13話 休暇
アラシア共和国。
首都であるキャピタルリバーから更に南へ10キロ程離れた街。ストーンリバーという小さな街がアレクとトールの故郷であった。
真歴1080年、11月8日。
アレクとトールの2人は首都にある駐屯地でしばらく待機した後に、ようやく故郷へ帰ってきたのである。
戻ってから2人は家族の元へ戻り、団欒の中で自身の軍隊生活を話したり、怠惰という名の贅沢を思う存分貪っていた。
そんな時である。
トールの元にある連絡が届いた。
「地元新聞の取材だって?」
ゲームやコミックが散乱している自室で上下ジャージ姿のアレクが驚きを含んだ声をあげる。
「この間で民間人に被害を出さずに脱出して、感謝状貰ったろ? この街の英雄って記事にしたいんだとさ」
Tシャツの上に軍服のジャケットを羽織ったトールが答えた。
「断れよ面倒臭い」
アレクは丁度お気に入りのアニメを観ていた最中であり、取材などを受ける気分で無かった。
「俺もそう思ったんだが……、ランドルフ少尉から電話があって、プロパガンダになるから受けろとさ」
やれやれと頭を振る。
休みの時くらい仕事の事など思い出したくないのにとウンザリした顔であった。
アレクも顔をしかめる。
数時間後。
出版社の応接室にてトールとアレクの2人はグレーを基調とした制服を着用して、アイボリーのスカーフ、ダークグリーンのベレー帽を被るという正規の軍装で取材を受けていた。
「私は何もしていません。作戦はノックス軍曹が考えましたし、戦闘はこのアレク軍曹が、救出は当時協力してくれたエイク伍長と彼の部下がやりましたからね。全て私の部下達のおかげですよ」
取材が始まりトールは開口一番に笑顔でそう言うとアレクに返答を投げてしまった。
「特にこのアレク軍曹は、機体を撃墜されたとはいえ、あの青い壊し屋と互角に戦った事のあるパイロットです」
そしてトドメとばかりにアレクが話題の中心になる様に誘導したのである。
「おい」
思わずアレクがトールを睨む。
しかし、すぐに取材記者から質問が投げられ、それに答えなければならなかった。
そして次の日。
地元新聞の見出しには「我々の街からエースパイロット現る」と書かれていた。
記事の内容は当然アレクを中心としたものとなっている。トールに関しては「功を誇らない謙虚な人柄」と書かれていたのみとなっていた。
「お前、いつか覚えていろよ……」
自分の部屋で記事の書かれた新聞を読んだアレクが恨めしそうな顔で言う。
トールもその記事の載った新聞を持って、アレク宅に訪れており、それを読んだトールはこれは面白いとケタケタ笑っていた。
「それにしたって、今回の件もだけど印象操作っていうのかな? マスコミの発表する情報が現場とかなり食い違っているね」
そう言って新聞を放り出してトールが言う。
「まさか前線は苦しい状況と書く訳にもいかないだろ」
実際にこれまでの休暇でいくらかの新聞やニュースを目にしたが、実際の現状と発表されている内容でかなり食い違っていた。
「個人的には実情を公表してしまった方が良いと思うよ」
トールはそう言って新聞を畳むと机に放り投げる。
「国全体の士気が下がるぞ?」
「良いさ。それで厭戦気分になって、帝国と和平なりなんなりして戦争が終わるのが理想的だ」
「和平だって? 俺達は帝国を倒す為に戦っているんだろう? ……表向きは」
少なくとも自分とトールは徴兵で前線に配備されない為の方法として志願した。その結果、前線で戦うという自分で思い返してみても意味の分からない事になっていたが。
「それはちょっと違うね。元々、この戦争はアラシア共和国がルーラシア帝国から独立する為に始まったことだ。帝国から独立する事が出来れば戦争を続ける意味は無いよ」
「戦う相手がいなけりゃ、軍の存在意義も無くなりそうだな」
「軍隊っていうのは、万が一外敵に攻められた時に市民を守れる程度の規模で充分さ。軍部が異常に肥大化した国でマトモな運営が出来た所なんて歴史上存在しないよ」
「確かにな。帝国を見ていれば明らかだ」
帝国の兵士はほとんどが徴兵で集められた者達である。
それは軍部が肥大化して国の政治に大きな影響を与える様になった事を意味していた。
