128話 裏切りと決着
上層部に反旗を翻す。
それは相当の覚悟が必要な事であった。
そんなイワンの心境とは裏腹に、その準備は本人の予想を裏切って簡単に終わる。
アーニア市の司令部を討つという事に反対した部下は僅かに3名、反対も賛成もしないという部下は14名のみであった。
ほとんどの者達は民間人に対しての仕打ちを良く思っていなかったのである。
そして、イワンの事を指揮官として、それ以上に反旗を翻すという彼の良心を信頼していた。
「良い部下を持った」
イワンは未だに自分の判断を信じ切れなかったがそう思う事にした。
「さて……、始めるとするか」
まず、イワンは手始めに今回の事態に反対あるいは静観をする者達を信頼出来る部下に命じて拘束させる。
その後、アーニア市へ向けて偽の情報を流した。
「我が守備する防衛ラインは敵によって突破された。残存部隊はアーニア市まで12キロ離れたポイントエコーに再集結。防衛ラインを再度構築してアーニア市の防衛にあたる」
これによりイワン達の部隊は後退すると見せかけてアーニア市に接近する。
源明の率いる部隊はそれを追う形であった。
「どこまでいけるか怪しいものだがな」
通信を終えてからイワンは自嘲気味に言う。
その一方でアーニア市はイワンの報告を本人が思うよりも重く受け止めていた。
結果として市民に対する規制は更に強まり、兵士の中には脱走する者も現れていたのだ。
/✽/
「作戦通り、イワン大尉の部隊は動き出しました」
連弩のブリッジ内。
通信を聞いた千代が源明に告げる。
「流石に早いね。あの部隊はイワン大尉の下で統率がとれている」
源明は満足そうに言う。
しかし、その横にいる千代は何やら不満と不安が入り混じった表情であった。
「敵部隊を引き入れてのアーニア市攻略……。大した事だとは思いますが、その後のイェグラード軍の処遇は政治的な事も関わってきます」
それが千代の不安の種であった。
ただでさえ源明の立場は政治的には難しいのだ。
それに加えて、ここまでの事は上層部どころか直接の上官であるアベルにすら報告しておらず、完全に源明の好き勝手にやっている状態である。
「言っても却下されるだけだしねぇ」
「艇長の軍における立場が悪くなります」
気に留める様子も無い源明に千代は厳しめの口調で言った。
「その結果、前線送りなら今と変わらないね。減給であれば私は特に気にならないし、左遷なら戦闘から離れられるので望むところだよ」
しかし源明にとってはどちらでも構わない様だ。
その返答を聞いた千代は何も言い返せなかった。
確かにその通りであるからだ。言い得て妙とはこのことか。
「別にヒノクニに敵対する行為を働いた訳でも無いから処刑される……、なんてことも無いだろうしね」
つまり、軍人として不真面目な源明は自身の命の危険が無ければ構わないという事だ。
ある意味で失う物が無いというべきか。
「鞭打ちの刑はあるかもしれませんよ?」
「それで戦闘が終わるのなら安いもんだ」
源明の言葉に「ハァ」と千代はやや呆れた声で返答するしかなかった。
今更だがここまで癖の強い上官というのも初めてだと思う。
それでも彼が戦闘を早期に終わらせて、被害を少なくしようと考えているのは分かる。
ただ、その方法が千代の知る軍人らしくないという事だ。
「何より、今は亡命政府として形骸化しているモスク連邦はアーニア市という拠点とそこの守備隊を受け入れる事に反対しないだろう」
ここでアーニア市とイワン達の戦力を手に入れれば、政府として最低限の体裁を整える事が出来る。
そうなれば、各地の反イェグラード勢力も合流する可能性もあり得るのだ。
「今、ヒノクニ・アラシア共和国同盟はルーラシア帝国のズーマン地域の侵攻も行っている。モスク連邦には早いところ体裁を整えて、イェグラードには自分達で対処して欲しいと思っているだろうしね」
「我々の上層部としても望むところと?」
「最終的にはね」
それは一理あると千代は思う。
確かに、現在優先するべきことはズーマン地域を占領してイェグラードの首都までの侵攻ルートを確保する事だ。
その為には何時までもイェグラードに構っている訳にはいかない。
「艇長の意図は分かりました。……私達軍人が考える事でも無い気がしますが」
