202話 歯車
時間は戻って真暦1093年2月20日。
曹孟市である。
繁華街の一画に黒いタイル貼りのビルが建っていた。
その看板にはブルックス建築と書かれている。
それは一見すればごく普通の建築会社であった。
だが、その実情はガンナーズネストというマフィア組織のフロント企業である。
「いやはや、これはトンデモない話ですよ」
名目上、ブルックス建築の社長であるソージが応接室で呟く。
ガラステープを挟んで相対しているのは小山千代。
喧嘩別れして曹孟市へやって来たという話の小山源明の妻であった。
彼女はある情報を持ってブルックス建設へ訪れている。
それを確認したソージはこれは大事になりそうな内容だと面食らっていた。
「……でしょうね。この話が進めばアラシアはルーラシアの内戦に介入するどころじゃなくなりますから」
千代が持ち込んた情報はブルックス建築の後ろに控えているガンナーズネスト、及びその頭領ともいえるフェイ・ミンミンへ渡す為のものであった。
「つまり、喧嘩別れしたというのは……」
「嘘です。そうした方が私に対する監視も薄くなるかと思って」
千代はクスクス笑う。
彼女の夫である小山源明は、ヒノクニの軍務大臣となった蜂須賀からは快く思われていない。
その為に、源明が妙な動きをしてもすぐ分かる様に監視が付けられていた。
それは千代も同じ事である。
しかし、この夫婦が喧嘩して妻の方が出ていったとあればどうだろう。
少なくとも源明が何か動くとしても、それに対して出ていった側の千代が協力するとは普通は考えない。
少なくとも彼女に対する監視の目は弱まるはずだ。
「まぁ、実際のところはこんな物を持ってきた訳ですが……」
重要な内容が書かれている書類を手に取りながらソージが苦笑する。
「あの人は最終的にこの内戦を終わらせるつもりなんです」
「それは……、1人の上級士官がやるには大きすぎる目標ですね」
「だから夫は政治家である義父をはじめ、貴方達の力を借りるつもりなんです」
果たしてそんな事が可能なのだろうかとソージは疑問に思うが、目の前にいる小山千代は夫である源明は成し遂げるだろうという確信を持った表情をしていた。
「その為にアラシアをまず黙らせる必要があります。これはその為に……」
「分かりました。姫様に渡るように手配します」
どちらしてもソージはこれをミンミンに渡すしか無い。
その内容はフェイ・ミンミンが長年追っていた真実も含まれていたのだ。
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千代が持ってきた情報。
それは真暦1082年12月1日に起きた崩壊戦争前の大量破壊兵器であるアグネアの暴発事件の真相であった。
「まさかこんなものが今更になって……」
2月27日。
アンカーテールという街中に置かれたガンナーズネスト本部。
その一室でソージから届いた書類に目を通したフェイ・ミンミンは何時もの柔らかい笑顔を崩して、やや鼻白んだ表情になる。
真暦1082年12月1日。
ソーズ地域南西部。
この時、ヒノクニの戦史研究課はアラシア共和国と共同で太古の大量破壊兵器であるアグネアを発見。その調査と発掘を行っていた。
その最中にルーラシア帝国軍の襲撃を受け、当時のアラシア陸軍少尉であるトール・ミュラー率いる第9小隊が救援に駆けつけ交戦する。
その戦闘の中で遺跡内部に侵入した帝国軍がアグネアを起動させた。
これに気付いたトール少尉が遺跡内部に残り、これを操作して効果範囲をコントロールする。
その結果、アグネアが起動するも被害は最小限に抑えられた。
この時に襲撃してきたルーラシア帝国軍は全滅。トール・ミュラーは戦死。発掘された遺跡の大半が文字通り蒸発する結果となった。
これが12.1アグネア暴発事件の世間一般に発表された概要となっている。
「でも真実は違っていたという事ね」
フェイ・ミンミンが呟く。
小山源明から千代に伝えられ、そこからソージへ、更に自分の下へ届いたアグネア暴発事件の真相を知るとため息をついた。
「なるほど……。シュエン様が狙われた理由……。色々分かってきましたな」
金色のエングレービングが施されたガラステーブルの上に広げられた書類を読みながら白髪の男が唸る。
彼の名前はカッケ。
名目上はガンナーズネストの代表であり、ミンミンの後見人でもあった。
「アラシア共和国と結城信秀の関わる東ルーラシア連合ね」
ミンミンは柔らかくも不敵な笑みを浮かべる。
12.1アグネア暴発事件の真相。
始まりそのものは当時のルーラシア帝国、アラシア共和国、ヒノクニの3国間で秘密裏に取り決められた条約が原因と言って良い。
