151話 見舞いとパン屋
真歴1088年4月25日。
モスク連邦の大統領が決定した。
元ヴォルク地域守備隊司令官のモロトフである。
彼はイェグラード共和国体制になってから、これに対する反乱軍を水面下で指揮していた人物だ。
つまりレジスタンスの総大将ともいえる。
また、新しい議会についても反イェグラードの勢力に属していた者や、イェグラード共和国内でも穏健派の者達によって構成されることになった。
「旧官僚の3分の2は過去の汚職による逮捕、あるいは能力不足で隠遁生活を余儀なくされたみたいね」
基地のラウンジで通達を読みながらサマンサが言う。
「しかも2年後には選挙で大統領から議会やらを全て新しく変えるらしいな」
アレクがサマンサが読んでいる通達を後ろから覗き込みながら答える。
あくまで現政権はモスク連邦政府がある程度落ち着くまでの臨時的なものという事だ。
「一部の同盟軍はこの国にしばらく駐屯するらしいわね」
所謂、軍事支援というものである。
再度立ち上げられたモスク連邦軍は未だに完全では無い。
それを補う為にはアラシア・ヒノクニ同盟軍の支援が必要なのだ。
「ちなみに俺達は引越しだ」
アレクは先程オリガから渡された命令書をサマンサに渡す。
「へー、1週間の休暇が貰えるのね」
それは本土へ戻って1週間の休暇の後に部隊の再編成を行い、ズーマン地域攻略戦に参加するという内容であった。
「……俺は茂助の見舞いに行くつもりだ」
「それが良いわね。時間が合えば私も行くわ」
茂助は既に本土の軍病院に送られている。
正直、軍務に復帰出来る見込みはほとんど無い。
しかし長年の戦友として見舞いくらいはいかなければと2人は思う。
/✽/
5月2日。
本土へ戻り、休暇に入ったアレクとサマンサの2人は茂助の実家である邸宅へ向かった。
彼は既に退院していたのだ。
しかし、回復したのではなく、これ以上は手の施しようが無いという理由である。
「よう。顔色は良いようだな」
邸宅内の一室にあるベッドに茂助は横たわっていた。
その顔色を伺いアレクが言う。
「何とか口は聞けるようになりましたよ。……首から下はあまり動きませんが」
茂助はそれに苦笑して答える。
以前に比べると、彼には覇気が見られない。
それに合わせてか邸宅内も静かであり、僅かに鳥の鳴き声が外から聞こえるのみである。
現在、この邸宅には茂助と源家に古くから仕えている使用人の夫婦がいるだけであり、それもあってか生活音は静かなものであった。
以前は彼の姉もこの邸宅に住んでいたのだが、結婚してからは夫と共に別の邸宅で暮らしているのだ。
「早く治せ。お前の席は開けてある」
茂助が今の状態になってから人員は補充されていない。
もし、彼が復帰すれば再び88レンジャーの小隊長として勤務出来るだろう。
「有難いのか有難くないのか……」
完治しても前線に出て戦闘をさせられるとあれば、あまり変わらないのではないかと茂助は思う。
それでも自身が必要とされているというのは素直に嬉しい。
「お前程のパイロットはそういないさ」
戦機同士の戦いになれば、アレクでも茂助に勝てるかは分からない。
「少なくとも私は貴方に勝てないわね」
サマンサが言う。
彼女のパイロットとしての腕前は確かだがアレクと茂助には及ばない。
「……それがこのザマですよ」
茂助は自身の動かなくなった四肢に視線をやる。
表情にほ出さないが内心では悔しくてたまらなかった。
「……」
どう答えたものかとアレクとサマンサは黙り込む。
「私の代わりが必要なら、2128小隊の名取陽平という男を指名して下さい」
茂助は再び2人に視線を向けて言う。
「名取陽平?」
2128小隊ということは第2師団第1大隊第2中隊第8小隊に所属している事になる。
「私と同じクロスアイのテストパイロットだった奴です。頭は悪いですが腕は確かです」
クロスアイはアジーレに代わる主力量産機の試作型である。
数十機が実戦試験の為に生産されたが、アジーレを近代改修した方が有効であった為に試作で終わった戦機だ。
