210話 ヒノクニ首相選
真暦1093年6月1日。
ヒノクニ本国では新しい首相を決める選挙戦が始まる時期であった。
既に何人かの候補が出馬しており、当選に向けて各々が動き出していた。
この約1ヶ月の間に選挙権を持つ国民はこれらの候補者に投票を行い、6月25日に開票されて新しい首相が決まるのだ。
「結局、ハウ・リー首相はまだ内戦を続けたいという事ですな」
ヒノクニの外務大臣である明坂は議事堂の廊下を歩きながら言う。
今回の首相候補者の中には現首相であるハウ・リーの姿もあった。任期継続の為に今回の首相選に出馬しているのだ。
「うむ。まぁ、予想通りだよ。蜂須賀ら元軍人はどうしてもヒノクニを軍事国家のままでいさせたいらしい」
それに応えたのは小山武蔵であった。
「それでヒノクニが大陸内での国家間でイニシアチブを取れれば良いのでしょうが……」
「無理だろうな。事実上、連合と分裂したとはいえルーラシア帝国はヒノクニの2倍程度の国力がある」
実際のところ、ルーラシア帝国が終戦に合意したのは弥生女帝の意思を示した事によるものが大きい。
彼女が帝国の天帝となっていなければ未だに大戦は続いていただろう。
つまり、ヒノクニだけではどれだけ軍事面に力を入れても、ルーラシア帝国に正面から対抗する事は難しい。
「だからこそ、今度は軍事ではなく経済を発展させて国力を高める必要があるのだ」
過去の歴史を見れば武力が弱かったとしても、経済力を伸ばして、国際的に強い影響力を持った国も存在した。
大戦が終わった今となってはそういった形で国力を強くするのがベストだろうと小山は考えている。
「その為には蜂須賀大臣を含めた連中には退陣してもらわないといけませんね」
「何時までも戦争をさせる訳にもいかないからな」
この数時間後。
明坂は同じ派閥の政治家やマスコミなどにある情報を渡す。
「蜂須賀軍務大臣は前大戦時に和平交渉の書簡を持った弥生女帝の使者を暗殺しようとしていた」
それは前大戦の末期である真暦1088年11月12日の事である。
当時、弥生女帝が提案した和平交渉についての書簡を持った特使であるユン・ウーチェンが秘密裏にルーラシア帝国を抜け出していた。
彼は運河を偽装船で移動中に小山源明指揮下のガンナーズネストに発見される。
しかし、その途上でヒノクニで制式採用されていた物と同型の戦闘ヘリが突如現れた。
このヘリは偽装船ごとガンナーズネストに攻撃を開始。
それに反撃したガンナーズネストはこれをを撃墜する。
そしてユン・ウーチェンは何とか一命を取り留め、アラシア共和国を通じて反帝国同盟に弥生女帝が和平を求めている事を伝えて今に至るという訳であった。
「しかし、この時に攻撃を行ったヘリの所属は不明だったはずたが?」
ヘリの攻撃を受けた事は源明も上層部に報告している。
しかし、戦闘ヘリの機種こそヒノクニの物であったが、その所属は不明としていた。
実際、部隊名が分かるマーキングなどはヘリに描かれていない。
可能性の大きさだけで見るなら、ユン・ウーチェンの殺害を試みたのはルーラシア帝国である。
特に結城派の様に戦争継続を望んでいた派閥が黒幕である事は充分に考えられた。
そして、その犯行を隠匿する為にヒノクニから鹵獲した物を使用していた可能性がある。
これを踏まえて、源明は敵によって鹵獲されたヘリに攻撃を受けたという報告をヒノクニ上層部に提出していた。
「しかし、息子は最初からヒノクニの策略だと思っていたらしいな」
小山武蔵がこの話を聞かされた時、彼自身も初めは帝国の皇族によるものだと予想していた。
しかし源明はむしろヒノクニの軍上層部によるものだと思っていたのだ。
「そして、その証拠を掴んだと」
明坂は元陸戦艇の艇長である源明が、諜報部よろしくこの事実に辿り着いた事を可笑しく思う。
「うむ。その当時に周囲の部隊に対して行われた物資の補充記録と出撃記録辺りを洗い出したらしい」
当時、ユンはカイエス地域を通って同盟へ渡ろうとしていた。
源明はその地域に補充された戦闘ヘリの記録を辿り、蜂須賀の下で実際に配備されたものと、損耗した機数が合致しない事に気付く。
そして、その近辺の時系列の作戦記録や通信記録を洗い出し、蜂須賀の命でユン・ウーチェンを暗殺が実行されようとした事実を掴んだのである。
ついでに言えば襲撃を受けた当時には、既に撃墜したヘリの部品や死亡したパイロットの遺留品も回収していた。
もっとも、それらからは確実にヒノクニの命令によるものだという物証は得られなかったが。
