130話 別れ
真歴1088年1月10日。
正式にアーニア市攻略作戦は終了した。
アーニア市にモスク連邦政府が入り、これの管轄下となったのである。
今後はここを拠点としてモスク連邦はイェグラード共和国と戦う事となったのだ。
またヒノクニ・アラシア同盟軍の中でアーニア市侵攻作戦に参加している一部の部隊は、その任を解かれて本土へと帰還する事が決定した。
そして1月15日。
源明が率いる891中隊はアーニア市から引き上げて、現在は中立勢力であるオリエンタル急行のラライ駅にいた。
部隊再編成の為である。
アレクの率いる第100独立部隊はここで891中隊の指揮下から外される事となっていた。
「やれやれ、冬季装備は無駄になったな」
連弩の前部ブロック、つまりは戦機の整備ハンガーでアレクが言った。
ここで整備を受けていたアジーレが次々と外へ運ばれていく。
「良かったじゃないか。寒い中で雪に濡れた靴下に悩まされずに済む」
源明が答えた。
冬季戦線で徒歩行軍などをしているとブーツの中に雪が入り込む事がある。
それが溶けて靴下が濡れてしまうという事が多々見られたのだ。
足元が冷える上に濡れた靴下の不快感は冬季戦線の大きな悩みであった。
「それはそうだがな」
アレクがそう答えるとサマンサがやってくる。
「アレク、これにサインを」
彼女は1枚の書類をアレクに手渡した。
「ん」
アレクも促されるまま書類にサインをする。
「これを返すのは名残り惜しいがな」
サインを終えると、その書類を源明に渡す。
アレクが率いる第100独立部隊が拠点として使用していたカーゴを返却する為の書類であった。
「そうだね」
アレク達が使用していたカーゴは言ってしまえば巨大な箱である。
この中に整備用ハンガーや居住ユニットを設ける事で、簡易的な拠点として使用する事が出来るのだ。
しかし、自走機能が無いので移動する際には陸戦艇と連結する必要がある。
「中に居住ユニットがあるおかげでシャワーには困らなかったし、外で便所を済ます必要も無い。テントを張ったり穴を掘る必要も無かったから助かったんだがな」
前線では酷いと屋根の無い中で寝食を済まさなければならない事もある。
それを思えば、このカーゴというのは非常に贅沢な物であった。
「いずれアラシアでも似たような物が開発されるさ」
源明は茂助の顔を思い出しながら言う。
「何年先になる事やらな」
源明が言う事は間違い無いが、アラシア軍にとってノウハウが何も無い兵器である。
すぐにという訳にはいかないだろう。
「その前に戦争が終われば良いのだけど……」
そう呟いたのはサマンサであった。
ルーラシア帝国の最重要防衛ラインであるズーマン地域。ここを制圧出来れば和平なり休戦なりで、ひとまず戦争は終了する可能性が高い。
そうなれば、この場にいる全員が戦闘から解放されて楽になる。
「それはどうかな?」
源明はサマンサの意見に異を唱える。
「どういうこと?」
ズーマン地域はルーラシア帝国の首都であるジャンジラを守る為の最重要地域だ。
そこを制圧すれば喉元にナイフを突き付けられたのと同じではないか。
そんな状態で戦争継続は不可能だろう。
「いや、制圧出来れば戦争は終わると思うけどね。ただ、ズーマン地域を墜とせるかどうかが疑問なんだ」
「それは……」
源明の言いたい事はサマンサも理解する。
そもそも、アラシア共和国とヒノクニを合わせても、国力としてはルーラシア帝国全体より少し下といった程度だ。
オリエンタル急行が中立の立場をとり、かつてのモスク連邦と組む事でようやく戦えている状況である。
そのモスク連邦も今はアテに出来ないどころか、それを支援する為の作戦も展開しているのだ。
このような状況で最重要地域のズーマン地域を制圧するのは確かに難しいだろう。
「私には何故こんな作戦が容認されたのか疑問でならないよ」
軍を含めて、この戦争を支持している政治家の頭の中はどうなっているのだろう。
源明は不満そうであった。
「ならこっちもクーデターを起こすかい?」
上層部への不満を口にする源明に対しアレクが軽口を叩く。
「まさか。それが起きたらこの戦争は負けるよ」
ここでアラシアかヒノクニが分裂すれば、その隙をルーラシア帝国は見逃さないだろう。
さらにイェグラード共和国も同じ様に混乱の隙を狙うのは間違い無い。
そうなればアラシアとヒノクニの同盟軍はルーラシアとイェグラードに敗北してしまうだろう。
「それが分かっていながらクーデターが起きたのがイェグラード共和国だけどな」
アレクが言う。
共通した敵がいるにも関わらず、あの国はモスク連邦という政府の中でクーデターを起こしたのだ。
「裏でルーラシアが手を引いていたろう?」
そして、それを支援したのがルーラシア帝国である。
「艇長」
そこへ源明の下で戦機部隊を率いているリリー・レーンがやってきた。
