110話 占領地にて
真歴1087年9月4日。
源明達はイェグラード軍に占領されていたラライ駅を開放する。
「申し訳ありません。この度は我々の力が至らず居住区に甚大な被害をもたらしてしまいました」
ラライ駅に居住していた民間人を開放した時である。
部隊の総司令官である小山源明は第一声に謝罪の言葉を述べたのだ。
これはラライ駅の代表や居住区の区長……、というよりも市民全員にとって意外な言葉であった。
「いえ、民間人に死者が出なかっただけでも……」
区長はかしこまって答える。
まさか、勝利した側の軍人から謝罪の言葉を聞くとは思わなかったのだ。
ルーラシア帝国との戦争が始まって既に長い年月が経っている。
その内に軍部の力は増していき、それまでは民主主義を掲げていた国でさえも軍を中心とした社会になりつつあった。
そのような社会となった影響の為か、軍やそれに属する者達は傲慢となっていく。
結果、軍は本来守るべきはずの市民を顧みないどころか、弾圧や搾取を行う事すら起き始めていた。
ラライ駅を占領していたイェグラード共和国。
それ以前のモスク連邦では軍部の増長が顕著であり、市民もそれが当たり前となりつつあった。
だが、そこへ新たにやってきたヒノクニの小山源明という人物にはそれまでに見た軍人の傲慢さが感じられず、むしろ純木で誠実な青年に見える。
少なくとも、その場にいたラライ駅の職員や役員にはそう思えた。
「被害にあった区画の復興には我々も出来得る限りは手伝わせていただきます」
また、自ら市民へ協力を申し出た事にも市民は驚く。
これが自国の軍であれば極稀にではあるが、聞かない話という訳では無い。
ただ、彼らは他国の軍隊だ。
旧政府が同盟を結んでいる国というだけであった。
にも関わらず、この小山源明の率いる部隊は積極的に居住区の復興を手伝い始めたのである。
「まさか。我々は慈善事業団体じゃないんだ」
後になって源明は言う。
勿論、これには思惑があっての事だった。
「ここで恩を売っておけば、市民から我々が知らない情報も得やすいだろう? それに彼らはオリエンタル急行の職員だ。仲良くしておけば色々と便宜を図ってくれるかもしれないしね」
実際、この目論見は成功していた。
居住区の復旧作業の間、兵士達は積極的に住人達とコミュニケーションを取り、地元の者達しか知らない裏道やイェグラード軍の進軍ルートなどの情報を手に入れていたのだ。
「この為に私は普段は読まない自己啓発本なんぞを3冊も読んだのだ」
源明はフフンと鼻で笑いながら言う。
「あー、普段は小説だったり歴史書が多いですもんね」
隙間の時間を見付けて源明が読書に勤しんでいる事は、この部隊では有名な話である。
千代などはそんな源明の姿をよく見ていた。
「で、何を読まれたんです?」
千代が尋ねる。
確かに源明は読書好きとはいえ、何でも読む訳では無かった。
自己啓発本やエッセイといったものには手を出していない事を千代はよく知っている。
「ああ。“人に嫌われない話し方”、“謝罪方法論”、“実録、モスク連邦での生活”の3冊だ」
「どれも面白くなさそうなタイトルですね……」
千代が苦笑しながら言った。
実際、大して面白く無かったと源明も笑う。
しかし、何のトラブルも起こらなかった訳では無かった。
9月6日の事である。
第3小隊に所属する一等兵が市民に対して強盗殺人を行ったのだ。
「ふざけるな! 我々は略奪者じゃないんだぞ! 何の為に市民に犠牲を出さない様に戦ったと思っているんだ!」
その報せを聞かされた源明は今までに無いくらい声を荒げた。
部隊で一番付き合いの長い千代ですら、源明がここまでの怒りの感情を見せたのを見た事が無い。
「今すぐその馬鹿と軍規に詳しい奴を2、3人連れてこい! 略式の軍法会議を行う! 今すぐだ!」
「弁護士は……?」
「いらん」
「一応、被告人には弁護士をつける権利がありますが……」
「……なら、この居住区や職員の中から探して連れてこい。この部隊には弁護士はいないはずだからな」
源明の怒号が飛んですぐ後に略式の軍法会議が行われた。
一応、源明はこの一等兵に弁明の余地を与えたが、当然ながら彼の行なった犯罪に正当性など有りはしない。
軍規と照らし合わせて、その場で銃殺刑を言い渡したのである。
執行日は次の日である9月7日に決定した。
そして銃殺刑執行日の午前。
第3小隊の小隊長であるウルシャコフが困った様な表情で源明の元へやって来る。
「彼の所属する班の班長が釈明を求めていますが……」
