32話 戦闘の最中にて
13時24分。
ルーラシア帝国軍、ソウリャン市ポイントN地区防衛拠点。
その仮設テントに痩せ型で大きな瞳の男がいた。銀縁の丸メガネをかけており、軍人というより学者の様な雰囲気を漂わせている。
この防衛拠点の司令官ことニック・ダンチェッカー大尉であった。
かつては試作型の原子熱線砲を用いて、ジョッシュ要塞奪還作戦に参加していたが、アベル率いる要塞守備隊の奮戦により撤退を余儀なくされた人物である。
その後の紆余曲折を経て、彼はソウリャン地区防衛作戦に参加しているのだ。
現在、彼は部下の報告を聞いて顔をしかめている。
テント内のデスクには現在の戦況が書かれている地図が広がっており、通信士や斥候の報告によって、その内容は次々と変化していった。
「敵の中にも出来る奴はいるらしいな」
戦力を一点に集中させての侵攻。
分散した敵を、集中させた戦力で各個撃破する目論見が打ち砕かれた瞬間であった。
しかし、それでも地の利はこちらにある。
「仕方無い。プランBだ」
ダンチェッカーは忌々しいという顔で指示を出す。
「ハント中尉の部隊を前線に出せ」
彼は自分の最も信頼のおける部下を前に出させて敵を食い止める様に言う。
「了解です」
慣れた手付きで通信士が命令の伝達を行う。
「さて、後は他の防衛拠点が敵を追い払ってくれれば良いのだが……」
期待は出来まいと思いながら呟く。
今回の防衛作戦の司令官はロクに戦闘に出た事の無い皇族のボンボンだという話を聞いたことがある。
最近の軍上層部は無能しかいないというのがダンチェッカーの考えであった。
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15時12分。
ソウリャン市F地区。
戦闘区域から1キロ程離れた場所にある6階建てマンション。その最上階にある1室で第438部隊は司令部からの命令を待っていた。
その部屋の窓からアレクは身を乗り出して双眼鏡を覗いている。
「状況はどうですか?」
茂助が尋ねた。
「ここからじゃ分からないな」
「数はこちらのが多いみたいですが……」
「市街地戦だ。建物に重機関銃を持った奴が隠れていたら、俺達戦機乗りはたまったもんじゃないぞ」
戦機の装甲は薄い。
下手をすれば中機関銃ですら機体を貫通される。そのくせ歩兵などよりも大きくて目立つ為に、歩兵からしてみれば良い的なのだ。
それを防ぐ為に、基本的に戦機は左腕に盾を装備していた。
この装備は敵の攻撃に対して非常に効果的であるのだが、それは正面からの撃ち合いにおいての場合であり、伏兵などによる予想外の方向からによる攻撃にはほぼ無力なのだ。
当然、アレクと茂助はそれをよく理解している。
「かといって、索敵の為に足を止めようものなら敵の砲台から弾が飛んでくるからなぁ……」
現在、敵は曲砲支援を行っていない。
これはアラシアが敵部隊に近接戦を仕掛け、敵味方が入り乱れる乱戦になっている証拠であった。
「敵との距離が離れれば敵は支援砲撃をする。敵の砲門の数は多くはないから、全滅する事はないだろうが……」
「結構な損害になりますね」
茂助も窓から外を覗いて見るが、廃墟となったビルの隙間から白煙が上がるのが見えただけであった。
「出撃よ」
そこへサマンサが自身の栗毛を揺らしながら小走りでやってきた。
「今日は出番無しじゃなかったのか?」
アレクが窓から視線を離して言う。
「第1小隊の損耗率が5%を越えたの。一度後退して後続の第2小隊が前線に出たわ。私達も側面から敵を攻撃して、これの援護をするように言われたのよ」
やれやれとアレクと茂助は苦笑する。
「敵も案外やるものだね」
そんな事を呟きながら、アレクはもう一度窓から外を見た。
視線を下に向けるとトールと自分の部下であるジョニーが何やら話している姿が見える。
「この作戦がうまくいけばトールは晴れて少尉に昇進よ」
サマンサの言葉を聞いてアレクはニヤリと笑う。
「この部隊で撃墜数か1番少ない奴が少尉か」
不敵に笑いながら言う、
「何もしないで昇進出来る……。人によっては羨ましがられる才能ですね」
茂助も釣られるように言った。
「まぁ、本人はその話を聞かされて嫌そうな顔をしていたわ」
そのトールの顔がアレクと茂助には容易に想像がつく。
「昇進を嫌がる人も珍しいですね」
