運ばれた命は何の為に
「いかんな……」
突然の騒音にショックの体勢から強制的に戻れたのが良かった。
お蔭で思考の熱は一気に冷めてくれたので、現状を冷静に見る視点を取り戻せた。
騒音の正体も長い付き合いだ。
友よりも長い付き合いなので、こちらとしたら辟易したい所なのだが命を守ってくれる緊急警報というのならば仕方がない。
あの"扉"から来るのだ───敵が。
何時もの流れからだと恐らく機族辺りが攻めてくる。
無論、それ以外の異世界人の可能性もあるが、どれにしても不味いものは不味い。
目の前の少女は緊急警報のお蔭か。流石に涙も止まっているようだ。
とりあえず、ショックを無理矢理立ち直らせて貰っただけでも有難い。
既に周りも避難を開始している。
その動きの迷いの無さはある意味で流石、と思うしかないのだが……こうすると車椅子の自分は上手い事動けない。
これが経験者とかならば、もしかしたら違ったのかもしれないのだが、乗って間もない自分がこの人波に乗れるはずがない。
「……」
まぁ、その程度は流石に予想もしていたし、覚悟なぞ足が吹き飛ぶ前から既に済ましていた事だ。
なら、なるべく軽く言うべきだろう。
あっさりとも言うかと思い、
「───君は先に避難したまえ」
「はい?」
何時の間にか背後に立たれ、既に車椅子を掴まれている最中であった。
「……何をしているんだ君は」
「え? いや……あの……避難ですけど……」
何か間違っていましたか? という風に首を傾げられ、何を間違っているのかを本当に気づいていない様子であった。
思わず頭を抱える。
その善徳は普段なら自分も尊敬する所なのかもしれないが、この状況では一発アウトだ。
ただでさえ、人込みで動けない中、恐らくだがそろそろ現れるロマン風に言えば死神様とやらが大軍で来るかもしれないのだ。
この今も逃げ続けている人でさえ危ないかもしれないのに、両足がない足手纏い……足は無いが。そんなのに構って死ぬなぞ無駄死にだ。
そう懇切丁寧に説明したい所なのだが……
「……?」
その首を傾げながらも、手を離さず、しかも迷いがない行動を見ると説明しても無駄な可能性しかない。
なら、やる事は悪い事しかないだろう。
「いいか? まずは冷静に俺からの提案を聞いてくれ」
「え? は、はい?」
「君は私に構わず先にシェルターに───」
「嫌です」
ここまでスパッと断られると危うく自分が間違えているかのように思えるが、反応の速度以外は想定内の反応だったので、何とか対処出来た。
「話は最後まで聞くんだ。先程も言ったように私は元とはいえ軍人だ。これまでの功績も受けも良かったから、退役した今でもその伝手を利用してもいいと言われている。その一つに軍用のシェルターの利用というものがある。その一つがこの近くにあるから、俺はそれを利用して避難する。だから、君は先に行くんだ」
勿論、九割嘘だ。
真実は功績が良かったと軍用のシェルターがあるくらいだ。
それ以外は嘘だ。
今もまだ活躍出来るならともかく、負傷兵所か役に立つかも解らない今の自分の状態の自分に対して不必要な許可などするわけがない。
不合理という言葉はこの世界には存在しないのだから。
壊れた人形の行先なんぞ昔から決まっているオチだ。
しかし、今回の合理は間違ってはいないから文句はないが。
確かに助かる命があるのならば、それを優先し、確かに守れる人間がいるならばその人間が急ぐ。
何も間違ってはいない。
なのに
「……君」
彼女は無視してこちらの車椅子を押す。
さっきまではとは打って変わっての頑なさに頭に手をついてしまうが、ここで諦めたら問題だ。
「俺の言う事を聞いていないのか?」
「聞いてはいますが、信じられません」
「何故かね? この溢れんばかりのカリスマなこの美形を信じられないと?」
「顔はともかくその浮かんでいる表情が信じられません」
「何っ。こうか!?」
究極の変顔を見せるとツボに嵌ってくれたらしく笑ってくれた。
うむ、と何か誇らしげな気持ちを抱きつつ、達成感に酔いしれ───
「いや……! 今は違う! 今はそういうギャグテンションではない! というわけで早く先に避難したするんだ。安心したまえ。私はこの戦いを生き残ったらやる事があるので大丈夫だ」