また、以前の戦闘であったように捕虜になるくらいなら死を選べという、戦死することを美徳とするような教育も行われている。
本来、守るべき対象の国民を死ねと国が教えるというのは異常なのだ。
「でもそれはアラシア共和国も同じだろう」
この国でも徴兵制はあり、帝国程では無いとはいえ戦争に参加する事を美徳とするような風潮がある。
「そうだ。だからこのまま戦争が続けばこの国も立ち行かなくなるだろうね。そうなったら北のモスク連邦辺りは何をしでかすか分かったものじゃない」
トールは視線を泳がせながら言う。
モスク連邦とはルーラシア大陸の北側にある国である。
その領土の半分以上は人の住めない土地であった。
1000年以上前の崩壊戦争によって生み出された汚染物質が未だに土地を冒し続けているのだ。
その為、是が非でも帝国の領土を自国のものにしたいのである。
そういった意味ではアラシア共和国よりも攻撃的であり、同盟を結んでこそいるが、隙あらばアラシア共和国を攻めてきてもおかしくない……、モスク連邦とはそういう国なのだ。
「しかし、大陸を1つの政府が統一してた方が効率的に国を治めていけると思うけどな」
アレクが呟く。
それに対してトールは何も答えなかった。
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アレクとトールが故郷へ帰ったのと同じ様に源茂助も自身の帰る場所へ戻っていた。
そこはアラシア共和国の首都、キャピタルリバーの一角にある石垣に囲まれた屋敷である。
中には幾つかの平屋が連なり、松の木が生えた庭や鯉が泳ぐ小さな池がある、ヒノクニの文化が見て取れる造りであった。
それを懐かしく思いつつ茂助は木造の正面門を通り、松の木が生える中庭を抜ける。
「ただいま戻りました」
茂助が玄関先で箒を手に庭の手入れをしていた使用人の女に声をかける。
「あら!」
女は驚いた声を出す。
「姉さんは?」
茂助が尋ねた。
「母屋にいますよ」
女はクスリと笑いながら答える。
「ありがとうございます」
そう答えると茂助は弾けるように走り出す。
目的の人物は母屋の縁側に腰掛けながら眠そうな顔で池の鯉に餌を与えていた。
起きたばかりなのだろう。
寝巻きがはだけており、その隙間から豊満な肢体が見え隠れしていた。
それを見た茂助が顔をしかめる。
「姉さん……、またそんな格好で……」
その呆れ声を聞き、姉と呼ばれた女性の眠そうな目が開かれた。
「茂助? あらあら、いつ戻ったの?」
気の抜けた声である。
彼女の名前は源友紀。
年齢は27であり茂助よりも一回り歳上である。
ヒノクニの家系であり、有力政治家の娘でもあった。
しかし、政治の世界故か、陰謀により彼女の父親は国を追われる事となり、たまたま繋がりのあったアラシア共和国へ彼女と茂助を連れて亡命してきたのである。
その後、彼女の父親は心労が祟り命を落としてしまう。
それ以降は一人娘の友紀が家を切り盛りしていく事となったのだ。
「ついさっきですよ。……そんなだらしない格好は止めて下さい」
「相変わらず堅いわねぇ。仕方無いのよ。徹夜でお仕事をしてたのよ?」
友紀は眠そうに口を開けて欠伸をする。
「……無理しないで下さい。元々、そんなに身体が強くないのですから」
茂助の表情が変わる。
「心配性ねぇ。でも、これが完成すれば今の戦争も楽になるし、この家の将来も安泰よ」
「しかし……」
友紀はヒノクニにいた頃から軍の兵器開発部に在席しており、優秀な技術者であった。
アラシア共和国にやってきた後も軍の兵器開発に携わる事となり、今は新型の戦機開発を行っている。
「とりあえず朝御飯の用意をしてくれるかしら?」
友紀はにこやかに言う。
「もうお昼ですよ……」
やれやれと茂助は呆れ声で答えた。
その数分後には食事が屋敷の広間に用意される。
広間は畳張りの床となっており、その中央に座卓が置かれ、その上に食事が運ばれてきた。
「あら、茂助もなの?」
そこには2人分の食事が並べられていた。
「軍の食事って、粗雑なものが多くて……」
茂助が苦笑する。
「そう……、苦労をかけるわね」
友紀は申し訳無さそうな顔になった。