「過去に文明を滅ぼした崩壊戦争以前の兵器及び、それに近しい物が発掘された場合は3国間でデータを共有して停戦する」
それはミンミンの父親であるフェイ・シュエンが当時の各国の代表と水面下で取り決めた条約であった。
この事はミンミンもカッケも掴んでいる事実である。
そして、それからしばらく後にルーラシア帝国がギソウ山岳地域で崩壊戦争前の遺跡を発見。ここから事態が動き出したのだ。
「その上でルーラシア帝国はギソウ地域にアグネアを発見……」
「同時期にギソウ地域はアラシアのヒノクニの制圧下になってますね」
改めて書類をミンミンは読み直し、カッケもその内容に対して一言添える。
「この時点で3国はアグネアの存在を認知していた事になるのかしら?」
実際にその遺跡を発掘したのはヒノクニとアラシアである。
この時、アグネアという崩壊戦争前に生産された大量破壊兵器の存在を確認。
更に、それが起動可能な状態である事も分かったのだ。
「この時点で本来は帝国と反帝国同盟で停戦が行われるはずなのだけれど……」
そこから先が問題であった。
真暦1082年12月1日の時点では既にアグネアは起動可能状態となっていたが、それに関しての事項を同盟はルーラシア帝国に公式な形で報せていなかったのである。
本来はここで同盟と帝国の間で一度停戦して、この超兵器の扱いについて協議する取り決めがされていたにも関わらずだ。
「あの日、遺跡に対してルーラシア帝国が攻撃を仕掛けていたわね」
一般に出回っている情報では、遺跡に駐留するヒノクニを発見したルーラシア帝国の1個小隊が攻撃を仕掛けていた事になっている。
話だけなら偶然発見した敵を攻撃した形であった。
しかし、この帝国の部隊はアグネアの存在を確認して、場合によってはこれを強奪するように命令されていたのだ。
ヒノクニは気付いていなかったが、この事件の数日前にアラシア共和国はルーラシア帝国に遺跡とアグネアの情報を漏らしていた。
それにより、ルーラシア帝国は急いでこれの調査に部隊を差し向けたのである。
「あの遺跡を攻撃させる為にアラシアは帝国に情報を流していたのね」
「帝国側がこれに大きな動きを見せず、1個小隊を送るだけに留めたのは情報の信憑性を疑っていたからでしょうな」
そしてアラシアが帝国に遺跡を攻撃させた理由である。
それは、アラシア共和国がアグネアのデータを独占する為であった。
手順としては、ルーラシア帝国に遺跡を攻撃させる。
そしてアラシアの遺跡発掘スタッフが戦闘の混乱に紛れて遺跡の最深部でアグネアに関するデータを入手。
その後にアグネアを起動させて遺跡ごとルーラシア帝国の部隊を爆破。
これにより残ったアグネア本体や遺跡は全て消滅して、それらのデータはアラシア共和国が独占するというものである。
「戦闘のドサクサであればデータを抜いてアグネアを起動させるのも簡単でしょうしね」
「しかもその責任は全てルーラシア帝国に押し付ける事も出来る……」
つまり遺跡へ攻撃を仕掛けたルーラシア帝国の部隊はスケープゴートにされたのだ。
ここは実際にその通りになっている。
「アグネアは文明を滅ぼして、この惑星の大陸の形さえも変えてしまった兵器だ。それを発見した時、当時のアラシア共和国はそれを独占して世界全てを支配するという欲望に捕らわれたんだろうね。全く馬鹿な事だ。そんな強大な力を本当に人の手で制御可能だと思ったのか? アラシア共和国は崩壊戦争前の文明に追い付いていないんだぞ」
これは源明のコメントである。
崩壊戦争前の文明や科学技術は真暦の時代よりも遥かに発展していた。
それでもアグネアは制御出来すに崩壊戦争と文明崩壊という結果をもたらした。
それを、その時代よりも劣る技術しかない国が制御するなど出来る訳が無い。
「……しかし、アラシアはアグネアの技術は独占出来なかった」
カッケが呟く。
それは当時のトール・ミュラーが率いる部隊が原因とも言える。
「この部隊はヒノクニの救援に訪れて帝国軍と交戦。その途上でトール・ミュラー少尉は遺跡内部に侵入した帝国軍を追って、これを撃退……」
これらの事態を企んだ者達はルーラシア帝国の兵が遺跡の内部に侵入する、あるいは内部で戦闘が行われる事を予想していなかったのだろう。
帝国部隊の一部はアグネアを探る為に遺跡の奥に侵入。
そしてアグネアの起動を行っていたアラシア共和国のスタッフを殺害していたのだ。
「そこへ第9小隊がやってきたと」
「トール・ミュラー少尉と他数名の兵達ですな」
遺跡に帝国兵が侵入した事に気付いたトールはこれを追撃した。
そして帝国兵の殲滅に成功する。
この時にトールこと小山源明はルーラシア帝国兵や殺害された遺跡発掘スタッフが持っていた書類などから、アラシア共和国がアグネアを独占しようと企んでいた事に気付く。