「安心出来る要素が全くないです……! それなら私もそのシェルターで避難するから場所を教えてください!」
色々と藪蛇であったらしい。
ある意味で最もな事を聞かされたが、ここで焦ったりしたら駄目だ。
落ち着いて対処するのだ。
「残念ながら軍関係者じゃないと利用する事が出来ないのだ」
「なら、私がそこまで貴方を押すので場所を教えてください」
まさか、一瞬で本末転倒な解答に辿り着くとは……
落ち着く、つまり冷静という言葉はこれ程に役に立たない言葉であったとは。
新しい哲学を発見した。
だが、ここで屈してどうする。
「ええいっ。実は今までの事は嘘だったのだ! はっはっはっ、つまり君の勝ちなのでとっとと避難するがいい!」
「な、何を負け誇っているんですか!? 大体、嘘ならばこっちの言う事を聞いてもらいます!」
「ふふふ、一体、そんな法律がどこにあると言うのかね? 少なくても加山法典にそんな法はどこにも乗ってないのだがね? 敗北というのはつまり、負けたと思った瞬間だよ……!」
「い、意地汚い……!」
勝つ為には敗北も手段である。
負ける事を手段に出来ないなんて3流のやる事なのだよ。
だから、この負け犬上等のハイテンションを持って彼女のやる気を打倒すればこちらの勝ちなのだ。
負け犬になる事こそが勝ちを見上げる条件なのだ……!
最早、自分でも何を言っているのか解らない部分を感じるが、きっとそれは勘違いだ。
何故なら口から出た言葉こそが真実になるのだから。
「さぁ……」
大仰に、且つ、威圧的に両手を広げる。
ポーズに関してはさして意味はないのだが、こういうのは時に人にプレッシャーを与えるものなのだ。
それを利用し、彼女を出来るだけ説得出来るような態勢を取り
「惚れるかね?」
既に周りに人がいない事に気付いた。
結局、彼女の強情さに頭を抱えながら急いでシェルターに避難することになった。
幸い、頭に地図は叩き込んでいる。
道に迷う事はないのだが、自分が車椅子である事から彼女の体力が大丈夫かと思ったのだが……
「えっと……次は……」
「暫く、真っ直ぐだ」
意外にも息継ぎという呼吸はしているが、息切れを起こしていない。
両足を失って、確かにかなり体重は減ったが、どっちにしろ成人男性が乗った車椅子を押すというのはかなりの重労働だとは思うのだが、どうやら見た目と身体能力が合わないケースらしい。
不幸中の幸いである。
チラリと背後を見ると一生懸命に走っている彼女の姿があり、チラッと下を見ると非常に健康的な白い肌の足が見えていて眼福である。
何と素晴らしい……
これが非常時でなかったのならば愛でている所なのに。
「己、異世界……!」
「え?」
「いや、何でもない。恐らく、世の理不尽への嘆きが唐突に口を操ったものだ。気にするな」
「はぁ……」
不思議な物を見る目でこちらを見てくるが、気のせいだと思って気づかなかった事にする。
「それにしても……」
警報がなったというのにかなり静かだ。
流石に、これだけ静かだと不気味さを覚える。
相手を機族として仮定するならば、侵略作戦か、消耗作戦のどちらかを取ると思っていたのだが、そのどちらもしている様子がない。
念の為路地裏から走って避難しているのだが、これが侵略なら外壁の外で戦闘になるので救われるのだが、消耗だと空襲されるのでメインストリートだと狙われる可能性が高い。
路地裏も危険ではないかと言われると確かにそうなのだが、背に腹は代えられない。
上空から視認されて、狙われるよりは遥かにマシだ。
だが、この様子だと
「誤報か……?」
有り得ない話ではない。
警報システムは"扉"と連動している。
"扉"が起動すればどんな事であれ、警報が作動する。
なので、最も最重要なシステムだ。
普通なら、誤報なんて可能性はほぼ無くすのだが……やはりほぼになるのは仕方がない結果なのだ。
そう結論を抱く事は出来るが
……それだと俺達に都合が良過ぎる。
ご都合主義の結果でしかない。
こんな世界に機械仕掛けの神は存在しないのだ。
ならば、自分達にとって、最も都合の悪い結果を考えろ。
今の自分達にとって最も都合の悪い結果。
それは、当然、警報は誤報ではなく、空襲による攻撃を受けた時が一番の最悪な事態だ。
