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魔術師の宴  作者: 由城 要
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第20話 契約の儀式


 母も姉も父を信じていた。母は生前周囲からの野次に対して、外で反論はしなかったが、家の中ではいつも父のことを擁護していた。そしてそれは姉も同じだった。

 2人は父の潔白を信じて疑わず……それ故に神経をすり減らしているのだと、子供心にそう思った。






  - 契約の儀式 -






 父のよくない噂が流れてしばらくした頃、たまたま通りかかったフレイの家の前でエメリナ様に呼び止められたことがあった。

 一緒にいた姉は無言のまま、頭だけ下げてその場を立ち去る。自分もそうするべきなのだろう、と軽く会釈をした時、エメリナ様が声を上げた。


「リク」


 名を呼ばれ、思わず立ち止まってしまった。助け舟を求めて姉の背中を見るが、かかわり合いになりたくない、と書かれたその背中を呼び止めるのは不可能だった。

 エメリナ様は手に持った如雨露を家の垣根の脇に置いて、こちらへと近づいてくる。


「突然ごめんなさいね。ファンニは……行ってしまったかしら?」

「……はい」


 もう姉の姿は家の敷地の中に消えていた。エメリナ様は困った様に笑い、そしてこちらに視線を戻す。


「でも助かったわ。リク、貴方にお願いがあるの」

「……?」

「今日、子供達にファーレン様からの課題が出たのだけれど……2人一組の組み合わせで、フレイがあぶれてしまったみたいで……もし良ければ、練習相手になってくれないかしら?」


 突然の頼み事に、こちらは目を白黒させるより他になかった。もう1年近く、ファーレン様の魔術の教えを受けていない。ファーレン様から何かを言われたわけではなかったが、周りの子供達の目、そしてその母親達の嫌がらせの餌食になることを考えると、あの場に参加する気にはなれなかった。

 エメリナ様はこちらの顔色を見て言う。


「練習だけでいいの。本番でも組む人がいなければ、ファーレン様が相手になってくれると思うし……どうかしら?」

「……」


 父が行方不明になるより前から、魔術師として生きていくことは心に決めていた。ファーレン様の教えの場には参加出来ないでいたが、父の残した書物を頼りに独学で勉強は続けている。本音を言うなら、フレイ達が今何を学び、何を習得しているのか知りたい気持ちはあった。

 チラ、と自分の家の方を見る。関わりを持つのはフレイの方だ。そう心の中で区切りを付けることにした。どちらにしても後で母と姉にうるさく言われることは明白だったが。


「……分かりました」

「助かるわ。それじゃあ、今、フレイを呼んで……」

「エメリナ様」


 家の中に戻ろうとするエメリナ様を、今度は自分が呼び止める。


「ありがとう、ございます」

「……」


 母も姉も父のことを心から信じている。それに対して、少し冷めた目で見ている自分がいた。父の記憶がある2人と、記憶の殆どない自分。1人だけ地に足のついていないような気分だった。

 2人はエメリナ様のことを嫌っていた。エメリナ様が気を使えば使うほど、自分たちが加害者に仕立て上げられているような錯覚に陥っていた。それを隣で見ていると、同調して腹立たしいような、相反して苦痛を感じるような、何とも言えない感覚だった。


「姉さんのことは、すみません」


 エメリナ様がこちらに戻ってくる。そして両肩に手を置いた。


「いいのよ。……こちらこそ、ごめんなさい」


 もし父を信じているかいないかと問われれば、出来るなら信じたい、と答えるだろう。少なくとも魔術師として何不自由なく成長していける場所が失われてしまったことは大きかった。

