1話 志願
この世界の文明は一度崩壊している。
原因は世界全てが焦土と化す程の激しい戦争。
それは崩壊戦争と呼ばれ、この惑星にとって致命的な環境汚染、地殻変動、異常気象を引き起こした。
結果、当時の人口の3分の2は死に絶え、殆どの文明を滅ぼし、大陸の形さえ歪めたのである。
しかし、これを生き延びた少数の人類は僅かに残された技術を使い、再び文明を築き始めた。
その崩壊戦争から約1000年の年月が過ぎる。
しかし、未だに人は争いを止めてはいなかった。
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真歴1079年1月。
この時期、アラシア共和国の季節は冬であり、息をすれば白いもやが浮かび上がるような寒さの中であった。
2人の少年が並んで歩いている。
1人は燃えるような赤毛にエメラルドの瞳を持つ美少年であり、その横に並んでいるのは収まりの悪い黒髪を持つ丸顔の少年であった。
その様は主人と従者と言うのが丁度当てはまるであろう。
もっとも、この2人は主従関係などでは無い。
幼い頃から一緒に過ごしてきた親友、兄弟ともいえる関係であった。
赤毛の少年はアレクサンデル・フォン・アーデルセンと言い、遙か昔の貴族の末裔と言い伝えられている。
もっとも本人は、「嘘に決まっているだろ。大方、戦時の混乱にでも紛れてそんな嘘っぱちをご先祖の誰かが言ったに違いない」と言っており信じてはいなかった。
実際、彼の家は裕福ではなく、貴族らしい父祖伝来の逸話があるということも無い。
アレクの父親や祖父もその話を酒の席における笑い話としていることから、実際にアレクの言うとおりなのだろう。
そんなアレクの隣にいる黒髪の少年がトール・ミュラーという。
丸い顔に大きな瞳は実年齢よりも子供っぽく見え、何処か子狸のような愛嬌がある顔であった。
彼は元々アラシア共和国の者では無く、元は南方のヒノクニという国の家系であり、祖父の代で移民してきたのである。
後に彼はヒノクニへ戻り、軍人として部隊の指揮をとるのだが、この時はまだ指揮官どころか正規の軍人ですら無かった。
アレクとトール、彼らはこれから軍人になろうというのである。
「それにしたって、なんで軍に志願したんだ?」
アレクが尋ねる。
彼の知るトール・ミュラーはとても軍人などをやるような性格では無かったからである。
愛国心溢れるという訳でも、正義感に燃えるという人物でも無かったからだ。
むしろその逆であり、怠惰の女神を信仰している様なタイプとアレクは思っていた。
「志願しなくたって、18歳になれば兵役があるからなぁ……。ハイスクールを受験するのも面倒だし……」
トールは欠伸を交えながら答えた。すでに朝の8時を回っていたが、彼はまだ眠気を身体に抱えている。
「そんな理由で?」
口ではそう言っていたが、ある意味ではトールらしいとも思う。
トールは勤勉とは言えず、ジュニアハイスクールでも成績は下から数えた方が早かった。
卒業後の進路も決めるのが面倒臭いと言っていた男である。
志願すれば簡単に入れる軍に行くというのも、就職試験やハイスクールの受験が面倒だったと思えば合点がいく。
「それに、志願兵は希望部署の融通がある程度効く。徴兵で取られた場合は適性検査で勝手に部署を決められるからな。いきなり歩兵になって銃持って突撃とか俺は嫌だよ?」
アラシア共和国には徴兵制度と志願兵制度がある。
徴兵制の場合は18歳を過ぎればよほどの事情がない限り、強制的に軍に編入され、適性検査を受けた後に配属部署が本人の意思に関係無く決められて、半年の教育課程を受けた後に実戦に就く。
この間は3年間となっている。
一方で志願兵の場合は16歳以上になれば誰でも志願を行うことが可能である。
この場合、半年の基礎教育課程を受けた後に適性検査を行い、それらの結果を踏まえて本人の希望部署へ配属されのだ。
その後、配属部署ごとの教育をまた半年受けてから3年間の軍務である。
この間の3年間は戦傷や重度の病気などといった特殊な理由が無い限りは辞めることは出来無い。
「つまりは半年訓練を受けて、後方勤務を希望すれば前線に出ることは無いのさ」
トールの狙いはそれであった。
徴兵されて前線へ出される前に軍に志願して後方勤務に就こうというのである。