だが、そうなると警報がなってからもう数分経っているのだ。
幾らなんでもそろそろ姿を視認できるか……
音が聞けても……
そう思い、そういえば耳に集中していなかったな、と思い、少し集中してみ───
バッ、と思わず上を振り仰ぐ。
いきなりの動作に彼女も驚いたかのように、少し動きを止めるが
「……?」
彼女も違和感に気付いたのか。
眉を顰めながらも、恐らく音に集中し始めた。
耳の中で一番響くのは間違いなく、自分の車椅子が鳴らす音であり、次に彼女の足音であり、呼吸音だ。
そこまでは問題ない。
既にほぼ避難を終えたのだろう。
メインストリートの辺りからは音は聞こえない。
つまり、ここで耳に残るのは先に出したそれらのどれかなのだ。
だが、悲しいかな。
元々あった聴力のせいか。余計な音が聞こえる。
それは明らかなエンジン音であり、それは独特な……そう、例えで現実逃避すると上空を飛行機が飛びと似たような音を鳴らすものだな、と思う。
だが、空を見上げても戦闘機どころか、鳥の一匹も見えはしない。
視覚は期待を裏切るが、聴覚は変わらず結果しか示さない。
すると彼女も似たような結論を抱いたのか。
あはは、という感じに笑いながら、こちらを見る。
だから、俺もはっはっはっ、と笑い、和やかな雰囲気を一瞬で作り、そして二人して同時に真面目な顔になり
「───不味い!」
出来るだけバランスを崩さないように前屈みに座り、彼女もさっきよりも早く足を動き出す。
それと同時にまるで巨大な存在が空から落ちてきたのでは? と思うような衝撃と爆音が自分達の聴覚と足に襲ってきた。
当然、空襲で攻めてきた機族が色んな爆発物を落としている音であった。
俺の車椅子と、そして彼女も一瞬、無重力を感じるような衝撃と轟音を受けて彼女が転ばなかったのはある意味で奇跡であると思うし
「───!」
轟音でイカれた耳でも彼女が何事かを叫びながら、それでも走るのを止めないのを見ていると凄い精神力であると流石に驚く。
元の職業柄俺は慣れているし、周りも恐怖は感じても元々、合理的な人間なので慌てるよりも逃げる事を優先する。
そういう意味ならば、俺が他人の事を言う事も、他者と比較するにも材料がないのだが……何となくイメージと違うから驚いただけなのだろう。
抽象的に言うならば、周りがチュドーン、ズドーンとしている中、自分は中々、冷静でいるなとは思うが、既に先程、自分にとっての最も都合の悪い結果を予想しているからだろう。
そして、それは本当に不幸な事に起こってしまう神の導き。暫く、祈るという単語は使わないでおこうと思いたくなる喜劇であった。
それは上の方からの破砕音であり、二人同時に上を向くと───予想通りに上から落ちてくる瓦礫の山を確認できた。
恐らく、原因は爆破の衝撃によるものなのだろうとは思うが、原因なぞ今はどうでもいい。
今はただ、この瓦礫に対して自分達がどうなるかを計算するのが第一であった。
不幸中の幸いか。
瓦礫は自分達を中心……というよりは少し後方を中心に落ちていく。
落ちていく……が、やはりと言うべきなのか。不幸なと言うべきなのか。
このままの速度で行くと瓦礫の一部が掠める形で自分達を押し潰す。
だから、息を吐いた───安堵の溜息を
それならば一人は間に合う
加山は即座にブレーキペダルを下げた。
当然、加速し続けようとしていた車椅子は急速な停止につんのめる様な形で多少の摩擦と同時に停止する。
当然、それは車椅子を押している少女も押していた車椅子につられる形でつんのめ
「きゃっ……!?」
恐らく、車椅子が彼女の胴体を圧迫した痛みが来たのだろう。
すまない、とは思うが、大事の前の小事と思い、そのまま、それでも車椅子から手を外さなかった彼女の腕に手を伸ばす。
左腕を彼女の右手首の部分、右腕を彼女の右肩の部分の服を捕まり
「ふっ……!」
そのまま腹筋を使って、無理矢理な形の背負い投げを、地面に叩き付けるのではなく、投げ飛ばす形で放り投げる。
正直、両足がないから踏ん張りの部分が不安ではあったのだが、つんのめった形で停止した車椅子が利用できたので良しとする。
そして、彼女がギリギリで落ちてくる影の部分から脱出出来たのを悟り、今度こそほっと息を吐く。
