135話 北方の政情変化
真歴1088年2月15日3時15分。
イェグラード共和国軍ホーゲンダガヤ基地はアラシア・ヒノクニ同盟軍によって占拠された。
同盟軍の中にはアレク達88レンジャー部隊も含まれている。
「聞きましたか? 例の脱出したヘリ」
制圧完了後の喧騒の中、ザザがアレクに尋ねる。
2人は制圧した司令ビルの前にいた。
「正式な報告は受けてないが……、一応な」
戦闘後に飛び交った通信でアレクもある程度の事情は把握している。
「あのヘリにルーラシアの皇族が乗っていたって話?」
そこへやって来たのはメイ・マイヤーであった。
まだ夜中という事もあり、普段なら健康的な小麦色の肌を持つ彼女がやや色白に見える。
「らしいな」
アレクが聞いた通信によると、このホーゲンダガヤ基地にルーラシア帝国の皇族が視察に訪れていたらしい。
「だからですかね? 我々がここに強襲することになったのは」
ザザが言う。
ルーラシアの皇族といえば要人である。
それを捕らえる為に88レンジャー部隊が今回の作戦に参加したのではないだろうか。
「いや、諜報部もそんな事は知らなかったって話よ。本当に偶然だってさ」
メイが答えた。
皇族からすれば視察にやって来たら、突然戦闘に巻き込まれたという形になるのだろう。
不運な事だとメイは笑う。
「それは運が悪かったな」
アレクも意地悪な笑みで言う。
それと同時に背中に冷たい物を感じて空を見上げる。
「また降ってきましたね」
雪である。
基地の主要な場所は雪かきがされており、フェンスや建物の端には雪が集められて山になっていた。
しかし、また降ってきたとなれば再び積もる事も予想できる。
「雪かきは降伏した連中にやらせた方が早いかもな」
北国のイェグラード兵なら雪にも慣れているだろう。
アレクやザザ達も降雪地帯の戦闘経験はあるが、彼らに比べればそれほど長い期間いた訳では無い。
「大尉!」
雪の事を考えていると1人の兵士が声をかけてきた。
アレクの知らない兵士であったので、肩の部隊章に視線を向けて確認する。
どうも茂助の部隊らしい。
「茂助の部隊か。何か?」
アレクは表情筋を引き締めて上官の顔になる。
「源中尉が体調不良です。熱が38度近くまであるので、衛生兵から休ませて欲しいとの事です」
茂助が体調不良とは珍しい事もあるものだとアレクは「ほう」と声を漏らす。
しかし、茂助は北国出身でないことを思えば、この環境で体調不良を起こしても無理は無い。
「だからさっきの降下で流されたか」
先程の降下作戦で茂助の機体だけ目標地点とは違う場所に着地したのも、おそらくそれが原因かもしれない。
「分かった。残務処理は次席の奴にやらせて源中尉は熱が下がるまで休ませろ」
「了解しました」
「暖かい室内で解熱剤を飲んでから休ませろよ」
「軍医から解熱剤を貰ってます」
軍に入って戦傷以外の原因で体調不良になったのを聞くのは西部戦線以来だなとアレクは思う。
「ザザ、メイ。お前らも部下や自分の体調管理には気を付けろ」
アレクは2人に言う。
体調不良で作戦行動がとれなくなってしまうのでは話にならない。
特に自分達は特殊部隊になるのだ。
いつ、どのような任務を言い渡されるか分からない。
「分かってるよー」
「この任務が一段落着いたら確認させますよ」
メイとザザの2人が答える。
2人とも敵よりも味方の不調の方が戦場において厄介な事であるというのはよく知っているつもりであった。
/✽/
2月20日。
イェグラード共和国首相官邸。
その報せは突如送られ、イェグラード共和国政府に衝撃を与えた。
「ルーラシア帝国軍駐留部隊の完全撤退、経済支援の打ち切りだと?」
イェグラード共和国首相であるイェゴール・ミルスキーはその報せを聞くと、感情を爆発させて思わずデスクに拳を叩きつけていた。
「おのれ……!」
イェグラード共和国は元々ルーラシア帝国の支援を受けて樹立した政府である。