「まぁ、後方でのんびりしながら徴兵を逃れようと考えていたくらいだからな」
アレクはそう言うとパイロットジャケットの袖に腕を通す。
雑談をしながらも出撃準備は手早く行わなければならない。
「少尉……、というより尉官以上の士官は定年以外の理由で退役した場合、10年間は招集があれば応じる義務が発生するものね」
「そうなのか?」
アレクは全く知らなかったと驚く。
そうなると、昇進したトールは退役したとしても軍属であることに変わらないのだ。
しかも、現在の戦況では再招集がかかる可能性は高い。
「昇進しなくて良かったー」
他人事の様にアレクが言う。
彼もまたトールと同じ徴兵逃れの為に志願した人物であったからだ。
「アレク……」
それを見たサマンサがジトっとした視線を向ける。
「アレク曹長も退役希望ですか?」
茂助はその事に驚く。
トールと違い、アレクの勤務態度は退役希望というダウナーな素振りが見られなかったからだ。
「俺もトールと同じように後方勤務の希望を蹴られてここにいるんだ。元からやる気があって、こんな事してる訳じゃないぜ」
言い終わる頃には3人とも出撃の準備が整い、自分達の機体に向かっていた。
階段を降りた先にトールが面倒臭そうな顔で立っている。
「昇進おめでとさん」
笑いながらアレクがトールの肩を叩く。
「それは成功してから言うことだね」
言われた本人は嫌そうな顔で答えた。
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15時34分。
アラシア共和国、N地区攻略作戦指揮所。
「第8独立部隊が東側E5ブロックで敵と交戦に入りました!」
通信機の前に座り、ヘッドセットを付けながら各部隊の報告を聞いている通信士の1人が叫ぶ。
それはトールの率いる部隊である。
彼らがよく言っている第438独立部隊という通称は、第4大隊内、第3中隊内、第8独立部隊の略なのだ。
ランドルフが率いるのが、その第3中隊であり、その中に所属する8番目の独立行動をとっている部隊という意味合いである。
その部隊が先程、ランドルフの命令を受けて敵と交戦に入ったのだ。
司令所中央の長机に広げられた地図に、第438部隊を模した青い駒が通信士の伝えた場所に置かれる。
すぐ前に赤い色の駒が置かれていた。敵部隊を模した物である。
「命令通り側面に来たな」
ランドルフがアイスブルーの瞳を細めて呟く。
「ただ、正確な位置は分かりません。ジャミングをかけている様です」
先程、第438部隊の駒を置いた兵士が答えた。
「彼らにそんな装備があったのかね?」
尋ねられ、ランドルフの副官が慌ててファイルを手に取った。
その中に挟まれている第438部隊のページを確認する。
「はい。あの部隊に配備された新型機……、クロスアイの装備に電子戦装備があります。性能はアジーレよりも優れているかと……」
「なるほど……。しばらくは好きにやらせておけ」
第438独立部隊の面子を思い出しながら言う。
あの部隊にはサマンサ・ノックスが所属していた。
小生意気で気に入らない女だが、能力はある。彼女がいるなら、しばらくは放置して問題無かろう。
「第1小隊は完全に戦線から離脱しました」
またもや通信士の声。
「修理と補給を急がせろ」
自分が言うよりも先に副官が通信士に答えた。
「敵の司令部は……」
「はい?」
目の前に広げられた地図を眺め、ランドルフが呟く。それを聞き逃すまいと副官も答えた。
「いや、敵の司令部……。指揮所は何処だったかと思ってな」
「この防衛線の3キロ程先という報告です。……ヒノクニの航空偵察によるものですが」
副官の答えを聞きながらランドルフは顎を擦る。
地図を見る限り、そこまで辿り着くルートのほとんどが敵の砲撃可能範囲であった。
「奇襲はかけられないものかね?」
敵の防御が予想よりも固い。
何とか被害を減らしながら敵を制圧出来る方法は無いものかと思考を巡らせてみる。
「敵司令部へですか?」
「そうだ」
「砲を片方でも潰さない限り、辿り着くのは無理だと思われます……」
「……だろうな」
この期になってそんな事を考える自分を馬鹿らしいと思うが、シミュレーションと実戦は違うのだ。
その場になってみないと分からない事もある。
ランドルフは今まさにそういった状況に置かれていた。