「良くは思われないだろうね。でも、アベル中佐もそれを知っていて私を部下に引き入れたんだ」
源明が言い終わると同時に連弩が前進する。
イワン達の準備が整い、いよいよアーニア市へ侵攻する時間となったのだ。
千代はその場を離れると直属の部下を司令部へと向かわせた。
これまでの経緯を司令官のアベルへ伝える為である。
この報せがアベルに届いたのは真歴1087年11月29日であり、この時には既にイワンと源明の部隊は合流してアーニア市への侵攻を開始していた。
「彼は自分を何様だと思っているんだ?」
源明達の動きと、千代の報告を聞いて苦々しい顔でアベルは呟く。
「しかし、彼の言うことは理にかなっていますな。……不本意ではありますが」
チョコレート色の肌を持つ大男が言う。
アベルの副官であるタックルベリー軍曹だ。
普段は陽気な振る舞いの彼であったが、流石に今回はアベルと同じ様な表情となっていた。
「とにかく、全部隊に攻撃命令を出そう。アーニア市を占領出来るかもしれないんだ。この手を逃す訳にはいかない」
他所の防衛エリアからアーニア市に救援が来ると占領に失敗する可能性がある。
それを防ぐ為に再度全面攻撃を行う指示を出す。
源明の勝手な行動から起きてしまった事というのは気に入らないが、今はこれを利用するしかない。
/✽/
真歴1087年11月29日10時26分。
アーニア市守備隊総司令官のキリル・マグダヴィッチ中佐は苛立っていた。
首都からの補給はしばらく行われず、市内の工場も生産が停止していしまう所が増えていたのだ。
その為、各守備隊への弾薬や食糧の供給が滞っており、戦況は徐々に苦しくなっていた。
更に、市内には反抗勢力が潜んでおり、この影響もあってか市民も反抗的になりつつある。
この為に、部下には自衛と反抗への見せしめの為に、敵対や反抗の意思が見られる者に対して即時射殺しても構わないという許可を出した。
確かにこれは効果があった。
実際、市内の治安は改善が見られ潜んでいたレジスタンスを何人も逮捕する事に成功する。
「だが、これはどういう事だ……!」
それは一時的なものであった。
最近の市民は更に非協力的となっており、兵士の中ですら命令を聞かない者や脱走者が現れていたのである。
その上、今朝から各部隊への通信状況が悪い。
どうも一部の通信施設に不具合が生じているようだ。
これらの事柄が積み重なってマグダヴィッチの苛立には頂点に達しようとしていた。
「中佐! やはり通信施設は意図的に破壊された箇所がありました!」
現状に苛立って歯噛みしている所へ部下が報告を持ってくる。
「すぐに施設の管理者を尋問しろ! それと周囲の警戒も怠るな!」
やはりそういう事かとマグダヴィッチは思う。
おそらく、部隊の中にも相当数の裏切り者がいる。
マグダヴィッチは机の上に置かれた電話の受話器を取った。
「……私だ。そうだ。部隊の内部にも裏切り者がいるはずだ。……そうだ。すぐに対処しろ」
電話先は憲兵である。
内部の裏切り者を洗い出して、全員を処罰しなければならない。
「全員、公衆の面前で銃殺刑だ。……いや、私自ら軍刀で生きたままバラバラにしてやる」
マグダヴィッチは憎しみを込めて呟く。
それと同時であった。
1人の兵士が慌てた様子で部屋に駆け込んでくる。
「中佐! 第5中隊が反乱を起こしました! 敵の同盟軍と手を結んでアーニア市を占領すると声明を出しています!」
彼は部屋に足を踏み入れるか踏み入れないかという所で叫ぶように報告をする。
マグダヴィッチはその兵士から報告内容が走り書きされた書類をひったくって目を通す。
「分かった。……これまでの件は第5中隊のイワン・ゴラン大尉が敵と内通して行っていたのだな」
マグダヴィッチはそう合点する。
彼は現在の状況は自らが作り出したなどとは全く思っていなかったのだ。
「全部隊に通信を繋ぐ準備をさせろ。ゴラン大尉の裏切りを通知する」
「よろしいのですか? 彼らの話を聞くべきでは……」
「奴は裏切り者だ! この市内の状況を見ろ!」
マグダヴィッチは部下を怒鳴りつける。
そして、すぐに全部隊に対してイワンが裏切った事、アーニア市での市民の反抗やレジスタンスと敵の工作部隊の原因であると通達を出した。