形はどうあれ、正規の軍人として3年間過ごせば、その後に徴兵されることも無い。
「もっとも、希望部署を出した後にその部署ごとの教育課程が半年あって、それから3年間の軍務だから徴兵よりも1年多く軍にいなけりゃならないけどね」
「そういうものか」
最終的にトールは楽をするために軍に入ることを決めたのだ。
だが、アレクにとってはそんなことはどうでも良かった。
彼はトールが志願したから自分も志願したのである。アレクにとって重要なのは親友であるトールの側にいることだったのだ。
「ここだな」
トールがそう言って立ち止まる。
フェンスで囲まれた土地、コンクリート製の四角い見張り小屋、目の前には受付用の長机と軍服を来た背丈の大きい男が他の志願者の受付を行っていた。
「アラシア共和国陸軍カーペンター基地」
看板を見たアレクが呟く。
「志願者はこっちだ」
軍人の一人が声を上げる。アレクとトールはそれに従い受付を済ませた。
受付と言っても記載事項を描いた書類を出し、私物の入った鞄を渡して荷物検査を受けるだけである。
「何だこりゃ、中身は全部本じゃないか」
軍人の一人が声をあげた。
受付を済ませ、トールの手荷物をチェックしていた男である。
「衣食住はそちらで用意があると聞いたので」
驚くべきことにトールの鞄には趣味である読書の為の本しか入っていなかったのだ。
「……まぁ、良い」
軍人は眉をひそめてトールを基地の中に送り出した。
「変わった奴もいたもんだ……。って何だこりゃ?」
その一部始終を見ていた別の軍人も声をあげた。
自分に渡された鞄の中に携帯ゲームやコミックなどの遊び道具が詰まっていたからである。
その鞄の主はアレクであった。
見た目と違い、彼は所謂オタクと呼ばれる人種であった。
「おいおい、赤毛の美少年。ここはガキのハイキングコースとは違うんだぞ?」
男は嫌みったらしくアレクに言う。
「さっきの本がゲームに変わっただけですよ」
ニッと笑いながらアレクは答えた。元々ツリ目で鋭い顔つきであることからやや不敵にも見える。
「……行け」
アレクの顔が生意気な印象を与えたのか、軍人は不機嫌な顔つきになるとアレクに軍服と案内書を渡した。
その後、2人は髪の長さを指摘され基地内で散髪、着替えを済ませた後に基地司令の有り難くも無い話を聞かされ、基地内の案内を受け、最後に体力測定などを行って1日を終える。
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軍に入ってから1ヶ月はほぼ地獄であった。
毎朝早くに起こされ、乱暴に作られた朝食を済ませると、体操にランニングからの腕立て伏せと腹筋運動を始めとした各種筋力トレーニング、そして障害物競争。
これを毎日何セットも行わされた。
その上、教育担当の軍曹は集合時間に2秒遅れたとか、ブーツが磨かれていなかったなど何かと理不尽とも言える理由を付けてランニングの周回数や筋力トレーニングのメニューを追加してきたのだ。
アレクは元々運動に自信があり、何かと要領が良かったので追加メニューを受けることは少なかった。
しかしトールはアレクとは真逆だった為に、毎回軍曹にグラウンド10周追加や、筋力トレーニング5セット追加などを言い渡されていた。
「まーた走ってるな」
他の皆が休憩している中で1人走っているトールを遠目で見ながらアレクが苦笑交じりに呟く。
「向いてないんじゃないか?」
たまたまた隣にいた同じ志願者の少年が答えた。
「そうだろうな」
元々、後方勤務狙いで志願したような奴だからなと内心で思いながら言う。
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そして3月になる頃には志願した者の3分の1が訓練に耐えかねて辞めてしまっていた。
しかし、アレクとトールの2人はまだ辞めておらず、相変わらず軍曹にシゴかれている。
この頃には、実銃を使った射撃と近接格闘術の訓練も加わってきた。
そんな中でアレクサンデル・フォン・アーデルセンの名前が注目されるようになる。
「10発中9発命中だ」
命中したかの観測をしていた男が言う。
「1発外したか……」
アレクが残念そうに答えた。
「それでも大したものだと思うが……。動いている的にその命中率だろ?」