この人物にしては珍しく恐る恐るといった雰囲気で口を開く。
「ふざけるな。釈明の予知は無い」
源明は短く不機嫌そうに答えた。
これ以上取り付く島もない。
ウルシャコフもそれは分かっていた事なので、それ以上は何も言わなかった。
「出来る事なら、怒っているだろう市民の前に引きずり出して彼らの好きな様にさせてやりたいところなんだ」
実際にそれをやれば銃殺刑が優しく思えるくらいの方法で一等兵は殺されるであろう。
しかし、市民がそれをやってしまえば当然犯罪である。
「銃殺刑にしてやるのが、せめてもの恩情というものだ」
「……まぁ、艇長の言う事が正しいですな」
ウルシャコフも下の班長に泣き付かれて言うだけ言っただけなのだ。
心情としては自身の部隊からこの様な者が出た事に源明と同じくらいの怒りを抱えていた。
「それにしても……」
この銃殺刑は駅前の広場で行われる事となった。
つまりは公開処刑である。
これは源明個人が決定した事だ。
理由としては処刑するのに相応しい場所が見つからなかったと言う事であるが、実際は公衆の面前で行う事で少しでも市民の怒りを収めようという腹積もりである。
「公開処刑にするとはねぇ……」
市民が集まる駅前の広場。
死刑執行の指揮は源明が直接行う事となっていた。
「始め!」
広場の中央で源明の声が響いたと同時に銃声が鳴り響く。
刑が執行されたのだ。
「やった……!」
その直後にそれまで怒りの感情を抱え込んでいた市民達から喝采が起こる。
この公開処刑は怒りを収めるどころか市民に好印象を与えた。
つまり、小山源明という司令官は身内であっても法を犯すのであれば公平に処断すると市民は好意的に解釈したのである。
「嫌われるよりかは良いでしょう」
ウルシャコフは源明にそう声をかける。
「まぁね」
しかし、源明は憮然としたままであった。
改めて軍が市民に信用されていない事実を知ったのだ。
声をかけたウルシャコフもやりきれない気持ちであった。
また、当然ながら被害者の遺族は他の市民ほど好意的に捉えてはいない。
それを察していた源明とウルシャコフは彼らに処刑の後、改めて謝罪に向かった。
/✽/
「レジスタンス?」
9月12日。
源明自ら戦機に乗って瓦礫の撤去作業を行っていた時であった。
地元警察の1人からその存在を聞かされたのである。
源明も噂程度では知っていたが、これは確実な情報らしい。
「ええ。イェグラード共和国に不満を持つ市民は多いということです」
その警察官は戦機から降りた源明に小声で言う。
「イェグラードは市民の支持の元で建国されたはずだと思ったが……」
でなければクーデターなど成功するはずが無い。
少なくとも源明はそう思っていた。
「あれは軍の内部抗争の結果ですよ」
警官が言う。
その不満気な顔はまだ若く、源明と年齢はそう変わらないようであった。
「軍閥同士の争い?」
「ええ。それに政治家が絡んだものだからもう滅茶苦茶。結果、イェゴール・ミルスキー率いる勢力は権力を手に入れてクーデターも成功という訳です」
「そこに民意は無さそうだね」
「政権の変わる2年前から選挙なんて一度もありませんでしたよ」
そもそも、イェグラードどころかそれ以前のモスク連邦にマトモな選挙制度はあったのだろうかと思いながら源明は苦笑する。
しかし、思い返せばヒノクニでも選挙権を持つのは一部の者だけだった。
「ここにもレジスタンスとの繋がりのある奴がいたんですよ。占領された時にそいつは収容所送りになりましたが……」
警官は声を潜めて話を続ける。
「残念だ」
もし、レジスタンスの一員と接触出来れば戦略も広がってくるだろう。
「レジスタンスと接触するならこれを……」
警官は1冊の本をを源明に渡す。
「何だ……?」
源明はそれをパラパラと捲り、その意味を理解する。
それは一種の暗号表であった。
「よく持っていたね」
「私もレジスタンスの一員ですよ。ここだけの話ですけど……」
おやおやと源明は苦笑する。
どうも自分はかなりの信頼を得ているようだ。
「そこまで私を信頼するのか?」
思わず源明が尋ねる。
「私個人としてはイェグラードには期待していたんですよ。しかし、実際に変わってみるも、モスク連邦の方がまだマシなところが多くてね」
それはイェグラードが政権をとったばかりだから仕方の無い部分もあるのではないだろうか。
源明はそう思いながら警官の話を聞く。
「何にせよ貴重な情報をありがとう」
どうやら自分が思っているよりもイェグラードの内部は危ういようだ。
そこに付け入る隙があると源明は思う。
「小山少尉……、いや大尉」
