172話 それぞれの動き
真歴1088年11月20日。
源明が上層部に承認を得ずにユン・ウーチェンをアラシアへ引き渡した事は大きな問題となる。
源明も当然そうなる事は予想しており降格くらいはされるだろうと考えていた。
しかし、結果的には3ヶ月の減給という形で済んでしまう。
これには前線で指揮を執る事が可能で尚且つ陸戦艇の艇長を務める事が可能な士官が不足していた為だ。
しかし、これ以上の独断行動を許す訳にもいかないと考えた司令部は源明を監視する必要があると判断する。
その結果として連弩に連隊本部を設営。
連隊指揮官であるアベル・タチバナ大佐と参謀長を含めた者達が連弩で指揮を執り始めたのだ。
「実際のところ、私がユン氏を襲っていた部隊なんかを探るのを阻止したかったんだろうね」
源明は千代と2人きりになった時にそう漏らしている。
その考えはおそらく正しかったのかもしれない。
連隊本部が連弩に設営されて以降、第9大隊はズーマン地域中央区という最前線に転戦する事になった。
そこではほぼ毎日の様に戦闘が繰り広げられ、他の事に気を回している余裕は無いくらいに多忙となったのである。
「小林中尉から報告です。ポイント・ロメオ制圧完了との事です」
連弩のブリッジで源明はその報告を受ける。
「了解した。亜理沙中尉にはご苦労さまと伝えてくれ」
源明はそう言うとブリッジ中央の液晶パネルに視線を移す。
そこにはズーマン地域中央区の戦況が映し出されていた。
「これでWエリアはほぼ制圧完了ですね」
源明はブリッジへ上がってきたアベルに笑いかける。
「そうなるね。IRBMで中央司令部はボロボロのはずなのにここまで抵抗されるとは思っていなかったけど」
先月、ヒノクニはIRBMでズーマン地域守備隊司令本部を爆撃した。
その結果、司令本部は壊滅したはずなのだが防衛ラインは僅かに後退したに過ぎず、予想よりもダメージを与えられなかったのである。
「敵の八海山大将が生存していたのが痛手でしたね」
この時、ズーマン地域防衛の総指揮を執っていた八海山は司令本部から離れていた。
その為、無事だった彼はすぐに新たな司令本部を後方へ設営して指揮系統を整えたのである。
「幸運な将軍なんだ」
アベルは残念そうに笑う。
「しかも実力もあります」
源明がそれに答える。
しかし、彼は八海山が無事だった事を幸運とは思っていなかった。
「ユン氏の情報がヒノクニへ漏れていたとすれば、IRBMの攻撃に関しての情報を持っていたと思うべきだろうな」
こちらがルーラシアの機密を持っているのであれば、敵方だって同じような機密を握っていてもおかしくないと源明は考えていた。
もっとも、これは彼の直感に過ぎない。
「……何にせよ、これで戦争が終われば何でも構わないが」
重要なのはユンがヒノクニ、アラシア共和国、新モスク連邦をはじめとした反ルーラシア帝国同盟の首脳陣に接触して和平交渉が執り行われることだ。
源明からすればそれが達成されれば、今までの戦果やらユンがアラシアに渡った事など些細な話だと思っていた。
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一方でユンを託されたアレクは散々な目にあっていた。
憲兵からの事情聴取である。
普通に考えて和平交渉の使者を同盟国とはいえ他国に渡すなど有り得ない話であり、それを託されたアレクはヒノクニのスパイか何かでは無いかという疑いをかけられていたのだ。
「我々は連弩に預けていた捕虜の移送を依頼されただけで、その中にそんな重要人物がいるなんて知りませんでしたよ」
ウンザリした調子でアレクが答える。
無論、アレクはユンが捕虜の中にいることは源明から知らされていた。
しかし、それを認知すると面倒な事になるのが目に見えているので知らぬ存ぜぬを通す。
「しかしねぇ。有り得ないだろう?」
憲兵は疑いの眼差しを向ける。
彼がそう言うのも当然だ。
今回の和平交渉はルーラシア帝国と反帝国同盟であるアラシア共和国、ヒノクニ、新モスク連邦の間で行われる。
この4国間でそれぞれ和平締結の条件というものがあり、それを満たす為には政治的な駆け引きも発生するだろう。
それを有利に進めるのであれば最大の交渉相手であるルーラシア帝国をないがしろにする様な事はするべきでは無い。
