175話 源明と終戦と結婚
真歴1089年2月1日。
この日、連弩はヒノクニとルーラシア帝国の境界線で警戒任務を行っていた。
そして小山源明は人生一大の大勝負に出ようとしている。
彼の中にある全ての勇気と覚悟を動員しなければならない為に落ち着きも無い。
初陣の時以上に緊張しているのは間違いなかった。
源明は一度息を吸ってから口を開く。
「私と結婚してくれ」
そして彼の中にある全ての勇気をバネにして言葉を口に出す。
所謂プロポーズというものだ。
「………え?」
相手は藤原千代である。
小山源明がヒノクニに亡命する前、トール・ミュラーと名乗っていた頃からの付き合いであり、今も彼の副官として従っている女性兵だ。
おそらく、ヒノクニ軍の中では最も長い間共に過ごしていた人物だろう。
汗をかき、顔を紅くする源明を千代は目を丸くして見つめる。
普段は頭の回転の早い彼女であるが、この時ばかりは何を言われたのか理解するのに数秒かかった。
「はい。……あの、私なんかでよろしければ……。その、よろしくお願いします」
そして言われた内容を理解した千代は源明に彼のプロポーズを了承する返事をした。
「そ、そうか。ありがとう。よろしく頼むよ」
こういった経験はほとんど無い2人である。
お互いにしどろもどろになりながら笑いあった。
/✽/
この話をいち早く広めたのは源明の下で歩兵小隊を率いるオットー・ウルシャコフ少尉である。
「いやいや、我らが艇長がやってくれたよ」
そう言うと声をあげて愉快そうに笑う。
「まさか藤原千代中尉とは驚いたな」
そう答えたのは連弩の副艇長である城前忠男大尉である。
「今までの中で一番の大きな戦果じゃないか」
源明はこれまでにも戦果を挙げているが、今回のが一番大きな戦果だとウルシャコフは笑う。
「個人スコアでは一番だろうな」
城前もそれには同意する。
もっとも、源明から千代にアプローチしたのは2人にとって予想外であった。
煮え切らない源明に対して千代からアタックをかけたというのであれば話は分かるのだが。
「まぁ、俺からすれば今までくっ付かなかったのが不思議なくらいだ。ありゃあゾッコンだったぞ」
「艇長が?」
「逆だよ。藤原中尉が小山少佐にゾッコンだったのさ」
でなければここまで一緒に付いてくるものかねとウルシャコフが言う。
「どうかな? 艇長の方が藤原中尉におんぶに抱っこで甘えていたようにも見えたが」
城前は源明が隣にいる千代によく相談しているのを知っている。
更に言えば源明は彼女に対して、やや感情的に話しているようにも見えた。
「つまりは両思いか」
「そういう事だな」
2人はそれを確認すると再び愉快そうに笑う。
「彼女が私に好意を持っているのは前々から知ってはいた。しかし、それに答えようと思ったというより、もっと打算的な理由だよ」
後に源明はウルシャコフに語った。
「今後、軍縮の影響で部隊の再編成があるだろう。そうなった時に彼女を手放すのは惜しいと思ってね」
藤原千代は亡命してきた源明のお目付け役であったが、それ以上に優秀な人材であり、公私共に彼をサポートしていた。
彼はそれを手放したくなかったというのが本人の談である。
しかし、ウルシャコフはこの話を照れ隠しで言っているのだと思っていた。
/✽/
3月に入り第9大隊はようやく本土に戻る。
それから過ぎて4月10日に小山源明と千代の結婚式が行われた。
「ここまでの事をする必要なんて無いのに」
この結婚式に参加したのは第9大隊の面々だけでなく、彼の養父である小山武蔵と繋がりのある政治家や、今やヒノクニ陸軍元帥となった蜂須賀の姿さえあった。
「お前を引き受けたのが小山大臣だ。仕方あるまい」
笑いながら源明の肩を叩いたのは山田康介大佐である。
彼もこれまでの任務などでな昇進しており、今や師団の後方部隊の総指揮を執っていた。
「ただ、君の父上は今回の結婚は気に入らなかったみたいだね」
同じように昇進をしたアベル・タチバナ少将が言う。
彼はバッカス少将に代わって第8師団の団長となっていた。
「ええ。親父殿は何処ぞの大臣の娘を俺に宛がおうとしてたみたいです」
つまりは政略結婚だ。
源明は自身が政治に利用されるのが気に入らなかったのである。
「と言っても、千代の奴も元はルーラシア帝国の政治闘争に負けて亡命してきたやつの娘だからな。そこに目を付ければあるいは……」
山田がニヤリと笑う。
彼の言う通りに藤原千代は元々ルーラシア帝国から亡命してきた身である。
その理由も父親が政治闘争に敗れたからだ。
「知ってますよ。しかし、彼女の一族は既に全員殺されています」
つまり亡命に成功したのは当時は何の力も無い千代のみであった。
そんな彼女には政治的な価値など存在しないのである。
「お待たせしました」
そこへ白いウェディングドレスに身を包んだ千代が入ってくる。
「ほう……」
元々、彼女の顔立ちは整っておりスタイルも良い。
その芸術品ともいえる美しさにその場にいた3人は感嘆の声をあげた。
「……お前、軍服の方がマシだったな」
白い正装を着ている源明を見て山田が言う。
花嫁に比べて花婿の姿が明らかに見劣りしていたのだ。
その言葉を聞いた源明が顔を顰める。
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5月1日である。
源明の予想通りに大幅な人事異動が起こり、それは源明にとっても例外でなかった。
「曹孟市駐屯地副司令ですか?」
この日、源明は昇進して中佐となる。
そしてヒノクニの南方にある曹孟市という地域の駐屯地に副司令として赴任する事を命じられたのだ。
「えっと……、妻はどうなります?」
彼は上官に尋ねる。
「夫婦共に同じ場所に配属するなど有り得んよ。彼女は本土の主計課に異動だ」
その話を聞いて当然だなと源明は思った。
そして千代はそれを嫌がり即日に退役届を提出したのである。
「……まぁ、私の稼ぎがあれば問題は無いけどね」
退役届を出したと言いニコニコしている千代を見て源明が言った。
専業主婦にでもなるつもりだろうかと思うが、生活費に関しては自分の給与だけで充分なので特に文句は無い。
しかし、このまま彼女を家に置きっぱなしにするのは勿体ないとも思うのであった。