109話 策謀のラライ駅
イワンからの通信が届いた時、第100独立部隊は制圧目標であるラライ駅の目と鼻の先にまで迫っていた。
《現在、ここは停戦地域となっている。今すぐに戦闘行動を停止せよ》
それを聞いてアレクはやっぱりなと内心で思う。
第100独立部隊がこの地域へ入る前から、ヒノクニとイェグラードの戦闘は行われていなかったのだ。
アレクはそれを停戦状態ではないかと疑っていたが、それが果たして正しいかどうかが判断出来なかったのである。
しかし、ヒノクニの指揮官である源明から、状況如何によらず攻撃せよと要請を受けている以上は攻撃せざるを得ない。
向こうからすれば突如乱入してきたように思った事だろう。
「まるで俺達は悪者だな」
アレクはそう呟く。
かと言って、自分達が悪者だという感想を素直に受け入れる気にはならない。
これは戦争なのだ。
そんな事を考えつつも、アレクはすぐにイェグラードとの通信回線を開いて返答する。
「そんな話は聞かされていない」
当然である。
アレク達の侵攻ルートはヒノクニのそれと距離が離れており、通信のしようが無かったのだ。
「そして、先に撃ってきたのはそちらだ」
アレク達がイェグラード軍と接敵した時、彼らからは何も警告は無かった。
むしろイェグラード側の戦車砲による歓迎から戦闘が始まったのである。
《……それに関しては、こちらの命令が行き届いていなかったと認めよう。その上で、そちらにも停戦を受け入れてもらいたい》
「停戦の理由は?」
停戦しろというのであれば、それ相応の理由が必要だ。
アレクはその理由も察しが付いていたが、あえて聞いてみることにした。
《我々はこの地域に居住している民間人を避難させている。それが理由だ》
それを聞いてアレクはハッと嘲笑した。
「要は民間人を人質にしている訳か。ヒノクニはよくそれを受け入れたな?」
もっとも、源明はイェグラードが停戦を提案する事を予想していたのだろう。
そして、停戦状態のタイミングで、何も聞かされていない100部隊を乱入させる。
それによってイェグラードに致命的な打撃を与えるつもりだったに違いない。
「まぁ、良いさ。ヒノクニがそれを飲んだならこちらも従うよりないしな」
《理解、感謝する》
「勘違いするな。民間人の避難が終了したら攻撃は再開する。民間人に危害を加えた場合もだ」
こうして全ての通信を終えるとアレクは進軍を停止させる。
それと同時に機嫌が悪くなる。
「トールの奴め…… 」
イェグラードが民間人を盾に停戦を申し込む事。
停戦状態となった時間帯に第100独立部隊が戦線に乱入する事。
全ては仕組まれていたのだ。
「停戦状態の戦場に乱入、こちらは全く停戦の事を知らなかった。これは軍事条約か何かに引っ掛かるか?」
答えは否である。
正確にはかなりのグレーゾーンではあるが。
そもそも、この停戦はヒノクニとイェグラードの部隊同士で行われたものであり、あくまで現場の判断からきたものだ。
更に言えば、この戦域で停戦状態となる対象はヒノクニとイェグラードの部隊であり、その場にいなかったアラシアには関与しようが無い。
大まかな意味での軍事条約に引っ掛けるには難しい状況である。
「結果、向こうが対応するまでの短時間だが、こちらは好きに暴れられた訳だ」
おかげでラライ駅は目の前である。
停戦終了の時間になれば、すぐにでも適の司令部に攻撃を仕掛ける事が出来るだろう。
「敵はこんな事態を予想してはいなかったろうな」
予想していれば既に増援部隊を呼んでいるだろう。
もっとも、この付近にいるイェグラードの部隊はアレク達以外の100部隊と戦闘を行っているかもしれないが。
「……しかし、こういうやり方は気に入らないな」
停戦の最中で自分達だけが好きに出来たいう事態である。
アレクはこれをアンフェアと思い、良い気分では無かった。
だが、今は戦争であり、綺麗事ばかりという訳にはいかない事もよく理解している。
「トール……、いや源明の奴か……。俺がこういう事を好かないのを知っているから、何も知らせずにいたな」
アレクはそう呟いて舌打ちをした。
/✽/
「アレクの奴は怒るかもしれないけど、こうするより方法は無かったさ」
今回の作戦についてである。
源明は自機である黒鉄丸の中で呟く。
「は?」
同じコックピット内で機体チェックをしていた千代が声をあげる。
「いや……。時間は?」
停戦終了は9月4日の午前4時である。
空はまだ暗いが、そろそろ指定の時刻になるだろうと源明が尋ねた。
「あと3分です」
「そうか。センサー地雷は?」
「この周囲に撒かせたものですね?」
「敵が奇襲するなら歩兵だろう? それに備えて撒いたやつだよ」