茂助はそのテストパイロットであり、彼の言う名取陽平も同じらしい。
「頭が悪いというのは引っ掛かるが……、覚えておこう」
あまり人の事を悪く言わない茂助が明確に頭が悪いと断言する人物である。
アレクとしてはそんな奴を部隊に加えて大丈夫なのだろうかと疑問であった。
「一応、文字は読めますよ。相手を撃破する事しか知らない様な奴ってだけです」
茂助が皮肉っぽく笑う。
「なら問題無いわね。私達の部隊はそういう隊員が多いもの」
サマンサが答える。
一度アレクに冷たい視線を向けるが、彼はそれに気付いた様子は無い。
「パイロットとしてはともかく、指揮能力はどうなんだ?」
茂助の代わりを務めるなら小隊長として部下を指揮する必要がある。
腕が良いだけのパイロットでは駄目なのだ。
「誰よりも先に突っ込んで、最後まで残って戦う奴です。適当な抑え役を充てれば部隊の運営は出来るでしょう」
「そういう事が得意な奴がいればな」
所謂副官的な人物になるが、アレクの率いる882部隊にそういった者がいるだろうか。
少なくともサマンサはそれに該当するが、彼女は第1小隊の隊長であり、自分の補佐も行わせている。
彼女を置く訳にはいかない。、
「とりあえずオリガ中佐には伝えておくわ」
サマンサは軽く答える。
「腕の良いパイロットですから、向こうの隊長が手放すかは分かりませんが」
そういうパイロットであれば部隊長は当然ながら手放す事を嫌う。
しかし、オリガはその辺りの交渉は上手いらしい。
彼女であればそういった人材を引っ張ってくるのは可能だろう。
実際、ジョニーやザザといったパイロットを連れてきた実績がある。
「俺としてはお前に戻ってきてもらいたいがね」
アレクはそう本心を漏らす。
しかし、それは不可能なことはお互いに分かっていた。
/✽/
その後、1時間程度の雑談を経てアレクとサマンサの2人は源邸を後にした。
「すまん。そこのパン屋へ寄って良いか? 少し腹が減った」
帰りの駅へ向かう道中である。
先程とは違って賑やかな街中で見かけたパン屋の看板をアレクは見つける。
「良いわよ」
サマンサもパン屋から漂う甘い香りに誘われるかのようにアレクの後に続く。
「いらっしゃい」
2人はパン屋のガラス戸を開けて店内に入る。
棚の上にはいくつかのパンが並べられているが、その種類や数は少なかった。
「小麦が入ってきていないのか……?」
アラシア共和国はこれまでズーマン地域攻略戦、イェグラード共和国攻略戦と2つの大きな作戦を展開していた。
一部の物資は軍に徴発されたり、優先的に納品されている。
その影響が市民生活に及んでいるのかもしれない。
「……」
さて、何を買ったものかとアレクが悩んでいる時であった。
パン屋の店主がアレクに視線を向けてから何かに気付いたのか、突如として口を開く。
「あんたら、アレク軍曹とサマンサ軍曹じゃないか?」
「は?」
いきなり声をかけられ、しかも軍曹呼ばわりとはどういう事かとアレクとサマンサは顔を上げる。
その店主は体格の良い男であった。
「失礼。元、438独立部隊エイク伍長です」
店主は悪戯っぽく笑いながら敬礼をして言う。
「……何?」
「あぁ! エイク伍長!」
サマンサは驚きの声をあげた。
エイクといえば彼らが初陣から間も無い頃に所属していた部隊の隊員である。
その部隊は、源明がトール・ミュラー曹長であった頃のものであった。
アレクとサマンサも軍曹であり、部下の1人もいないパイロット時代の頃のものだ。
エイクは徴兵された兵士であったが、その腕前と指揮能力から伍長として歩兵分隊の隊長を務めていた。
「まさか、こんな所で会うとは……」
徴兵期間を終えてパン屋を開いた事は知っていたが、ここで会うとは思っておらずアレクも驚いた様子である。
「久しぶりだなぁ……。何年振りだ?」
「約7年振りだ」
「なるほど。初めて会った時はまだ子供だったのにな」
「俺が17か18くらいの時だったもんな」