「正直、追わなければ良かったと思う。そうすれば私はまだアラシアにいる事が出来た。しかし、遺跡の奥へ行って、彼らの落とし物を拾ったばかりにこんな目にあったのだからね」
当時の事を源明は回想して笑う。
もっとも、本人は当時からアグネアのような大量破壊兵器を1国が独占する事を良しとしていなかったので、今に繋がる行動を取ったのだが。
「まとめると、帝国がアグネアを発見。ヒノクニとアラシアがそれを掘り起こし、それをきっかけに停戦になるところをアラシアが欲をかいて全て台無しになったという事ね」
「これが事実なら前大戦はもっと早く終わった事になりますな」
「それだけじゃないわ。この停戦が成立していればお父様は帝国内でも一定の地位を維持して殺される事も無かったもの」
ミンミンの父親であるフェイ・シュエンはこの事件をきっかけにして、秘密裏に反帝国同盟と繋がっていることを弾劾された。
そして、政治的な力を失いつつある中で暗殺されたのである。
「……で、例の艇長さんはこれを私に渡してどうしろと言うのかしら?」
源明から持たらされたのはミンミンが知りたかった過去の真実である。
しかし、彼はそれを何の理由も無しに渡すような人物では無い。
それは短い間とはいえ一緒に戦場を駆けていた彼女はよく分かっていた。
「フェイ派の頭領であるフェイ・シュエンの娘として帝国の現政権にこの情報をリーク。その後、これらの事実を公開して欲しいとの事です」
千代を通して送られてきた書類。
その最後に源明の言葉でそう締めくくられていた。
これらの内容を公にして欲しいという事である。
「……戦時中にアラシアはアグネアを独占しようと企んで失敗した。その結果として前大戦を終結させる機会を失ったというのは大きなスキャンダルね」
「しかも、今のアラシア政権は82年時の政権と同じ派閥から出ています。これが明らかになれば……」
「市民は再び大戦を起こす気かと怒って政権は混乱。他国に支援をしている場合では無くなるわね」
前大戦末期。
アラシアには厭戦機運が広がっていた。
そして、現在も東ルーラシア連合に軍事支援を行うことに不満を持つ市民は多い。
アグネア暴発事件の原因が当時のアラシアにあるというのが公になれば、その不満は爆発するだろう。
「そして、アラシアの支援を受けられなくなった東ルーラシア連合はルーラシア帝国と戦闘を続けられなくなる……と」
大した絵図であるとカッケは思う。
自分は会ったことは無いが、この情報をもたらした小山源明というのは中々の策謀家のようだ。
「しかし、これは全てが上手くいった場合に限りますな。そもそも、ヒノクニの動きもどうなるか……」
確かにこれが明らかになれば
東ルーラシア連合が不利になるだろう。
しかし、そうなった場合にヒノクニがどう動くか予想が付かない。
「小山源明としては東ルーラシア連合を敗北させるよりも、ヒノクニがこの内戦から手を引く事を望んでいるでしょうね」
「それは難しいのでは? アラシアの支援を受けられなくなれば連合は不利になりましょう。帝国とヒノクニはそれを見過ごして停戦協定を申し出るとは思えませんよ」
ルーラシア帝国とヒノクニの軍部は好戦的であった。
有利と見れば停戦を申し出るなどという事はせずに、攻撃して制圧するという選択肢を取るはずだ。
「そうね。だからヒノクニの動きも止める必要があるわ」
「小山源明氏はこれ以上にも何か策があると想いますか?」
「おそらくはね。彼は闇雲に動く様には見えなかったわ」
それに関してはミンミンにも思い当たる節がある。
彼はおそらくヒノクニにも政治的な混乱をもたらす事になるだろう。
「そう……」
ミンミンは思案する。源明は自分に何を望んでいるのか。
そして真相を知った自分はそれに対して、どう動くべきなのか。
“帝国へ戻るのだ。”
源明は暗にそう言っているのかとミンミンは思う。
そして彼女は息を漏らすようにフッと軽く笑った。
「そうね……。決めたわ。帝国に戻ります」
「はっ」
ルーラシア帝国に戻るというミンミンの言葉にカッケは目を輝かせる。
「東ルーラシア連合にはお父様を殺した結城信秀がいるわ。アレの鼻っ面に一撃入れてやりましょう」
ミンミンは今回の件を通じて結城信秀を討ち取るつもりのようだ。
それはカッケも望んでいた事であり、彼自身の気分も高揚させた。
「今の帝国は弥生女帝の穏健派が主流です。その中にはシュエン様に連なる者もいるでしょう」
「なら、いよいよ私も表に出てルーラシア帝国の歯車を回させてもらうわ」
それから3日後。
フェイ・ミンミンはガンナーネストを部下に預けて、何人かの信頼出来る者達を連れてルーラシア帝国へ戻る事になった。