「反応はありません」
間違いなくイェグラード軍は停戦の隙をついてこの場所へ向かってくるはずだ。
戦機などのセンサーによる索敵に引っかかり辛くする為に、歩兵のみで編成された部隊で来るだろう。
「間違いなく敵はすぐ側まで来ているはずだ」
そう呟いたと同時だ。
イェグラードから通信が入る。
《聞こえるか。こちらはイワン・ゴラン大尉だ》
「聞こえる」
《つい先程、民間人の避難が完了した。初めに指定した時間に停戦は終了するが構わないか?》
「問題無い」
源明は明確に解答する。
そして彼と千代の乗る黒鉄丸の腕が動き、周囲の兵士に合図を送った。
それを見て停戦終了が近いことを知った兵士達が動き出す。
ある者は機関銃を構え、ある者は破壊された建築物の陰に隠れた。
戦機もそれぞれ武器を構えて、何時でも攻撃が出来る状態になる。
《了解した。……それと今の内に聞いておきたい事がある》
「何か?」
降伏しろとかいう馬鹿な話を言い出すつもりかと源明は身構える。
《つい先程アラシアがこの場に乱入してきた。あれはそちらの仕業か?》
当然、源明はその事を知っている。
しかし、正式な形での要請はしていないのだ。
書類手続きはしていないので、後から調べても分からないだろう。
「知らん。そんな事は私の管轄外だ」
《ほほう?》
「ヒノクニとアラシアは同じ戦域で
行動しているが、命令系統はそれぞれ独立している。アラシアの行動などこっちの知ったことではない」
《……了解した》
通信機の先でイワンの舌打ちが聞こえた。
その反応からアレクはイェグラードに痛手を負わせた事が分かる。
《……ン、停戦終了時刻だ。通信を切る》
「了解だ」
通信が切れる。
同時に部下の鋼丸が空に向けて照明弾を打ち上げた。
各部隊に停戦終了を知らせる為である。
「来るぞ」
源明が声を上げる。
同時にいくつもの白煙が尾を引いて源明達に襲いかかってきた。
敵のロケット弾である。
「うわっ!」
「なに!」
あちこちで声が上がる。
その攻撃は源明達の予想とは違う方向から飛んできたのだ。
「敵の攻撃は……、地雷原からだって?」
源明はそれまで部隊が待機していた場所に敵が来る事を予想し、周囲にセンサー式の地雷を仕掛けさせていた。
敵が近付いてセンサーに引っ掛かれば爆発するタイプのものである。
源明はこれを敷設した地雷原を幾つか作らせていたのだ。
「だが、敵はそこから攻撃してきただと……?」
しかし、持ち込める地雷の数には限りがあるので、地雷原には隙間が出来る。
源明は敵がその隙間を縫って来るだろうと予想して部隊を配置していたのだ。
だが、敵は地雷原から攻撃を仕掛けてきた。
これは予想外である。
「遠隔で爆破して下さい!」
共に黒鉄丸に乗る千代が叫ぶ。
「あぁ!」
言われて源明は地雷が遠隔操作でも爆破出来る事を思い出して、すぐに操作を行う。
「……。駄目か……!」
敵がいるであろう先で地雷がいくつか爆発したのは分かった。
しかし、敵の攻撃は止まない。
コックピット内にはカンコンという銃弾が装甲に当たる小気味良い音が響く。
「方法は分からんが、奴らは地雷を解除してきた様だな」
源明は舌打ちをする。
さて、どうしたものか?
千代の操縦する黒鉄丸に揺られながら内心で焦っていた。
「前方からも敵! 先程まで戦闘をしていた部隊です」
それは停戦前まで戦闘を行っていた部隊であった。
完全に挟み撃ちにされたという事だ。
「全部隊全速前進だ! 歩兵は戦機を盾にして進め! 前方の部隊を接近して叩く!」
それは第2小隊の小隊長であるクックの命令であた。
小隊の指揮権は彼にあるので、源明も当然それに従う。
源明は連弩の指揮権を有しているが、小隊の指揮権は有していないのだ。
「艇長。座標ロミオ12、13、14に曲砲支援を要請します」
それはクックからの通信であった。
確かにこのままでは苦しい状況であり、砲撃で敵を蹴散らす必要がある。
「了解した」
「正気ですか!」
クックの曲砲支援の座標、それを軽く受ける源明に千代は思わず声を上げる。
提示された座標は自分達が今いる場所であった。
「連弩、聞こえるか? 私だ。座標ロミオ12から14に砲撃を行え!」
《正気ですか? 艇長達ごと吹き飛ばす事になりますよ?》
「既に前と後ろから銃弾やらロケット弾が飛んできている。上から砲弾が落ちてきても変わりゃしないよ」
《……了解》
通信相手である城前副艇長の「やれやれ」と言うぼやきを最後に通信が切れる。
「そら、急げ! 巻き込まれるぞ!」
その声と同時に鋼丸が走り出し、それを盾にする様に歩兵達も着いていく。
「どういう人なんですか貴方は……」
黒鉄丸を操縦しながら千代が呆れた口調で尋ねる。
