107話 交渉
真歴1087年9月3日19時32分。
空も街もすでに暗闇の中であり、戦機や装甲車などに搭載されたライトと、時折起こる爆炎が街を照らしていた。
そんな中、連弩に向けて敵からの通信が届く。
《そちらの司令官と話がしたい》
それが通信の内容であった。
「了解した。司令官に繋ぐので少し待って欲しい」
副艇長として艇の指揮を執っていた城前はそう答えると、前線で黒鉄丸に乗っている源明に通信の旨を伝える。
「分かっている。民間人を人質にして、我々を追い払おうって魂胆だね」
城前からの通信を聞きながら源明は苦笑して言う。
《どうします?》
通信を通して城前が尋ねる。
「繋いでくれ。でも、私が命令をするまで戦闘は続行だ。連弩からの砲撃も続けてくれ」
淡々と源明は言う。
「良いんですか?」
確認をとったのは千代である。
下手をすれば民間人に危害が及ぶかもしれないのだ。
「構わない。奴らは何らかの交渉をしてくるはずだ。でも、そのイニシアチブは我々が握っていると思わせなければならないからね。その為には力を示すのが一番だ」
「そうですか」
千代は源明の言葉にやや不満を覚える。
力を誇示する事で交渉を進めようというのはアラシア共和国のやり方だ。
千代はそういったやり方をあまり好ましく思っていない。
だが源明は元々アラシアの出身である事を思い出す。
どうも生まれ育った場所の気質というは何年経っても変わらないらしい
《了解、砲撃は続けます。丁度、ウルシャコフ少尉から、上からスナイパーに狙われて進めない道があるそうなので、そこを狙います》
「派手にやってくれ。人質を使った交渉は我々に通じないと思わせたい」
《戦闘後の補償が大変そうですね》
「建物は壊れても直せば良いさ」
《人質は?》
「そうもいかない。怪我人1人だって出したくない。……ま、やれるだけやるさ」
源明は苦笑した。
態度には出さないが、緊張で心臓の鼓動は速く大きくなっているのを感じる。
「繋げてくれ」
そう言うとややあってから、連弩を中継して敵と通信が繋がった。
千代が心配そうに視線を向けているのが目に入る。
「聞こえるか? この部隊の司令官である小山源明大尉だ」
なるべく落ち着いてみせる為に、あえて遅い口調で言う。
《こちらはイェグラード陸軍第112中隊の隊長であるイワン・ゴラン大尉だ》
不機嫌そうな低い男の声が聞こえた。
しかし、冷静な口調である事は間違いない。
ある程度は話し合いが通じる相手の様だ。
まずはその事に源明は安堵する。
「早速だが要件を聞こう」
源明は先程と同じ調子で言う。
もっとも要件は分かりきっていたが。
《了解した。……我々はラライ駅の職員や居住区の住民を保護している。これ以上、そちらが攻撃を加えるならば彼らに危害が及ぶかもしれない。即刻、攻撃を中止する事を希望する》
そら見たことか。
源明は千代に視線を向けた。
民間人を保護と言っているが、実際は人質である。
「……断る。我々の任務はラライ駅の占領だ。作戦行動に関する交渉なら我々の様な実働部隊では無く、こちらの上層部に行うべきだ」
源明は変わらず淡々と言ってみせた。
しかし、額には汗が滲んでいるのが分かる。
《貴様は民間人がどうなっても良いと言うのか?》
イワンと名乗る男の声が更に不機嫌になるのが分かる。
「……我々としても民間人に危害が及ぶのは避けたいところだ」
《ならば、今すぐ攻撃を止めろ。貴様も軍人ならば民間人を守るのが仕事だと言う事は分かるだろう》
それを聞いて源明はフンと鼻で笑う。
「それが軍人の言う事かい。保護と言いながら民間人を盾にしてるじゃないか。イェグラード軍とやらの程度が知れるな」
《……》
「……何にせよ攻撃は続ける。そういう命令だ」
源明は断言する。
ハラハラとそれまでの様子を聞いていた千代だが攻撃を続けるという言葉にギョッと驚く。
《民間人よりも任務優先か。さて、彼らの命はどうなることやら?》
一方でイワンの声は冷静になる。
