21話 スパイ疑惑
ジョッシュ要塞防衛戦から約2ヶ月が過ぎた。
山岳地帯という事もあり、3月になっても未だに雪が残っている。
それでも気温の上昇は見られ、場所によっては雪の隙間から地面が見え隠れしていた。
トール率いる438独立部隊は相変わらず要塞周囲に点在する拠点の防衛にあたっている。
ジョッシュ要塞に配備された当初、部隊員は33人であったが、度重なる戦闘によって24人までその数を減らしていた。
4人が戦死。5人が負傷により任務継続困難とされて本土に戻されたのである。
「原子熱線砲?」
兵士詰所の談話室、ソファーに座ってコーヒーカップを傾けながらアレクが言った。
先の戦闘で敵が使用していたパラボラアンテナ戦車の事である。
「そういう話だ。俺も本で読んだ事はある。何でも原子炉のエネルギーを収束して撃つ兵器らしいんだが……、確かエネルギーの収束とコントロールがうまくいかなくて実戦テスト以前の話だったはずなんだけどね」
アレクと向かい側のソファーに座り、同じ様にコーヒーカップを傾けているトールが答える。
「理論はルーラシア帝国が発案、モスク連邦がそれを作って、製品化はアラシア共和国が行い、ヒノクニがそれを小型化……」
アレクは冗談めかして言うとコーヒーカップをテーブルに置いてソファーにもたれ掛かった。
対するトールは肩をすくめて見せる。
「映像は見たろ?厄介な兵器だよ」
そう言うとコーヒーを一気に飲み干した。
「隊長さん?」
不意にトールが呼ばれる。
顔をあげれば藤原千代が困惑したような表情で立っていた。
その横にはヒノクニ軍の制服を着た男が立っている。しかし、制服の色が違う。
ヒノクニ軍の制服は標準ならば深緑に金の刺繍がされているのだが、この男は黒に銀の刺繍がされている制服を着ているのだ。
そして左腕にMPと描かれた腕章が付いている。
「憲兵?」
アレクは不審に思う。
「あぁ、憲兵のラウ・カーロン中尉だ。君がトール・ミュラー曹長か?」
男はアレクに向かって言う。
毎度の事ではあるが、アレクの整った顔立ちと鋭い眼は如何にも隊長という風である。
特に最近は、修羅場を何度もくぐり抜けてきた自信から、ますますその風体は堂々たるものになり、エースパイロットじみていた。
初見では彼が隊長であると思うのも無理も無いだろう。
「よく間違えられますが、トール・ミュラー曹長はこっちですよ」
そんなアレクの向かい側に収まりの悪い黒髪に人懐っこそうな顔をした少年がいる。
「トール・ミュラー曹長です」
慣れてしまったのか、トールは特に表情を変えること無いままに立ち上がると敬礼した。
「失礼」
ラウは短く言った。
「しかし、何故憲兵がここに?」
細かい軍規違反は数え切れない程しているが、憲兵が出てくる様な事はしていないとトールは内心で自己弁護の言葉を並べる。
「君にはルーラシア帝国のスパイである疑いがある。しばらく拘束させてもらうぞ」
ラウは圧力のある声で言う。
鋭い目が光ったようであった。
スパイ容疑?