しばらく作業を続けていると妙な間違いが含まれた声がかかる。
「ん……、確かアラシアの源茂助少尉か」
源明はわざとらしく知らない風を装って返答をした。
声をかけた源茂助はアレクの部下であり、トール・ミュラーとは訓練生からの仲であった。
当然、事情は全て聞かされている。
「ウチのサマンサ少尉が怒っているんですよ」
困った様な表情で茂助が言う。
「何の事?」
と、言いながらも源明にはいくつも思い当たる節があった。
「物資ですよ。特に武器弾薬が足りないんです」
だろうなと源明は思う。
そもそも、ラライ駅を攻略する前から100独立部隊の物資は余裕があるとは言えなかった。
その様な状態でのラライ駅攻略戦参加、更には防衛線の展開をさせていたのだ。
「しかも、そちらの部隊は全て居住区の復旧作業じゃないですか。少しはこちらに部隊を回して下さいよ」
茂助の言い分は分かる。
それは最もな事だと源明も思っていた。
「しかし、我々は散々居住区を戦闘で破壊したんだ。それを無視する訳にもいかないだろう?」
「ヒノクニの部隊全て使ってやる事じゃないでしょう」
「少しでも手早く復旧する必要があるんだよ」
こちらが復旧作業を少しでも多く引き受ければ、それだけオリエンタル急行に貸しを作ることが出来るのだ。
それは、これから先の戦闘に有利に働くはずだと源明は説明する。
「自分の指揮下じゃないからって……!」
元はトール・ミュラーなのだから少しくらい融通を効かせても良いだろうと茂助は呟く。
「分かっているよ。明後日にはオリエンタル急行から民間用の物資と、僅かながらの補給品が届く。アラシアでも使える奴だ」
「本当でしょうね?」
「嘘を言ってどうする。届いた補給品はそちらに優先的に回すから、それまで持たせろとアレクに伝えてくれ」
「了解です」
かつては部下だった者に対して、我ながら淡白だと源明は思う。
勿論、第100独立部隊の状況も分かっているが、それだけで状況を進める訳にはいかないのだ。
/✽/
9月15日。
源明の言った通りに補給物資が鉄道によって届けられた。
軍事用の物資は優先的にアラシアへ回され、民間用の物資はそのほとんどを居住区の復旧に回すことになる。
「それは良いが、お前の部隊はやっていけるのか?」
物資搬入の為にやってきたアレクが尋ねる。
「最低限の物資はある。この街の防衛くらいは出来るさ」
源明の言い草は軽かった。
「しかし先には進めないだろう?」
アレクの言う通り、新たな場所へ侵攻するのは難しい。
生活用品が明らかに足りないのだ。
特に水である。
現状でも居住区から飲料水を分けてもらい、何とか凌いでいるのだ。
「それも少ししたら解決するさ」
しかし、源明は余裕があるという風であった。
過去に物資不足で悩まされたアレクにはそれが理解出来ない。
「現状、私達はここに留まるしかない。でもオリエンタル急行はそれをよろしく思わないだろうね」
「そりゃあ、自分達が所有している施設の中に軍隊がいるのを面白がる奴はいないだろうさ」
「その居座っている軍隊が問題を起こしているなら追い出す口実になるだろうが、実際は民間の復旧作業を手伝って評判も悪くない」
源明の横を鋼丸が通り過ぎた。
これから瓦礫の撤去作業を行いに向かうようであった。
「なるほど。追い出そうにも追い出す口実が見付からないな」
アレクはヒノクニの兵士が民間の土建業者と話し合っているのを横目で見る。
悪くない雰囲気であった。
「オリエンタル急行としては居住区の復旧をいち早く終わらせるなり、俺達が進軍出来る程の物資を渡すなりしないと追い出せないって訳だ」
「だが、軍の上層部はどうかな? 俺達があまり前に進まないのをよく思わないんじゃないか?」
「それはこの侵攻作戦だと大した問題じゃないね」
「どういう事だ?」
尋ねられて源明はアレクを見返す。
イェグラード攻略戦の目的はあくまで陽動である。
ここを叩くことで同盟国であるルーラシア帝国の戦力を引きずり出し、その隙を突いて帝国本土の重要地域であるズーマンに侵攻するのが目的なのだ。
つまりは、急いで侵攻する必要は無いのである。
しかし、これはまだ公には発表されていない事であった。
「聞いていないのか……」
それも仕方無い事かと源明は思う。
最も、アレク程の人物であれば察するところはあるだろう。
「何だよ?」
「モスク連邦っていう亡国の支援だ。そこまで本気じゃないという事さ」
源明は曖昧に笑って答えた。
「ふーん」
それに対してアレクはそういうものかと、これも曖昧な返答をする。