「……」
「……」
アレクと共にいたサマンサとリリーの間に僅かに冷たい空気が流れる。
相も変わらずこの2人の仲は冷えきっていたのだ。
「連弩とカーゴの接続が終わったわ。何時でも此処を出発出来るわよ」
リリーは目の前にサマンサがいる事で不機嫌になったのか、冷たい声で報告する。
「了解した。あと15分程度で出発する。ブリッジに伝えてくれ」
「了解」
何かあると面倒だと源明も思ったのか、すぐにリリーをその場から立ち去らせる。
「もう行くのか?」
アレクが立ち去るリリーの金髪を目で追いながら尋ねる。
「ああ。ここまで艇を酷使してたせいか、一度オーバーホールしないといけないんだ」
これまで連弩は何度も悪路を走ったり爆撃機の攻撃を受けたりしていた為に、機能不全に陥ってる箇所が多々見られた。
大掛かりな修理をする必要があるのだが、それはヒノクニ本土へ戻らなければ出来ないのだ。
「そうか。もし、落ち着いたらアラシアへ来てくれ。……墓参りだってしたいだろう」
アレクが言う。
源明ことトール・ミュラーの両親はテロにあって死亡しており、その墓参りに行く必要があるだろう。
「落ち着ければね」
源明は苦笑する。
確かに両親の墓参りには行きたいが、そもそも大きな作戦が行われている最中だ。
艇のオーバーホールが終われば、また前線に駆り出されるだろうと源明は予想していた。
「まぁな。次に会う時は戦場でなければ良いんだが……」
「そうだね。それなら色々と気兼ねする必要が無い」
2人はそう言いつつも、次に会う時はまた戦場になるだろうと内心で思っていた。
今は気軽に旅行が出来る状況では無い事はよく分かっていたからだ。
「……そろそろ時間だ。また会おう」
源明が腕時計の時間を確かめながら言う。
「おう、また今度な」
アレクはやや名残惜しそうであった。
/✽/
その日の夜。
連弩の艇長室にあるベッドで源明が横になっている時だ。
「艇長。連弩はダマンド地域に到達ました。時間通りですね」
薄暗い艇長室の扉を開けて千代が顔を出す。
本土への帰路を目標時間通りに進んでいる事を報告しに来たのだ。
「うん。この辺りなら敵もいないだろうね。シフトを半舷休息に切り替えてくれ」
「了解です」
そこで千代は源明の雰囲気がいつもと違う事に気付く。
横になっているので表情が伺えないが、声の調子がどことなく暗いのだ。
「アレク中尉がいなくて寂しくなりますね」
千代はそれを長年の相棒ともいえるアレクと別れた事が原因と考える。
「いや、ただのセンチメンタルだよ」
「センチメンタル?」
これは珍しい事を言うものだと千代は思う。
常に飄々としている人物だが、そういう気分になる事もあるというのは意外であった。
「俺は落ち着いたらトール・ミュラーとしてアラシアに帰るつもりだった」
源明は淡々と話し始める。
しかし、ベッドで横になり千代とは反対方向に顔を向けていたので、その表情は分からない。
「しかし両親はテロに巻き込まれて死んだ。もう、彼処には帰る場所が無いと思ってね」
知らない間に家族が死亡していた。
アレクから聞かされた時は大した感情は湧かなかった。
しかし、作戦も終了して落ち着いてくると、その事実が急に源明の感情を揺さぶったのである。
「結局、トール・ミュラーは死んだという事さ」
淡々と源明は言う。
彼としてはトール・ミュラーに戻る事を諦めて小山源明として生きるしか無い事をやるせなく思ったのだろう。
千代は源明の声の調子からそう判断する。
「でも、連弩のクルーは大尉を慕っています」
それでもヒノクニには居場所がある。
千代は慰めるように言う。
「戦場でなければ有難い話だけどね」
源明は皮肉っぽく笑った。
戦争などに関わりたくないのだが、自分の居場所がそこにしか無いというは皮肉としか言い様が無い。
/✽/
同じ頃、ラライ駅のアラシア軍駐屯地。
駐屯地として徴発したビルの一室にオリガ少佐がデスク越しにある人物と面会していた。
「で、どうだったかしら? 例の陸戦艇は」
尋ねた割には興味が無さそうな口調であった。
それに対して、彼女の目の前にいる相手はやや緊張している様子である。
「あんな物が動いているのが信じられませんでしたよ」
そう答えたのは源茂助少尉であった。
彼はアレクの部下として戦機小隊を率いているのだが、それとは別の任務も言い渡されていたのである。
「そうね。で、どれだけデータは集まったの?」
それは陸戦艇に関する技術データの収集であった。
あれだけの巨体を動かす機関部、搭載された兵装、部隊運営を行うシステム、居住区やハンガーの内装などのあらゆる事に関してのものである。
「これが報告書と写真を収めたフィルムです」
茂助は数枚の封筒をデスクに並べる。
「あと、これも……」
そう言うと胸ポケットからボールペンを何本か置く。
「諜報部顔負けね」