「いえ、戦災孤児で身寄りが無かった自分を拾って貰ったんです。これくらいの恩は返させて下さい」
「また、そういう事を……。気にしないで良いのに」
彼が来て既に10年もの歳月を過ごしているのだ。
友紀は茂助を実の弟として思っている。恩だのなんだのといった事は考えなくても良いと思っていた。
「むしろ、私の代わりに前線に出ているのだから、こちらが感謝したいくらいなのに」
亡命者である彼らがアラシア共和国で市民権を得るには、軍務に就いて前線で戦う必要があった。
有力者だった父がいれば何とかなったかもしれないが、今となっては僅かな資産と広い屋敷、ヒノクニで暮らしている時から仕えてきた使用人の夫婦、そして茂助しか源家には残っていなかった。
更に現当主である源友紀は身体があまり強くない。
季節の変わり目には体調を崩して寝込むことが多く、勤務時間が長くなった次の日に倒れてしまう事すらある。
そういった事もあり、源友紀には前線に立って戦闘など出来る訳が無い。
そこで茂助が兵士として軍務に就くことになったのだ。
「そういえば、そちらはどうなの? 周りから酷い扱いを受けたりしてない?」
友紀が尋ねる。
「いえ、そんな事はありませんよ」
答えながら自分の部隊を思い出す。
隊長のトール・ミュラー。
言葉通りに惚けた人物であり、仕事は他人任せで自身で何かをするという印象は薄い。
何故彼が隊長なのか理解に苦しむところだ。
しかし、自分達が生き残る為に味方を見捨てたり、民間人に変装して奇襲をかけるといった策を用いるなど、狡猾な面もある。
アレクサンデル・フォン・アーデルセン。
トールとは幼友達らしい。
勝ち気で思った事をそのまま口にする性格である。
パイロットとしても生身の兵士としても優秀でり、そんな彼が何故トールに従っているのか不思議であった。
見た目に反して妙な趣味を持っている。
サマンサ・ノックス。
とある軍人の娘で政略結婚をさせられそうになったのだが、それから逃れる為に軍に入る。
ところが、その婚約者であるジーン・ランドルフが上司であった為に自分の部隊はこき使われる羽目になった。
結婚話そのものは親同士の話し合いだったらしい。
また、トールがあまり仕事をしないので彼女が分隊の実質的な指揮官である。
「ランドルフっていうのは聞いた事があるわ」
茂助の話を聞きながら友紀が言った。
食事はあまり進んでいない。
「開発部に仕事を持ってくるのは良いけど、無茶な納期やスペックを提示してくる事で有名よ」
「無能ですか?」
茂助にしては随分ハッキリ言うものだと思いながら友紀は首を横に振る。
「それを達成するのに必要な物はすぐに揃えてくれるから、一概に無能とは言えないわね」
それを聞いた茂助は「そういうものですか」と答えた。
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休暇に入って4日目。
茂助の住む屋敷に来訪者があった。
アレクとサマンサである。
「珍しい組合せですね」
いつもならトールがアレクの横にいるはずなのだ。
「トールならこの間のレポートに不備があって、基地へ出頭だとさ」
アレクが肩を竦める。
「内容はサマンサが確認したはずでは?」
帰りの電車の中で確かにサマンサはトールのレポートを修正していたはずだ。
「中身はね。流石に表紙に関しては知らないわ。手続きは隊長のやる事よ」
屋敷の庭を眺めながらサマンサが言う。
その顔はトールの自業自得とでも言いたげであった。
「ところで、今日は一体何の用事ですか?」
そう言って2人を玄関に招き入れる。
アレクがそのまま上がろうとしたので「あ、靴は脱いで下さい」と止めた。
止められた本人も「あぁ、トールの家と同じか」と呟いて靴を脱ぐ。
ヒノクニも地域によって慣習が違うのだが、トールと茂助は同じ慣習の地域から出た家柄らしい。
「私達、軍曹に昇進したでしょ? その業務マニュアルを届けに来たの」
サマンサは靴を脱いで、用意されていたスリッパに履き替えた。
そのまま茂助は2人を自室へ招き入れる。
「で……、そのマニュアルを渡したのは、次の出勤時にスキルチェック。つまりは筆記試験もやるそうだ」