というよりも源明を煽っているようでもあった。
「そちらにその覚悟があるのならな」
《ほう?》
「アンタも分かってるんじゃないのか? そこの民間人とやらはオリエンタル急行の職員がほとんどだろう?」
《そうなるな》
「あそこは中立的な立場だが、実際はルーラシア帝国の企業だ。そこに所属している職員を傷付けてみろ。そちらはルーラシア帝国の市民に危害を加えたとして、帝国と相反することになるぞ」
《ほう……》
イワンは短く言うと沈黙する。
返答を迷っているのか、それとも源明からの次の言葉を待っているのか。
先に口を開いたのは源明であった。
「アンタらはそこに引きこもっているから知らないだろう? イェグラード共和国はトーン・トーン地域やツォーン市みたいな地方で、反対勢力の粛清として虐殺を行っているらしいぞ?」
それは源明のハッタリであった。
どんな理由があるにせよ民間人を虐殺するような政府に正当性など無い。
むしろ、それを打倒する自分達にこそ正当性があるという論理である。
またハッタリといえど、ルーラシア大陸の北部では政府が変わる毎にそれは行われている事もあり、これにはある程度の説得力はあった。
「粛清された中には無関係の市民や帝国の関係者も混じっていたせいで、そちらと同盟関係のルーラシア帝国はイェグラード共和国に不信感を既に持っている。アンタはそれを更に煽ろうっていうのか?」
実際、イェグラードがまだ反政府軍組織と呼ばれていた頃からルーラシア帝国はこれを支援していた。
その見返りとして、占領した地域や利権の一部を帝国は受け取っていたのだ。
しかし、イェグラード共和国は建国宣言とほぼ同時に帝国からの支援を拒否。
それまで支援の見返りとしてイェグラードからルーラシアには北部地域の権益を譲渡していたのだが、これの返還を求めたのだ。
ルーラシア帝国はこれを受け入れつつも、イェグラード共和国に対して不信感を持ち始めていた。
《そんな出鱈目がよくポンポンと出てくるな?》
「嘘だと思うなら確かめれば良い」
イワンの言うことに千代は内心で同意していた。
よくも、こんな嘘が平然と出てくるものだと感心する。
しかも、それなりの説得力があるのだ。
彼は軍人よりも政治家の方が向いているかもしれない。
「ま、そちらは昔からの隠蔽体質だ。マトモに答えるとも思えないけどね」
《……》
「で、どうする? ……と言っても降伏はし辛いだろう。それならば民間人を解放して大人しく撤退するというのはどうだ? その場合、追撃はしない。……悪い話じゃないだろう?」
源明は散々交渉する気は無いと言っていたが、ここで相手側に1つの選択肢を提示した。
まだ交渉の余地はあると思わせる為である。
このイワンという男が提示した案に乗ってくれるのが一番の理想だが、それは無いだろうと源明は思う。
《……》
イワンからの返答は無い。
迷っているのだろう。
戦力はほぼ互角であったが、連弩から居住区の被害を半ば無視した砲撃が開始されてから追い詰められつつある。
もし、彼らが勝利したいのであればもう一手必要なのだ。
その為にイワンがとる提案を源明は予想する。
《良いだろう。我々と君達で民間人から被害を出したくないというのは同じ考えのようだ》
イワンがようやく返答する。
源明はその事に内心で安堵していた。
ここで返答が無ければ民間人や居住区の被害を考慮せずに無理矢理突破する事になったからだ。
「では撤退してくれるんだな?」
源明は思っても無い事を言ってみせる。
《冗談だろう》
イワンからは嘲笑するような返答。
《一時停戦だ。民間人を安全な場所へ解放する。それまでの戦闘行為をお互いに停止するという事だ》
停戦。
予想通りだと源明は思う。
それと同時に今後の事を考えると気が重くなった。
停戦ということは、この後も戦闘は継続することになる。
戦闘が続けば、それだけ居住区への被害も増えるだろう。
戦闘に勝利したとして、その後の市民感情はどうなるのだろうか。