そのボールペンは小型のカメラであった。
これまで茂助の胸ポケットに収まり、何度も連弩の内部を撮影したものである。
「技術部では諜報部の装備もいくつか作っていますから……」
茂助はアレクの部下であったが、同時に陸軍技術部にも所属していた。
今回は諜報部を通して独自のルートで出された命令なのだ。
これは当然アレクの知るところでは無かった。
「結局、機関部のデータは取れませんでしたが……」
機関室に入る前に連弩の乗組員に発見されて侵入出来なかったのである。
「仕方ないわね。機関部は機密扱いでしょうし……。まぁ、あちらにバレてなければ構わないわ」
陸戦艇の機関部は間違いなく高いセキリュティで守られており、本職の諜報員で無い茂助では侵入は不可能だろう。
これは仕方の無い事だ。
「……おそらく、向こうの小山艇長は気付いていますよ」
茂助のその言葉にオリガの動きが止まる。
「どういう事かしら?」
口調を鋭くして尋ねる。
「機関室へ侵入しようとした時に、ヒノクニの乗組員に捕まって小山艇長の前に引き出されたのですが、特にお咎め無しで終わりました」
実際は1発殴られて連弩への出入りを禁止された。
しかし、作戦も終了間際の事であり大した事では無いだろう。
その件にはあえて触れなかった。
そんな事よりも、そういった疑わしい状況にも関わらず身体検査すらされずに解放されたことの方が重要だ。
「つまり小山大尉は陸戦艇の情報が漏れる事を容認していたという事?」
そんな事が有り得るだろうかとオリガが尋ねる。
陸戦艇の技術を独占している限り、戦場でのイニシアチブはヒノクニにあるといっていい。
「というよりも、どちらでも良いと考えたのかもしれません」
小山源明からすれば戦場でどの国がイニシアチブを持とうが、それが味方である限りは構わないと思っているのだろう。
「おそらく小山大尉は陸戦艇が戦場に出てきた以上、いずれはヒノクニ以外の国も陸戦艇を開発すると考えているんだと思います」
「それはそうね。アラシア軍でも陸戦艇の開発プロジェクトは始まっている訳だし」
「となれば、それは早いか遅いかの違いなので別に陸戦艇の技術を渡しても構わない……。むしろ、早く味方の軍に陸戦艇を開発させて今後の作戦における足並みを揃えられる様にして欲しいと考えているのかと」
現在、アラシアの戦力はヒノクニの陸戦艇により戦場まで移送される事が多い。
その為、本来はヒノクニの戦力を移送したくても、アラシアの部隊に陸戦艇を割かれてしまう事態も起きているのだ。
「つまり、小山大尉は自軍の事は自軍で面倒を見ろと考えている訳ね」
オリガは一理あると思う。
本来はヒノクニのみで行いたい作戦行動が、アラシアとの共同作戦という理由で出来ないというのは歯痒い事だろう。
「小山大尉からすれば、この戦争が早く終われば、ヒノクニとアラシアの政治的優位などに興味が無いようですから」
それは茂助がよく分かっている源明の性格だ。
源明は本来のんびりと本でも読んで静かに暮らしたいという事をよく知っている。
政治や戦争などには興味が無いのだ。
「政治には興味が無い……。生粋の軍人の様ね」
しかし、オリガはそんな源明の性格を知らない。
彼女は政治に興味が無い軍人と聞いて、源明が命令を忠実にこなす人物だと思ったようだ。
その全く正反対の評価に茂助は「はぁ」と間の抜けた声を出す。
「でも、アーデルセン中尉の報告ではいい加減な人物の様に聞こえたけど……」
オリガが言う。
アレクが彼女の元に報告した源明の人柄は「有能な部下に仕事を一任する軍人らしからぬ性格」とあったのだ。
そんな人物が先を見据えて陸戦艇の技術の流出を意図的に行うだろうか?
「アレク中尉は小山大尉の表面的なところしか見ていないのでしょう」
嘘である。
アレクは源明の事を誰よりも理解しており源明もそれは同じであった。
お互いに余計な言葉など交わす必要が無いのである。
それ故に源明はアレクの率いる部隊にあれこれと命令する事が少なかったのだ。
「そういうものかしらね。……それしても小山源明大尉、油断ならない人物に私は思えるわね」
オリガは思案顔で言う。
源明の本質を知っている人物の1人である茂助はその言葉に思わず吹き出しそうになる。
「……そうかもしれませんね」
茂助は内心でそんな訳無いだろうと思う。
結局のところ、源明が陸戦艇の情報流出を見逃したのは後の面倒を嫌っての事だ。
オリガは深謀遠慮の様な事を思っているのかもしれないが、全くそんな事は無いのである。
「……いや、怠惰を実現する為と考えればそうかもしれないけど」
「どうかしたかしら?」
「はい、いいえ。何でもありません」
何故、源明の様ないい加減な人物が今や大尉で艇長などと呼ばれているのか。
その原因となる誤解と過大評価を目にした茂助は笑いを堪えるのに必死であった。