 父の潔白が証明されれば、言いようのない後ろ暗さから解放される。解放されれば、自分だけが別な場所にいるようなこの感覚も、忘れてしまうことが出来るのだろうか。


「貴方はとても複雑ね、リク。私の目は風景が見えない代わりに、望めば人の心の色を見ることが出来るけれど……貴方の心はよく見えない」

「……」


 視線を足下に落とす。

 自分でも自分のことが分からない。それはおそらく、自分のおかれている状況が白とも黒とも言えないボーダーラインにあるためだ。

 そしてその全ての原因は、父の謎の失踪と、同時期に起きたフォルカー様の死。


「でも……いつか、貴方の心が晴れる日も来るわ」


 エメリナ様は悲しげに微笑む。この人も苦しんでいるのかもしれないと、そのときやっと思い至った。


「貴方はお父様そっくりだもの。自分の……魔術師としての使命を見出したなら、きっと……」


 独り言のように呟かれた最後の言葉。その時エメリナ様の盲目の瞳に映っていたのは、幼い自分の姿だったのだろうか。それとも記憶の中の父の姿だったのだろうか。











 しらみつぶしに魔力の残滓を確認しながら、私は城の最上階へと辿り着いた。もう此処しかないという緊張で指先が震える。

 階段を上る度にわずかに人の気配を感じた。隠すこともしないその気配は、こちらの動きを見定めているかのようだった。


「……っ」


 城の最上階は螺旋の階段を上がった先にあった。外から見た限りでは塔のようになっている場所。中はさほど広くないはず。

 目の前に現れた扉は僅かに開かれていた。サーティが警戒するように伝えてくるけれど、私は首を横に振る。相手はもうこちらの気配に気付いている。なら、だまし討ちすら意味がない。

 私は半分開いていた扉に手をかけた。そして開け放つ。


「……ほう。誰が辿り着くかと思っていましたが、貴女がいらっしゃるとは思いませんでした」

「……サリム様」


 部屋の中には壁際にずらりと並んだ本棚、そして簡単な机と椅子が1つ置かれていただけだった。机の横に窓があるけれど、そこから見えるのは雲と朝の空だけ。

 サリム・エーベルトは椅子に腰をかけた状態で、片手に一冊の本を手にしている。まるで今まで読書をしていたかのような、そんな出迎え方だった。

 私は静かに問いかける。


「サリム様。貴方に1つ聞きたいことがあります」


 心臓の音が自分の声までかき消しそうな気がする。それでも私は震えを抑えて続けた。


「禁術を……行っているのは貴方ですか?」


 緊張と恐怖を押さえ込み、相手の返事を待つ。サリム様はパタン、と本を閉じると、椅子から立ち上がった。体の中で必死に交代を迫るサーティを抑え付け、近づいてくる相手を見上げる。

 黒髪の間から覗く瞳がわずかに光る。


「貴女の言う禁術とは……どれのことでしょう?」


 彼の言葉が聞こえた瞬間、それまでなりを潜めていた魔力の残滓が突風の様に一気に部屋の中に流れ込んできた。

 結界が解除されたことに気付くより先に、むせ返るほどの血の臭いが肺をつく。


「っ……う」


 毒ガスを吸い込んだように、体が痙攣した。指先にまでしびれがくる。心の中に抑え付けていたサーティの気配が私の心臓の音と共に薄れていく。

 サーティが言っていた契約解除の術が、体を蝕んでいく。脳までも壊れそうな頭痛。吐き気が胃を扱き、足の力が抜けそうになる。

 ふらついた私の両肩を掴み、サリム様が笑っていた。解除された魔力が彼の元に集まっている。


「おや。昨晩は気付きませんでしたが……同類の匂いがしますね」

「ひ、ぅ……っ」


 流れ込む力の1つ1つが私の背筋を撫で、恐怖が体を覆っていくのが分かった。解除魔法の力の残滓から禁術の記憶が脳裏に浮かび上がる。

 ひと際大きく、心臓の音が鳴った。瞼に浮かんでくるのは、血に染まった床。いくつかの人だったモノが赤い海の中に点々と落ちている。そしてそこに浮かび上がる、白く淡い光。それが次の瞬間、血の海の真ん中に浮かび上がった魔方陣に吸い込まれていく。


