のトップであり、この国においての最高権力者であった。
「何にせよ、過ぎた事を言っても仕方ない。それにフェイ大将自身が今回の件の直接的な首謀者という証拠もないのだからね」
天帝は疲れたと言いたげな表情を見せる。
細められた目からは、その心内が読み取れない。
「……」
結城信秀の隣で、そんな天帝に視線を向ける男がいた。
星乃宮尊。
皇族の末弟であり、結城信秀の娘を妻として貰っている。
「これでフェイ派は終わったか……」
ルーラシア帝国の実権を握るという野心を持つ彼としては、もっと結城派とフェイ派には争ってもらい共倒れになる事を望んでいたのだ。
「よくやってくれたよ」
結城は席に座ると星乃宮に小声で言う。
「君が軍内部のフェイ派を手懐けてくれたおかげだ」
結城の言葉に星乃宮は愛想笑いで答える。
「実際に戦うのは我々ですからね。ああいった手合が内部に動くとやり辛くて」
「君は根っからの軍人だな」
結城は星乃宮に視線を向けて言う。
その顔は笑っていない。
娘を嫁がせたとはいえ、彼を信用してはいないという事の現れであった。
無論、星乃宮もそれを理解している。
結城信秀は星乃宮尊の皇族としての血筋を、星乃宮尊は結城信秀の政治的権力を、お互いに自身の保身と野心の為に利用しているだけなのだ。
/✱/
その夜である。
フェイ・シュエンは邸宅に戻ると執事に財産と荷物の持ち出しを命じた。
「ヒノクニへ亡命する」
フェイはこれまでの経験から、このままでは政治的な立場を追われるだけでなく命の危険さえもあると判断したのだ。
ルーラシア帝国が世襲政治という体制をとっているが故に、政治的な発言力を失っても皇族の血筋というのは大きな影響力があるのだ。
現に、政敵である結城信秀は娘を皇族の末弟と結婚させたのだ。
しかも、その末弟は軍の中でも有能な部類であり、確実に戦功を上げて立場を強めている。
「これで水面下で進めていた条約交渉も水泡に帰したか……」
執務室の窓から邸宅の庭を見下ろして呟く。
「旦那様!」
執事が声を上げて執務室に飛び込んできた。
「何か……」
答えようとした瞬間である。
部屋の灯りという灯りが全て消え、辺りが真っ暗になったのだ。
「これは……!」
「侵入者です! 今、警備の者が対応をしております!」
執事の言葉にフェイは歯噛みする。
ここまで早く暗殺の手が来るとは思わなかったのだ。
もう一度窓から外を覗くと戦機が正門から侵入してくるのが確認出来た。
更に邸宅内から銃撃戦の音が響き渡る。
「ここまでか……。せめて妻と娘だけでも逃してやりたいが……」
「奥様とお嬢様ならイテン・マタイ伍長が連れ出す手筈になっております」
「……? 誰だったかな?」
「ひと月程前に配属された戦機乗りです」
フェイは自身の記憶を探り、執事の言う男を思い出す。
まだ垢抜けない雰囲気の若者であった。
「彼で大丈夫なのか?」
「青年同盟から引き抜かれたとの事ですので、決して悪くはないかと……」
青年同盟。
青年といっても実質は名前だけであり、兵役に付けない少年達に簡単な軍事教練を行ったものであり、あくまで人手の足りない地域レベルの組織であった。
「アテになるものかね……」
嘆息して言う。
もはや諦めるしかないか。
あと少しで人生50年に達しようというのに、涙を流して泣きたい衝動にかられた。
「心中、お察しします……」
彼よりも一回りは長く生きている執事も同じであった。
邸宅の一部から火の手が上がる。もはや逃げる事は叶わない。
暗い廊下の先から小銃を持った兵士達が走って来るのが見えた。
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「ルーラシア帝国、穏健派のフェイ・シュエンが暗殺された。犯人は同盟国のスパイと帝国は発表……、ねぇ……」
真暦1085年5月1日アラシア共和国。
前哨基地の簡易テント内で新聞を眺めながら呟く男がいた。
赤い髪に吊り上がったエメラルドグリーンの瞳を持つ男。
アレクサンデル・フォン・アーデルセン曹長。
相変わらず、アラシア共和国陸軍の戦機部隊を率いている。
今年で22歳となっていた。
「事実でしょうか?」
変わらずアレクの部下であるジョニー軍曹が尋ねる。
「内輪揉めだろう。それを俺らのせいにしているだけさ。まぁ、これで帝国との戦争が長く続く事は間違い無いだろうな」
新聞を長机の上に置いて答えた。
帝国における穏健派の頭領が死亡したのだからそうなるだろうなとジョニーも肩を竦めてみせる。
「ところで隊長」
ジョニーは話題を切り替える。
アレクは切り替えた先の内容を予想して面倒臭そうな表情を見せた。
「また異動です」
予想は的中した。
3年経った今でも、この部隊は反骨精神溢れる隊長よろしく様々な問題を起こしており、上からは疎まれているのだ。