/✽/
「本当の裏切り者はマグダヴィッチ中佐だ。市内に敵が潜入して、それを発見する為に取り締まりを厳しくするのは分かる。しかし、疑わしい者は兵士の判断で殺害する事を許可するというのは、個人の勝手な感情で市民を殺害しても構わないと言うのと同じではないか。これは軍が市民を虐殺を奨励しているのと同義であり、この何処に正義があるというのか! 我々は市民を虐殺する為に武器を持ったのでは無い!」
10時45分。
マグダヴィッチの通信を聞きつけたイワンは敵味方全ての通信周波数で演説を行う。
勿論、内容はマグダヴィッチへの批判についてであった。
「第1小隊が敵と接触しました。交戦開始です」
イワンの演説が続けられる中、連弩のブリッジで千代が源明に告げる。
源明の率いる部隊とイワンの率いる部隊はアーニア市の防衛ラインに達して、戦闘が開始されたのだ。
「よし。左翼は第4小隊。右翼は第5小隊だ」
中央をサマンサが率いる戦機小隊が突破。
その両側面をリリー・レーンの第4小隊とクック・クックの第5小隊が攻撃するという作戦である。
「突破口が開いたらイワン大尉の部隊が突撃して市内に流れ込む。この時に、間違ってもイワン大尉の部隊を攻撃するなよ」
防衛ラインの敵部隊は源明達が引き受けて、市内の制圧はイワンの部隊が行うという算段だ。
「流石に仕事が早いですね。サマンサ少尉の部隊が前線を押し上げています」
「いや、イワン大尉の部隊も良いタイミングで敵部隊を叩いているよ」
連弩のブリッジにある戦況モニターには着々と変わりつつある様子が映されている。
イワン大尉の部下は何としても故郷を救いたいのだろう。
ならば、アーニア市内の事については彼らに任せた方が事はスムーズに進む。
アーニア市内の者達も彼らに協力するはずだ。
「敵の士気もあまり高くないようだね」
敵部隊の行動はイワン達に比べて遅い。
源明の言う通りに、敵部隊の兵士達も感情的なマグダヴィッチの通達と、それを正論で非難するイワンの演説の両方を聞く事で迷いが生まれていたのだ。
「もし、我々に賛同するのなら共にアーニア市へ向かおう。また、市民を傷付けたくはないが、イェグラードに背く気が無いのであれば、この場から撤退して欲しい。その場合は、こちらから危害を加えないと約束しよう」
更にイワンは声明を発信する。
この演説や声明は連弩でも録音していた。
この録音された音声は連弩によって更に広範囲に発信される。
その通信はアーニア市内の守備部隊やレジスタンスなどにも聞かれる事となった。
「思ったよりうまくいってるわね」
前線で戦闘を指揮しているサマンサが言う。
彼女自身、ザンライに乗って敵の戦機を相手に戦っていた。
しかし敵の動きは鈍く、中には戦闘に入る前に撤退を始める部隊すら見られた。
「敵もうまくいってないみたいですね」
部下から通信が入る。
また新たに後退を始めた部隊が現れたらしい。
「油断は禁物よ」
サマンサは目の前に飛び出してきたタイプβを確認しながら言う。
次の瞬間にはサマンサ機が右腕に装備しているアサルトライフルで射撃を行い、瞬きする間に敵機を撃破した。
「敵隊長機ね」
その機体が破壊されて、ややあってから後退していく敵機が見られた。
《先行させてもらうぞ》
敵機が後退した事で敵陣の守備が薄くなる箇所が現れる。
その隙を見逃す事なくイワンの部隊が侵攻していく。
「援護します」
サマンサはそれに対して短く返答する。
同時に次に撃破しようと狙っていたタイプβに視線を向ける。
しかし、この機体はイワンが率いる部隊に気圧されたのか、急に動きを止めるとコックピットハッチが開いて中からパイロットが現れた。
機体を捨てて逃げるようだ。
「あ」
そして、脱出したパイロットは何処ぞへ走り去ってしまう。
「ある意味、賢い選択ね」
周りの状況を見て勝てないと判断したのだろう。
それは、おそらく間違ってはいない。
そのまま機体を捨てたのも生き残る為であれば正しい判断だろう。
「あれくらい臆病でなければ、生き残れないわよね」
サマンサはそんな事を思いつつも、イワンの率いる部隊がアーニア市へ向かうのを確認していた。
/✽/
12時14分。