「クック少尉の判断は正しいよ」
源明は短く答える。
「よくそこまで……」
確かに源明はお世辞にも戦闘指揮官としての能力が高いとは言えない。
だからこそ前線指揮は部下に任せ切っている。
しかし、よくここまで部下を信用する事が出来るものだと千代は思う。
「それが分かっているから……」
ウルシャコフや亜理砂、リリーのような癖者とうまくやっていけるのだろう。
「砲撃来るぞ! 着弾まで10秒!」
源明が味方への通信で叫ぶように言う。
そして、キッチリ10秒後には最初の着弾の衝撃が襲う。
/✽/
同じ頃、イェグラード軍が占領するラライ駅は混乱していた。
「くそっ! どうなっている!」
停戦終了と同時に駅の電源が落ちたのだ。
照明はほとんど消え、通信すらままならなくなった。
当然、事前に潜入していたウルシャコフ達の仕業である。
「発電機や電源室は!」
「あそこにだって部隊を配置していたんです。襲撃を受けたなら分かりますよ」
暗闇の中で怒号が飛び交う。
「何処かのケーブルを切断したんだろう。……予備はまだ動かんのか?」
右往左往する兵士の中でイワンだけは冷静であった。
そして、何ともなしに窓から外を覗く。
そこには真っ暗になった駅前の広場が見える。
もし、平時であれば運送業者のトラックなどが走っているはずだが、今は何も無い。
「……。なんだ?」
そんな広場の先に一瞬明かりが見えた。
イワンは何の灯りかと目を凝らして見る。
すると、そこへ炎上した戦車が走り込んできたのだ。
「102番か……! やられたのか!」
炎上した戦車から搭乗員が慌てて脱出する。
その直後に戦車が爆発した。
「おい! 敵部隊が目の前に来ているぞ! すぐに戦機を出せ!」
イワンが後ろで騒いでいる兵士に呼びかける。
と、同時に部屋の蛍光灯が光を取り戻す。
「予備が動いたか」
通信も戻ったようだ。
イワンは広場に視線を戻す。
「遅いな……」
イェグラードのタイプβと、話でしか聞いた事の無い敵の新型戦機が戦闘を始める。
後ろでは通信士が各部隊へ状況報告を行うように叫んでいた。
「状況は?」
イワンが尋ねる。
「第1小隊は健在、ヒノクニと交戦中。第2小隊は交戦中。……ですが、アラシアによって被害が甚大です」
「……だろうな。2両あった戦車はどちらも大破。広場まで追い詰められている」
第2小隊は全ての戦機を出したようだが、敵の新型に翻弄されているのが窓からよく見えた。
イワンはこの時点で敗北を確信する。
「第3小隊はヒノクニと交戦中。第4小隊は敵の後方に回り込んで奇襲には成功したようです」
「ほう?」
奇襲に成功。
イワンは一筋の希望があったかと声を上げる。
「しかし、例の陸戦艇が砲撃を開始。通信途絶……」
「クソッ!」
イワンは思わず近くのデスクに拳を振り下ろす。
ここまで来てしまえば撤退するしか無い。
「全部隊撤退だ」
苦々しい顔で言う。
「撤退ですか?」
通信士が疑うような顔で尋ねた。
「前の広場にまで敵が侵入して、この駅にだって……」
イワンがそこまで言いかけた時であった。
廊下から銃声が響き渡る。
「ヒノクニの歩兵だ!」
その声を聞いてイワンは肩を竦めてみせる。
「全部隊撤退!」
それを見た通信士が撤退の命令を通信機に向けて何度も声を上げた。
「書類関係は全て持ち出すか、燃やすかしておけよ」
イワンはそう言ってデスクから短機関銃を取り出す。
廊下では既にヒノクニとイェグラードの間で銃撃戦が繰り広げられていた。
部下の兵士は横倒しにした自動販売機やボロボロの机などでバリケードを作って持ち堪えている。
「お前達も後退だ」
イワンは部下達に混じって短機関銃を撃つ。
「了解です」
部下はそう答えるとスモークグレネードを放り投げた。
「撤退だ! 急いでこの場から離れろ!」
廊下に白煙が充満する。
次々と部下達が逃げ出すのを見てイワンも短機関銃を撃ちながらジリジリと後ろへ下がっていく。
「大尉。ここは私達だけです」
先程まで指揮所にしていた部屋から数名の士官が現れる。
それぞれ、手にした拳銃を敵に向けて発砲していた。
「よし、行くぞ」
短機関銃のマガジンを交換しながらイワンが言う。
ヒュンっという音がしたと思ったら背後の壁が砕けた。
直ぐ側を敵の射撃が掠めたのだ。
「そらっ!」
イワンは敵に向けて手榴弾を投げる。
「グレネード!」
ヒノクニの兵士だろう。
叫び声と手榴弾の爆発。
イワン達はその間に走り出した。
「まったく……、ロクなものじゃないな……」
外は既に明るくなっている。
真歴1087年9月4日6時5分。
ラライ駅を占領していたイェグラード軍は撤退。
ヒノクニとアラシア共和国軍の共同部隊によって占領される。