その言葉を聞いてトールとアレクは目を丸くする。
全く身に覚えの無い事であった。
藤原を見れば、彼女はラウに対して非難がましい視線を向けている。
「何を根拠に?」
初めに噛みつくように言ったのはアレクだ。
「証拠は無い。まだ疑いがあるというだけだ。故に逮捕では無く拘束である」
有無を言わさない勢いであった、
「何故、その様な疑惑が出たのか説明して頂きたい」
アレクも負けじと言葉を返す。
ラウはもっともな事だと頷く。
「先日、チャンという男がアラシア本国で逮捕された。アラシア、ヒノクニの機密漏洩と、意図的に虚偽の報告を行った罪だ」
誰だそれはとトールはアレクに視線を向けた。
アレクも「さぁ?」と肩を竦めてみせる。
「君たちと入れ違いになった、アラシア共和国陸軍の中尉だった男だ……」
やや呆れた口調でラウが言う。
「あぁ!」
トールは思い出して声を上げた。
要塞に着任した当初に、上司であるカルル大尉からの手紙を渡した男である。
「更にこの男の近辺を調べたところ、君の上官であるカルル・コトフ大尉もルーラシア帝国のスパイである事が判明したのだ」
再びトールとアレクは目を丸くして驚く。
まさか、自分の上官がスパイだとは思いもしなかったのだ。
「それで、カルル大尉の指揮下にいる部隊全てが取り調べを受ける事になった訳ですか」
トールは納得したように言う。それとは別に表情には不満の意思を貼り付けていたが。
「そういう事になるな。特に君は以前の戦闘で敵に対し手紙を送ったそうじゃないか」
トールはしまったという表情になる。教師に悪戯のバレた生徒の様な顔だ。
「停戦の提案ですよ」
取り繕う様にアレクが言う。
「だとしても、立場的によろしい行動では無いな」
その言葉にトールは冷や汗を流しながら苦笑した。
顔には出さない様に努めているが、何処でその事を知ったのだと驚いている。
その事は自分の部隊の者達しか知らないはずであり、サマンサがそれらに口止めもしておいたはずなのだが。
「まぁ、今はその事は構わん。後で取り調べを受けた時に話して貰う。それより、その時の戦闘だ。あの戦闘時、敵が密かにトンネルを掘っていたのは知っているだろう?」
「あぁ、要塞前に敵が拠点を作っていましたね」
「ウム……。本来ならばすぐに分かる事なのだが、基地内にいたスパイが虚偽の情報を流していた為に気付かなかったのだ」
ラウは苦虫を噛み潰した様な顔を一瞬見せた。
「上の失敗を自分らに押し付けている様にも見えますね」
アレクが肩を竦めて言う。
「アレク」
それをトールが咎めるように言った。
本音としてはトールも同じ事を考えていたが、立場上止めなければならない事に歯痒く思う。
「勿論、要塞内にいたスパイ共は逮捕した。何人かは抵抗したので処理したがね」
「カルル大尉はどうなったんです?」
「奴は取り逃がしたらしい。そちら側の憲兵が奴のオフィスに着いた時には既にもぬけの殻だったそうだ」
ラウはフンと鼻を鳴らす。
アラシアの憲兵も大した事は無いとでも言いたげであった。
「無能共が」
アレクが小さく呟く。
「そういう訳だ。来てもらうぞ」
「了解」
アラシア、ヒノクニ、どちらの憲兵隊もアテにならないものだとトールは思いながら答える。
「部隊はとりあえず藤原曹長の指揮下に入ってもらう」
ラウは藤原に向き直って言う。
「部隊の指揮権はヒノクニのものになる訳ですか」
あくまで438独立部隊はアラシア共和国の部隊であり、ヒノクニへ協力という形でジョッシュ要塞へ配属されたのだ。
最終的な指揮権はアラシアにあるのだが、それがヒノクニに移るという事である。
アレクをはじめとする438独立部隊の隊員としては面白くない。
「状況が状況だ。君達にだって取り調べはあるのだからな」
ラウが答える。それに対してアレクは不満であった。
彼としては親友であるトール以外の下に付くというのが気に入らなかったのだ。
「アレク、藤原曹長は信用出来る人だよ。それにまだ我々がアラシア共和国軍である以上、一応命令の拒否権も持ち合わせている」
「……仕方ないか」
アレクは頷いた。
「ではな」
ラウはそう言うとトールを連れて詰所から出ていった。
やがて、ラウは外で何やら合図を行い、部下である憲兵隊員達もドヤドヤとやって来る。