彼女は痛みで蹲るかと思っていたのが、意外にもそんな感じも見れず、俊敏な動きでこちらを見ようと体を起き上がらせた。
その顔はどうして? という疑問に埋め尽くされていた。
その疑問は、恐らく自己犠牲のような事をした俺という存在に対しての疑問なのだろう。
だが、別に自己犠牲などというふざけた思想なぞ別に持っていない。
単純な事実。
この場においてもっとも助かる可能性が高い人物が助かるべきだろうと思っただけだ。
毛嫌いはしているが、それでも周りの生物と自分は一緒なのだろうという証だろう。
残り人生時間数秒というのに無駄な思考だな、と思い、一切を振り払い、こういう時は笑顔で送るべきだろうか? と思うが、死なれる人間に笑顔で見送られるのは気味も気持ちも悪いだろう。
だから、ただ
「───」
目を閉じた。
出来るだけ自然に眠るように目を瞑り、終わりを享受する。
どうやら、よくある走馬灯みたいな光景は見ないようなのでそんなものなのだろうと思いながらあくまで普通に死を迎える。
ただ、走馬灯の代わりなのか。
一瞬。
本当に目を閉じる刹那の間隙の視界に。
何やら、少女に何か不思議な物を見た気がした。
それと同時に意識は間違いなく、それこそ何かに激突したかのように消失した。
……む?
ゆっくりだが、徐々に起き上がる意識が疑問の意思を発する。
まだ目覚めていない思考回路は、その意識に対して何故疑問を抱くというシンプルな思考を働かせるが上手い事働かない。
何かがおかしいというのは理解しているのだが、その何かが全く理解できないので思考回路も目覚める事を優先にして、一度空になり、少しの間だけ空白のような時間が生まれたと錯覚を覚え
「……む?」
ようやく意識と思考回路が同時に目覚めた。
最初に働いた五体は視覚であり、それは自分から見たら目の前の物。つまり、天井を見ていた。
その天井の形は明らかに自分が何時も寝ている家とは違い、もっと高級感を醸し出すものであった。
病院でもないようなので、恐らく俺が知らない家の天井なのだろう。
流石に病院でここまで高級感を見る事は出来ない。
「……む?」
はて? どうして、最初に病院を例えに出したのだろうと自分の思考に疑問を抱く。
数秒間、思考に耽り───ポン、と寝る前の自分を思い出した。
そのまま、即座に体の状態を意識して、体の各部分を微細に動かしてみる。
右腕クリア。
左腕クリア。
胴体クリア。
頭部クリア。
両足アウト。
つまり、何一つ気絶する前と変わっていないようである。
……あの状況で?
あの、明らかに瓦礫に潰される地点にいた俺が無傷?
確かに、あのまま走りきっていたらギリギリの地点に引く事は出来ただろうが、あのブレーキをした時点では瓦礫に普通に潰される地点であった。
幸運偶然奇跡まぐれなどというのは、そういうのが起こり得る条件があるからこそ起きるものだ。
つまり、運も実力の内というのは決して祈れば起こるものではないという事なのだ。
それなのに、とは思いもするが、残念ながらどう足掻いてもあの後に気絶した自分に考えるには無理が有り過ぎる。
だから、ここは彼女の自宅と思われるのでその場にいたもう一人に聞くのがベストだろう。
となると、今、考えられる事は一つくらいしか無いだろう。
「あの爆撃……」
結局、最初から最後まで姿は見えなかった。
今までも一度も見た事がない攻撃……ではない。
機族の対人機械の明らかに規格が違う機族に時たまあった装備だ。
それは
「光学迷彩か……」
あちらは自分達よりも遥かに発達した科学技術を持っている事は既に承知の上だが。何ともロマン装備を機材の糸目も付けずにかましてくれたものだ。
確かに、あちらの科学技術は未来過ぎるものだが、材料自体は有限の存在だ。
それが、こうも形振り構わずに出してくるという事は
「この戦争も更に激化するという事か……」
加速する事はあっても止まる事はない。
止まるとすれば一つの世界が残るか───どの世界も滅びるバッドエンドを迎えるしかない。
選択肢が限られた世界。
生き残る事ですら必死所か、運試しみたいなものだ。
俺も今回は生き残れた。どんな事が起きたかはともかく運が良かったのは間違いない。
だが、その次は? その次の次は? 次の次の次は?