彼らは前線にて昇進をしたのだが、本来は昇進する際に試験を受けなければならない。
しかし、前線にいたことに加え人手不足もあり、その様な事をしている余裕は無かったのである。
「これで不合格なら降格ですか?」
渡されたマニュアルのページを捲りながら茂助が尋ねた。
「まさか、後日改めて再試験ってところだろ。……後日が何時になるかは知らないが」
おそらく自分達は再び前線に立つことになるだろう。
もし試験が不合格だったとして、不合格の処分が下る前に前線に向かわされ、結局それについては有耶無耶になるとアレクは思っている。
「茂助ー?」
気の抜けた女の声が聞こえ、部屋の扉が開く。
友紀であった。
グレーを基調とした内勤用の軍服に身を包んでいる。
「あら? お友達?」
アレク達の姿を見て尋ねた。アレクとサマンサは私服を着ていたこともあり、そう思うのは無理も無いだろう。
一方、アレクとサマンサの2人は軍服を着ている友紀に向かって敬礼をする。
「陸軍ギソウ方面攻撃部隊、435小隊第4戦機分隊のアレクサンデル・フォン・アーデルセン軍曹です」
「同じく、サマンサ・ノックス軍曹です」
それを見た友紀はクスクスと笑う。
「はい。私は陸軍兵器開発部、第12研究室、技術大尉の源友紀です。……プライベートならそこまで固くなる必要は無いわよ?」
そう言われてアレクとサマンサは「はぁ」と気の抜けた返事をした。
因みに、アレクが言った435小隊というのは、第4大隊第3中隊第5小隊の略称である。
「ところで、貴方達。戦機のパイロットということだけど……、今の機体に不満点とか、こういう機体が良いとかってあるかしら?」
友紀はアレク達が前線のパイロットと知って関心が湧いた。もっともその質問自体は思い付きで口走ったものであり、特に深い考えは無かった。
アレクがややあって口を開く。
「もっと装甲の薄くて軽い……、機動性と運動性の高くて、殴り合いが出来る機体が欲しいですね」
その答えは友紀が予想していたものとは違った。
「あら? てっきり装甲の厚い機体かと思っていたのだけれど……」
彼女はとにかく頑丈で高火力の装備が可能な機体が前線の要求と思っていた。実際に前線のレポートなどもそう書かれているのを何度も目にしている。
「頑丈に越したことは無いですが、所詮は戦機ですから……、装甲厚くしてもたかが知れてますし。それなら敵の攻撃を避けながら接近してブン殴れる機体のが自分は良いですね。なんだかんだで戦機って接近戦が多いですから」
「まぁ、装甲の厚いアジーレも当たりどころによっては、小銃で撃ち抜かれますからね」
茂助もアレクの意見に同意した。
それを見て友紀は「んー」と考え込む。
「それよりも、出勤ですか?」
茂助が尋ねた。友紀が話の種として提供した質問よりも、そちらの方が気になったのである。
「ええ。今日までに仕上げたいのよ」
「大丈夫なんですか?病み上がりでしょう?」
友紀は昨日まで寝込んでいたのだ。
茂助が帰ってきた日からなのだが、前日の徹夜が祟ったのであろう。
「心配性ねぇ」
友紀はクスクス笑う。
「大丈夫よ。夕方には戻るから」
手を振ってそう言い、アレクとサマンサに「ごゆっくり」と告げてそそくさと立ち去っていった。
「……可愛い人だな」
それはアレクの友紀に対する第一印象であった。
「無茶をします。身体は強くないのに」
「そうは見えないが……」
「体質的なものですよ。すぐに喘息の発作を起こしたり、熱を出したり……」
「ふーん」
何やら大変そうだとアレクは思う。
「気があるなら口説いてみれば?」
そう言ったのはサマンサである。
アレクに対して冷たい視線を投げかけていた。
「いや、軽くいなされそうだ。向こうの方が歳上だろうしな。……それに茂助が黙って無いだろう?」
茂助の鋭い視線を感じながら答える。
一方でサマンサの態度には気付かない。
彼女の冷たい視線と声はいつもの事だからである。
「まぁ、メイも言っていたけどあなたはガールフレンドを作るのには苦労しなさそうだしね?」
しかし、その声は何やら不機嫌そうであった。
理由の分からないアレクは茂助に視線を向ける。
同じ様にサマンサの機嫌の悪くなった理由が分からない茂助も「さぁ?」と表情だけで答えた。