それに連れられて438独立部隊の隊員達も集まり、数分した後に取り調べが行われた。
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最後の隊員が取り調べを終えた時、外は既に夕暮れとなっていた。
詰所の談話室には隊員達全員が集められており、その狭い室内でソファーに有り付けない者は床に座るなり、壁に寄りかかるなりしながら今回の事について話している。
「面白い話だ。あの隊長を見てスパイと思うとは」
エイクが嘲笑しながら言う。
しばらくトールの部下として務めていたが、彼がスパイなどと大それた事が出来るだけの能力を持ち合わせていない事は明らかであった。
そもそも、彼が隊長である事すら分不相応ではないかというのが、438独立部隊の隊員全員の見解である。
もっとも、そんなトールを不満に思う者がいないというのは、この部隊の類稀なところである。
それはトール自身が能力の低さを自覚していながら、その事を卑屈に思わずに振る舞う、憎めない人柄からくるものだろう。
その分、トールから業務を丸投げされる事も多いが、一度丸投げした業務内容に彼が口出しする事も無いので、担当としては自由な裁量がある。
しかも責任は全てトールに押し付ければ良い。
元々、変わり者の多い正規兵組、エイク達の様な徴兵組、彼らにとっては過ごしやすい環境という事だ。
そんな訳でトールがいなくなる事を面白く無いと思う者は多く、エイクなどは歩哨としてヒノクニの憲兵がいる目の前で皮肉を飛ばしている。
「あれをスパイと思う様な人物に率いられる憲兵か……。どうです? アレク軍曹、ヒノクニに亡命してみませんか? アンタなら3年で憲兵総監になれますぜ?」
エイクの言葉に歩哨は顔を引きつらせる。
しかし、黙ったまま動かない。こういう事を言われた事は初めてではないのだ。
「サル山の大将に興味は無い。……いや、この場合は飼育員というのが正しいか? どの道、猿に人間の仕事を教えるなんて面倒な仕事はやりたくないね」
アレクも聞こえる様に悪口を並べたてる。同時にエイク達から笑い声があがった。
歩哨はアレクを睨むが、やはりそれだけで動かない。
「何処も人が足りないんです。分かって下さい」
藤原の言葉は申し訳無さそうであったが、澄まし顔であり、それが本音で無い事はすぐに分かった。
「諸君」
それは取り調べを行っていた憲兵少尉の声であった。
取調室として使われていた隊長室から姿を現しながら口にした言葉である。
「本日はここまでだ。明日もまた取り調べを行う。解散!」
アレクとエイクの悪口が聞こえていたのだろう。不機嫌そうな声で言うと、残りの憲兵達を集めて詰所から出ていった。
「言い忘れていた。諸君らは許可が出るまでここから出ることを禁止する」
入り口まで来たところで足を止めると、振り返って口を開く。
アレク達はそれを聞いてやれやれと肩をすくめる。
窓から外を見れば、取り調べを行っていた憲兵は要塞へ戻っていくのが見えた。
しかし、何処からともなく見張りの兵が数人、小銃を抱えて外で立っている。
「アイツら、朝まであそこにいるつもりかな?」
ゾーロクという横幅のある男が呟く。彼はエイクの部下であった。
「途中で交代するだろうが、ご苦労な事だ」
相方であるバルトが答える。ポケットに手を突っ込んでおり、明らかに不機嫌な顔付きであった。
「つまり、俺達は明日の取り調べまでここから出なければ好きにして良い訳だな」
アレクが全員に聞こえるように言った。
「軍規違反をしなければね」
鋭い口調でサマンサが答え、陽気な笑い声があがる。
理由はともかく、警戒任務の交代を気にすること無く自由に過ごせるということだ。深酒をしなければ飲酒をするも、惰眠を貪るも、金銭をかけたゲームをするも構わない。
久しぶりに羽を伸ばせると隊員達から陽気な歓声が上がった。
「この寒い中、好きで外に出る奴なんかいねぇよ」
「俺は寝る。起こした奴は雪だるまにしてやる」
そんな声な聞こえる中、サマンサがアレクに声をかけた。
その横には茂助とエイクもいる。
「ま、遊んでばかりもいられないよな」
それを見たアレクが呟いた。