「っ、これ……、は」


 陣の形に見覚えがあった。多分、私じゃなくても、魔術師なら誰もが知っている。誰もが使ったことがある。

 燦然と光り輝くそれは、蛉人との契約に使う魔法に酷似していた。


「どうしました?」

「っ」


 私は気力を振り絞ってサリム様の手を払い、窓際へと逃げる。開け放された窓から外の風が入り込んできて、僅かに息が出来た。そして結界がすべて解除されたことに気付く。

 恐怖で竦んだ足がもつれ、膝をついた。彼の目的がやっと分かった。今このタイミングで術を解除した理由も含めて、全て。何故今まで気付かなかったのだろう。


「サリム様、貴方はっ……貴方は、神にでもなるつもりですか!?」


 体中が警告を発している。こんなに強大な魔力を自在に操れる魔術師を私は他に知らない。彼の力は底が見えない。

 私は叫ぶ。


「魔術師達を殺し、禁術を使って魂をナラカに送り込んで……!」


 功名に作られた多重結界は、集まった魔術師達を秘密裏に処分するための檻だった。そこで強制的に精霊との契約を解除させられた術師の魂はナラカに送り込まれていた。


「『神』ですか。……面白いことを言いますね。フォルカー様の代の助手は、私のことを『悪魔』と呼んでいましたが」


 貢ぎ物。そう呼ぶのがふさわしいかもしれない。

 サリム様の両手が近づいてくる。


「ふふっ……そうそう、先ほどヴァルナを見ましたよ。フォルカー様の気高い魂が一代でヴァルナの転生を成し遂げたと、噂には聞いていましたが……実際にこの目で見るまでは信じられなかった」


 背筋が凍る。


「あの人の死後二十余年を経て、これほど昂奮することがあるとは思いませんでした」


 伸びてきた両手が、体を押す。その瞬間、強い力でもって私は空中へと投げ出された。視界が外の景色を映し出す。


「だって、そうでしょう?デルヴァの再誕の為に五百近い魂を献上したというのに……やはり、フォルカー様はファーレン様とは比べ物にならないほど優れていたと、証明されたのですから」


 サリム様の言葉が流れていく。私は投げ出されたことで気管に入り込んだ空気に咽せた。

 僅かに口角が上がる。外なら、なんとか息が出来る。息が出来れば声を発する事もできる。私が息を深く吸うと同時に、周囲に蛍のような光が散らばった。

 サリム様がわずかに顔をしかめる。


「……これは」


 落下までの時間はほとんどない。だからこそ迅速に、事を進めなければならない。もったいぶっている暇はないのだから。

 私は視界から消えていくサリム・エーベルトを睨みつけた。


「魔術師は神にも悪魔にもなれない……結局いつか死ぬのなら、それはただの人間でしかないわ」


 そうつぶやいて、右手を空へと向ける。


「そうでしょう、サーティ!」

『……ああ、その通りだ』


 記憶の片隅で忘れかけていた魔法陣を空中に描き出す。光の輪の中に花が咲く様に、陣が彩られていく。七色に輝いているのは空の色、地面の色、庭園に揺れる草花の色。でもそれは美しさばかりじゃない。

 彼女は……サーティは、確かに蛉人として幼いかもしれない。感情的になりやすいし、誘惑に踊らされる事もあるかもしれない。それでも彼女の心は温かく、慈悲の気持ちだってそこにはある。


「エプリティカ・フルール・ラ・サクリティス」


 名前を呼べば、サーティが私の右手を掴んだ。引き寄せ、見つめ合う。


「私と契約を」


 貴女が私を愛してくれる様に、私も貴女を愛すると誓うわ。だから力を貸して欲しい。

 私達はもう、1人じゃない。孤独にも恐怖にも2人で立ち向かっていけるもの。


『アラセリ・リンドブルム。貴女と契約を結ぼう』


 サーティはそう言うと、私を抱きしめたまま体を反転させた。左手で私の体を抱き、近づいてくる地面を見る。

 彼女が空いていた右手で地面に七色の光を散撒くと、次の瞬間、目にも止まらない早さで落下地点に巨大な花が姿を現した。庭園を覆ってしまうくらいの大きさの花が、口を開けて私達を受け止めようとしている。

 落下する直前、サーティが呟いた。


『貴女が逝ってしまうそのときまで……』


 私は目を閉じて、その言葉に頷いた。


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