アレクは射撃訓練においてハイスコアを出し続けていたのである。
更に近接戦闘訓練でもほぼ負け知らずであり、その才能が志願兵や教官に注目されていたのだ。
「1発外したな。じゃあ、そこのグラウンド10周だな」
教官が笑いながら言う。
「はっ」
アレクは敬礼して答えると、グラウンドへ向かいランニングを始めた。
内心ではどういう理屈だと思っていたが、この時点の訓練生は全員が、正規の軍人として二等兵の階級を与えられている。
軍においては上の命令は絶対であるので、それに逆らうことは出来無いのだ。
「それだけ期待されてるってことさ」
同じようにグラウンドを走っているトールが横で笑う。彼もまた射撃訓練で的を外しということで走らされていた。
周回数はアレクの4倍だったが。
「期待か……」
アレク自身は単純にトールが志願したので自分も志願したに過ぎない。
彼もまた兵士として前線に出るつもりは無く、トールと同じ様に後方勤務に就くつもりであったのだ。
「そりゃ、射撃をさせればほとんど命中。格闘戦では負け無しだからね。噂じゃ何処ぞの特殊部隊から目を付けられてるって話だ」
「迷惑な話だ」
アレクは走りながら淡々と言う。
そもそも、自分は兵士になりたくて努力している訳では無い。
ただ、やるなら全力でやって最大限の結果を出そうと努力してのことなのだ。
それは学校に通っていた時からずっとそうしてきた性分であり、それを愛国心溢れる兵士になれるなどと言われて前線に出されてはたまらない。
「そもそも、この戦争は俺達よりも上の世代が勝手に始めた結果だろうに、俺達の世代を巻き込まないでもらいたいものだ」
呟いてから、自ら志願してそんなことを思うのもおかしな話だと思う。
しかし、それを聞いた者は誰もいなかった。
先程まで隣にいたトールはアレクよりも前を走っていたのだ。
あまり長い間並走していると、また教官から何か理由を付けられて周回数を増やされてはたまらないと思ったのだろう。
その夜、彼等が全ての訓練メニューを終え、夕食を済ませて宿舎に戻ると何時もと違う出来事があった。
「私のベッドが無い……」
狐につままれた様な顔をして呟いたのは源茂助という少年であった。
トールと同じヒノクニから移民してきた少年である。
帰化して間もないこともあり、名前の表記はヒノクニの表記のままとなっていた。
彼もまたトールと同じように見た目が年齢より若く見え、少年というよりも少女のような柔らかい顔立ちをしていた。
もっとも、トールとは正反対に真面目な性格であり、近接戦闘ではアレクを上回る成績であったが。
「何だそりゃ?」
他の訓練生も不思議なものを見るような顔をしている。
「どうした?」
そこへやって来たのは教官であった。
「いや、私のベッドが……」
茂助は説明をする。
「そうか。それは山の上にあるかもしれんな! 探しに行くぞ」
その場にいた全員が言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
やがて、それを理解した時にはその場にいた者達は基地の敷地内にある山を模した演習場に走り出したのである。
ウンザリだという顔の訓練生達の中で、トールは教官の言葉とその意味に爆笑していた。
もっとも、その後にも夕食の後に同じような事が何度も起きる内に段々とトールも笑えなくなり、諦めからか「山の上にあるなら仕方無い」という冗談を口にしたと言う。
そして、この冗談は訓練生の間で物が無くなった際によく使われるようになる。
しかも、実際にその通りであることが多かったので笑える冗談にはならなかった。
「余談だが、海軍だと台風が来たらしいとかって部屋の中の物が全部逆さまになっていることがあるそうだ。で、制限時間内に元に戻さないとえらいことになるらしいね」
ある日、夜中に“何故か”山の上にあった自分のベッドの前脚を持ち上げてトールが言った。
「何処も似た様なものだな」
アレクはそのベッドの後ろ脚を持ちながら苦笑する。
その背中には同じように“何故か”山の上にあった自分の衣類一式が入ったリュックがあった。
その中には教官の私物である5キロのダンベルが2つ“何故か”一緒に入っている。
こんな事が続く中で果たして自分達は辞めずにいられるのかと残った訓練生達の一部は自分の忍耐に自信が無くなってきていた。