アレク達がトールの下でエイク達と過ごしていたのは真歴1081年の1月前後までである。
それからは部隊の再編成や徴兵期間の終了などによりバラバラとなり、一度も会わなかったのだ。
エイクとしては徴兵期間最後の最後の上官であり、それまでの者達に比べると公正に扱ってくれた事もあり、彼らへの思い入れは強かった。
今も親戚の子供が立派になって現れたような気分である。
「もっとも、アレク……」
「今は大尉だよ」
「そう。アレク大尉の名前はニュースなんかで何度か見聞きしたけどな」
アレクサンデル・フォン・アーデルセンといえば、赤毛のエースパイロットとしてそこそこに有名であった。
ミリタリー関係の雑誌などで戦機の特集が組まれた時に何度か名前が載った事もある。
「それにしても、俺はもう大佐くらいまでいってるかと思ったよ」
エイクは白い歯を見せて笑う。
アレク程の腕があれば、それくらいの戦果を挙げていてもおかしくないとエイクは思っていたのだ。
「1年程、会計課で事務官をしていたからな。それに、そこまで軍務をやる気も無いさ」
「……まるでトール曹長みたいな事を言うな」
アレクは7年という月日を経て随分と丸くなったようだ。
エイクが知っていたアレクは怖いものなど何も無いという若者のイメージであり、実際にそう思って然るべきの能力を持ち合わせていたように見える。
「まぁ、奴の事は残念だったな。アグネアの被害を減らす為に戦死したって?」
世間に知られているトール・ミュラーはルーラシア帝国が暴走させたアグネアを止める為に、最後まで残って戦死したという事になっている。
無論、エイクがトール小山源明としてヒノクニで生きている事など知っているはずが無い。
「まぁ、な……」
アレクは曖昧に笑ってみせる。
まだ軍に所属して陸戦艇の艇長をやっているとは予想も出来ないだろうと思う。
「それにしてもお前らがまだつるんでいるとはな」
アレクとサマンサである。
この2人は438独立部隊の時から変わらない面子なのだ。
「私としては勘弁して欲しいのだけれどね」
サマンサは冷たい声で言う。
「そうなのか?」
その割には一緒に行動しているじゃないかとエイクはニヤリと笑う。
「なまじ腕が良いばかりに前線にばかり配属されて、今は88レンジャーなんて特殊部隊だもの。いつ戦死してもおかしくないのはやめてほしいわ」
「あぁ……、ハハハ」
それは何となく想像出来る。
アレクの性格は丸くなったようだが、前線で戦っているのは変わらないようだ。
そして相変わらずサマンサもそれに付き合わされているのだろう。
「好きでやってる訳じゃないがな」
命令なのだから仕方ないだろうとアレクはサマンサの言葉に不満を唱える。
「そういえば他の連中はどうした? 確か女顔の……、源茂助だかメイなんとかってパイロットだ」
「……あぁ、それなら」
アレクはそれまでの経緯を話す。
敵の毒ガスで茂助が負傷した事。
メイ・マイヤーは相変わらずパイロットとして、自分の部下になった事などである。
「……そうか。まぁ、軍に所属しているのだからな」
結局、兵士として戦場にいればそういう事になる可能性があるのだ。
だから市民の中には軍に入る事を嫌う者が存在する。
そしてエイクの様に徴兵された者の中には軍に対して不満を持つ者も少なくない。
「戦争をしているのだから仕方ないって言うけど、長年の付き合いだから割り切るというのは難しいわね」
サマンサは苦々しい顔で言う。
「そうだろうな」
徴兵組として参加したくもない戦争に連れて来られた身のエイクはサマンサ以上に苦々しい思いを抱えていた。
「さて、そろそろ何を買うか決めてくれ。昔の誼で少し安くするぞ」
エイクは話題を変えようと手を叩きながら言う。
「そうだ。腹が減っていたんだ」
アレクも自分が空腹だった事を思い出す。
「そうね。どれにしようかしら?」
サマンサもパンが並ぶ棚に視線を向ける。
もっとも、選ぶというにはあまりにも種類の少ない品揃えだと内心では思っていたで、どうしたものかと苦笑していだ。