民間人は助かっても、それらが住む場所が尽く破壊されてしまえば元も子もない。
「民間人を解放か……。てっきり、こちらの上層部に掛け合うように言ってくるかと思ったが……」
だが停戦の理由が民間人を解放する時間の為というのは予想から外れていた。
源明はイェグラード共和国がこちらの上層部に連絡を付けて、自分達を撤退させると考えていたからだ。
《そんなまどろっこしい事をするものかよ。どれだけ時間がかかるか分からないし、お前達の上層部がマトモに取り合うとも思えん。だからこその停戦だ》
それでも結果が同じなら源明にとっては構わなかった。
むしろ民間人がここで解放されるのであれば御の字である。
「大人しく撤退すれば被害は少ないだろうに……。まぁ良いさ。その提案に乗ってやる。さっさと民間人を解放してくれ」
しかし、源明は真逆の反応をしてみせる。
あくまでこちらの方が有利であると思わせる為だ。
《では明朝4時まで停戦だ》
「長いな」
《民間人の中には女子供もいるんだぞ》
「……なら、さっさと解放してやる事だ」
その後、停戦についての詳細をいくつか話し合った後に通信が切れる。
その最後まで源明は強気、というよりも傲慢に振る舞い続けた。
「とりあえず民間人への被害は何とかなりそうですね」
千代が振り返って言う。
「どうかな……」
100%では無いと源明は思案顔で答えた。
「それよりも補給と修理、部隊の再編成を急いでくれ」
源明は連弩や各小隊長に通信を始める。
停戦とはいえ戦闘が終了した訳では無いのだ。
「それとウルシャコフ少尉?」
源明は第3小隊へ通信を繫ぐ。
《現在、部隊の再編成中ですよ》
まるで呼ばれる事が分かっていたかのように、ウルシャコフは即座に応答する。
「補給が終わり次第ラライ駅へ向かってくれ。解放されるであろう民間人を確保。……いや、敵司令部を直接叩いて欲しい」
《停戦中のはずですがね?》
ウルシャコフは不敵な笑いを交えて言う。
「ああ。停戦終了と同時に攻撃を仕掛けてくれ」
源明は悪びれる事もなく答えた。
《当初の予定通りという訳ですね。了解。……我々は敵に見付からないようにラライ駅に接近。停戦終了と同時に攻撃を仕掛けます》
元々、源明はこの事態を予測していた。
停戦する可能性がある事。
もしそうなれば停戦終了と同時に敵に攻撃を仕掛けるというのも攻撃部隊には既に伝えてあるのだ。
《それよりも艇長。貴方こそ気を付けた方が良い。我々が考え付くことなら敵も考え付くでしょう》
それは敵軍のイワンも同じ事を考えているということである。
「勿論、分かっている」
敵が停戦を持ち掛けたのは、敵も隠密に部隊を進軍させて、こちらに奇襲を仕掛ける為というのが源明達の予想であった。
おそらく、歩兵を中心とした部隊を連弩や各部隊の後方に進軍させて、停戦時間終了と同時に攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。
つまりイワンという男も源明と同じ方法で奇襲を狙っているということだ。
この停戦はその為の準備である。
「各部隊には常に警戒する様に伝えるさ。何せこちらの砲撃で居住区の建築物はあちこちで倒壊している。隠れながら進むにはもってこいだからね」
鋼丸のセンサーは優れているとはいえ、隠れながら移動する歩兵相手を索敵するには向いていない。
そういった機能に特化した機種でもあれば良いのだが、源明達の部隊には配備されていなかった。
それでも奇襲が来ると分かっていれば対応はしやすい。
源明はすぐに敵の予想侵攻ルートに簡単なブービートラップを仕掛ける様に指示を出す。
元々、野戦の経験が多い源明である。
この辺りの準備には抜かりない。
「あとはもう1手。こちらの切り札を出すか」
コックピットの中、源明はストローが刺さった紙パックのコーヒーを飲みながら言う。
「結局そうなるんですね」
コックピットの前席に座りながら千代が言う。
その切り札の正体を知っている彼女は苦笑しつつも通信を始めた。