解る筈がない。
未来は常にDead or Alive。
他の種族はどうだか知らないが、少なくとも人族の選択肢はそれしかない。
不条理にも思える選択肢の枠組み。正直に言えば怒りしか湧かない。
戦争なのだから仕方がない……と言えるほど残念ながらメンタルは成熟していない。
常に、この答えに辿り着いた時、加山竜司が考える事は理不尽と言えるこの選択肢の数の少なさであった。
何故、こうも苛々するのかは自分でも理解できないのだが、誰かに語ってもまともに取り合う人間は誰もいなかったので、解決する話題でも無かった。
ちっ、と思わず、舌打ちをしてしまう。
最近は両足の事も含めて、起き抜けはテンションが最悪だ。
この調子だと考える事は鬼門だ。
どうしようか、と思っている所に
「失礼しま……あっ」
ノックをして入ってきた少女の姿を見るだけで、テンションがマシになった。
「やぁ。どうやら、お互い運が良かったようだな。日頃から神とやらを罵倒していた甲斐があったものだ」
「……ええと。普通は神に祈っていた甲斐があったじゃないんですか?」
「何を言う。大抵の神というのはマゾだろう? ならば、罵倒した方があちらも喜ぶというものだろう」
はぁ……と何やら出鼻を挫かれたかのような感じで偏見しかない台詞に空返事で答える少女。
いい加減、名前を知りたいものだね?
「まぁ、お互い色々聞きたい事はあるのだろうが、とりあえず、ここは君の家かな?」
「あ……いや……その……お世話になっている家で……」
「成程───身元引受人の家というわけか」
これも、意外に珍しくない制度だ。
このご時世、親がいなかったり子供がいなかったりなど幾らでもある。
そして、そのままだとそういった人間は逃げるかもしれないと想定し、身元を確かにする為に親がいない子供相手の身元をチェックする為という身元引受人だ。
かく言う俺にもそういうのはいるのだが、確かこの前の空襲で逃げるのが間に合わずに死んでいる───既に何人も死んでいるが。
きっと、またその内に身元引受人が来るのだろうか? だが、それはあくまでも利用できる人間を何もさせないでいるには余裕がないという事情から発生した制度であって、俺のように明らかに役に立たないのに身元を確認させる必要性はないかもしれない。
「ならば心配……いや、するわけがないか……ならば、君を怖い目に合わせたという事で君に謝罪しよう───すまなかった」
「───え?」
予想外であった、というような台詞を聞かされた表情に、しかしわざと無視して話はそれだけという事にしておいた。
彼女の性格は大まかではあるが、こう言った時にどういう風に返すかぐらいの理解度は既に得ている。
それにしても
「この部屋は……」
よく見れば、ベッドや周りに置いてあるものが質素だが色合いや細かい所が何というか……女の子らしい。
昔の母親の部屋を想起させる雰囲気に、多分だがという半分確信したまま視線で問うてみて
「あ、はい。私の部屋です」
……ふむ。
「ああ……どうやら気絶した影響からか……頭痛がするようだ……少しベッドに俯せて深く呼吸するから待っていてくれ」
「へ……? ───ちょ、ちょっと待ってください! な、何かおかしいですよ!?」
「どこがかね? 君のベッドで俯せで寝る19歳の男子のどこにおかしな部分があるという? 懇切丁寧且つ論理的に語ってもらおうではないか!? それが俺を納得させるものでなければ俺は不貞寝する所存である!」
「ど、どこもかもですが……それって結局、ベッドに居座るつもりじゃないですか!? ま、ままままだ洗濯していないんで止めてください!!」
「───最高の返事だ!」
躊躇わずに布団の内部に侵入する。
外からいやああああああああああああ!! という叫びが聞こえてくるが、何も問題はない。
これは、俺の体力を逸早く回復させる為の儀式……!