「彼が言うには暇潰しに始めた事らしいがね」
源明は戦後に戦史研究課の第2資料編纂室室長に任命され、前大戦の資料編纂を行う職務に就いていた。
彼は山田康介の様な後方支援部隊や、養父である小山武蔵、軍の上層部でありながら政治的にも繋がりのあるアベル・タチバナなど様々なところに繋がりがある。
それらのコネに加えて戦後のドサクサに紛れて軍に潜り込んだ傭兵組織であるガンナーズネストの部下などを使い今回の事実を突き止めたのであった。
「源明君は相当危険な橋を渡った様ですね」
「腕の良い諜報員にやらせたようだ」
情報を抜いてきたのはガンナーズネストのダーストンをはじめとする数人の者達らしい。
普通に考えれば彼らは国内の機密を探るスパイに該当するはずなのだが、源明はそれを上手く使ったとの事である。
「蜂須賀氏は今頃大慌てでしょうね」
明坂は人の悪い笑みを浮かべながら言う。
ユン暗殺の為に軍を動かせる人物は、その戦域の総司令官であった蜂須賀ただ1人のみであった。
それは源明が集めてきた資料から自ずと導き出せる答えである。
和平交渉の為に訪れたユンを暗殺するという事は、当時の軍が大戦の継続を望んでいた事に他ならない。
その目的も軍の利益の為である事は明らかだ。
「今、市民の中にはルーラシア帝国を支援する事に異を唱える者たちが多い。それは軍の内部においても同じようだ」
「この話が広がれば、次の首相に蜂須賀派が選ばれることは無いでしょうな」
「そして君が首相になる訳だ」
「いや、経済産業大臣のカーチス辺りが選ばれるでしょう」
「……君は首相にならないのか?」
「急な話だったので首相選の準備が間に合わなかったのですよ。もっともカーチスは国を率いていける程のリーダーシップはありません。私は彼の後釜に付こうと思います」
今回の話は明坂にとっては急に上がってきた話である。
今回の首相選は選挙権を持つ公務員や軍属をはじめとした国民の投票で決まる訳だが、彼はその為の準備をしていない。
世論が蜂須賀に味方しなかったとしても勝ち目は無かった。
おそらく選ばれるとしたら蜂須賀派の次に勢力がある派閥のカーチスという男になると明坂は予想している。
「今回の介入の責任は蜂須賀とカーチスにとってもらいますよ」
「君は美味しいところだけ貰っていくわけか」
明坂の狡賢さに小山は苦笑する。
もっとも、そうでなければ今回の話を彼にする事は無かったろう。
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小山武蔵と赤坂の発表から1週間後の6月8日。
蜂須賀の周囲はかなり騒がしくなっていた。
ヒノクニの和平交渉を握り潰す為に降した命令は戦争犯罪であり、国内だけでなくルーラシア帝国側からも批難の声があがっている。
「ヒノクニもアラシアの軍上層部ほどちらも自らの権益の為に戦争を続けたかった。そして彼らは再度ルーラシア大陸内で大戦を起こそうとしている」
マスコミの発表を受けた市民の中からはこのような声があがり、軍施設の前でデモを行う者達まで現れていた。
それだけに足りず、本来は味方であるはずのヒノクニ軍の士官の中からそれに加わる者や、命令を拒否する部隊が現れる。
「これはどういう事かね?」
現首相のハウ・リーは苛立った表情を隠すこともせずに蜂須賀に尋ねる。
「あの時、ユンを保護したのは小山源明……。あの小僧め……!」
当時、ユンを保護したのは小山源明の部隊であった。
この事実を突き止めて明らかに出来るのは、ユン・ウーチェンが襲撃される現場を見た彼以外にはあり得ない。
小山源明は初めから全て気付いていたのだ。
ユンを殺害しようと目論んでいた者達、その目的、今回の内戦の介入。
「ただの軍人で文句を言いながら命令に従うしか出来ない男だと思ったが……」
実際はこうした策謀や政治的な動きも出来る喰わせ者だったという事だ。
蜂須賀が歯噛みする。
その時であった。
コンコンと扉を叩く音がした。
「蜂須賀軍務大臣ですね。お話をきかせてもらえますか?」
蜂須賀が答える前にスーツ姿の男達が部屋に入ってきた。
警察の者達である。
その後ろには憲兵も控えていた。
「……っ!」
彼らが来るという事は、蜂須賀の謀ったユン・ウーチェンの暗殺についての証拠が全て揃い、言い逃れも出来ない事態にまでなったという事だ。
蜂須賀は野心も何もかもを手放して、自らが起こした行動の報いを受ける以外に無くなってしまった。