当然、軍事と経済において帝国からの支援を現在も受けていた。
だが、独立国家として運営していく為には何時までもルーラシアからの支援を受けている訳にはいかない。
そのため、内政が安定するにつれルーラシアからの支援を減らしていく予定であったのだが、思った以上に抵抗勢力が多く、国民の支持も得られなかったのである。
つまり、イェグラード共和国はルーラシア帝国に現在も依存している状態なのだ。
「如何致しましょう?」
報せを持ってきた外務大臣が怯えた様に尋ねる。
現在、イェグラード共和国はアラシア・ヒノクニ同盟軍の攻撃を受けており、それに何とか抵抗出来ていたのもルーラシアからの軍事支援があるからだ。
それが急に打ち切られるのである。
「おそらくホーゲンダガヤ基地の視察に訪れていた帝国の皇族が戦闘に巻き込まれたのが原因かと……」
外務大臣が言う。
本来、視察は安全な地域で行われるはずであった。
しかし、そこに対して敵の攻撃が行われたのだ。
おそらく、この皇族はルーラシア帝国政府にイェグラード共和国の防衛力がそこまで落ちていると報告したのだろう。
つまり、イェグラード共和国は見捨てられたということだ。
「………」
イェゴールは何か妙案が無いかと自身の持つ知略の畑を必死で掘り起こしていた。
「こうなればモスク連邦政府に和平を申し入れては如何でしょう?」
外務大臣は恐る恐る言葉を口にする。
「一度駆逐した奴らを政府として認めろという事か!」
イェゴールが激高して叫ぶ。
それに思わず外務大臣は後ずさりする。
「今、ルーラシア帝国は重要地域の防衛戦の最中です。しかし、国力から考えれば帝国が同盟軍に負けるとは思えません。この戦闘が終わるまで我々は休戦して、その間に戦力を整え、その後に帝国の支援の元で旧政府を叩けば宜しいかと」
外務大臣が言う。
イェゴールはその意味を噛み砕いて思考する。
確かに外務大臣の言う事は一理あった。
しかし打ち倒したはずの政府と和平するという事は、形はどうあれ旧政府の存在を認めるという事になる。
それは彼のプライドが許しておけなかった。
「……中立地域の傭兵を集めて戦力を補充するか」
イェゴールは呟く。
「今、中立地域の傭兵達はアラシア・ヒノクニ同盟軍に多くが雇われていると聞きます。それ程の数が集まるとは……」
中立地域といっても色々あるのだが、現在はズーマン地域の戦闘に参加する為にほとんどの傭兵がそちらに向かっていると聞く。
今、イェグラード共和国で募集をかけてもそこまで集まらないだろう。
「ミルスキー首相! 報告です!」
2人がそれぞれ思案顔になっている時である。
更に報告の為に現れる者がいた。
今度は公安局の者である。
「何事だ」
イェゴールは叫び出したくなる衝動を飲み込みながら冷静を装って尋ねる。
「各基地で反乱です! ヴォルク市守備隊の元司令官が首謀者です!」
「ヴォルクの元司令……、モロトフか! 奴は北部の邸宅に閉じ込めておいたはずだが……」
「最近の戦闘に紛れて旧政府と連絡を取り合っており……」
「公安局は何をしていた!」
「お言葉ですが、軍内部については憲兵の管轄かと……」
公安局の者が言い終わる前にイェゴールの拳が飛ぶ。
「ぐっ……!」
公安局の者は床に倒れ込み、その前でイェゴールは肩で息をする。
「どいつもこいつも……!」
結局、イェゴールは和平案を採ることは無かった。
その代わりに国内の兵士と中立地域の傭兵を募集する。
そして応募率を上げる為に軍の給与と待遇を見直すように命令を下した。
/✽/
「馬鹿ね」
2月25日。
諜報部からイェグラード政府の動きを聞いたオリガ・ミルスキー少佐は嘲笑する。
イェグラード共和国内部では各所で反乱やボイコットが起き、イワン・ゴラン中佐をはじめとした士官達がモスク連邦に鞍替えをしていた。