そう。
ならば、彼女も笑って許してくれるはずだという根拠無き自身は突然の浮遊感で打ち消された。
それは、慌てた彼女は卓袱台返しならずベッド返しをしたが故の浮遊感であった事を後に知る。
ちなみに、彼女の表情は笑顔ではなく涙目の慌てた表情であった。
「ふふふ……運動神経がいいのは知っていたが、まさかベッドを返す程の剛腕だったとは……君は私の予想を悉く凌駕してくれるね?」
「う……ごめんなさい」
謝ることではない、と彼も苦笑するので逆に余計に縮こまってしまう。
流石にやり過ぎたとは思ったのだが、この人も意外に頑丈なのか。無傷だった事に流石に驚いた。
本人は「受け身が得意でね」とか言っていたが、そういうものなのだろうか?
というか、やはり、と言うべきなのか。
この人───変だ。
いや、そう決めつけるのはよくないのかもしれないが、気のせいか。私の前にいる時は凄いテンションだ。
思わず、つい、力の加減を間違えてしまうくらい。
ただ、彼の境遇を見ると理解は出来る。
周りは全て、人形……と言うには見る事は少ないが、多少の感情表現を持ちながらも、間違いなく彼や私のようなモノには相対するだけでストレスを感じるような人の群れ。
その中で何時死ぬか分らない戦争。
背中を任せるというような言葉すら生まれない人間関係では、常に一人で戦っているようなものではないかと思う。
孤軍奮闘という言葉が脳裏に浮かぶ。
彼は言った。
自分には戦う理由がない。ただ生きる為に動いただけだと。
きっと、それは間違いではないのだろうとは思う。
生きたいなんて思わない生物は破綻している。なら、彼は正しい。
でも、あんな一人で戦うしかない環境なら、それはやはり死にに行くようなものではないかと思う。
何が彼を突き動かしたのか。
知りたい、と思う気持ちに嘘は吐けない……が、同時に自分はどうしてこんなに彼の事を知りたがるのだろうと思う。
会って数日どころか一日だ。
それなのに、何故か惹きつけられる。
どういう事なんだろうとは思うが、自分の知識で思い当たる結論を抱く。
まさか……これが……幻の母性……!?
まさか、子供どころか恋すらも飛ばしてこんな衝動を得るとは。
成長と言うのは時に一歩どころか十歩先に飛ばしてくれるらしい。珍妙な。
……まぁ、別に悪いわけではない……と思うのでいいだろう。
たった一日……いや、会話しただけならば逃げる時も含めたら十分くらいしかなかったというのに、ある意味で自分も大した変りようである。
「所で……今の時間は……」
「あ、すいません。大体……一日とちょっと寝ていまして……もう夕方です」
「……意外に寝ていたのか」
「ぐっすりでしたよ? それはもう」
───まるでようやく緊張が解ける場所に来れたという風に。
余りの態度に、同情とかそういうのより少し、怒りが込みあがってきた事に自分で新鮮だ、と驚いた事もあったが。
この人を相手にしていると自分はどうにも駄目みたいだ。
気付かれない様に溜息を吐きつつ
「お腹……空いてませんか……?」
「……いや。意外にも……それよりもすまないね。君の寝床を長時間占領してしまったようだ」
「それなら大丈夫です。私も別の場所で休みましたので……体の調子は……?」
「ああ。傷も痛みもないようだし、大丈夫なのだろう。運が良かった───そういう事にしておこう」
……う。
言い方にそんな事はないがな、と言外に告げられている。
流石に、不審の目で向けられているが、口には出さないでいる。
気遣って貰っている、と流石に縮こまってしまうが、彼は小さく溜息を吐きながら苦笑し
「では、俺はどうすればいいかな? 流石に何日もお世話になるわけいけないからな。何なら帰るが……」
「あ……いや……ちょっと時間を貰ってもいいでしょうか?」
「ふむ? 別に構わないが……何か用事でも?」
その当たり前の質問に、私も少し迷いながら……とりあえず言われていた事を彼に言った。
「その……おじさんが貴方とお話ししたいって……」
嫌な予感がするという風に表情が変わり行くのを目の前で見ながら、私もこれからどうなるのだろうと思った。
第二話更新です。
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