それをヒノクニは行ったのだ。
「現に帝国のユン・ウーチェンはヒノクニはマトモに話を聞いてくれなかったと不信感を示しているぞ」
「そりゃ安全な所に引き渡すと言って、捕虜と一緒に他国に引き渡せばそうもなるでしょうよ」
これは政治問題にもなりかねない事である。
何も知らなければ有り得ないと思うだろう。
「とにかく俺達は何も知りませんよ。問い合わせるならヒノクニに言って下さい」
アレクはもうこれ以上は話す事など無いと告げる。
結局、この後も20分程の問答が続きようやく開放される事になった。
「クソ……。今度アイツにあったらぶん殴ってやるぞ」
88レンジャーの所有している拠点に戻るなりアレクは憤りの声をあげる。
「お疲れ様」
中隊長用の執務室に戻るとサマンサが出迎えた。
「おう」
そしてアレクは自分のデスクに広げられた書類を見て顔をしかめる。
「溜まっていた日報のチェックと各小隊から陳情された物資のチェックお願いね」
サマンサが澄まし顔で言う。
事情聴取から解放されたと思えば今度は書類の束である。
アレクはウンザリだという視線をサマンサに向けた。
「やって貰うわよ。この後には大隊への報告に補給部隊への申請もあるんでしょ?」
サマンサは淡々と言う。
そして慰めのつもりか軍用の紙パックコーヒーをデスクに置いた。
「ドンパチやったり憲兵に疑われたり書類に埋もれたり……、やってられないな」
アレクは呟きながら置かれたコーヒーを開封して啜る。
非常に不味い。
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ズーマン地域中央区。
Wエリアホーネスト地区の防衛拠点。
そこでは撤退の準備が進められていた。
「構わん。その機体は捨てておけ。どうせ壊れている」
オレンジの髪を持つ士官が自身の部下に撤退の指揮を執っていた。
李・トマス・シーケンシー少佐である。
「よう。忙しそうだね」
そこへ金髪碧眼の男が声をかけた。
ビーン・ハント少佐である。
2人は同期でありお互い顔見知りなのだ。
「ハントか……。こんな所で何をしている?」
「見ての通りさ。私も撤退の準備だよ」
「ふむ? お前がいるという事は、あのハゲ頭もいるのか?」
ハゲ頭というのはハントの上官であるニック・ダンチェッカー大佐である。
シーケンシーはこの男の事を嫌っていた。
もっともダンチェッカーもシーケンシーを嫌っているのでそこはお互い様である。
「ダンチェッカーなら先に後退したよ」
ハントは苦笑して言う。
パイロット上がりである彼とシーケンシーは気が合うらしく普通に会話をする仲である。
「それは良かった。そのまま参謀本部にでも配属されて前線に来なければお互いに会う事も無いだろうな」
シーケンシーからして見ればダンチェッカーは頭の固い人物であり好きになれなかったのだ。
「そうだな。それよりも同盟軍と和平するらしいって話……、知ってるか?」
ハントは小声になると話題を変える。
「……本当か? いや、噂程度は聞いているが」
弥生女帝が和平を考えてるという噂は星ノ宮からシーケンシーも聞いていた。
しかし、それは噂程度の話であり彼も信じていなかったのだ。
「皇族のお偉いさんが同盟に渡ったっていう話だ。上官の貧乏皇族から聞かなかったのか?」
ハントの言う貧乏皇族とは星ノ宮尊である。
彼は皇族の血統であるが、かなり遠い縁戚であり一般市民と同じ、むしろそれよりも貧しい生活をしていたのだ。
「俺の直属はペータゴン大佐だ。そんな話は聞いた事ないぞ」
「ペータゴン? お飾りの大佐だろ」
「それはそうだが……。最近は星ノ宮とは連絡を取っていない。その辺りの詳しい話は聞いた事ないぞ」
「そうなのか?」
皇族の中でも主流派閥である結城派。
そこに所属している星ノ宮と親しいシーケンシーであれば詳しい話を聞けるとハントは思っていたのだが、アテが外れた事に残念そうな顔をしてみせる。
「期待に応えられなくてすまんな」
「いや、仕方ないさ」
「しかし、それが本当なら嬉しい話だ」
「そうか? 戦争が終われば俺達みたいなのは職にあぶれるかもしれないじゃあないか」
「その時は畑でも耕すさ」
シーケンシーとしてそちらの方がよっぽど良いと思う。
本来の彼は平和主義者であり、戦機のパイロットなどやりたくなかったのである。