「オリエンタル急行もイェグラード共和国へ向かわせる列車を減らしているそうだね」
ゆったりとした男の口調で話しかけられる。
声の主はスーツを着た紳士的な風貌の壮年であった。
「イェーガーさん」
オリガが答える。
彼の名前はトーマス・イェーガー。
オリガがかつてシークレットサービスに所属していた時の警備対象であり、同時に色々と面倒を見てもらっていた人物である。
「ルーラシアからの支援打ち切りにオリエンタル急行の運行減少。これは事実上の経済封鎖だ。イェグラード共和国はかなり厳しくなるよ」
イェーガーはアラシア共和国の経済や産業を取り仕切る経済産業委員会の委員長であり、この手の話に詳しかった。
「となるとイェグラードは和平交渉を提案するでしょうか?」
そのような厳しい状況下では戦争を継続するのは難しいだろう。
そうなれば和平を提案するのが定石である。
もっともイェゴールはその案を蹴っていたのだが、オリガ達はその事を知る由もなかった。
「かもしれないね」
イェーガーもそれは当然だと思う。
「でも和平に乗る事は反対ですね」
「そうかい?」
和平案を受け入れずに戦争を継続する。
オリガの過激な意見を聞いたイェーガーは興味深そうに彼女を見る。
「今、イェグラードを残しておけばズーマン地域の作戦が終わった後にどうなるか分かりません。ならば帝国の支援も打ち切られて、経済的にも厳しくなる今の内に叩いて後顧の憂いを絶っておくのが得策かと」
つまりオリガとしてはイェグラード共和国を完全に潰してしまおうと考えている訳だ。
そこには自身と母親を捨てた父であるイェゴール・ミルスキーへの恨みもあるのだろう。
「君の私情も混じっていそうだね」
それを察したイェーガーは苦笑する。
「どうでしょうね」
一方でオリガは澄まし顔であった。
「何にせよ、それが決定するかどうかは向こうが和平を持ち出して、我が国の国家運営委員会がそれに乗るかどうかだ」
アラシア共和国は経済産業や、外務、軍務といったいくつかの委員会があり、それらの代表である委員長と各地方行政の代表らによって構成された国家運営委員会によって国家運営が成されている。
「一応、そうなった時は君の意見も参考にさせてもらうよ」
イェーガーは娘の話でも聞くような口調で言う。
実際のところ、イェーガーにとって彼女は娘の様なものであった。
シークレットサービスとしてやってきた頃、オリガはまだ20歳になるかならないかという年齢であった。
にも関わらず、彼女は政治の為に親に捨てられ、工作員としての訓練を受け、戦場を経験してきたのである。
政治や戦争の為に若者らしい人生を歩んでこれなかったといってもいいだろう。
根が善人である彼はそんなオリガを不憫に思い、戦争以外の事も教えようと思ったのだ。
その為、彼女には自身の警護よりも秘書の真似事や給仕の手伝い、自身の娘の子守りなど戦争とは関わりの無い仕事を任せる事が多かった。
そしてオリガはそれらを完璧にこなしていたのだ。
実質、警備というよりメイドである。
「しかし、再び戦場に戻るとはね」
だが戦争の激化はオリガの才能を放っておかず、再び彼女は戦場に立つことになったのである。
「そういえば、お嬢様は元気ですか?」
オリガが尋ねる。
彼女はどういう訳かイェーガーの一人娘を非常に気に入っているらしく、今もよく面倒を見てくれていた。
「写真見るかい?」
イェーガーは一人娘の写真をオリガに渡す。
「是非」
言い終わらない内にオリガはイェーガーが差し出した写真を受け取ると、それに視線を落として微笑んでいる。
「娘も君を心配していたよ」
「また会いに行くとお伝えください。……戦場ではそれを楽しみにするくらいしかありませんので」
「そうだね……」
オリガにとってはイェーガーの娘は妹の様なものなのだろう。
娘の為にもオリガには生き残って貰いたいものだとイェーガーは思う。