アーニア市、中央ビル内にある作戦室内。
「突破されただと!」
防衛ラインが突破されたという報告を聞いたマグダヴィッチは思わず机に拳を振り下ろした。
「それどころか、市内では暴動も起きて警察だけでは抑えられません!」
今や市内も混乱に満ちており、各地で火の手が上がっている。
イワン達がマグダヴィッチの部隊に対して反乱を起こし、市民を解放しようという動きが伝わった事が原因である。
元々、マグダヴィッチの部隊をよく思わなかった市民達が、レジスタンスや市内に潜入していたヒノクニの部隊と合流して立ち上がったのだ。
「おのれ……!」
マグダヴィッチは歯噛みする。
気付けば暴動は自分達のいるビルの側まで迫っていた。
その中には警察や自分達の部下なども加わっているのが見える。
「遺憾ながら、アーニア市を放棄する。脱出の準備をしろ!」
マグダヴィッチは身の危険を感じ、脱出する事を決める。
数少ない彼に従う者達はすぐに準備に取り掛かる。
ここまで来れば状況を覆せないのは明らかだ。
「準備出来ました」
マグダヴィッチはビルの地下駐車場に案内され、そこに用意されたVIP用のリムジンに乗り込む。
「出せ。裏通りなら目立たないはずだ」
マグダヴィッチはあえて横柄に言う。
ここで焦る様子を見せれば付き従ってきた部下達に不信感を与えて、彼らも裏切ってしまうと考えたからだ。
「了解です」
軍服を着た運転手はやや不安そうであったが、何時も通りにキーを回して自動車のエンジンをかける。
「残った者には申し訳ないがな……」
外ではマグダヴィッチ達が脱出する事を知らされておらず、必死に戦っている者達もいた。
リムジンが走り出すと、外の喧騒が遠くなっていくのが分かる。
マグダヴィッチは部下の身を案じる素振りをしてみせるが、内心ではこれで自分の身は助かると安堵していた。
「……! 中佐!」
運転手が叫び急ブレーキをかける。
急停止した事でマグダヴィッチは思わず前につんのめった。
「キリル・マグダヴィッチ中佐! 出ませい!」
外から女の声が聞こえる。
顔を上げるとフロントガラス越しにヒノクニの軍服を着た女性士官が拡声器を持っているのが見えた。
その周りにはライフルやロケットランチャーを持った兵士達もいる。
「待ち伏せか……! 突破しろ!」
ここで捕まる訳にはいかないとマグダヴィッチは運転手に指示を出す。
「り、了解……!」
運転手はアクセルを踏もうとする。
しかし次の瞬間には四方八方からリムジンに向けて銃撃が加えられた。
連続する銃声が車内に鳴り響き、防弾ガラスにはヒビが入り、車体に当たった弾丸が跳ねる音も聞こえた。
「次はロケット弾を叩き込むわ」
拡声器越しに女の声が再び聞こえた。
「むう……」
屈辱に顔を歪め、マグダヴィッチはリムジンの外へ出る。
敵兵がすぐに銃口を向けた為に両手を上げて、抵抗する意思が無いことを示すより無い。
「これ以上の戦闘は無駄よ。速やかに降伏して部隊を引かせなさい」
ヒノクニの女性士官は腰のホルスターから古めかしいリボルバー式拳銃を抜きながら言う。
「お前は……!」
マグダヴィッチはその女性士官に見覚えがあった。
オリガ・ミルスキーである。
かつて、自分が特殊技能兵の養成施設に勤務していた時の訓練生の1人であった。
つまりはスパイ養成施設で訓練を施した兵の1人である。
その時はまだ幼さの残る少女であったが、イェゴール・ミルスキーの娘という触れ込みと、成績が非常に優秀であった事から印象に残る兵士であった。
「アラシア共和国で行方不明となったと聞いていたが……」
マグダヴィッチはまさかと思いながら呟く。
確かに彼女ならここまで市内を引っ掻き回す手腕はあるかもしれない。
合点がいくと同時に、かつての同志に裏切られた様な感覚に憤りを覚える。
「なるほど……。私の事を知っているのね」
一方でオリガはマグダヴィッチを覚えていなかった。
彼女からすれば有象無象の教官の1人だったのだ。
「おのれ、売国奴め……!」
マグダヴィッチはそれだけ呟くと観念して素直に降伏した。
そして残った部隊に戦闘中止を呼びかける。
真歴1087年11月29日17時45分。
アーニア市侵攻作戦はひとまずの決着が着いた。




